カテゴリー別アーカイブ: 思うこと

スマホだけで旅をする

・航空券をスマホで買う
  →オープンジョーのチケットもネットで簡単に買えるから便利だ

・ホテルの予約をスマホでする

・飛行機の中で無料wifiを使う

・飛行機はの中ではスマホのKindleで本読んむ。
 買ったのすべて読み終わったので、追加で買える。

・飛行機の中でglobal SIMに変える

・現地に着けば、自動的にスマホの時間が2つ表示される
 現地時間と日本時間

・現地に着いて、移動方法をスマホで調べる

・タクシーアプリでタクシーを呼び、移動して、会計も完了

・近くの飲食店の評価はスマホからtripadvisorで

・近場の移動は町中のレンタルチャリ、これもスマホのアプリで完了

・スマホのgoogle mapで場所を確認して店に。

・朝ランするときも、スマホで地図を確認し、勝手に距離とスピード、歩数、もちろんGPSでルートも記録してくれる

・観光地に行ったときの写真ももちろんスマホ

・飛行機の遅延も自動的にスマホに通知がくる、ゲート決定もディスプレイと、同時にスマホでわかる

・友達や家族とのやりとりはスマホのLINEかフェイスブックでいつも通り

・日本に戻れば、googleフォトが勝手に位置情報と写真をまとめてアルバム化

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うーん、本当に便利だな。スマホ。
ThreeのグローバルSIMは40カ国以上で使えて差し替えもあまり必要ないし、安いし。

あとは、お金の支払だけ。
クレカでだいたいOK。現金はほんの少しで十分。
ちなみに、外貨とのレートはAMEXが悪いらしいので、VISAかマスターが良い。VISAとかの場合、日本円決済か現地通貨を選べる場合、現地通貨を洗濯しないとレートが悪い。

中国の深センとか北京、上海って、屋台でもwechat payとかで払うって言うし、本当にスマホで完結するよね。いずれ、世界中がこうなるんだろうな。スマホと洋服だけがあれば、すべてOK

なんか旅の仕方って変わったよね。
俺が学生の頃は、旅先でネットカフェを見つけてたまにやっていた。だから不便だけど、その面白さがあった。不便さに面白みを感じるタイプだから。仕事だと、便利な方が圧倒的に良いので、スマホは命。スマホ1つでこれだけ旅が変わる、生活が変わるんだなと、改めて実感した。スマホ1つでこれだけ変わったということは、結局、情報が旅の楽しさ、不便さ、便利さを決定づけているんだよね。情報って恐るべし。そして、こういう時代だからこその新しい、旅の楽しみ方ってのがどんどんうまれてくるんだろうな。

10年15年でこれだけ変わったんだから、次の10年後にはどうなっているんだろう。
スマホ

物価高いと海外で思い、日本の将来を思う

この5年ぐらい海外って物価高いなーと思うようになった。

行く国も昔と比べて変わったし、限りなく安い手段でバスや食事してたのとは、少し旅のランクも違うというバイアスはある。

とはいえ、高い。食事もホテルも移動も。逆に日本が安すぎるのだ。

日本の国力落ちてるな、そもそもデフレだし。海外は基本少しずつのインフレトレンドのはずだから差は開くばかり。

日本で完結するなら安く仕入れて安く売って、そのレベルの利益を出せばよい。しかし、今の時代そんなわけにいかないし、日本は人口減少社会。

海外とやってくには、物価高くてもそれが当たり前と受け入れ、自分達が作り出す付加価値をもっと高くしないと、他の物価高い国に使われて終わりになりそう。

資源もないから日本を使ってもくれなくて、物価高い国のよい製品も買えないし、物価高い国のよい設備を買うこともできず、結果付加価値の高いものを作って売れず安くしか売れなくて貧しさのスパイラルに陥るのだろうか。なんとかしたいジャパン。

ロンドンのホテルで朝食食べながらふと思ったのでメモ。

7ヶ月

この世界の空気に触れてから、7ヶ月が過ぎた。

いろんな感情も生まれてきたり、意思もでてきたり、甘えるということを覚えたり、空間認知能力も上がったり、もちろん目もしっかり見えるようになってきた。であろうと、彼女の様々な行動から推測。

進化のプロセスがすごく早く、かつ学んでそれらの能力が身に付くようになったいた脳や身体の基本設計もすごいよなーと。

まさに、AIと同じような機械学習というかディープラーニングというか、それらの概念と同じだなーと。

人間という生き物は、なんとまあよく作り込まれているのかとおもう。

そして、何しててもかわいいと思える、そんな親の感情まで赤ん坊がコントロールし、かつて赤ん坊だった親の脳では小さい頃から赤ん坊をかわいいと思う感情が育まれていたのだろう。

いい子だねは、親にとって都合のいい子

いい子だねと、言うときがある。

周りの大人に言われることもある。
もちろん、自分で我が子のことをいい子だなと思うこともある。

例えば、長時間の電車とかで騒がなかったりした時。
例えば、はじめて会った人に赤ん坊が笑った時、
例えば、ミルクを最後まで飲んだ時。

これって、間違ってはいないんだけれど、いい子ではなくて、大人にとって都合がいい子と捉えられなくもない。
これって親の都合でしかないこともある。

いい子という言葉に込められた本当の意味を考えて、見極めていきたい。
大人にとって都合がいいからといって褒めるのはおかしなことだし、それを評価するということは親の考えを押し付けていたり、親が偉そうに子供を評価していることになる。

もちろん、社会で生きていくために一定の規範や常識を教えないといけない、一方でおとんにとって都合がいいことだけを評価しない、これらをごっちゃにして考えないように気をつけていきたい。

近くに住む遠くに住む、どんな町に住む

阿佐ヶ谷は、周りに友達がいた。歩いてたらよく友達にあったし、夜な夜な飯を食べていた。
このブログでも阿佐ヶ谷について、何度も書いていて、あんなに楽しい街は今までの人生であの町だけと言ってもいいほど。

ただ、1人じゃなくなると住む場所の意思決定も1人じゃなくなる。済みたいと互いに思える場所となると、自分の理想とは異なる。さらに、子供が保育園に通いはじめると、待機児童の問題でも分かるように、転園が不可能に近いので住む場所が保育園に入れた地域に縛られる。とまあ、なかなか思い通りには行かなかったりするのも現実だ。

先日、葉山に引っ越した友達の家に遊びに行った。うちからは2時間の距離、なかなか遠い。駅からも3キロということで、バスかチャリ。でも、3分で海があり、裏山のトレイルまでも5分ほどという好立地なのだ。さらに、3軒隣に友達ファミリーが住んでいたり、周辺にはたくさん友達が住んでいるようだった。

なぜ今引っ越したのか。それは、子供と遊ぶ時間が限られていて、その時間を自然に近いところでという思いから引っ越したということで、その理由はすごくしっくりくる。俺も、庭付きのマンションか家に引っ越したいなーと思っていたところだった。やはり、土とか芝生の上で遊べるというのは、子供にとっても、大人にとっても良い時間だと思う。(自然が好きなので特に)

葉山という街は、世田谷とは違い、街についた瞬間になんだか空気感が違った。都心のビジネス街と世田谷は空気感が違うように、世田谷の住宅街と葉山の住宅街は全く違った。なんだか、のびのびしている。リラックスしている街の雰囲気が流れていて、心地よいのだ。一方で、仕事モードにはならないなーとも思った。

うん、まあ、型は行動を規定するというのは事実である。だから、どんな地域に住むか、どんな家に住むかは非常に重要だなと、葉山を訪れて思ったのだった。自分は、自分と家族は、どんなところで、どんな家で暮らしたいのか、暮らすのが一番心地よく、幸せなのか、難しい問題だ。

以前から思っているのは、仲の良い友達ファミリーと一緒に住む。もしくは、近くに住む。そうすると、気軽に会って遊べるし、共同で子育てができる。何かと助け合えるし、子供にとっても社会との接点が増えるのが良いと思う。がしかし、仲の良いファミリーと近くに住んでいるという話は、あまり聞かない。それは、やはりお互いの事情があり、引っ越しにはお金もかかるし、職場の距離も違うし、学校の問題もあるし、家賃の負担の大変さも違うしと、いろいろな障壁はあるからなんだろう。

仕事場からの距離、自然との距離、友達との距離、まあ、理想と現実との距離をどう縮めていくか、ちょいちょい考えてみよう。