月別アーカイブ: 2006年9月

伝統音楽

伝統音楽と言うか、民族音楽というのかわかんないけど、そんなような分類の音楽

土着の音楽はどんなものであれ体のなかの何かを蘇らせるようなものがある

自分の中の何かと共鳴する
多分長い時の中でうまれた音楽だからだろう。

人の中から自然に出てくるものがメロディーになったから、あまねく人にすんなりと入ってくるのだろう。

それに、長い時の中でいろいろな人が持っている波というかメロディーが重なりあって、いろいろと変化しながらできたものが、伝統音楽と言うか民族音楽なんだろう。

一方でよくある雑多の音楽が響かないのは無理矢理作り出したものだからだろう

すんなり、体の中に入ってこない。

それはそれなりの味がする

僕は何でも食べる。雑食だ。
だいたいのものをおいしいという。

すると味覚がないといわれることもあるが、味の違いは分かっている。と思う。
目隠しして味当てクイズみたいなのを4,5人でやったとき、一番正解が多かったし。

何を食べてもそれはそれなりの味がすると思う。
旨いじゃんとおもう。

そうしたほうが得だと思う。楽しいと思う。
まずいと思って、食べているよりも、旨いと思って食べたほうがどれだけ幸せか。体に良いか。

食べられるだけでも本当に幸せだ。

まずいまずいといわれるボリビア飯も、本当に旨かった。
僕は、メルカドで食べ続けた。最後の日なんて名残惜しくて、一日何食食べたことか。 

 コレが俺の性格自体もよく表しているような気がする。
現代の日本・東京は、食べ物が乾電池みたいになっている。
なければ体が動かないから、タダ単に食べるもの。

食べ物を捨てる、残飯として。飲食店の店先にあるゴミ袋を見て飽食の時代。
食べられない人のことを思うと、、、と言う人も多いが、それだけじゃないと思う。

料理を作る側の人間としても、人が食べるものとも思わず作る人々。
ただ腹にものを入れるだけの人々。

自分に対しての戒めでもある。

 細かいくだらないことでグチグチ言わず、おいしくいただく幸せを日々感じて生きていきたい。

そして、食べ物が作られる大地、野菜を作ってくれた人、魚を取ってくれた人、料理を心をこめて作ってくれた人、すべてに心のそこから本当に感謝して。

 

なぜ息を止めるのか

ピンチになった時、フルパワーを出す時。
そんなような時、息を止める。

何でだろう。息を止めたほうが、パワーが出るのだろう。

単純に歯を食いしばるから、パワーが出る。けど息ができない。

それか、息をするとそっちにも集中力が取られる。
息を止めれば、一つのことに集中してより大きなパワーを発揮できるから?

そんなことを、ふと思った。

パンツ、シャツ、靴下

前々から思っていた僕の疑問。

パンツとか靴下とか白いTシャツはいつの間にかなくなっていく。
なくなる原因なんて、洗濯物を干している時に飛ばされるぐらいなはずなのに。
、、、飛ばされていないと思うのに、いつの間にか数が減っている。

なぜだ。

靴下にしろ、白いシャツにしろ見てくれがどれも同じだから、何がなくなったとか区別つかない。
だから、いつの間にかなくなっていても気づかない。

で、実際に不便になる数になるとやっと足りなくなったことに気がつく。

それにしても、どこに消えているのだろう。