カテゴリー別アーカイブ: 人生

Rwenzori15 最後の暇つぶし

昨夜の雨でホテルの部屋も水没したが、翌朝朝食を食べに出てみると露天もやられたようで、道路にパイナップルなどの果物野菜が散らかっていた。

もったいないなー、とおもいつつ屋根もないのでしかたない。朝食を食べて、ハイエースのタクシーで近場の観光地へ。同情した兄ちゃんがとてもおもしろく、個性的で、有名なオリンピック出場の選手の名前を連呼していた。ガトリン、マイケル・フェルプスとかw相当、このおじさんが面白かった。ガバビーチという場所なのだが、魚市場があったり、魚を揚げたものが売ってたり、靴が売ってたりカオス。なかなか汚くて、臭くて、旅って感じだ。

ビクトリア湖は、大きくまるで海のようだった。昔なら露天で食べたかもだが、近くのホテルのカフェテラスで食べることに。まあ、喧騒から離れてゆっくり。旅も終わるんだなと思いながら、湖を眺めていた。

カンパラに戻り、暇なのでお土産屋と高級ホテルを冷やかした。夕食は、高級中華。全然客はいなかったが、味はそこそこうまい。担々麺が異様なほど辛かった。

翌朝はカンパラの街をジョギング。朝はまだ静かだった。陸上競技場まで行くと、そこの近くは高級住宅街だった。カンパラにもこんなエリアがあるんだなーと。帰って、またいつものホテル下のカフェで朝ごはん。

弘樹さんは一足先にタンザニアへ移動するので、タクシーで見送った。楽しい旅を、良い時間をありがとうございました。キリマンジャロも楽しんでという感じで。

まだまだ暇なので、露天を見て、時間になりタクシーで空港へと向かった。空港でも少し買い物をして、長いアフリカの旅も終わりを告げた。またいつか、来る日まで、アフリカバイバイ!

東京に戻ると、うちの子がアフリカ、アフリカ言っていて、地図でも正しく指をさせるようになった。アメリカは知らないけど、アフリカは知っていて、黒人が多いことも把握していた。世界の多様性をしるきっかけになってくれたらなと。まあ、親の一方的な思いだけど。

はるかかなたに思いを馳せながらRYOと名付けた

最初は冗談だった。

上の子が「はるか」
下の子は「かなた」がいいんじゃないかと。

もちろん男の子だったらと、思いつきで話をしていた。

冗談っぽく話していたのに、いつの間にかそれがすごく良く感じてきた。

姉弟が名前でつながっていることで、仲良くなってほしい。

住む場所などは変わっても、大人になっても兄弟のつながりがあったらいいなという思い。

そんな、「はるかかなた」に思いを馳せながら、生まれてくる前に名前を考えていた。

でも、最後の最後まで悩んだ。
最初につけた名前が、その子に一生ついてくるのだから、悩むのは1人目と全く同じ。

「かなた」と読める漢字を探していると「遼」に出会った。

白川静さんの辞書で漢字の成り立ちと意味を調べ、「かがり火」にまつわる漢字のようだと知る。

火を焚いてはるか遠くの天を祀(まつ)った、かがり火を長く連ねるようすを表すなど。

そして、この漢字は「かなた」と読ませることができるので、探して出会った漢字だったが、「はるか」と読むほうがメジャーだと。

これは、最高な漢字だなと思った。「かがり火」のように、遠くを照らして、遠くを見据えて、生きる道標になれば、そんな風に考えていた。

すると、「はるかかなた」という関西の薄毛をネタにした芸人がいるとのことで、さすがにいじめられるんじゃないかという話になり、とりやめ。がーんw

で、またゼロから考え直したりもしたけど、名前をつけるときの考えとか思いは前回とほとんど同じ。結局同じところに巡ってくる。

そして、「遼」という漢字の意味が非常にいいなと思ったのだ。
親の理想みたいなものを押し付けるような名前や漢字は嫌だなと思っていて、ただ、どんな人にとっても、人生いろいろある。いいことも良くないことも。楽しいことも悲しいことも。長い人生を深く考えることもある。

そんなとき、

「時々、遠くを見ること。
それは現実の中で、
悠久なるものとの出会いを与えてくれる。」

これは、誰にも通用する考え方(発想法)、ひといきついて世界を人生を見返すことかなと思っている。そうすると、やはり「遼」がよい。

ということで、「はるかかなた」ではなくなったが、「遼」という字をストレートに読んでRYOにすることにした。

ようこそ、「りょうくん」
これからの人生を味わい尽くそう!

HARUKA

2019の911

去年は災害が多いと書いていた

西日本豪雨、関空は台風で閉鎖、北海道は地震で停電

今年も去年にもまして多い、先日の台風で千葉県は40万戸で未だ停電が続いている。九州の豪雨もあったりと、災害というものが日常のすぐ近くにあるんだなと思う。

そして、去年の今頃は想像していなかったけれど、2人目の大きな男の子が生まれて、4人での生活がスタートしている。

911をメモするようになってから、もうすぐ20年かと思うと、月日の流れに驚く。
あの頃は高校生だったし、911からちょうど2年後にアフリカに船で渡った日も16年前と思おうと、ちょっと時間が一瞬で過ぎ去っていった感覚を覚える。

これからの日々もそうなのだろうか。

全力でこの人生を味わい尽くそうと改めて思った。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2014/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常
2015/09/11 東京(北千住在住) 去年とは仕事が変わった。そして、タクジさんに誘われ池澤夏樹さんの話を聞いた夜
2016/09/11 岐阜(祖師ヶ谷大蔵在住) 岐阜の実家に。結婚したのともうすぐ子供が生まれるからまた来年は違う911だろう
2017/09/11 東京 祖師ヶ谷大蔵在住 朝は保育園に送り、夜はお風呂に入れる。去年はここまで具体的なことは想像してなかったが、今の日常を今日も。
2018/09/11 東京 祖師ヶ谷大蔵在住 初めておまるでうんちができた日、子供の成長を実感した日
2019/09/11 東京 祖師ヶ谷大蔵在住 2人目の男の子が誕生して、夜泣きとともに生きている

今年も911

名前はまだない2人目誕生

1人目と2人目だと状況が違う。

男の子というのもあるだろうが、ごっつい。
さらに1人目よりも1000グラムほど大きいという驚き。
とはいっても、小さい。上の子と比べると軽い、肌はすべすべでふわふわ。

かわいいけれど、男の子なので、どちらかというと同士とか仲間という感じ。
一緒に島とか山とか海外に旅にふらっと一緒に行きたいなーという相手。

上の子とも行きたいのだが、2歳にして女子力発揮しまくりで、パパ嫌なので、一緒に来てくれるかという不安があるのかもしれない。

男と女
1人目と2人目

いろいろ違うなと思う。
上の子の生活はあるから、そちらの対応をしつつなので、1人目のような余裕は親にもない。
双方の両親のヘルプをしてもらいながら、4人組での生活が始まりました。これから、どんなことがおこるのか、楽しみである。

名前も決めねば。

Rwenzori13 サファリの目覚め

夜中には動物の鳴き声や足音が部屋のすぐ横を通り過ぎる。ああ、夢の中でサファリの中にポツンと放り出されたような意識になったり、鳴き声にビクッとしたが、すぐに冷静になり、ああ、今サファリのど真ん中にいるんだと気づく。

クイーンエリザベス国立公園の中で目を覚ます。夜明けとともにサファリへと車で。すぐ、角が立派な水牛やライオンなどを目にした。が、昨日見たので、盛り上がりはそこまででもない。それよりも、朝のひんやりとして静かなサファリの独特な空気感がとても心地よかった。山のように凛とした朝というわけでもないが、動物たちが動き始めるその直前の世界があった。

近くの湖の畔へ行くと、村人が多く集まり、洗濯や魚釣りをし、子供たちははしゃいで遊び回っていた。そんなところに大量のカバが。最強とも言われるカバの真横で子どもたちが遊ぶ光景が微笑ましかった。我々は、干上がった塩湖へと足を運ぶ。かれらはクレーターレイクとよんでいた。ウユニみたいにきれいな白ではなく、ドロドロな感じで、匂いも臭かった。

またまた移動して、小さな小さな集落に連れて行ってもらい、そこでいくつも点在するクレーターレイクを見せてもらいながら散歩。弘樹さんはバナナの木々の間をトレランして撮影したり。お昼は、近くのローカルレストランで食事。観光地でもない小さな村のローカルレストランで、ウガリとゴートシチュー。このゴートシチューが臭かった&ウガリも美味しくなかったけど、これしかないのでみんなで歯を食いしばって食べた笑

それから、コンゴとの国境へ。コンゴは治安が悪くエボラ出血熱が流行っているため国境は越えられない。国境はWHOなんかがいた。治安の良くない発展途上国の国境という感じがビンビン伝わってくる国境だった。いかにも国境らしい国境にきたのは久しぶりだったかもしれない。ガイドのジェム男の友達が国境にいるというので、車から少しだけ降りてちらっと見せてもらったが、特に何もせずすぐに帰った。

カセせに戻り、同じ宿にチェックイン。近くのタクシー乗り場で翌日のカンパラ行きのタクシーチャーターを探し、値段交渉。まあ、すんなりと決まったので、中庭で以前と同じような夕食を食べ、ナイルビールを流し込む。そろそろ旅も終わりに近づく。あとは、カンパラを目指すのみ。