両親に本当に感謝することがある。
それは、元気な体に生んでくれて、そしてしっかりと育ててくれたこと。
そして、健康の「健」と名付けてくれたこと。
その名の通り、健康な体だ。
突然フルマラソンをしても4時間19分で完走でき、東京から岐阜(厳密には名古屋)まで歩くことだってできる体。
風邪だってひかないし、何でもおいしく食べられる。
過信している訳ではないが、頑丈だ。
外見からすると、マッチョでもなければ、背が高い訳でもない。
でも、しっかりとした作りの体になっている。
この体に感謝しても、しきれない。
小さいときの些細かもしれないが日々のバランスの取れた食事、
そういったことの積み重ねによって成り立っているからだ。
この年になって実感する。
そんな僕の体(肉体)が全てを吸収してくれる。
精神と肉体は同一のモノを意味するかと思うぐらい連動している。
体力が落ちていくと、物事の捉え方も元気がなくなる。
精神的にダメージを受けると、体にも支障がでてくる。
生きていれば、ものすごい楽しいこと、心躍る絶頂の時もあれば、何事もない平穏なとき、もう立ち直れないのではないかというような絶望。
悲しみ、怒りも存在する。もちろん、たった一言の美しさにこころが澄み渡ることもある。
いわゆるプラスの感情もマイナスの感情であろうと、その極みに達したときはどうしようもない。
恍惚とでも言うのか。茫漠たる自然の中にぽつりと一人で存在してしまうような、その時その場でどうしていいのか分からない感情になる。
そんな時、溢れ出した感情を肉体が吸収してくれる。
肉体が吸収してくれないと、感情が一人でどこかに行ってしまう。そして、取り返しがつかなくなる。
そうなってしまう気がする。
このときに、ちょっとやそっとでビクともしない肉体が溢れ出たものを吸収し、バランスを保ってくれる。
こんなときも、吸収してくれる肉体に感謝する。
このときというよりは、後から感謝するのだが。
僕は精神的に常に平穏な人間ではない。
確かに世の中一般でおこる些細なことでは動揺しないけれども、喜びもあれば悲しみもある。
そんな心の振幅があるにしろ、頑丈な肉体が吸収してくれる。
だから、精神的に強く見られるのかもしれない。
まあ、そんな周囲の目はたいしたことではなくて、
僕はこの肉体に感謝したいだけなのだ。
今日は少し涼しかったので、走りやすかった。
6、7キロから体が軽くなって、走るリズムもついてくる。
そこからが楽しい。
走りながら、こんなことを考えていました。
素敵な文章書きますね。
精神と肉体はつながってるって、最近になって特に実感しています。
また逆に、健康な体は健康な精神が生むものでもあると言えると思います。病は気から。っていう言葉もそういうところからきているんだろうなって。
ともあれ、ご両親に感謝。
確かに、健康な体は健康な精神が生みますなー。
心身ともに健康って、本当にいいな。
健康であれば精神的にも良くて、さらに元気になってという正のスパイラル。
体調を崩して精神的にも疲れて、そうすると元気を失うという負のスパイラル。
精神と肉体は正のスパイラルでありたいものです。