さようならイラン

前回までのいらん旅日記はコチラ「越えられぬ愛は、心の中で続いてゆく。[そしてテヘラン再び。]」

イラン最後の日の朝を迎えた。振り返ればあっという間だった。楽しい事を振り返ると、なぜこれほど早く過ぎ去って行くと感じるのだろうか。時間の流れは人の心と共にしか流れないからなのだろう。そんなことを思っては眠り、また起きて、なんてことを宿のベッドの上で繰り返した。あまり外に出る気にならなかったのは、時間の流れを止めたい気持ちの表れだったのだろうか。


宿の窓から外を眺める

ごろごろしていると、12時を過ぎチェックアウトの時間になったので、宿を出る事にした。近くの店で、チキンの煮込みとサラダ(3万5千リアル)を食べる。この店はおいしくて、昨晩に続いて来た店だ。イランでメシを食うのも残すところ夜だけ。夜にいい店が見つかるとは限らないので、しっかりと味わって食べた。


チキンの煮込み

その後、宝石博物館へ。テヘランにある宝石博物館と絨毯博物館は絶対行くべきだと、旅の途中で聞いた。俺の趣味ではないし、どんなに凄い宝石であろうと心を揺さぶられる事はないと思っていた。しかし、テヘランで出会った人に行こうと誘われたので、やる事もないしということで、宝石博物館へ向かった。宝石博物館はイランの銀行に併設されており、一緒に行った人が両替をしたいというので、まずは銀行へ行く事にした。イランの中心の銀行で働いている人は超エリートなんだろうなぁと思いながら、銀行員をじろじろ見てみると、なんかエリートに見えてくるから不思議なもんだ。イランで大きな銀行にいわゆるエリートが入るのかどうかなんて知らないが、そういう目で見るとそのように見えてしまう。もちろん、服装もスーツやそれなりにキリッとしているというのも要因だろう。


イランの中央銀行

とか、どうでもいい妄想と銀行の社会見学を終え、宝石博物館へ。持ち物チェックなどがおかしなぐらい厳しい。カメラのメモリーすらダメと言う。なぜだか分からない厳しさ。金属探知器とボディーチェックを受け、中に入る。エメラルドや金の宝石やきらびやかな調度品が並べられていた。まあ、珍しいものなんだろうけど、やっぱりこういったモノに興味の触覚が反応しない。女性とかだと楽しめるんだろうなーと思いながら、宝石博物館を後にした。絨毯博物館の方が興味を持つだろうと思ったが、場所が少し離れていたのと、宝石博物館を旅の途中に勧めてくれた人が絨毯博物館も勧めてくれていたので、まあいいかと思い行くのを辞めた。

その代わりと言ってはなんだが、旧アメリカ大使館へ行く事にした。大使館の塀しか見れない事は知っていたが、こちらには興味を持つ。宝石よりも塀に興味を持つのか?と勘違いされそうだが、旧アメリカ大使館にはいろいろな出来事や歴史、国と国との関係性がにじみ出ているところに興味がある。宝石博物館からはちょっと距離があったが、商店を覗きながら、町行く人と話しながら歩いて行った。

旧アメリカ大使館の壁

大きな通りの角に旧アメリカ大使館はあった。アメリカ大使館との看板などは何もないが、ひと目でそれと分かった。なぜなら、壁に落書きされている文字と絵で。おお、ここが旧アメリカ大使館かぁと、時間を遡れば、まさにこの場所で事件が起きていたのだという事実に生々しさを感じた。すでに、この場所は何でもないのかもしれないが、写真を撮る際にちょっとビクビクした。

まだ、空港に行くには時間があったので、テヘラン大学へ遊びに行こうと思い、大学を探しながら向かう。しばらく歩き、大学の近くまで来たのだが、入り口が分からない。。ああ、探すのが少しめんどくさくなり、近くのチャイハネになら学生がたくさんいるだろうと思い、チャイハネに入った。すると、どう考えてもおっさんしかいなかったが、足も疲れていたので、一休み、のつもりがかなり長居をした。次から次へとおっちゃんが話しかけてくる。こっちのおっちゃんと話し終わると、斜め前のテーブルのおっちゃんが呼ぶ、そのおっちゃんと話し終わると、次は奥のおっちゃんと。テーブルを何度も移り、チャイを何杯も飲み。イランの最後はチャイハネでのおしゃべりだった。最後の最後まで、イランの人は親しく話しをしてくれた。イランの人々の日常や考えを知ることができて、非常に楽しかった。


チャイハネの中

そろそろ時間になり、外へ。空港へ行ってからメシを食おうかとも考えたが、高いし、市内で食べる事にした。レストランを探したが見当たらず、最後はやぱりサンドイッチ。最後の最後まで、イランではサンドイッチだった。人生でこんなにもサンドイッチを食べることは、もうないだろう。いつものようにレバーのサンドイッチとハムのサンドイッチを食べた。すると、人が入って来て店員さんと話している。俺が食べている間に、彼は何度か店を出入りした。すると、彼に話しかけられた。これから何処へ行くのかと?「空港へ行き、帰るんだよ。」と言うと、イランのどこを回ったのかという話しになり、旅の話しをした。


最後の晩餐はやはりサンドイッチ

そして彼は、サンドイッチ屋の隣でコピー屋をしているらしい。今の時期は学生がノートのコピーにくるんだよと話し、日本の学生もイランの学生もかわらないなーと思い、イランの学生と少し話しをさせてもらった。飛行機の時間もあるので、彼にタクシー乗り場を聞いた。すると、騙されないようにと近くのタクシー屋まで連れて行ってくれて、値段交渉までしてくれた。難なくタクシーに乗り、空港へ向かった。そして真っ暗なテヘランの町にさよならをした。イランについてから、イランを旅立つまでずっと色々なイラン人にやさしくされ、旅を楽しむ事ができた。

空港では、飛行機を待ち、それから搭乗。夜中の2時20分発アエロフロート航空モスクワ行きは空席だらけだった。朝になれば、モスクワに着く。それまで寝るとしよう。

旅日記の続きはコチラ「寒すぎる大晦日のモスクワ」

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