カテゴリー別アーカイブ: 思うこと

1年の変化

0→1

1→2

0から1も大きな変化だ。2人の生活が3人の生活になるのだから。
でも0歳の頃はまだ歩けないし、言葉も話せない。離乳食とミルクだ。
人間だけれど、かわいい小さな存在という感じがあった。
すくすく大きくなって生まれたときから1年後ではサイズがものすごく違っていたが、歩けない話せないというのは変わらなかった。

しかし、1歳から2歳は変化がすごかった。
歩けるようになるし、話せるようになる。
ほかにも身体能力と脳が圧倒的に進化して、アウトプットができるようになった。
階段も登れるし、すべり台も滑れるし、プールで遊べるし、ジャンプできるし、ボールは投げれるし、論理的な会話ができるし、単語は数百は軽く覚えているし、歌も数十曲は歌える。
1歳までのそういった進化はあまりなかったので、もっと先だと思っていたが一気に1歳後半で、それらの能力が開花した。
この開花したのを見ていると、いままでできなかったけれど、できる準備を着々としていたんだろうなと思う。
言葉を話し始める前によく話していたことや、やっていたことを突然最近話したりやったりする。
ああ、アウトプットできなかっただけで、全部わかってたんだなと。

大人の想像を圧倒的に超えるスピードで進化していく子供というものを毎日見ているのは楽しい。
そして、来年の今頃はどうなっているか、想像しても想像を超えてくるのだろう。
それを考えると非常に楽しみで、ワクワクする。
大人の生活でも、ビジネスでも、趣味でもなんでも未来が無限に広がっている、可能性にみちあふれているということは、やはり人生を楽しくさせてくれるんだよな、未来があることって大切だ。
ビジネスでも、ビジョンって考えて作るでもいいから、ないよりあるといいもんだなと学ぶ。未来を示すこと。

そうそう、自分でハッピーバースデイトゥーユーだねと、自分に言っている。
来年は誕生日プレゼントはこれがほしいとか指定されそうな予感がしている。

明るい未来のために

平日の晴れた朝、少し子供が早起きをした。
ママが早く仕事に出掛け、二人で朝食を食べる。

野菜がたっぷり入ったホットケーキと、牛乳。親子一緒の食事。食べながら、いっしょ、いっしょ、と話しかけてくる。

あまりにも天気がよく、日差しがリビングまで差し込んでいる。俺の方が先に食べ終わり、子供の食べる姿をみていたら、ふと思ったのだ。この子のために、未来が明るい世界であってほしいなと。

未来のためにって言うと、なんか大げさだけど、この子が生きる世の中が、心地よく暮らせる世界であってほしいな、そしてこの子の子供もそんな世界で暮らせるといいなと思った。

自然が好きだし、大切だし、いろいろな地域を旅していろいろな人に出会い、世界中がより良くなればいいなと思ってはいたが、それとは少し違う感覚。

もう少し自分事としての未来がその感覚にはあったのだ。明るい未来であってほしいかそうでないかという問いがあれば、誰でも明るい未来を選ぶが、もう少し積極的な意思をもった明るい未来にしたいという気持ち。

今目の前で無邪気にご飯を食べ、おーいしと笑顔でいるこの子が生きる世界がよりよくあってほしい。そうしたい。そうなるように自分も行動したい。そういう気持ち。
 
子供ができて初めて感じることができた感情だな。

ひとりひとりがエゴのために動くのではなく、発言するとき、行動するとき、意思決定するとき、そんな瞬間に明るい未来に向かって一歩でも近づけるように動けれたらいいな。

未来を考えるか、考えないで行動するか

未来を考え、今の行動をするのが人間の能力だと思っていた。

けど、子供を見ていると、その考えのベースが社会の枠組みで考えすぎてる証拠だなと思った。

何も考えず(大人がそう思ってるだけで違うかも)、とりあえず今やりたいことをやっている。汚くなろうが、風邪ひこうが、壊れようが関係ない。やりたいからやってみる。そして、その時に無邪気な笑顔をすることがある。

そんな姿を見ていると、子供の無邪気さとは、未来を考えないから生まれるんじゃないかと思う。

人間は、未来を考え、予測できるようになっているから、ついつい先をいろいろなパターンで考えて今の行動を変えてしまう。それ自体は、間違ってないと思うし、だからこそ得られる楽しみもあると思う。

とはいえ、それに縛られすぎると、チャンスを活かしきれないし、社会の枠組みの範囲の中での人生しかおくれなくなる。

まあ、社会の枠組みを完全に外れて生きていく予定もないので、未来をある程度考えて今の行動をするのは、今後もかわりないんだけど、そうなりすぎると面白くないよなと。

そのうまい塩梅がどこか、永遠に分からないけれど、両方ミックスしながら生きていきたいと思う。

35すなわちアラフォーかぁ

アラフォーと考えると、少しブルーになる。年取ったなーと。最近は年齢に関して何も感じないことが多かったけど、こういった年齢が次の段階になる感じの時は嫌なもんだな。

まあ、その年令でしか楽しめないこともあるんだから楽しめば良いんだけど、体の衰えとかってのは抗えない。だから、運動の習慣化とかが重要なんだけど。

一方で、子供が1歳を超えてから急に人らしくなって、表情とか、言葉とか、動ける範囲とか、いろいろなことが理解できて行動するようになりかわいい。これは、今までになかった種類の喜びであり、この喜びをしれたのは最大の子供からのプレゼントだなと思う。本当に日々成長・変化していて、昨日と今日が本当に違うから、見逃せないな~と思う。

子供に関してもだけど、自分のことに関しても、チャンスってありそうで2度となかったりする。今度やれば良いやと行っていると、チャンスなんて意外と次にはやってこない。状況が変わっていてチャンスに乗っかれない状態になっちゃってたり。だから、チャンスがあったら興味が有ることは躊躇せずにやるということが大切だ。

そして、待っていてもチャンスはやってこない。「自分からチャンスを作って、チャンスを活かす。」これは大学時代から考えていたことで、過去のブログを見ると2004年すなわち21歳の誕生日にも同じことを言っているから、進歩がないというか、自分の生き方の軸になっているというか。

あとは、「詳細まで詰める」「相手の立場で考える」かな。効率はよく、スピード感はあるけれど、詳細まで詰めたりとか、徹底的に調べて理解したりとかってのが弱い。表面的なので、もう少し細部まで詰めることを意識する年にしようと思う。あとは、分かってはいてもついつい自分中心で考えがち、物事を見がちなので、相手の視点(他の視点)ということを徹底的に意識することも意識した1年にしたいなと思う。

まあ、そんな感じ。

7年目の311

去年の311は保育園の説明会だったのか。
それから1年。

大人の自分にとっては、大した変化を感じられないけれど、0歳から1歳になった子の変化は大きい。
同じぐらい大人も変化してるんだろうけど、大人は気づかないもの。

新年に歩き始め、今は全くハイハイをしない。歩いてばかりだ。歩く楽しさ、歩くことによっておもちゃもすぐに取りに行けるし、すぐにママにも甘えに行ける。歩くの最高という感じだろう。

自分の意思で行動したいという気持ちもあるのか、あれだけ好きだった抱っこも嫌がることが出てきた。

アンパンマンとか、友達の名前も呼べるようになってきた。これは、この1ヶ月ぐらいのとことだから、1年の変化たるや。

ぞして、1年後にまた保育園が変わろうとしている。昨年はこんなことを書いていた。

もう3週間後には保育園。まだ、5ヶ月なのになと思う気持ちもあるが、速いタイミングからいろいろな大人と触れ合ったり、同世代の友達と接する方が経験という意味では良いのかなと思ったり。一方で、働きながら子供を育てるという世の中の大半の人がやっていくことを、そんな普通のことをするだけなのに、苦労したり不満が産まれたりするのも変な世の中だなと思いつつ、こうして家族でどんどん新たなステージへと歩を進めていけることに喜びを感じている。

1年経ってみると、保育園にかよってよかったと思う。どうしても、両親だけだと、子供の成長に合わせた新しい遊びができない。そもそも思いつかないし。親も疲れてしまって、子育てに愛がなくなりそうだし。一方、保育園の先生にはそのあたりのノウハウがあるし、同世代の友達や少し上のお兄ちゃんお姉ちゃんがいるのが良い。いろんな人に触れ、いろんなことを学ぶ。

とまあ、この定点観測も、昔は自分がどんな遊びや旅をしたかがメインだったが、変わるもんだなと。

2018年 東京
2017年 東京&夜から白馬へスキー
2016年 東京
2015年 東京 数日後からキューバへ行った
2014年 麻布十番で飲んでたっぽい
2013年 伊豆トレイルジャーニーの翌日
2012年 東京
2011年 東京

6年目の311