カテゴリー別アーカイブ: Family

GW1週間ぶらり

とくにどこへ行くでもなかったので、夙川と岐阜に合計6日間の長旅。いや、大人にとっては長旅と言うほどではないが、はるかちゃんにとっては初の長旅。180日程度の人生で6日間だから、人生の3%以上の期間の旅だからすごいことだ。

新横浜まで行き、新幹線に。はるかちゃんは新幹線でも特に泣いたりせずに、ずっとおとなしくしていた。お弁当食べたりしていたら、すぐに到着。新大阪駅からは関空への電車「はるか」が走っていたので、記念撮影。

奥さんのおばあちゃん家の夙川まで電車を乗り換えてGO。家に到着して、すこし休んでから夙川沿いをお散歩。夜は近くのお蕎麦屋さんに。

翌日はお墓参り。の前に、中華ランチ。レモンソースがけの鶏肉だったが、家でもやってみたら面白そうな味。お墓参りが住むと、近くに御影とい高級住宅街があるのでお散歩。最近、高級住宅街散歩が流行りだwといっても、高級のレベルが違って驚く。すごい。夕方から、奥さん一家が幼少期に住んでいたお隣さんの家に。夕方は散歩で海まで歩き、夕日を見て、夜はすき焼きをごちそうになって帰宅。

3日目は北山緑化植物園へピクニック&ハイキング。青空のお散歩は気持ちがいい。山の緑もみずみずしい。帰りは相変わらず豪邸巡りをして、回転寿司の夕食。久しぶりの回転寿司w

null

4日目は起きて、名古屋経由で岐阜へ移動。3日間いっしょだったので、ばあばが寂しがっていた。岐阜も良い天気、姉も帰ってきていた。みんな久しぶりのはるかちゃんにメロメロ。高校まで堤防を散歩して、夕方に再度夕日を見に堤防に。もしかしたら、はるかちゃんにとって初の夕日だったかな。

5日目は幼稚園、小学校、中学校と過去を遡るお散歩をして、午後からは岐阜公園へ。はるかちゃん初の顔ハメ看板も、離乳食は昨日は父、今夜は母がはるかちゃんにあげた。

いよいよ最後の日、俺は運転の練習を少しして、荷物をまとめてみんなにバイバイ。母が作ってくれたサンドイッチを食べて新幹線で東京へと向かった。そんなGW2017。

父として初の誕生日

昨年父になった。

それから、初めての自分の誕生日

いつの間にかいい年になったなーとか、父として頑張ろうと改めて思ったり、自らの両親がどんな気持ちで育ててくれて俺の誕生日を祝ってくれたのか、俺が生まれたときは母も命がけだったんだなとか、まあ、色々と思ったのだ。

子供がいないと、こういう思考にはならないから、やはり人間はその場におかれないと考えないこと、感じないことがたくさんある。そして、子供が産まれてくれたことに感謝する。

去年の今日という日には、まだ子供は母のお腹の中だったわけだし、胎動すら感じていなかったという状態。それから1年未満で、子供は大きくなり、笑ったり、おしっこしたり、叫んだりと、日々できることが多くなっている。1年という期間は、あっという間のように感じるけれど、赤ん坊にとっては1年という期間は非常に長く、1年もあれば大きく変化するのに十分な時間なんだなと思う。

赤ん坊が1年であれだけ大きく成長できるということは、大人にだってその可能性があるわけで、自分は同じ1年という期間をどのように使ってきたのだろうか。遊びに、仕事に、勉強に、教養に、人芸西に、家族にともっとできたことはあるわけで、常に後悔のないように行きたい。俯瞰して見ることを忘れず、自己客観視をしながら自分の行動を最適化しつつ、なんだかんだ自分という人生は主観的な行動でしか納得いかないので、上手くミックスして生きていきたい。

・新しいことにチャレンジする
・定期的な運動をする
・勉強や改善を積み重ねる
・家族と今しかない時間を最大限楽しむ
・いろいろな人と色々な話をする

今年は、こんな5つを意識していきたい。そして、将来に対して慎重になりすぎず、チャレンジする心を忘れない年にしたい。

学習する生き物

赤ん坊の鼻水や鼻くそが溜まっている。自分で鼻はかめないので、麺棒にワセリンをつけてとっていた。最初は麺棒を突っ込んでいたんだが、

それを嫌がるので、お風呂でガーゼを細くして鼻に突っ込み始めると、嫌がらずにとれた。かつ、湿度が高いので鼻にも傷がつかないし最高じゃんと思っていたのだが、しばらくするとお風呂でガーゼも嫌がり始めた。嫌がるだけでなく、ガーゼを引っ張ったりして抵抗する。

これって、はじめはガーゼで何をされるかわからなかったので抵抗しなかっただけで、何度かやられるうちに理解し始め、どうしたら抵抗し辞めさせれるかを学んだのだ。すごいなー。日々学習しているのだ。こうして、人は物事を学ぶ。また、ひとつ実体験から勉強させてもらった。

ミルクも同じ、昔は哺乳瓶を口につけると口が勝手に動いて吸っていただけなのに、今日は両手で哺乳瓶を持った。そして、自分の口へと持っていく。しばらく飲んで、呼吸したい時は哺乳瓶を離して、また口へと持っていく。もちろん、哺乳瓶の乳首の部分がうまく口に入らなかったりもするのだが、全体としての行動は、彼女が実現したいことを達成するのにマッチした行動なのだ。これは、親の行動を見て、その結果としてミルクが飲めていた。これを自身の頭で解釈して、抽象化して、ああこのボトル(縦長の物体)に美味しいものが入っている。それを口へと近づけると、飲めるんだなって解釈したってことなんだよね。

今は、おそらく言語は話せないし、脳の中にもそうした言語に基づく解釈の回路は無いと思うんだけど、目から入ってくる情報と自分の肌やお腹、口で感じた情報を組み合わせて理解して、それを行動に移し替えている。大人になると言語を使って考えることだけが全てになりがちだけれど、人間の根本の能力というか、学習する方法というのは、こうした視覚情報と自分の身体を通した知覚などを組み合わせて、トライアルアンドエラーを繰り返すことによって学んでいくもんなんだよなと。

言語を使い論理で詰めたほうが速い学びもあれば、やはりこうした身体を通した経験から学ぶこともある。この両方がバランス良くできると良いんだよね。と、赤子の学習過程を見ながら、自分の学びという行為のブラッシュアップに活かさせてもらう。

髪の長さと髭の長さ

髪の毛を伸ばしていた、伸ばしていたというのと切るタイミングを失っていた。子供が産まれたし、大人なんだから坊主を止めようかなと思ったのもあり、昨年12月に数年ぶりに床屋に行った。床屋と言ってもQBハウス。それもはじめて。で、その後、伸び続けていた。

いつもは、風呂に入る前にバリカンで自分で切って、そのまま風呂だった。しかし、赤子を風呂に入れる役目となり、自分が髪の毛を切って、風呂に入れるのが難しくなった。ご飯を食べた後、すぐに風呂に入れる必要がある。さらに、風呂に入ったらまずは赤子の体を洗って、出す必要があり、自分の洗髪などは後回し。しかし、髪の毛を切ってると、細かな毛が風呂に浮かんでしまうのだ。という理由もあり、のびのびに。

で、数カ月ぶりにバリカンで切ってみた。やはり楽だし、おしゃれを気にしない自分には合っている。そんなメモと共に、昔書いて放置してあったブログを。

===

バリカンで髪の毛とひげを剃り始めて、はや数年。

髪の毛は5mmで、ひげは3mmでいつも切っている。
ただ、ひげは7〜10日ごとに剃って、髪の毛は1〜1.5ヶ月に1階のペースで切っている。

なのにだ、ひげと髪の毛が同じ長さだねとよく言われる。
切ってからの日数を考えると、髭は5mm前後、髪の毛は1.5cmはあるはずなのにだ。
これは、不思議だ。

面積が広いと長くても短く見えるのだろうか?
面積が狭いと短くても長く見えるのだろうか?

頭部は上に向かってはえており、髭は下に向けてはえているから、こういった向きの問題なのか?

切りたてで、2mmしか差がない時はあまり長さ同じだねと言われないのも不思議なのだ。
うーん、謎だ。

まあ、みんな興味ないだろうし、てきとーに言っているとは思うのだが、長さの差がでてから長さが一緒だねと言われることが多いことが不思議でならない。

子供の持つ力から人の持つ力を知る

子供といるとバカになれる。赤ん坊は言葉がはなせれないから、言葉ではない擬音語などで、赤ん坊に合わせる。すると、いつも見ないキャラが出る。
馬鹿という表現が良くないかもしれないけれど、紳士なキャラな人が赤ん坊の前だと、見たこともないキャラになったり。赤ん坊がいないところでは考えられないようなことがある。

赤ん坊や子供がいるだけで、空間が変わる。明るくなる。それは、赤ん坊をきっかけに、周りの人も変わるから。変わるというか、周りの人の素が出るから。

もちろん、その存在も人を帰るが、声が大きい気がする。声が聞こえること。
人の存在や声が場の空気を色とりどりなものにする。そういったものが、そういた空間が人間は好きだ。

そう考えるとテレビもこれだけ流行ったのが分かる。人の存在がテレビにはあるから。だからこそ、音に特化したラジオがそもそもあれだけ普及し、つづいてテレビが全世界で広がったのだろう。電話、テレビ電話もそう。独り暮らしだと会話がなくさみしい。二人だと会話が生まれる。それの代替がテレビ。

たった一人の人間で、コミュニケーションが変わる。家族の会話が増え、楽しみが増え、みんなが幸せになる。
一人旅と二人旅の違い、単独登山と仲間との登山も。
もちろん、会社も同じなんだろうなー!

1人の影響。人間は人間で変わる。