共に生きた者への思い

僕がこの町に引っ越してきたのは12月だった。
引っ越して間もない頃、コンビニ弁当を食べる気分にもならず、まだコンロもなく自炊をする訳でもなく。
そんな休日の夜に暖簾をくぐったのが初めてだった。
暖簾をくぐったといっても居酒屋ではなく、中華料理の定食屋。
古びた定食屋で入り口に暖簾がかかっている。

とてもこじんまりとした店内には、カウンターに丸イスが7脚ほど。
イスの後ろを人が通るのがやっと、といった具合の狭い店だ。
紙にサインペンで書かれたメニューには、
餃子定食 550、
麻婆豆腐定食 600、
茄子の辛みそ炒め 600、
豚玉定食 600、
担々麺 600、
などと書いてある。
確か餃子は単品で300円だった気がする。

定食にはみそ汁、ご飯、お新香がつくという、王道の定食を出してくれる。
店主のおじさんは、白い肌着を着て中華鍋を振っていた。
ご飯とお味噌汁そしてお新香の担当はおばさんだった。

飲み物を頼まなければ水すら出ない、こんな不器用だけどまじめにやっている、そんなこの店が好きだった。
おじさんとおばさんを見ていると、なんかホッとした。
家からも近く、安く栄養バランスも取れて腹もふくれる。
そして、おじさんとおばさんの人柄が作り出す、安心できる店。
確か2、3回通ったと思う。
自炊しない時や、疲れて家路に着いたときには立ち寄りたい店だった。
そんな風に思っていた。

しばらくして店の前を通ると、「しばらくの間 休みます」との張り紙があった。
せっかく見つけたお気に入りの店が、すぐに休業とは残念だった。
また、別の定食屋を見つけよう、そんなことを思っていた。
とは言っても、この店に未練があり、毎晩ジョギングをする時は店の前を通り営業していないかチラッと見ていた。

5月のある日、店に電気がついていた。
また、やっている。
また行こう、そんな気持ちになった。

マラソンに出ることもあり、毎晩ジョギングをしていた。
そのために、夕食は早く食べていたので、家についてから夕食と言うわけにはいかなかった。
行きたいと思いつつ、行くことができていなかった。
マラソンも終わり、家に帰ってから店にゆっくりと行こうと決めていた。
そして、久しぶりに暖簾をくぐった。

すると、5人もお客さんがいた。
一番奥には30歳ぐらいの男性、手前にはバンドかアイドルかといった風貌の20歳前後の青年3人。
そして、おじさんと話す4,50歳の男の人。

店に入ると、おじさんがほっそりして見えた。
何か、以前とは違った空気が店の中にはあった。
そして、僕の意識の中にも考えたくないことが宿った。
4,50歳の男の人は20年以上前にこの近くに住んでおり、常連だったそうだ。
そして、その男はおじさんと話をしていた。
当時のこと、そして今のことを。

52歳という若さだったと言う。

雨がしとしとと降る夜、
いささか私的すぎる感情に包まれた。

3ヶ月が経ち、おじさんは一人で店を再開した。
少しためらいながら、小さな声で「180日経った今も、毎日泣いてるよ。
昼はいいんだけど、夜になると一人ぽつんと、どうしようもなく寂しくなる。
仕事をしていると、お客さんに聞かれるとまた思い出す。
でも、仕事をしていると気がまぎれるんだよ。」

「50年生きてきたのに、セレモニーはたったの3、4日ぐらい。
そんなの寂しすぎるよ。」

おじさんは常連客にそんなことを話していた。
僕が何をできる訳でもないし、僕がどんな感情を抱いても仕方ないのかもしれない。

お客が僕一人になったとき、おじさんに話しかけようとした。
でも、僕は何かを話すことはしなかった。
ただ、明日もこの店に来ようと思った。
常連客が好きだと言う、豚玉定食を食べに。

今日はおじさんが水を出してくれた。
真新しいウォーターサーバーが置いてあるのが見えた。
そして少なくなった水をみて、「水入れるよ」と言ってくれた。

僕は、水を飲み、600円を払った。
「ごちそうさま。また来ます。」
そう言って、店を後にした。

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