日別アーカイブ: 2009/4/9 木曜日

寒すぎる大晦日のモスクワ[イラン旅日記 終わり]

前回のイラン旅日記はこちら「さようならイラン」

イランに別れを告げ、モスクワに向かう。飛行機に搭乗すると一瞬で熟睡に入った。空席だらけだったので、席を移動して3席分を使い横になって眠りについた。食事をした以外は眠り続けた。見事な眠りっぷりだったと自分でも思う。モスクワ時間で6時前にシェレメチェボ空港(ターミナル2)に到着する。まだ、外は真っ暗で滑走路の灯りとオレンジ色の街灯だけの世界が広がっていた。ただでさえ寒いのに、こんな風景がよけい寒さを厳しくさせているようだった。


シェレメチェボ空港

日本でロシアのビザを取得してあったので、すんなりと入国できた。まずは50USドルをロシアルーブルに両替。準備も整いとりあえず、街の中心地に行きたいけど、どのように行ってよいか分からない。人に聞いたり、英語の看板を読み、とりあえずアエロエクスプレスという電車に乗れば町に着く事が分かったので、6時15分発のアエロエクスプレスに乗車。周りに停車していた電車はボロかったが、アエロエクスプレスはしっかりとした作りの新しめの電車だった。

市内のサビョーロフスキ駅に着く。外に出てみたのだが、まだ外は真っ暗で寒い。そこで、駅舎の中でしばし待つ事に。この駅は地下鉄と接続しているので、とりあえず降りてみた。ただ、ロシア語の文字が分かりにくい。全然読めない。外では新年グッズを露天で買い求める人で溢れており、俺にとってはこんなにも寒いのにロシア人はヘッチャラなのかなぁ、と思った。


暗がりの露天

8時30分ぐらいに駅舎を出る。外はうっすらと明るくなり始めていた。地下鉄に乗ってどこかに行きたい。でも、モスクワにはどんな場所があるかも分からない。知っているのはクレムリンと赤の広場ぐらいだ。それらが隣接しているかどうかも、もちろん知らないし、赤の広場は英語で何と言えばいいのかも分からない。とりあえず、Red Squareでいいだろう、思いRed Squarはどこですか?どのように行けばいい?何駅で降りればいい?Red Squarまでいくらですか?と駅員さんや、行き交う人、切符売り場のおばちゃんに聞いても、全く教えてくれない。ああ、イラン人の優しさとはかけ離れているなぁー、これも国民性の違いだな、とつくづく思いながら、聞くしか手段がない俺はひたすら聞き続けていた。


地下鉄のエスカレーター

すると掃除と見張りのおばちゃん2人組が、「クレムリン」という言葉に反応して下車する駅を教えてくれた。ありがたかった。イラン人の優しさに毎日触れていると、やさしさに麻痺してしまいそうになっていたが、ロシアに来て助けてくれる人への感謝がまた強いものとなった。メトロのチケットを買い地下鉄に乗る。乗り換えで迷いながらも、クレムリンに到着する事ができた。駅でもどこの出口から出ればクレムリンに着くかを何度も何度も聞き、ようやく到着。地図もなければ、言葉も知らないし、行き先だって「クレムリンと赤の広場」しか知らなければ致し方ない。


赤の広場とクリスマスツリー

外に出ると、そこは赤の広場だった。とは言っても、ここが赤の広場であることはすぐに分からなかった。赤の広場と大きく書いてあるわけでもなければ、地図やガイドブックがあるわけでもなく、照合するものがないからだ。人に聞いて赤の広場であるということがやっと分かった。そんな赤の広場はNew Year&クリスマスの名残りモードだった。2008年大晦日のモスクワだから当たり前なのだろう。いろいろな露天が出て、イベントが行われ、スケート場が設置され、年越しライブのステージがくみ上げられていた。


赤の広場

そんな赤の広場はむちゃくちゃ寒かった。手を外に出しているだけで、痛くなるほどの寒さだった。それにも関わらず、非常に多くの人が赤の広場に集まってきていた。おそらくは中央アジアであろう人々が非常にたくさんいた。年末の旅行でモスクワに来ているのであろうか?


馬ッーー

寒いながらも、赤の広場をぐるりと観光し、クレムリンにも足を運んだ。だが非常に寒く、マクドナルドが目に入ったので、飛び込んだ。暖かい。暖かい。ああ、落ち着く。ハンバーガーとコーヒー(133ルーブル)は一瞬でなくなったが、すぐに外に出る気にはならない。とはいっても、中でぐずぐずしているのも飽きたので、外に出る。すると、見張りの兵隊さんの交代のタイミングで、その儀式を見る。良い背筋の伸びっぷり。でも、ずーと外に立っているのは寒いだろうなー、どうしてもトイレに行きたくなったらどうするんだろうなーとか、どうでも良い事を考えてしまう。


兵隊交代。

その後、クレムリン(300ルーブル)の中へ。この日は子供が無料なのだろうか、母親と子供が異常にたくさん来ていた。クレムリンの中をぐるぐると巡る。雪も残っていて、寒い。教会の中を見ても、ゆっくり見るというよりは寒いので立ち止らず常に動いているという感じ。クレムリンをあとに、再び赤の広場へ。午後になりさらに人が増え、人で溢れ帰っていた。やはり中央アジアの人が多く、話したおっちゃんもキルギスタンのおっちゃんだった。


空を見上げる子供たち@クレムリン

赤の広場も飽きたので、町を歩く事にした。特にあてもなく町を歩き、デパートに入り、花屋を覗き、本屋へ行き、パン屋へ行き、町中にある広告がでっかいなーと驚き。いつものように得意の目的のない町歩き。とっても大きな建物の改修がそこら中で行われていた。その建物を覆うシートがとてつもなく大きな広告となっている。車の広告だったり、携帯電話の広告だったり。日本では見た事のないサイズでインパクトがあった。ついでに、DVD屋にはロシアで人気という噂だけは聞いていた北野武作品がたくさん陳列されていた。

モスクワの中心地を少し離れると、住宅街があった。枝だけの高い木々が立ち並び、5、6階建ての無機質なアパートが建ち並ぶ。人もまばらで、建物が取り壊し途中で放置されている。自分で勝手に抱いていた旧ソ連というイメージがそこにはあった。そんなところまでほっつき歩いて、疲れたし飛行機の時間もあるので帰る事にした。


取り壊し途中の建物

すると地下鉄で声をかけられた。ロシアで声をかけられるなんて珍しい。それも中央アジアっぽい顔の人だ。「Help Me」「Help Me」と。何か分からず、立ち止ると、食い物をよこせ、貧しくて大変だから金をよこせ、と付きまとってきた。めんどくさい。こういった奴は相手にしないのが一番だ。分からない振りをして、スタスタと早歩きで逃げた。赤の広場に中央アジアの人が多い理由は旅行だけではないのだろうと、この時にはじめて気がついた。出稼ぎだったりでモスクワに住んでいる人も多いのだろう、そしてその中には生活に苦労している人も多いのが現実なんだろう。

おやつ兼夕食を食べて、地下鉄でサビョーロフスキ駅へ。それからアエロエクスプレスでシェレメチェボ空港へ向かった。空港のセキュリティチェックは非常に厳しく、靴も脱ぎ、飲み物は飲むか捨てるというレベル。めんどくさいが、無視するわけにもいかないので、指示に従った。19:20にモスクワを旅立った。帰りの飛行機は新型のAirBus330型機。機内もきれいで、ゆったりとくつろぐ事ができた。USBとLANの口も用意されており、照明は徐々に明るくなり暗くなる。新型機は違うねー。2、3度目のフライトだというから本当に新品だ。

この飛行機にのっている間に新年になるのは知っていた。それはモスクワ時間であろうと日本時間であろうと飛んでいる現地の時間であろうと。ただ、どこを基準に新年とカウントするのだろうと不思議に思っていたら、モスクワ時間で新年は祝われた。乗客全員にワインが振る舞われ、機長のアナウンスが入った。モスクワ時間で祝われたことを知り、改めて自分が乗っている飛行機はロシアの会社の飛行機で、ロシア人に寄って運営されていることに気がついた。左の窓から見える2009年初めての星空に乾杯と小さな声で一人つぶやいた。


2009年初めての太陽への感謝

少しばかり酔った頭で、イスラム社会の表面を見てきた事を振り返った。彼らは今日も隠れて酒の味を確かめている事だろう。俺はその味を知る事はなかった。たった2週間ではそんな深いところまでは知る事がなかったのだ。そのウイスキーはどんな味がするのだろうかと気になるが、人生でもう口にする事がない気もする。
こんなことを考えていたが、半月以上お酒を口にしていなかったためか、ワインの味がいささか強いように感じ、再び眠りについた。


次はどこの空を眺めるのだろう。

目を覚ますと2009年の日の出を拝み、飛行機は成田空港に降り立った。あっという間のイランの旅だったが、日本に戻るとすでに2009年になっており、クリスマスも大晦日も終わっていた。すこしだけワープしたような気分になったが、すぐそこには日本の生活が待っていた。

/終わり/