月別アーカイブ: 2009年3月

越えられぬ愛は、心の中で続いてゆく。[そしてテヘラン再び。]

前回までの旅日記はコチラ。「マシュハドの日常。そしてマシュハドとの別れ。」

送信者 イラン

朝のテヘラン


早朝のテヘラン駅に着く列車

翌朝 電車がテヘランに到着すると、日がちょうど昇り、雪化粧をした山脈が赤く染まっていた。早朝はテヘランも冷える。そんな寒さの中でも首都のターミナル駅だけあって、朝から多くの人で溢れかえっていた。テヘランに再び戻って来た。2週間ほど前に、生まれて初めてイランに降り立った地もこのテヘランだ。その時に感じたテヘラン(イラン)の印象と、ぐるりとイランを旅をして再び降り立ったテヘランは違う町のように感じるほどだ。テヘランがかわったわけではなく、イランを旅してきた自分がかわったのだろう。自分の心を通して世界を見ているんだなぁと深く感じる。


赤く染められた山脈

インドを旅したときも、デリーから入り北インドを旅し、再びデリーに戻った。このときも同じようなことを感じた。入国したばかりのデリーと、インドを旅した後のデリーは全く違って感じた。旅の期間が短ければオープンジョーのチケットを買い、入国する空港と帰国する空港を別にした方が効率的な旅ができる。実際に南米や中国の旅ではそうした。でも、今回のように同じ空港から入り、出ていくという旅も良いもんだと、改めて気づいた。


早朝のテヘラン


地下鉄の入り口

とりあえず駅を出て、安宿街へ行こう。駅から10分ほど歩き、地下鉄へ。地下鉄を乗り継いで、目的地の近くへ行く(5,000リアルぐらい)。しかし、地図がないので何処か分からない。そこで、近くを歩いていた兄ちゃんに聞くと、携帯で地図を確認して、こっちが安宿街だよと教えてくれた。GPSでもついた携帯なのだろうか。世界中どこへ行っても携帯電話の普及率の高さと、その利用シーンの幅広さには驚く。それほど携帯は人間が求めている欲求を満たしてくれる機器なんだろう。到着した安宿街は、自動車やら電気製品やらの部品が並ぶ商店がずらーっと軒を連ねていた。


地下鉄

宿に到着し、ほっと一息つくと、バザールへ繰り出した。中東で最大といわれるテヘランのバザールに迷い込む。テヘランでは特にやりたい事がなかったので、バザールを歩いていろんな人と話す事ぐらいだ。宛てもなく路地を歩き、店の人と話し、チャイを飲み、お菓子をつまみ、商店でトイレを借り、ケバブを食らう。今日はイスラムの記念日らしく、町でナンやお茶が振る舞われていた。


バザール


バザールのお菓子売り

本当にどでかいバザールだ。とはいえ、永遠に続くバザールなんてあるはずなく、バザールから外れた。しばらく歩き、歩道橋を渡っていると、車の車体がうずたかく積まれ、車のさまざまな部品も積まれた地域が見えた。そこそこの広さがある、そんな一帯は車の部品が詰まれ、それによって道ができた区画があった。歩道橋から偶然にも見たから分かっただけだ。道を歩いていたら気づかなかっただろう。ついつい気になり、中へ入る。両脇には自動車の車体や部品が高く積まれている。そんな地域には車から部品を取り出したり、修理する兄ちゃんしかいない。所々に鳥かごがぶら下げてあり、危険なガスが出た時にはすぐ分かるようになっていた。


手前に見える自動車部品の山

少し、不安になりながら歩いていると、「オイ」と話しかけられた。しかし、「おい」だとは分からなかった。ここは自動車の部品が積み上げられたテヘランの一角で、日本語が聞こえてくるはずがないと思い込んでいたからだろう。何度も「オイ」「オイ」と声を変えられたので、振り向くと「おい」とやはり呼び止めていたのだった。怖そうな顔をしたムキムキっぽいおっちゃんだ。。。嫌な感じになったなと。それに、どんどん人が群がって来て、珍しい外人を見るために俺を取り囲むように集まって来た。

ただ、マイナスのイメージだけかと言えば全くそうではなくて、集まって来た彼らは本当に無邪気な笑顔をしていた。お金はなくても、毎日自動車の解体や修理の仕事に明け暮れ、仲間と楽しい日々を送っている。そう言い切れるような笑顔だった。色々な仕事のカタチ、幸せのカタチがあるんだと、改めて感じさせてくれた。

日本語を話すサイドゥという男と少し立ち話をする。旅人がいつも聞かれる定番の質問をいくつか。東京から来て、イランではエスファハンとマシュハドetcに行き、2週間程度で、と。サイドゥがお茶でも飲んで話そうと誘ってきたが、この場に長居するのは良くない気がして、帰ろうとしたが、男が少しだけ俺のお茶を飲んで行けというので、飲んで行く事にした。車体が積み上げられてできた壁と屋根の中をくぐり、奥へと入っていった。土の道は油でネチネチする。そこには、日本語を喋る男の作業スペースがあった。


自動車部品の山

彼は油で汚れた手を洗い、ココアのようなモノを振る舞ってくれ、それを飲んだ。チャイ以外の飲み物を久しぶりに飲み、うまかった。男は強面で、実際に話し方も怖い。しかし、男自身の中身を知らずに怖がる人間が嫌いだけのようで、こちらが心を広げて話せば、いろいろなことを話してくれた。男が日本で建設関係の仕事をしていたときの事、イランでの生活のこと。男の父親も紹介してくれた。

そして、サイドゥは日本にいた時の彼女の話しを始めた。俺は日本で意外とモテたんだぞと、照れくさそうに語った。新潟で建築の仕事をしていた時の彼女のことを話し始めた。その彼女はバツイチで5歳年上だったと言う。2年ほどつき合っており、結婚も考えていたが、プロポーズしようとしていた10日前にビザ切れで牢屋に入れられてしまったと言う。そんな状態になっても彼女は毎日差し入れを持って来てくれた。牢屋にいる他の日本人は誰も面会に来てくれる人がいなくて、みんな俺の事をうらやましがっていたなぁと、当時を思い出したように話した。

しかし、ビザがないためにイランに強制送還され、彼女と連絡も途絶えてしまった。それから時がたち、イランで結婚しているが、今でも彼女のことが好きだと言う。照れくさそうに「今でも愛しているんだよね。」と話しながら、引き出しから何かを取り出した。それは色あせ、ぼろぼろになった手紙だった。俺が読めるようにひらがなとカタカナで書かれているんだよ、ほらっ、と。そんな手紙をうれしそうに、そして照れくさく懐かしそうな、はにかんだ顔で、彼は読み始めた。時おり涙声で。

手紙の最後に彼女の名前と電話番号が書かれていた。電話番号は知っているけど、かけられない。今さら電話する事はできないよ。でも、俺が元気だってことだけは伝えたい。だから、あなたが日本に帰ったら、俺が元気だと伝えてほしい、と俺は頼まれた。どうしても越えられない事もある。それは諦めではなく、致し方ない事なのかもしれない。でも、それだからこそ心の中で続いてゆくんだろう。こんな話しをここで聞くなんて思ってもいなかった。

この一帯で働く多くの人が、見送ってくれてその場を後にした。少しばかり、しみじみとした気分になり、チャイハネでチャイをすすりながら思いを巡らした。夜も遅くなり、宿へ戻る事にした。空は夕日に染められ淡い紫色のグラデーションが美しかった。そんな空には二日月がはかなげに輝いていた。宿に戻り、ケバブを食べ寝る事にした。

送信者 イラン

微かに見える二日月

いらん旅日記の続きはコチラ「さようならイラン」

荒川マラソン 結果詳細

荒川市民マラソンの結果詳細が出たので、メモ。
(自分の備忘録になります)

ランネットでこんな詳細まで分かる、できたサイトだ。ラップタイムが分かると今後のランに非常に参考になる。
さらに、自分のゴールタイムに近い写真を選び出し無料で提供してくれる。
http://runnet.jp/record/

結果は4:18:21で、初めてフルマラソンを走ったときとほぼ同じ。でも、比較にならないほど今回は楽だった。

ラップタイムを見ての感想。

ラップタイムを見ると、5キロまでと、5キロから10キロまでのタイムが完全に同じ。これはかなり驚き。
10キロから15キロで1分30秒ほど遅れるが、15キロから20キロでまた、タイムを戻す。
20キロぐらいまでは本当に快走していたと自分でも思っていたが、タイムからもそれが分かる。
20キロ以降は30分を越え、30から35キロ、35キロから40キロはほぼ同じタイム。
ここがしんどさのピークだな。マラソンは30キロを超えてから辛いというのが結果からよく分かる。

氏名:寺町健
ゼッケン:7852
出場種目 マラソン一般男子19~29歳
距離 42.195 km
タイム(グロス) 4:26:47
タイム(ネット) 4:18:21
種目別順位 405
総合順位 4281

計測ポイント スプリット ラップ
Start 00:08:26
5km 00:36:19 0:27:53
10km 01:04:12 0:27:53
15km 01:33:35 0:29:23
20km 02:01:31 0:27:56
25km 02:31:35 0:30:04
30km 03:03:24 0:31:49
35km 03:37:58 0:34:34
40km 04:12:51 0:34:53
Finish 04:26:47 0:13:56

荒川マラソンのサービスレベルは非常に高く、気に入ったので来年も出ようかな。

荒川マラソンの完走(感想)
まるでパン食い競走のようなフルマラソン
http://teratown.com/blog/2009/03/15/thecynyoyaoieeyoyeythyeyyo/


奥にいる黒いシャツ、黒いスパッツ、黒い帽子が俺です

ターッゲトが面白い耕耘機

「ピアンタ」
これはホンダの耕耘機。
畑を耕す機械。

「ピアンタ」はナンとカセットコンロに使うガスで動く。
100円均一で売っているガスで動く。
それも1時間も動く。鍋の時にこのガスを使っても1時間ちょっとでなくなる。
驚きだ。
さらにお値段は10万円ぐらい。

ちょっと、ジャパネット高田っぽくなっていますが。。。
それぐらい驚いた。

農業は最近注目が集まっているとはいえ、現在はマーケットが小さいと思われるところを狙った面白い商品。
今後のマーケット拡大を予測して、最初にシェアをとろうという作戦なのだろうか。
ターゲットは完全に農業初心者だよな。リタイア組とか若者の流行りで農業してる人だろう。女性にも取っ付きやすいイメージがある。

面白い商品だが、あとは売り出し方だろう。どうやってターゲット層に訴求するか。プロモーション予算もたいしてないだろうから、そこをどうやって乗り越えて普及させるかがポイントになりそう。

貸し農園みたいなところにレンタルするとか、ロハス系の雑誌とコラボするとか、ホームセンターと共同プロモとか、農業系の大学にレンタルするとか、もちろんネットのプロモも。

正直、あまり売れるイメージはないが、今後の展開が気になる。

サイトはコチラ。
http://www.honda.co.jp/tiller/pianta/
サイトデザインもターゲットを意識している感じ。

まるでパン食い競走のようなフルマラソン

荒川市民マラソンを走ってきた。

今回は3回目のフルマラソン。
天候にも恵まれ、楽しいランだった。

ただ、走る前は良くない条件が揃っていた。
・3回目で少しばかりマンネリ化。練習する気が起きない。
・花粉症の時期で練習も本番も走りたくない。
・マラソンの前は1週間禁酒のはずが、金曜から土曜の朝5時まで飲んだ。(飲むつもりはなかったが、冷静に判断して飲んだ方が今後含め色々メリットが多いと判断した場だったから。このへんはしたたかな判断をします 笑)

と、まあ、悪いことだらけでした。実際に練習で走ったのは、大会前の3週間。それも週に1回ずつ5キロだけ。それでも、天気が良さそうだったし、せっかく申し込んだから大会へ行った。朝6時に起きて、蓮根駅へ。そこから徒歩15分の荒川土手。前回の北マラソンと同じようなコース。会場に着くと人だらけ。会場アナウンスによると1万5千人ほど。恐るべき、マラソンブーム。

着替えて、荷物を預け、スタート位置に並ぶ。天気もよくて気持ちがいい。スタート位置は1万5千人の中で真ん中辺りで、スタートのピストルが鳴ってから、しばらく動き出せなかった。常に回りには人が走っていて、抜く事も簡単ではない。まあ、タイムを狙ってないし、マイペースで走った。すると、天気もいいし、川とその奥のビル群、そして青空。なかなか景色がいいなー。と思いながら走る。水や食料のエイドも十分あるし、トイレの設置も多い。大会運営がしっかりされているなーと思いながら、景色を見て、青空を楽しみながら、走った。20キロを越えるぐらいまでは、本当に楽しく走った。これがFun Runってやつなんだろう。

前回出た、北マラソンは同じ場所を走る大会だったが、大会運営がダメダメで水や食料のエイドがなくなっていた。それで、最後はハンガーノックになり意識がもうろうとしながら走った。その教訓もあり、たくさん食べた。オレンジ、レーズン、パン、おにぎり、シャーベット。もちろんスポーツドリンクも。走っていると、うまいのでついつい食べ過ぎる。すると、トイレに行きたくなる。自然の摂理だ。

本当にたくさん食べたのだが、その中でもパンの量は多かった。あんぱん、クリームパン、チョコパン。手で鷲掴みにして、口に放り込む。それを何度も繰り返す。まるでパン食い競走をするかのようだった。25キロ過ぎて、少し足が痛み始めたが、4DMのアドバンスロングタイツをはいていたからか、走るのが無理という程ではなかった。

35キロをすぎても、いつものように「限界だー」という感じにはならない。ロングタイツのおかげと、最初の辺りで飛ばす事なく、一定のペースで走っていたからだろう。ついでに、足を蹴り上げすぎず、早歩きのような走り方をしたのも、走り続けられた理由だろう。

35キロをすぎ、40キロをすぎる。同じぐらいのペースの人はだんだん見慣れてくる。この人とはずっと抜きつ、抜かれつだなーとか思いながら走る。たぶん、相手もそう思っているのかもしれない。たまに、目の見えない人が伴走者と走っていたり、夫婦で一緒に走っていたりした。フルマラソンをどちらかが、相手のペースにあわせて走るって相当な強者だなーと感心する。

あと2キロ、1キロ。おお、ゴールが見えた。なぜだか、ゴールを見るとパワーが湧いてくる。パワーが湧いてくると、足の痛みも気にならなくなる。不思議なもんだ。最後はスピードを早めゴール。04:26:47ぐらい(参考タイム)。一定のペースで全く歩くことなく、快晴の荒川を眺めながら楽しく走れた。楽しかった。天気、食料、トイレなどの運営、さらに綺麗な風景。フルマラソンを楽しんだのは初めてかもしれない。以前は、4時間を切ると気合いが入りすぎたり、初めてのマラソンだったりと楽しむところまでは至らなかった。マラソンは楽しい遊びだ。

そうそう、ゴールタイムは04:26:47ぐらい(参考タイム)。なぜ「ぐらい」かと言うと、大会の運営は本当にすばらしかったのだが、唯一その場で記録賞がもらえないのは微妙だった。正確なタイムはウェブで後日確認するんだとさ。とはいっても大会運営は良かったです、前回と同じ場所を走る大会なのに、ハコは同じでも運営次第でこんなに違うのかと、運営と言うことの大切さを実感。

走りながら思いついたことがある。この3年間は毎年フルマラソン出ている事に気づいたのだ。それで、これからは1年に1度はフルマラソンに出ようと決める。一年に一度フルマラソン!来年はどこにしようかな。

毎年走っているフルマラソンだが、走っていると4時間以上やる事がない。走る事にはそんなに意識を使う事はないから、色々考える。この時間というのがいい。東京で慌ただしくしていると、脳に空白の時間を作れない。それが、マラソンをすれば4時間以上空白の時間が作れる。家でも空白の時間は作れるが、だらだらしたり、寝てしまう。すると空白の時間ではなくなる。この空白の時間に色々と考えるのがいい。普段は考えないことや、俯瞰した自分についてなど考えられる。こういった理由からも、これからも走り続けたい。でも、より刺激が欲しくて、走りながらウルトラマラソンとかトライアスロンに出たいなーとも思った。

最後に今回の収穫は一定のペースで走り続けられたこと。そして、村上春樹の言い方を借りれば、「少なくとも 最後まで 歩かなかった。」

送信者 いろいろ

マラソンの起源はこれなんだろうね。

荒川市民マラソン
http://www.tasm.jp/
ゼッケン:7852
追記:4時間18分21秒
5km 0:27:53
10km 0:55:46(0:27:53)
15km 1:25:09(0:29:23)
42.195km 4:18:21(2:53:12)

おまけに、こういった大会に出ると思うけど、面白い商売があるなーと、
マラソン大会などスポーツの大会専用の申し込み請け負いサイト。(2台巨頭がランネットスポーツエントリー)。
そして、走る選手たちの姿を写真に撮って、それを大会後にウェブサイトで売る商売。(allsports.com)

帰りは蓮根駅と言えば、「植村直己冒険館」にもちろん寄りました。DVD見て、北極圏1万2千キロの映像で「コッツビュー」に着くシーンでまたしても涙ぐんだ。

◆マラソン服装
4DM・アドバンスロングタイツ・サーモ
4DM シャツ(ハセツネ完走記念品のシャツ)
マラソンシューズ(アシックス)
マラソン帽子
靴下
時計

◆持ち物
キャメルバック(モンベル)
ダウン(LoweAlpine)
フリース(ユニクロ)
アウトドアパンツ(LoweAlpine)
エアーサロンパス

iPod
VAAMウォーター
アミノバイタルジェル

◆朝食
おにぎり2個(ノリ無し。海苔は消化が悪いため)
スティックパン2本
アミノバイタル ドリンク

◆マラソン中のエイド

ザバス(スポーツドリンク)
バナナ
パン(あんこ、チョコ、クリーム)
レーズン
塩おにぎり
オレンジ
エナジータブレット
シャーベット

マシュハドの日常。そしてマシュハドとの別れ。

まだ続いております。イランの旅日記。今さらよくも書いているなと自分でも思いますが、ここまできたら書き終えたいと思います。

そうそう、話しは全く違うけど、PHSのメールが復活しました。

前回の旅日記はコチラ「そして中へ」

朝起きると今日も冷え込みは厳しかった。目が覚めてしまい、再び寝る事もできなかったし、外は明るいので起きる事にした。朝食の8時30分には少し早かったが、上の階に行くとヴァリはいなく、奥さんが無言で朝食を出してくれた。奥さんは英語が話せないので、特に何も話さないようだ。さらに、奥さんはイスラムの規律に厳格なようで、それも僕に話しかけない理由なのだろう。

一人で朝食を頂く。しばらくするとヴァリが帰って来た。なんと、パンを買いに行っていたのだ。それで、こっちのパンを食えと勧めてくれたがすでにお腹はいっぱいであったので、遠慮させてもらった。ヴァリと話していると、今日は大学に行って勉強だと言う。英語とドイツ語だかフランス語だかを勉強していると言う。熱心なおっちゃんだ。だからこそ、外人を泊めて話したりするのだろう。

ヴァリが外へ出るというので、俺も出る事にした。持っているものはほとんどゼロに近かってので荷物を全て持ち外へ出た。もうヴァリの家には戻らず、このまま今日の夜行電車でテヘランへ行く予定だ。そう思うと、少し寂しくもある。


絨毯の卸売り

市バスは分かりづらいので、ヴァリに教えてもらって乗った。街の中心地へ向かう。ヴァリと歩いていると、彼が色々な人と話すので前に進まないのだが、それも楽しみのひとつだ。香辛料の店の店主と話したり、偶然すれ違った知り合いと話したり、絨毯の卸し売りをしている所に行きチャイを飲みながら話したり。絨毯の卸しをしている場所は、その4階建てほどののビルすべてが絨毯屋であった。ただ、それらの店はすべて個人に売るわけではなく、卸しているだけのようであった。一部の店というか部屋では、絨毯の修繕をしていた。古くから使われた良い絨毯は修繕して、使い続けているのかと感心した。チャイを出されるとついつい長居をしてしまう。


バザール

一通り色々な人と話したので、バザールへ行く事にした。ここでヴァリとは別れた。holy shrine(イマームレザ廟)からほど近いバザール。このバザールは真っすぐにのびる商店街でアーケードもあり、寒くないのが良い。そんなバザールでは宝石、布、香水、洋服、おもちゃ、時計、イスラム教に関わるものなどが売られていた。買う気もないので、ほっつき歩きながらいろいろと覗きこんでいると、陽気なイラン人はこっちに来いと言ってくる。だいたいは英語も喋れないのだが、呼びかけてくるほどの陽気さだ。彼らも一応証人なので、買ってちょうだい。と言うのだが、いらないよ。と言うとすぐに売り込まなくなる。これがイラン人の特徴で、インドだったらありえないなーとつくづく思い、国の文化と人間性の違いに楽しませてもらっている。

長い長いバザールを話しかけられて見ていると、いつの間にやら時間が経ちお腹もすいた。そこで、ケバブを食べる。チキンケバブよりもラムケバブの方が好きだ。味がしっかりするし、肉汁もうまい。これが臭みという人も多いが、俺にはこれがうまく感じる。イランの名産であるサフランがのったライスとナン、そして7upと書かれたコーラっぽいものを飲む。ケバブには生タマネギと焼いたトマトそしてレモンかオレンジがついてくる。この取り合わせは本当に良くあう。サフランライスとケバブにオレンジを絞り、食べる。適度な油で炒められたサフランライスと油ののったケバブが良くあうのだ。そして、口の中が少し油っぽくなったら、再度ケバブにオレンジを絞り、ナンを手に取りケバブと生タマネギを包んで口に放り込む。すると、タマネギの辛みが効いて、あっさりと食べられる。なんともうまい。


昼飯のラムケバブ

それからまた、町をブラブラとする。何をするわけでもなく、ハラム[holy shrine(イマームレザ廟)]の周りを歩いたり、町行くおっちゃんと話したり、そんな事をしていると、小腹が空いてきた。そこで、再度ケバブ屋に入る。しかし、今回のケバブは先ほどと違いおやつ感覚。ウイグル自治区に行った時に良く食べたケバブが、この細かく切った肉を串にさすケバブだ。ケバブと言ってもトルコとケバブはフランスパンのようなものに挟むことが多いし、国によって違う。一口サイズの肉を鉄の串にさしたケバブ。


ハラムの前をおっちゃんが過ぎていく

店先に並ぶ、肉を指で指して5、6本頼み焼いてもらう。自分で薄っぺらいチャパティの様なパンを取り、ついでにヨーグルトも飲む事にした。焼き上がってくると塩味の肉の良い香り。ティパティのようなものに包みながら食べる。うまい。うまい。食い過ぎかなと思いつつ、追加で4、5本頼んでしまった。ケバブはうまかったのだが、飲むヨーグルトはそれほどでもなかった。このヨーグルトは塩味が強くて、日本のヨーグルトとは味が違い、甘みがなかった。

ほぼ食べ終わる事、後ろのおっちゃんに声をかけられる。店員さんが食事をしていたのだ。昼飯の時間が終わり、店員さんの食事タイム。日本で言うところのまかない。ご飯とチキンの足を煮込んだものを食べていた。「食べるか?」と言われたので、「いただきます!」と言って、お裾分けしてもらう。煮込んであるチキンはうまかった。ついでに、「ご飯はおこげがあるよ。」と言われ、おこげの部分を頂く。イランでも日本と同様に、おこげはうまいという文化なんだなー。イランに来て、おこげを食べるとは思わなかった。


クシにさしたケバブ


おこげ

腹も満たされ、そろそろ駅へ向かう。時間はまだあるのだが、駅へ歩いて向かうと時間はかかるし、寄り道していると良い時間になるだろうから。駅へ向かうと案の定、真っすぐは進まない。イスラムの偉い人の命日で町中に黒い旗が立ちっている、これに関する行事なのだろう。道をらくだが練り歩き、偉いと思われる人が緑の布をかぶり、その周りを大勢の人が歩き、歌も歌っている。おお、と思い、ついつい見入ってしまう。


行事で練り歩く


らくだちゃん

やはり、この時期はマシュハドに多くの人が集結するんだなーと実感。それから、駅へ向かって歩くと、日本語を話すおっちゃんに話しかけられる。彼もテヘランに行くと言う。昔、日本で働いていたけど今はビザがなくて、イランで農業関係のビジネスをしているという。日本への招待状をくれと頼まれるけど、おれは政府の人間じゃないから無理だよと伝える。日本で働いていたイラン人は、また日本で働きたい人が多いんだなーと、この旅で実感した。

なんだかんだいって、時間が経ち、マシュハドの鉄道駅へ。売店で水などを買って、しばし待つ。それから、電車に乗り込む。どこの車両か少し迷ったが、自分の関にたどり着く。この電車は本当に豪華だ。4人のコンパートメントに2台液晶テレビがあるのだ。驚く。さらに暖房が効きすぎていて暑いぐらい。同室はビジネスマンと老人夫婦だった。やはりこんなセレブ列車にのるのは、こういった人なのかと思う。すると、老人夫婦が出ていき、若い青年2人と入れ替わった。おぼっちゃんの若い青年という感じ。この二人の青年はとても親切で良い奴だった。英語がほとんど話せないのだが、色々とコミュニケーションをとった。若いのに、調子に乗った感じが全くしなくて、すごいなーと思いながら、話していた。


液晶テレビの着いた電車内

すると、ディナー。お茶とお菓子は始めから置いてあり、すでに食べていたのだが、さらに夕食までつく。ケバブだ。チキンケバブとzamzamジュースとゼリー。豪華だ。豪華列車は格が違う(笑)食べ終わると、眠たくなり、2段ベッドの上で寝る事にした。兄ちゃんたちが、シーツとかも持って来てくれて、感謝。疲れていたのか、すぐ眠る事ができた。翌朝テヘランに着いたら、この旅もとうとう終わりだ。


電車での夕食

旅日記の続きはコチラ「越えられぬ愛は、心の中で続いてゆく。[そしてテヘラン再び。]」