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自分の人生経験で得た最大の学びを再現したくなる

先日3人で飲みながら、そうかと思ったことがある。

自分がやりたいこと。
それをたどれば、自分が大人になる過程で経験し、そこから学んだこと。自分にとって大きな影響を与えた経験とそれを通して考え学んだこと。それによって、自分の人生が一番自分らしくなったできごと。それを他者に、将来に、次の世代に伝えたくなる。そんなことがしたくなる。それは、教育かもしれないし、政治かもしれないし、研究として学問としてかもしれないし、作品かもしれないし、サービスかもしれないし、農作物かもしれないし、生き様かもしれない。

そう、思ったのだ。

というか、友達がこんないい会社見つけた。それは、自分がずっとやりたかったことを、ビジネスとして成立させていた。すごいなと。これだと思ったと。その背景を聞いていると、自分が小さい頃の両親との関係があったりしていた。人間って、そういう生き物なんだなと、共感した。

自分の人生経験で得た最大の学びを再現したくなる。自分の人生が大きく切り開かれた経験。それは旅かもしれないし、部活かもしれないし、受験戦争かも、アウトドアかも、本かも、食事かも、音楽家も、アートかも、誰かに言われたヒトコトかも、何かは関係ないけれど、自分の人生を自分らしくしてくれた経験を社会に還元したくなるのだ。この人間に組み込まれた欲求が、世界をより良くしていく原動力になっているのは事実なんだろう。

それは、いいことだ。ただ、押し付けにならないようにしなければならない。ここが難しいところ。その人にとって良かった経験でも、他者にとっては何の価値もない経験になるかもしれない。ある経験から何を学ぶかは、その人の価値観によっても違うし、過去の経験によっても何を感じ取るかは異なる。ぜんぜん違う経験から大きな学びを得るかもしれない。それは人それぞれ。それを頭の片隅に置いたうえで、経験を押し付けるのではなく、機会が提供される場がより多く、多様であればと願う。

場所の意味が変わっていく、人間の関係の質が変わっていく

Forget me not2015に行ってきた。
アコンカグアの時を除いて毎回参加している。7年ぐらい前だろうかクリエイティブライティングに参加したのがきっかけで、その仲間が年末に集う。

SWITCHの新井さんを囲んで、師走の時期に集う。みんなが1年の近況を話、それから作品を発表する。食事をしながら、話して最後に文庫の交換。基本的に毎回同じフォーマットで時間が流れる。でも、会を重ねるごとに、場所の意味合いが変わってきている気がする。それは、参加者互いの関係性の質が変化してきているからな気がする。関係の質というのは、互いの心の開き具合が変わったことによって質が高まったため、お互いを受け入れながら会話をするようになった気がする。

でも、20人ぐらいの参加だったが、毎年参加者は異なる。昔は毎年参加していたが、今年は来ない人。クリエイティブライティング講座依頼7年ぶりの人。いろいろな人がここで繋がる。だから、会っている回数は多くても5回ぐらい。それも1年にたった1回だけ。1年に1回だから、お互いのことを詳しく知っているかというとそうでもないと思う。でも、なんだかこうした定期的に会うという行為が、自分の内なるものを発表するという行為が、自分をさらけ出し互いの人間関係の質を近づかせる働きをしているのだと思う。

継続して、同じ時期に同じ場所で会を続けることの意義は、久しぶりにも来れるというのもあるが、関係の質が高まりやすいというのがあるんだろう。

あとは、大人になればなるほど、といっても高校生や大学生、社会人1,2年目の頃よりも、少ない回数で少ない時間ではじめて会った人と分かり合えるようになっていると思う。多くの種類の人と会って、新しく会った人も過去の出会った人の分類に当てはめてキャラを推測できるように精度が上がっているからなのだろうか。

送信者 いろいろ

新井さんが作ってくれた動画のBGMの 小島ケイタニーさんの曲が頭のなかでぐるぐるとループしている。

自分の頭だけで考えちゃいけない、言葉だけで考えちゃいけない

毎朝すごい数の人がスカイツリーに行くためだけに、はとバスのツアーを使ってる。俺の考えだと無駄じゃねって思うけど、別のところに価値を感じてるんだろう。普通に電車でも見にいけるけど、バスで友達見つけたいとか、バスで移動するほうが好きとか、なんかあるんだろう。つくづく自分の頭だけで考えちゃいけないとおもう。

人に聞く、相談する。
自分には無い視点をもらう。

そうなんだ、究極的に自分の脳は自分で閉じている。思考パターンもそうだし、自分で完結する場合は文字でなくてもいいし、文字でないことも多い。論理的に説明する必要なってない。自分の脳の中では。一方で他者と話すときは、文字や言葉、図などで伝え合う。自分の脳にあるものをそのような手段で伝えるために、文字とか絵に変換するときに、自分でも気づきがある。

さらに、相手は自分の伝えたことを完全に同じように捉えないし、その人の経験とかさねあわせて考えるから、また違った発想が生まれる。具体的に説明するってことは、相手に伝える手段としていいのだが、本当に言いたいことは伝わらない。本当に考えていること思っていることは文字で存在していなくて自分の経験やもっと抽象的な文字ではない脳にあるモノであったりする。それは絵かもしれないし、感情かもしれないし、全く違うナニカかもしれない。ただ、相手にはそれでは伝わらないので具体例というもので類似したものを言葉で提示して分かり合おうとしているだけ。結局、分かり合えっこなんかない。が、それがいいのだ。考えが発展するきっかけなのだから。

80%の共通認識と、20%ほどのズレ。これが、思考を発展させる。50%ぐらいしか共通認識がないとちょっと、話が噛み合わないってことになる。一方で100%共通認識ができてしまうと、新たな思考の発展がない。

仕事相手に気が合わない人が多い理由ってのも、その一種だと思う。それは、いいことなのだ。
http://teratown.com/blog/2014/10/08/aoaeeeucieiaiyi/

絵で考える人
文字で考える人
書いて考える人
話して考える人
数式で考える人

論理で考える人
思いつきで考える人

いろいろな方法があるし、数式をいつも扱っている人は数式で考えがちかもしれないし、絵を毎日考えている人は絵で、写真で、音楽で、物理法則で、作家は書いて、漫才師は話して考えるってな感じで、自分が身近な方法で考えることが多いかもしれない。だから、普段自分が使わない方法で考えると、新たな発想を得られたり。

俺は、文字で考えないことがあって、何で考えているかと聞かれると非常に説明が難しいのだが。。。積み木みたいなブロックのようなもので考えていたり、グネグネした糸のようなもので考えていたり、脳の右と左から何かが斜め上に出ていてそれがぶつかる感じのことが起きて考えていたりする。これは、言葉に変換するのが非常に困難だ。あとは、言葉なんだけど日本語でも英語でもない、俺独自の言葉というか擬音語みたいなのがたくさんあって、それで考えているというか感じていることもある。

ということで、他者の脳を使ったり、考える手段・方法を変えてみたり、自分が言葉で考えなかったことを言葉にしたり絵にしてみる、こういったことをすることによって、思考は発展する。思考は変換されて、新たなことに気づき、広がっていく。と、まあ、形にならないアイディアを自分なりに形にするための手段を書き留めておく。

http://www.teratown.com/blog/archives/000975.html

http://teratown.com/blog/2015/09/15/文字が文字である必要がなくなる日/

新たなスター誕生

もっぱら音楽はyoutubeで聞く。レースに向けて今回も聞いていた。

ふと、気づいた。
特に洋楽でだが、有名な曲を若手がカバーしてる。それも、かなり歌唱力がある人。そして、キャッチーなアレンジ。

有名な曲だし、アレンジがライブっぽかったりと、ついついいろんなパターンを聞く。

そっか、若手の歌手が、自分を売り出す方法が、有名な曲のカバーをする。そして、yotubeにアップする事なんだ。

理由を考えれば簡単だった。メインのプラットフォームの仕組みを知り、それを踏まえて先手でやることが重要。

yotubeは、関連動画をレコメンドする。有名な曲はたくさん再生される。カバーは、有名な曲と同じ曲なんで、レコメンドされる可能性がたかい。無名の新人でも、有名な曲のカバーならレコメンドされる。

すると、聞いてもらえる可能性がたかくなる。上手ければ、さらに聞いてもらえる。そして、名前が知れ渡り、オリジナル曲も聞いてもらえる。売れる。

面白いなー。洋楽は、やけにいいカバーがあると思ったら、こんな理由なんじゃないかな?邦楽はそんなにカバーがない気がするが、そのうち増えるかな。

CDが売れなくなった時に、コスト削減でカバーアルバムがたくさん出たのとは違う理由だ。

面白いなー。型は行動を規定する。メインプラットフォームの仕組みを踏まえて、先手で仕掛けることがビジネスの基本だなとつくづく思う。

キリアンは飛ぶし、世界は数字に踊るし、この世はいつもメリーゴーランド

人生って、多様だし、何があるかわからないし、世界はつながっているし、変わるし、変わらないし、本当にこの世界は面白い。生きていて飽きない。俺みたいな、飽き性な人間が常に満たされるほど、世界は驚きと、笑いと、悲劇と、つかの間の平凡さであふれている。

facebookにJust another dayというテキストとともにアップされたGopro動画。そこで、キリアンはナイフリッジを飛び回ってるけど、世界の99.99%の人は飛べないし。飛び跳ねたいとも思わないし。けれど、彼の身体性と、恐怖心を抱かない感覚があれば、岩と雪のナイフリッジだって、ピョンピョン飛び跳ねる。

UTMBウィークの始まりで、多くの仲間がシャモニーへと出発していく。飛行機は今日も明日も世界を飛ぶ。

一方で、同じタイミングでfacebookのタイムラインには、自転車で事故をして、体が全く動かなくなってしまった人がいる。

もちろん、生きている人は自分も含めて、死へ1秒ずつ近づいていることは変わりないし、でもそれぞれの個人が引き受けている今という時間の感覚は全く異なる。

株価は世界的に暴落し、円高に一気に振れる。叫ぶ人がいれば、日々の生活は大して変わらない人が大半だし。

全く知らない人たちが売り買いをした総体の数値、例えば株価とか世界経済の指数に影響されあって、世界の同調性によって連鎖的に株は下がるし。でも、大根の値段は今日も明日も変わらない。

なんにしろ、逆張りと時間差がものをいうが、それはなかなか頭でわかっても実行は難しい。今を切り取ると総合でプラスでなくても、逆張りをしておくと時間差で利益をそれぞれ確定できる。これは、株も人生も。ただ、未来は分からないから、逆張りはなかなかできないという不安心理。

結局、世界はロジカルでない意思決定であふれていて、ロジカルでない人の意思決定の集合体が世界だから、ロジカルに考えて正しいことがうまくいかない。

未来は楽観視しているが、悲観視もする。でも、起こったことは、いいように考える。反省から学ぶことはあるが、後悔をして引きずりはしない。

この世は成功すれば賞賛するし、失敗すれば避難される。同じ行為をしたとしても。結果で周囲の評価はくだされる。

それが、世の中だし、過程プロセスというのは、個人にとっては意味がスゴイある。言い訳でもなんでもなくて。でも、他者にとってはプロセスなんて、ほとんど価値がなく、結果だけ。それは、他人のことまでプロセスもしっかり見て評価するほどヒマじゃないから。

そんなこと全く知らず、絵を描き続ける人も、狩猟生活をする人もいる。それは、アトリエで死にそうになっている友達の顔をfacebookで見て痛感する。

と、どうでもいいけど、たった1日。2015年8月25日(日本時間)だけで、世界はこんなに、面白いと実感できた。

これもすべてインターネットの産物。

取り留めもない文章だけど、そんな世の中が好きだなと思う。全ては、インターネット。全ては、エンターテイメント。