2008/8/30 土曜日

知的経験のすすめ 何でも逆説にして考えよ 開高健 青春出版

Filed under: diary, , — teratown @ 11:03:04

新聞に連載したエッセイをまとめた本。ひとつの文章が短くて、非常に読みやすかった。
「教育」をメインテーマとして、エッセイが書かれているが、そのテーマにこだわりすぎることなく、様々なことが書かれている。

とても面白い本だった。特に、各章のタイトルの横にある短い文章が良い。
開高さんの他の本から引用した短い文章なのだが、これがたまらなく、「おお、そうだ!」と思える。

そんな文章は、このエントリーの末に引用するとして、
この本を読んで思ったのは開高さんは子供心を持ち続けた人なんだなと。
そして、死や将来、生きていくことに対して不安を強く持ち続けた人なのかなと思う。
死を、そして生き延びるという大変さということを、生の体験を通して知っていた、感じていた。
それも、子供心のような感受性の強い鋭い心で。

だから、開高さんの表現で言う「不安をうっちゃる」ということが必要だったんだと思う。

何でもいい、<驚き>を求めたいのである。それはお子様の脳を持たないことには入手できない。お子様だけが驚く才能と天稟を持つのである。P8 (オーパより)

末期の水の味は誰も語ることができず、書くこともできないという事実を考えてみると、ヒトは発端も終焉も告げることができない生を通過していくといいたくなる。しかし、肉となり道となったものについては、発端が終焉にたちあらわれて、円を完成させるものであるらしい。P20

体をうごかしていたらそのあいだだけはすべてのことを忘れることができる。P88(ロビンソンの末商)

この労働はしばしば徹夜の重労働であったが、肉体を酷使する快感があった。それでひたひたと音もたてずに冷酷にしのびよってくる孤独や絶望をうっちゃることができるのでもある。自身の苦闘がパンやトウモロコシ・センベイなどという、いちいち手でさわって知覚できる、熱や、質や、量や、形のある事物に天下するのを体のそこかしこに伝えることができる。この具体館がひそかな最高の愉悦であった。P121

暗い昼より、暗い夜のほうが、はるかに親しみやすく、おだやかで、優しかった。P136(ロマネコンティ・1935年より)

男を男にするのは危険と遊びの二つだけであるという古い格言をあらためて思い返したくなる。P155(もっと遠く!より)

ひとつの刺激がおわれば、つぎの刺激はかならずそれより大きくなければならない。P164(巨人と玩具より)

自然は見たいものの眼には顔を見せてくれるけれど、見る気のないものには絵はがきほどのものも見せてくれないのである。P169(もっと広く!より)

自身が自身に教える経験というものは底が深くて、放射能があり、死ぬまでヒトをとらえてはなさないという性質があります。P214

心で心をきたえることは必要だし、避けられないことだし、誰しもそうせずには生きていけますまい。しかし、そのとき、自身の手と足で何事かを教え込んだ心をどこかに参加させておかなければ、無限の鏡の行列を覗きこんだのとおなじ結果になるのではありますまいか。 中略 頭だけで生きようとするからこの凝視の地獄は避けられないのです。手と足を忘れてしまします。 中略 手と足を思い出すことです。それを使うことです。 中略 落ち込んで落ち込んで自身が分解して何かの破片と化すか、泥になったか、そんなふうに感じられたときには、部屋の中で寝てばかりいないで、立ちなさい。立つことです。部屋から出ることです。そして、何でもいい、手と足を使う仕事を見つけなさい。仕事でなくてもいいのですが、とにかく手と足を使う工夫を考えてみては?P216-217 

知的経験のすすめ 何でも逆説にして考えよ 開高健 青春出版



[手と足を使って。高千穂峡@宮崎](PENTAX K10D ISO: 100 DA16-45mm 露出: 1/320 sec 絞り: f/6.3 焦点距離: 20mm)

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2008/8/10 日曜日

オーロラの向こうに

Filed under: diary, , art, 写真, — teratown @ 0:05:37

「オーロラの向こうに」という小学生向けの絵本がある。
昨年の末ぐらいに発売された絵写真本だ。

この本に興味を持ち、大型の本屋を探したが紀伊国屋にも丸善にもなかった。
紀伊国屋では子供の本コーナーにあるはず(本を探す機械でそういわれた)、店員さんにこの本を尋ねたときは少し恥ずかしさもあった。
なんと言うんだろう、この年齢になって絵本のコーナーにいることが気まずい。
居心地の悪さを感じた。まあ、どってことないんだけど、怪しまれたらめんどくさいなという思い。
ま、そんなことはどうでも良いことだ。

この本は星野道夫さんに憧れ、アラスカ大学に行き、アラスカで写真を撮る松本紀生さんの写真と文章が添えられた本である。
ある1ページにこんな文章がある。

氷河の上におろしてもらって驚いた。
目の前に、まるでピラミッドのようにマッキンリーがそびえ立っているんだ。
「度肝を抜かれた」というのは、まさにこのこと。
それまで見たどんな景色よりも美しく、
壮大で威厳があった。喜びのあまり、
「ウワーーーーー!」と思い切り叫んだのを覚えている。
うれしかったなあ。

この文章の背景の写真は真っ白で、大地にしっかりと根を張ったマッキンリー。
そして青く広い空。
それを目の前に、手を広げる松本さんが写っている。

松本さんの後ろ姿からも、この場所に来れて本当にうれしいんだろう。
そんなことが伝わってくる。
恋いこがれた地に、たどり着いた。
そのときの気持ち。あの憧れを抱いた場所にいる。
茫漠たる自然と向き合った、こみ上げる感情。
どうしようもないぐらい、自分が混乱してしまうぐらいの喜び。

僕も、今まで恋した土地にやっとたどり着いたとき。
あの感情がこみ上げてくるのを経験した。
2008年3月5日


[海を見つめる一羽@ガラパゴス](OLYMPUS ISO: 80 露出: 1/320 sec 絞り: f/13.0 焦点距離: 15mm)


[憧れの地、ウユニ塩湖](OLYMPUS ISO: 80 露出: 1/500 sec 絞り: f/8.0)


[赤岳山頂の日の出(別に赤岳は恋いこがれた地ではないが。。)](PENTAX K10D DA18-55mm ISO: 100 露出: 1/320 sec 絞り: f/18.0 焦点距離: 18mm)

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2008/8/9 土曜日

幽霊たち ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮社

Filed under: diary, — teratown @ 3:01:00

「ムーン・パレス」ポール・オースターをしばらく前に読み、他のポール・オースター作品も読んでみたいと思っていた。そして、オースター2作目は「幽霊たち」だ。
本屋に行き、オースター作品が数冊あって、「l孤独の発明」か「幽霊たち」でどちらにしようか迷った。惹かれた度合いでいえば、「孤独の発明」だった。しかし、最後の最後で「幽霊たち」を買った。何の気の迷いかは知らないが、本が薄かったからかついつい選んだというのが大きい要素である気もする。

最近は小説も読むようになったが、もともと小説が苦手、さらに外国人作家といったら登場人物がこんがらかってしまう。いくら、先日読んだの「ムーン・パレス」が好きでも、他の作品は読み切れないかもしれない。。。と思い薄い本にしたんだと思う。

幽霊たちのあらすじはこんな感じ。「ブルーという探偵にホワイトという依頼人が、ブラックという男を見張ってくれと来た。ホワイトはブラックの部屋の向いのビルをブルーにあたえ、見張らせレポートさせた。ブラックは文章を書いたりちょっと町に出るだけで、特に何もしないし、事件なんて起きない。ブルーは1年以上たち、ついにブラックの部屋に乗り込む。すると、ホワイト宛のレポートが山のようにあった。ブラックとホワイトは同一人物だった。」という話。

それにしても、この本のあとがきが良い。うまいこと言うなーと感心しっぱなし。

訳者あとがきに出てくる「どこでもない場所」「誰でもない人間」という言葉は、実にこの本を的確に表現しているなと思う。まさに、「どこでもない場所」「誰でもない人間」について書かれている本だと思う。本の中では場所も明確に設定されているし、登場人物の設定もしっかりしている。だけど、ストーリとして「どこでもない場所」「誰でもない人間」が表現されていて、その何者でもない場所・人間の存在の「当たり前の不確かさ」に心地よさを感じる。

「書くことの不安という」あとがきも、おおっと思った。よくこんなこと考えてるなーと。

不意に奇妙な疑問に捉えられるのである。この文章を書いたのは、ほんとうに私だろうか。確かにひとつの想念に捉えられていたのは私だ。その想念がひとつの文章になったのだ。だが、想念と文章とは正確に一致しているのだろうか。いや、そもそもかつて捉えられていた想念というものは、つまりいまでは文章から逆に遡って思い描かれるほかない想念でしかないのだが、それははたしてかつて私が捉えられていたというあの想念なのだろうか。そもそもその想念を私のものという根拠はどこにあるのか。いや、この作品を私のものという根拠はどこにあるのか。P142

自分でない人を見て、自分を見つめるという感覚。
何とも不思議な感覚になる。ごにょごにょと色々考え始める。

やっぱり、オースターが好きだ。
また、ポール・オースターの別の作品を読んでみたいと思う。

気になった言葉メモ

現在は過去に劣らず暗く、その神秘は未来にひそむ何ものにも匹敵する。世の中とはそういうものだ。一度に一歩ずつしか進まない。一つの言葉、そして次の言葉、というふうに。P7-8

p20-22 ブルーが今まで表面的な行動ばかりを行ってきて、内面を見つめることがなかった。何もすることがなくなり、初めて自分を見つめた。自分が見ているブラックが自分に見えた。という部分。意訳

機会を逃すことも、機会をつかむことと同様、人生の一部である。起こりえたかもしれないことをめぐって、物語はいつまでも立ちどまってはならない。P58

その男には私が必要なんだ、と目をそらしたままブラックは言う。彼を見ている私の目が必要なんです。自分が生きているあかしとして、私を必要としているんです。P94

あらゆるものに色があることの不思議さにブルーは心を打たれる。我々が見るものすべて、触るものすべて、世界中のすべてのものには色があるのだ。P96

「何のために俺が必要だったんだ?」というブルーの問いに、ブラックは、「自分が何をしていることになっているか、私が忘れないために」と答える。「君は私にとって全世界だった。そして私は君を、私の死に仕立て上げた。君だけが、唯一変わらないものなんだ。すべてを裏返してしまうただ一つのものなんだ」と。あとがきP141


[湖面に山が映る@ボリビアとチリの国境]


[西表島付近の海@迷宮に吸い込まれる海面](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/30 sec 絞り: f/6.3 焦点距離: 45mm)

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2008/8/5 火曜日

モノは人を変える

Filed under: diary, 思うこと, 人生, , , 音楽 — teratown @ 0:33:53

モノは人を変える。
金を持つようになって、いろいろな物を手に入れると、人は変わるとよく言われる。
僕の場合は、金もないし、モノもそんなにない。
家にきた友達は口を合わせて、何かが足りないと言う。
モノがないという。
だから、そういった意味で僕は変わらないのだろう。

でも、阿佐ヶ谷に引っ越して、モノによって自分がかわることを知った。
みんなはそんなことずっと前から知っているから、モノ(家具であり、文房具であり、服であり)に対して、こだわりを持っているのだろう。
そうだと言葉では知っていたが、自分の中で実際のこととして捉えていなかった。
だから、身の回りのモノに無頓着だった。

僕は何かと気づくのが遅い。極端な出来事によってしか気づかない。
それはお風呂に入ることによるリラックス効果であり、音楽の大切さであり、食べることの意味など。
これらは、東京から名古屋まで歩いたときや無人島に行ったことによって気づいたのだった。
ただ、気づくと、体で感じる実感として理解するので、本当に大切にするようになる。

そう、そして阿佐ヶ谷に引っ越して気がついたのだ。
モノは人を変えるということを。

僕はそれまでの一人暮らしで、デスクを持っていなかった。
ずっとちゃぶ台だった。阿佐ヶ谷に引っ越してデスクを友達から譲り受けた。
デスクで本を読むようになった。

そして、家というモノ。
これも大きく人を変える。
自炊なんてしなかったのに、家がかわり自炊を進んでするようになった。
以前の家と比べると、台所は比較にならないほどショボクなったのにもかかわらずだ。
自炊が楽しい。毎回違うものを作りたくなる。

もっと言えば、町も僕を変えた。
銭湯に通うようになったのだから。

巣鴨に住んでいたときにご近所さんだった友達が2人いる。
その友達が阿佐ヶ谷の家にも来て、前と生活が全く変わったねと。
その言葉を聞いて、改めて自分の変化を感じた。

ある機能を持ったモノのその機能によって、自分が変えられるというのではない。
例えば、一眼レフカメラを買ったから写真を撮るようになった。
そういうことではない。
モノがもつ直接的な機能によって自分が変えられるのではなく、機能による変化とは違う、想像し得ない変化を自分に巻き起こす。

僕は、自分が世の中を決定づけると考える傾向にあって、モノには影響されず、僕という人間が、感じ考えたことによって、自分ができあがっていると思い込んでいた。
もちろん周りの全てのモノに影響を受けているとは分かっているのだが、無意識的にモノからの影響を軽視していた。
それはそれで正しいとしても、僕の周りにはいろいろなモノがあり、日々それらに触れ生きている。

そんなモノに影響を受けないはずがない。
そう、僕はモノに影響され、自分自身が築き上げられている。
そんな風に思うと、自分の周りのモノを選ぶときに自分に与える影響まで考えて買うようになりそうだ。
そして、モノを大切にするのかなとも思う。

[suicaじゃnなくて、スイカでジュースを買う](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 400 露出: 1/200 sec 絞り: f/5.6 焦点距離: 45mm)

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵

2008/7/27 日曜日

最近読んだ本のメモ

Filed under: diary, — teratown @ 1:36:10

とりあえずメモ。
タイトルだけ羅列。
この数ヶ月で読み終わった本。
読みかけや勝手読んでない本が同じ数ぐらいある。。。
ああ、中途半端な本達よ。。

終わりのない旅 星野道夫インタビュー  原野に生命の川が流れる 湯川豊
アフリカ旅日記 ゴンベの森へ 星野道夫
魔法のことば 星野道夫講演集
アラスカ光と風 星野道夫
森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて 星野道夫
星野道夫物語 アラスカの呼び声 国松俊英
旅をした人―星野道夫の生と死 池澤夏樹
スティルライフ 池澤夏樹
星の王子さま サンテグジュペリ/池澤夏樹訳
オキナワなんでも事典 池澤夏樹
サハラに死す―上温湯隆の一生  上温湯隆
七つの海を越えて 白石康次郎 文春文庫
南極大陸単独横断行 大場満郎
落ちこぼれてエベレスト 野口健
リヤカーマン 永瀬忠志
垂直の記憶 山野井泰史
行かずに死ねるか 石田ゆうすけ
いちばん危険なトイレといちばんの星空 石田ゆうすけ 
恋するように旅をして 角田光代
ムーン・パレス ポール・オースター 柴田 元幸訳
走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹
村上春樹、河合隼雄に会いにいく 河合隼雄 村上春樹
風の歌を聴け 村上春樹
ひきこもれ 吉本隆明
沖縄文化論 岡本太郎
男は女のどこを見るべきか 岩月謙司
生きて死ぬ私 茂木健一郎
憲法9条を世界遺産に 中沢新一 太田光
リアルであること 中沢新一
ウェブ時代をゆく 梅田望夫
無所属の時間で生きる 城山三郎
ほんの読み方 スローリーディングの実践 平野啓一郎
青女論 寺山修司 
書を捨てよ、町へ出よう 寺山修司
日本という国 小熊英二
なんくるない よしもとばなな
くるい きちがい考 なだいなだ
感動をつくれますか? 久石譲
リサ・ランドール 異次元は存在する リサ・ランドール

写真集
オーロラの向こうに 松本 紀生
アークティック・オデッセイ―遥かなる極北の記憶 星野道夫
グリズリー―アラスカの王者 星野道夫


[図書館ではなく郷土資料館@西表島 船浮集落](PENATAX K10D DA16-45mm F4.0 1/40 40mm)

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