日別アーカイブ: 2009/5/19 火曜日

聖地巡礼

野町和嘉さん聖地巡礼という写真展を東京都写真美術館で見てきた。せっかく見に行くついでなのでギャラリートークの時に行くことにした。

それにしても背中がゾクゾクする写真展だった。
入り口付近に展示してある超巨大な「ライラトル・カドルの礼拝」というメッカにあるカアバ神殿の大きな写真。写真を前にそのパワーに圧倒される。微動だにできず、ひれ伏すような感じ。
イスラム教徒の信仰の強さが真っすぐに伝わってくるのはもちろんのこと、その写真がとんでもなく大きいことも圧倒された要因だ。大きいということは凄い力を持つ。とんでもなく大きいとか数が無茶苦茶多いとか反対に超小さいといったこと自体に人を惹き付けるものがある。

そして野町さんの写真を見ていて、ふと気づいたことがあった。写真が全く色あせていない。展示してある写真は昨年撮影したものから30年以上前に撮影したものまであった。しかし30年前の写真でも全く古びた感じがしない。色褪せてるなとか、古くて安っぽくなっているなという感じが全くない。今まさに目の前に存在する現実そのものであるかのように感じる写真ばかりであった。それは色あせないものを撮影しているからなんだろう。人間や自然の根っこの部分にがっぷりよつで向き合って、撮影しているからなんだろう。

また、世界の様々な地域の聖地を展示してあったのだが、自分で訪れたことのある場所の写真もあった。年末に行ったイランのエスファハンやマシュハド、そしてアンデス、チベット、インドなど。それらの写真を見て感じたことがある。こんなことを言ったら当たり前すぎて失礼きわまりないのだが、俺も行ったことがあって野町さんと同じ被写体を撮影している写真もいくつかあった。例えばイランのエスファハンなど。それで思った、同じ被写体を撮っているからこそ強く感じられるのだが、野町さんの技術は凄い。同じものでもこう撮れるのかと。明るさとかフォーカスの精度とか全く違うなと。全然違うなと。もちろん技術だけではなく、その向かい合う姿勢も違うんだけど。

一連の野町さんの作品を見て、じっくりアフリカを巡りたいと思う一方で、日本の土着の神をもっと深く知りたいと思った。聖地とは人が関わっている場所である。そんな場所を訪れたい。が、そうではない人を寄せ付けない広漠な自然にも触れたいなー、とやっぱり欲張りだ。

《野町さんがギャラリートークで話していた内容で印象に残っていること。》

・これからはインドを続けて取材・撮影したいのとアンデスにも行きたい。

・野町さんクラスの写真家でもグラフ誌が減ってきているから大変だ。

・アフリカでは自分の車で移動して取材している。

・最近は野町さんもデジタルだとか。フィルムの作品もスキャナで取り込んでプリントしているとのこと。

・行動の源泉は好奇心だ、野次馬根性だとおっしゃっていたが、すごく共感できた。見たい、触れたい、感じたい。それがあるからこそ突き動かされる。後付けのそれっぽい理由なんて二の次だ。

・37年前に撮影したアルジェリアの家路を急ぐ少年という砂漠の写真がある。それからなんどもアフリカの砂漠を訪れているが、おなじような風景に出会えないという。それは、自分が何度も砂漠に通ったことによって感覚が麻痺してしまったからじゃないかと。

・メッカの撮影の依頼がサウジアラビアから正式にきて、ムスリムになる必要があったので実際にイスラム教徒になったらしい。まあ、それでカアバ神殿に入れて撮影できるならと。

それと図録に書かれている風の旅人編集長の佐伯さんの文章がいいです。

送信者 イラン