2008/8/22 金曜日

やると決めることは、やったことに近しい

Filed under: diary, 思うこと, 人生 — teratown @ 0:21:53

何かをやると決めることは、それをやったことに近しいと思う。
ちょっと言い過ぎかも。
まあ、何かをやると決心することが、大きなポイントだなと当たり前のことを再認識した。

何かをやると腹をくくると、具体的に先のことをイメージするようになる。
どうすれば良いだろうか、こっちの方法がある、でも、あんな風になると危険だ。といったように。
緻密にイメージをするようになる。起こりうる物事の対策を考える。
やると腹を決めると、ワクワク感や恐怖心もリアルなものとして沸き上がってくる。

実際にやったのとやらないのでは、また大きな違いがあるのはまぎれもない事実だ。
ただ本気でやると決める、結果的に諸処の問題でできなかったとしても、意味は大きい。

そして、やると決めた物事を見る視点も変わる。
なんとなくやろうかなと、そう思っていたときには気づかないことがたくさん見えるようになる。

ようは、何かをやると決めることが大きな意味を持つ。
「やろうかなーとか」「面白いかも」という段階とは全く異なる。
そう思った次第であります。

あ、もちろん実際にやったということの生々しさにはもちろんかなわないけど、なんとなくやろうかなというレベルの気持ちと、よしコレをやると決めた時では全く違うな。と。


[夢か現かな滝@高千穂](PENTAX K10D SIGMA APO 70-300mm ISO: 100 露出: 1/10 sec 絞り: f/6.3 焦点距離: 190mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/20 水曜日

一枚、また一枚めくり、真の心が現れる

Filed under: diary, 人生 — teratown @ 1:10:17

一人一人の人間という生き物は実に多用だ。
ひとつとして、同じものはなく、一人として、過去から遺伝子が途絶えたことがない。

そんな人。一人一人。
自分の生まれ持つ何か、心のありか、感じる何か。
そんなものがあるんだと思う。
これは、小さい頃は親に育てられているから、ある程度の制約の中で、かさぶたのように心の芯を大切に何重にも包んでいる。

こんなかさぶたが、大人になるにつれて剥がれていく。
そのとき、一人の人間として何たるかが湧き上がってくる。

そんな気がする。

生まれ育った環境が全く違って、やってきたことが全く違っても、同じ価値観だったり、考えだったりする人がいる。
何とも不思議だなと思う。
でも、目に見える行動や結果だけで人間は決定づけられないんだと思うと、つくづく人間というものに魅力を感じる。

過去に書いた関連エントリー
http://www.teratown.com/blog/archives/001544.html


[夕暮れの空を眺める俺@別府](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/100 sec 絞り: f/6.3 焦点距離: 24mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/19 火曜日

「君お兄さんいる?」

Filed under: diary, , 人生, 写真, — teratown @ 7:31:21

ブログをしばらく書いていなかったのは、旅に出かけていたから。
どこに行ったとか、写真とかはまた別の機会に載せようと思う。

旅から戻り、駅から家への帰り道、まだ土台しかなかった建設中の家が壁も屋根も出来上がっていた。
いつも歩く道の風景の変化で、時の流れを実感しながら家に向かう。

久しぶりに家に帰り着くと、ポストには無数のチラシに混じって郵便物と不在届けがいつものように入っている。
鍵を開け、バックパックをおろして、窓を開ける。
ごろっと横になり、家に帰ってきたなと実感する。
しばらくゆっくりしてから、洗濯をおもむろに始める。

洗濯機ががんばってくれている間に、腹も減ったし飯を食いにいこうと思う。
ついでにネット代金の振込もしようと、請求書を持って外に出ることにした。

飯はうちから一番近い定食屋さん。
以前にもブログに書いた、この店だ。

いつものように、何の変わりもなく親父は店をやっていた。
席に座ると、女子のソフトボールがテレビで流れていた。
「いらっしゃい」
「豚玉定食お願いします」
いたって普通のやり取りが、いつものように行われた。

しばらく、テレビを見たり新聞を読んでいた。
僕よりも奥に座っているお客さんに中華丼を出して、調理場に戻る時、親父は僕を見て言った。
「君お兄さんいる?」
「いや、いないっすよ。」

親父は顔の表情を緩ませながら、中華鍋に向かい
「すごく似た人がいるんだけどなぁ」
と、話してくれた。

僕はヒゲがはえていたり、いなかったり、髪の毛が短かったり長かったりする。
だから、勘違いしたのかなと思いつつ、そんなことは話さなかった。

こんな些細な会話にホッとして、家に帰ったような安心を覚えた。
ああ、旅から戻ったんだな。
ここは、阿佐ヶ谷だと実感しながら、最高に楽しかった今回の旅を思い出しながら飯を食らった。

旅の一場面、一場面を思い出しながら、旅の幸せを噛み締めた。


[阿蘇のペンションのオーナーが連れて行ってくれた田楽屋さん。最高にうまかった。田楽の里@高森](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 1600 露出: 1/6 sec 絞り: f/4.0 焦点距離: 34mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/8 金曜日

想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。

Filed under: diary, , 思うこと, 人生 — teratown @ 0:33:50

2、3年前、チベットを旅した。
その前に、友達に送ったメールを偶然見返した。

そこには、「想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。」こんなことを書いていた。
自分で書いた文章であるが、こんなこと書いたことを全く覚えていなかった。

記憶にはなかったが、この文章に自分の純粋な気持ちがにじみ出ていると、今振り返ってみて感じる。

想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。

そんな友だちからは、「これが僕の持てるすべてです」と書かれた展示の案内が来て圧倒された。

PS
週末からしばらく旅に出ます。1ヶ月以上書き続けたブログもしばしストップ。さあ、どんな旅になるのかな。楽しみ。
帰ったら、アクアスロンに出て、高円寺で阿波踊りを楽しんで、富士山の麓で10キロ走って、9月の末から10月の頭に中野で写真などを展示して、奥多摩の山を24時間走ってといった日々です。

次は何が起こるのか。どんな出会いから、どんなつながりが生まれ、どんなことに興味を持つのか。そして、どんなことをするのだろう。
まさに、想像のつかない、起こりくる未来に心がざわざわしています。


[路地の夜明け@ラサ(チベット)](OLYMPUS ISO: 80 露出: 1/200 sec 絞り: f/8.0
)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/8/5 火曜日

モノは人を変える

Filed under: diary, 思うこと, 人生, , , 音楽 — teratown @ 0:33:53

モノは人を変える。
金を持つようになって、いろいろな物を手に入れると、人は変わるとよく言われる。
僕の場合は、金もないし、モノもそんなにない。
家にきた友達は口を合わせて、何かが足りないと言う。
モノがないという。
だから、そういった意味で僕は変わらないのだろう。

でも、阿佐ヶ谷に引っ越して、モノによって自分がかわることを知った。
みんなはそんなことずっと前から知っているから、モノ(家具であり、文房具であり、服であり)に対して、こだわりを持っているのだろう。
そうだと言葉では知っていたが、自分の中で実際のこととして捉えていなかった。
だから、身の回りのモノに無頓着だった。

僕は何かと気づくのが遅い。極端な出来事によってしか気づかない。
それはお風呂に入ることによるリラックス効果であり、音楽の大切さであり、食べることの意味など。
これらは、東京から名古屋まで歩いたときや無人島に行ったことによって気づいたのだった。
ただ、気づくと、体で感じる実感として理解するので、本当に大切にするようになる。

そう、そして阿佐ヶ谷に引っ越して気がついたのだ。
モノは人を変えるということを。

僕はそれまでの一人暮らしで、デスクを持っていなかった。
ずっとちゃぶ台だった。阿佐ヶ谷に引っ越してデスクを友達から譲り受けた。
デスクで本を読むようになった。

そして、家というモノ。
これも大きく人を変える。
自炊なんてしなかったのに、家がかわり自炊を進んでするようになった。
以前の家と比べると、台所は比較にならないほどショボクなったのにもかかわらずだ。
自炊が楽しい。毎回違うものを作りたくなる。

もっと言えば、町も僕を変えた。
銭湯に通うようになったのだから。

巣鴨に住んでいたときにご近所さんだった友達が2人いる。
その友達が阿佐ヶ谷の家にも来て、前と生活が全く変わったねと。
その言葉を聞いて、改めて自分の変化を感じた。

ある機能を持ったモノのその機能によって、自分が変えられるというのではない。
例えば、一眼レフカメラを買ったから写真を撮るようになった。
そういうことではない。
モノがもつ直接的な機能によって自分が変えられるのではなく、機能による変化とは違う、想像し得ない変化を自分に巻き起こす。

僕は、自分が世の中を決定づけると考える傾向にあって、モノには影響されず、僕という人間が、感じ考えたことによって、自分ができあがっていると思い込んでいた。
もちろん周りの全てのモノに影響を受けているとは分かっているのだが、無意識的にモノからの影響を軽視していた。
それはそれで正しいとしても、僕の周りにはいろいろなモノがあり、日々それらに触れ生きている。

そんなモノに影響を受けないはずがない。
そう、僕はモノに影響され、自分自身が築き上げられている。
そんな風に思うと、自分の周りのモノを選ぶときに自分に与える影響まで考えて買うようになりそうだ。
そして、モノを大切にするのかなとも思う。

[suicaじゃnなくて、スイカでジュースを買う](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/200 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 45mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵
« 前のページ次のページ »

HTML convert time: 1.067 sec. Powered by WordPress ME