ヒマラヤへ

ヨーロッパ、南米、アフリカの山へと行ったので、アジアのヒマラヤへも行きたいなと思っていた。チベットに行ったのもネパールに行ったのも大学時代だから20年近く経とうとしている。当時は山登りはしていないので、旅をしながら遠くから眺めただけだった。

GHT(グレートヒマラヤトレイル)はかなり前からネットで見て知っていた。かなり長いトレイルで、スルーハイクは難しいのでその一部をセクションハイクしよう。今回は2週間ほどしかないのでカトマンズ近郊でできるだけ山にいる時間を長くする。マナスルとランタンの間にある比較的人が少なそうなruby valley(ルビバレー)を歩き、シャブルベシに着く。ここまではマイナーで情報が少ない。でも、そこから先のゴサインクンド、さらにはカトマンズへのルートは人気ルートで調べると情報は出てきた。動画や写真を見ているとルート上にはたまに村があり、生活感のあるトレイルだった。時折見える雪のついた高峰も圧巻だった。トッピング的にゴサインクンドからスリヤピークにアタックするという行程。

現代は調べればかなりの情報が出てくるようにはなったが、ruby valley付近はなかなか村の情報も少なく、どの程度村などがあるか不明なのも面白く、調べるけど分からないと言うのが旅心をくすぐった。後半標高が高くなるのも高度順応観点でも良かった。

ある程度の状況に対応できるためツエルト、ストーブコッヘルも持つが基本はホームステイ予定で、装備はファストパッキングスタイルで軽く動ける装備。前半のホームステイができるか不明なので4日分の食糧を持った。あとは水だが、地図を見る限り川が流れているので浄水器もあり、特に問題ないと想定。乾季のため、雨はそこまで降らない、雪はあまりない感じだったが軽アイゼンを持った。(結果的には、乾季なのに毎日のように雨が降り、標高が高いところでは相当な雪も降った)

ザックとマットは小さく軽量なものを新しく買った。一緒に行く仲間と装備の打ち合わせ、飲み会、那須岳に泊りの合宿などの準備もした。個人的には長距離を無理せず走れば翌日も走れるぐらいの筋肉状態か知りたかったので、一人で箱根外輪50kを三月に行った。。あまり頑張りすぎず8時間で走れ、翌日の筋肉痛も少しでこの状態なら毎日の行動もなんとかなるなと出発前に自信になった。こうして旅の気分は少しずつ増していった。

ゴールデンウィークを含めて約2週間と長めのため、家庭や仕事の調整が必要で、みんなに助けてもらって実現した。本当にありがとうございました。1週間ではなく、2週間。この期間があるからこそ訪れることができる場所、この期間だからこその旅感がある。もちろん1か月だからできる旅もあるけれど。

まあ順調な準備だったんだが、直前に4月からネパール全域の山でガイドなし登山はNGとなったと政府から発表されたので情報収集。ネパールの観光庁に連絡して聞いてもルールだからマストだという。いきなり決まったのでルールは徹底されていない気もしたが、学生でもないのでルールには従う。タクジさんが知り合い経由で現地ガイド会社を紹介してもらい、そこ経由でガイドと国立公園のパーミット取得をお願いした。(経験豊富で走れるガイドをお願いしていたが、結果的にルビーバレーに行ったこともなく、基本はコック、走れないガイドがアレンジされた。ほんの少しだけ日本語が喋れたが。まあ、海外ガイドあるあるなので気にもしていなかったが、ほぼ別行動でなにもガイドされなかった。)

40歳の誕生日を迎え、翌日早朝便で羽田空港からシンガポールへ、バラバラの飛行機だったので、シンガポールで今回の仲間6人揃ってカトマンズへ。夜のカトマンズはアジアのニオイ。空港で山でもつながると現地ガイド会社から聞いていたNcellSIMカードを買い、ホテルの迎えのタクシーで向かう。(Ncellは山で一番つながるとのことだったがrubyで少しつながったが、その後はほぼつながらず。)ネパールは資源も技術もなく、地理的な要所でもないからか20年前と比べてもほぼ変わっていない。信号もないし、凸凹道には牛のフンだらけ。20年前と変わったことといえば、スマホを持っているぐらい。中国が開発に少し入っているかな程度で、ここまで変わらない国も珍しい。

今回は6人なので比較的良いホテルに泊まり、すごく快適だが、やはりホテル自体に興味はない。カトマンズの街を朝ランして20年前にも見たスワヤンブナートへ。野良犬と地面には牛などの糞、これも昔と変わらない。朝食を食べてガイド会社とのブリーフィング。海外登山ではガイドをつけることもしばしばあるので、これがあるとついに山が始まるなという気分になる。

午後は街を歩き両替をして、登山地図を買いガス缶を買った。インドに比べてあまりボッタくってこないのは昔と変わらない。インドからネパールにジープで抜けて、すごい気楽な気分になったのを思い出した。

夜はホテルのレストランでダルパート。これが豪華でうまかった。翌朝も早いのですぐに寝た。朝5時くらいにジープをチャーターしてマチャコーラまで。後部座席に4人で悪路を揺られる。町は早朝で渋滞もなかったが、山道は凸凹で壊れた車もありゆっくり。揺れる揺れる。相変わらずネパールのトラックは派手というのは昔も今も変わらない。

途中、朝食に立ち寄り、マチャコーラに昼に着くが、ガイドもRubyバレーは初めてでトレイルヘッドがわからず、地元の人に聞きながら。小さな商店で降りて、そこでパンとチャイを飲みついに荷物を整理した。ついにスタート。まずは吊り橋を渡る。ルビーバレーはマイナーでトレッカーはいない。標識もない。ジオグラフィカと地図を頼りに登っていく。地図もラフな地図だから、ジオグラフィカと言うかオープンストリートマップがとても役立った。

何度となく道に迷いなかなかつかない。ガイドともはぐれる。藪漕ぎをして、ルートに出るなどしていたら、初日の目的地まで到着せず暗くなる。メンバーの中でも疲労が出てきたものもいたので、フラットな芝生を見つけて、近くに川もあったのでツエルトでビバークすることにした。川に入って汗を流すと雪解け水なのかとても冷たかった。ヘッドライトをつけて日本から持ってきた尾西のアルファマイを食べ、その袋にカップラーメンを入れて食べる。これだけ食べれば満たされ、すぐに寝た。

翌朝起きる。ファイントラックのツエルトで大人二人でもそんな不便もなく快適に眠れた。浄水などをして水を準備し、朝ご飯を食べて出発。昨夜も迷ったが、今朝も道迷い。ルビーバレーは観光客がいない。2日で会ったのは1組の外国人のみ。ルートの目標も何もない。地元の人もいない。ジオグラフィカや地図を見ながら行くがルートを見失い、藪漕ぎ。道がわからないが上にルートがあると地図で分かったので、直登してつめることにしたら、道に出た。ガイドは地図もなく、勝手に行ってしまい離れ離れ。登りも遅い。mangro pass(2,936m)峠を越え、さらに歩いてラパガオン村(Lapagaon)についた。
ラパガオンには学校もありシャイな子供たちに珍しい目で見られた。チャイ屋があり休憩。店にいた人にガイドが後ろから来たら、ティプリンまで先に進んで泊まると伝えてもらうようにお願いした。

なんだかんだで進まない。さらに進むとダイナマイト爆発してて進めないと聞く。何かと思ったら崩落した岩場の工事でルートを爆発して工事しているとのこと。待っていると爆発の音がする。しばらくして音もしないので近づくと軍人がいて、ここで待てと。その後、軍人が崩落した上を歩いていき、ついてこいというのでついていった。ダイナマイトの導火線が岩に刺されたまま。その上を歩く。岩が不安定なので、不安定な岩を工事スタッフが崖底に捨ててくれた。ふーっ、なんとか無事に通り過ぎた。
進みは遅いが、村が山の中に点在し、そこにあるだんだん畑が美しい。のどかで楽しい。
ボラン(Borang)に着いて店があったのでコーラを飲んでいると雨。暗くなってきたしティプリンはあきらめ、少し上のボラン集落でホームステイを探して泊まることにした。ホームステイといってもゲストハウスみたいな感じだった。初日はツエルト、2日目はホームステイ。2日とも予定の場所まで行けず。

3日目から下痢、それ以降続く。おそらく2日目の夜に食べたものorお湯が原因。とはいえ、景色はいいし、野でする場所もあるのでなんとかなる。里山でネパールの生活に触れれる。段々畑で働く人たち、子供たちなどなど。それまで見ることがなかった7,000mを超える高山、おそらくガネッシュ・ヒマール(Ganesh Himal)も見えて、ヒマラヤに来たんだなーと。

3800mを超え、富士山よりも高いエリアで高山病になるものも。6人もいたら機嫌悪くなったりも。さらに、思ったよりも天気が悪い日々が続き、雨などもダメージを我々に与えた。パンサンパス(Pansan Pass)を超えて、ここからは下り、おもったよりも長い道のり。単調なのでけっこう退屈だった。曇りで眺望もないし。3200mぐらいのソムダン(Somdang)に到着したが、人気が全くない。。。疲れ果ていて、泊まりたいのにまさかのビバーク?と思ったが、ホームステイできた、温かい食事も、かつ暖炉で服も乾燥できたのは相当よかった。峠を一つ越えて、あとはいっきに下る。ガトラン(Gatlang)は2000m強ほどで、だいぶ空気も濃い。昼休憩をして、再度歩き出す。タルチョが飾られ、お祭り?池掃除?をしていた。今回の旅の中間休憩ポイントである、シャブルベシの町に。ここは温かいシャワーもある。といいつつ、お湯が使い切ってしまっており、水シャワーだったけど、標高が低いので耐えられた。ビールを飲んで、肉をたっぷり食べて、ぐっすり寝て、下痢な我々は腹巻を買った。

ベッドで寝て回復した感があった。食糧、水などを買って翌日も歩き始める。ここからはメジャーなルートになる。チョランパティ(Chyolangpati)まで、短い行程だが、旅の直前に足を痛めた仲間の一人がシャブルベシから合流したので無理をせず。コースマーキングがあったり、小屋もたまにあったり便利なエリアになった感がすこしあった。ただ、雨がしだいに雪へと変わっていって、想定以上に寒い。これはちょっと苦しめられた。ただ、濡れても暖炉があってなんとかなった。毎日12,13時間歩いていたが、この日は行程も短く疲労抜きにもなった。天気も悪く景色がなかったが、小屋についてしばらくすると高峰が顔をだした。やっぱり、山が見えると気持ちが昂る。翌日から目指すゴサインクンドも見えた。ただ、雪に覆われていて、ルートの状況も気になった。

下痢が続いてグロッキーだったので、ガイド兼コックにおかゆを作ってもらったら、ほんとうに落ち着く味でおいしかった。みんなお代わりをした。翌日も天気はいまいちだったが、ゴサインクンドへ向けて歩いて行った。雪がちらほらでてくる。4400mほどだが、ゴサインクンドについても高山病はなかった。ただ、雪は深かった。小屋についてゆっくりしていると雲が流れて、湖や高山がきれいに見えた。のんびり外で景色をぼーっと眺める。この時間が本当に心が落ち着く、山っていいなと感じられる時間。山というより文化に触れるたびが楽しい。ゴサインクンドで山と空と湖、シバ神の像を眺めながら1人でこういう旅をゆっくりしたいとも思う。

翌日は5200mぐらいのスリヤピークへのアタック。ただ、夜中に相当雪が降り、新雪が積もっていた。軽アイゼンとストックしかない。そのため、ツボ足でラッセル。さらにルートがわからないので地図読みをしつつ、GPSでルートから外れていないかをチェックしながらでなかなか進まない。天気も良く暑さで水も底をつく。ガイドが道迷いし、怒り始める。計画していた登山時間を超えてしまうと、小屋へ戻るのもリスクになるので、ここでやめようと決めた。タクジさんが提案といい、テラとちえちゃんで行けるところまで行ってきたらとなり、2人で見える稜線を詰めてSN4930方面に。4910ぐらいにガイドがいて声かけて下山。疲れたけど静寂の雪山は楽しかった。トレランシューズに軽アイゼンじゃ無理よね。この日も午後は時間があったので、小屋でのんびりみんなで話しながら時間を過ごす。夜中にものすごい雪。そんななかも下痢なので夜にトイレに、半分外なので、おしりを洗う水も凍っていた。紙でおしりを吹くのが痛い。

翌朝からは旅の後半行程となり、下りが始まる。が、前日の降雪がすごすぎて、まるで別世界。足を痛めていた仲間はガイドと一緒にエスケープルートで降りた。残りのメンバーは予定のルートだったが、ルートもわからず、ラッセルがヘビーすぎて、汗だく。本当にヘビーな時間となったが、交代でラッセルし、最後尾でGPSを見てルートからずれていないか、進む方角を指示するフォーメーションがうまくいった。途中で、新雪が少ないぎりぎりを行こうとして池に足を突っ込んでしまい、凍傷をさけるために、靴下を変えた。前日にスリヤピークのアタックをしたので、ルートが途中までわかったのが救いだった。その後はルートは分からなかったが、ルートがわかる距離が少しでもあったのが気持ちが全然違った。途中にペディ小屋があると知っていたので、そこまで頑張ろうという感じで気力を保った。小屋が見えた時、あった小屋だと叫んだ。しかし、雪かきもされていない、ふみ跡もない。あれ。これは閉じている小屋かも。。。とおもてってショックを受けた。が、とりあえず小屋の中に入ろうとすると人がでてきた。小屋は閉まっていたが、避難小屋的になかに入れたようで、我々が向かうほうから上がってきたようだった。ガイドと一緒なようだった。情報交換をする、そして、ふみ跡、トレースがあると思うと、ほんとうにうれしかった。小屋から下るとトレースがあって、そのトレースがほぼ完ぺきなルート取り。さすがプロガイドと思った、我々のガイドとはレベルが違うw

そこからはルートがわかるのでいっきに下った。途中小屋があり、そのあたりはすでに雪も少なかった。ホットティーを飲み、クッキーを買い元気をつけて、どんどん下って行った。夕暮れ時になり、夕日を浴びる高峰、そしてオレンジ色に染まる空。完ぺきな風景。これ以上ない最高のご褒美。もちろん、我々以外に誰もいないシーンとした世界。朝、深い雪の中をラッセルしていた、同じ日だとは思えないほどの変化。かなり時間がかかったが、クトゥムサンまで行っておきたかった。そのため、マギンゴートからはヘッドライトを使ってのナイトハイク。クトゥムサンは町ではないが、町が近いと感じられる場所だった。宿について、ゆっくりビールで乾杯。ゲストハウスのレベルが都市化してきて、洋式便所だし、部屋も広いし、物価も半額に。町におりて来たんだなぁ。まだ終わっていないが、人の気配がするエリアまできて、ほっとした。ゴサインクンドもメジャーだが、トレイルには誰もいない日々だった。

翌朝は日の出を眺め、歩き始める。8000m蜂を見ながらどんどん下っていく。これでもう高峰は見えないかなと思うと、寂しくなる。カトマンズの端にあたる町のスンダリジャリはつきそうでつかなかった。途中昼についた町では、ビールで乾杯をした。そこからが想像以上に長くつかなかったw9日間で200km超のトレイル旅。いろいろな場面があり、面白い旅になった。

スンダリジャリからは、タクシーでカトマンズまで行こうとしたが、タクシーが見つからず。でも、バスでカトマンズまで行くという。バスは疲れるからというと、乗っているお客さんをおろして、我々だけでカトマンズまで行くよと。まさかの展開。宿について、シャワーを浴びて、肉を食べに行った。うまかった。翌日は火葬場へ行ったり、お土産を買ったり、家族にテレビ電話でカトマンズの風景やスーパーの中を見せたり、帰りのフライトもみんな違ったので、ばらばらと別れていった。最後に残った3人でなぜかチベット料理の鍋を食べに行った。20年前にカトマンズに来た時も、チベットの鍋を食べたなと思いだした。そして、空港に行き、今回の旅を終えた。

煙草屋、那須岳

ゴールデンウィークのヒマラヤ、ルビーバレー、ゴサインクンドの旅に向け仲間と最終チェックの合宿に。23年4月中旬。

那須岳へ

煙草屋という温泉山小屋が良いというので、天気が雨でお客さんも少なく露天風呂貸切状態で気持ちよかった。

天気は小雨、それより風が強すぎて、短めのルートで終了にした。まだ残雪があり、何度か軽アイゼンをつけた。

新しくトレイルバムのザックを買ったので、それのチェックも兼ねて。特に問題もなく。それにしても風が強かったが登山口に来たらなんでもない状況だった。

座間見キャンプ

3年目の座間見旅行2022年9月

これまでは民宿やどかりに泊まってたけど、今回はキャンプ。参加メンバーは毎年恒例のメンバーと少し入れ替わりで20人以上。

下の子が3歳になったので、キャンプ道具一式持ち込んだけど比較的楽に行けた。相変わらず、静かだし、海は綺麗だし、海ガメいるし、最高の場所。

浜の向かいの無人島まで泳いだり、砂浜で遊んだり、朝ランしたり、SAPしたり、雨が降れば子どもはゲームしたり、おやつパーティーしたり、大人はビール飲んで話してたり。

夜になればみんなで集まって自炊して、刺身作って食べたり、天ぷらしたり。上の子が大きなやどかりを普通に触っていて成長したなーと思った。ホタルも見たり、かき氷は子どもたちが何度も食べてたなー。

最後の日は空港から近いサザンビーチリゾートホテルで汗を流して泊まった。

キャンプ

八ヶ岳スキー

車で富士見パノラマスキー場とサンメドウズ清里スキー場へ

富士見パノラマはスノーパークが良かった。サンメドウズはスキースクールに入り、ゆるい長い幅広い斜面で子供の練習にベスト

宿は小淵沢の風か、横の八ヶ岳アウトレットがゴーストタウン化してた。宿は友だちが毎年行ってるのを聞いて行ったが、全般的によかった。

星野道夫写真展@写真美術館

星野道夫さんの写真展があるのでこども2人連れて3人で恵比寿まで行きみてきた

ゆっくり見ることはできないが、子どもと一緒に見ると言うことは感慨深いものがあった。

子どもはすぐ飽きるかとおもったら、この動物なに?とか、この人誰とか、オーロラだーと。

藤原新也写真展も世田谷美術館でみた。幅広い対象に対して人の根源的なところをグサっとついた言葉と写真。

真剣に見過ぎで、あまりにも強いインパクトで、息をついつい止まって見てしまう。頭が膨張するような。混乱するような、考えると言う状態を超えて行き脳がオーバーヒートする感覚。

やはり生で見る。自分で体験する、一次情報をもとに徹底的に考えることの意味

山野井泰史さんの人生クライマーと言う映画も見た。こちらも徹底的に山が好き。そしてそれをひたすらに追求する行動。でも挑戦する時の恐怖で内臓がおかしくなるほどな状態になりつつも、誰よりも慎重になり、準備して挑む姿。そして奥さん、ご両親、山の仲間。
お母さんのどんな怪我をしようと、また山に向かうことを応援し続ける姿勢に。ただ心配して止めることを超えて愛を感じた。