カテゴリー別アーカイブ: 思うこと

あとから学びはついてくる

お風呂で使える簡単なパズルを買った。なかなか、ピッタリはまらない。

そこで、でっ張りを見つけて、それと同じ形でへこんでる部分を見つけて、はめるんだよと伝えた。

その日は、なかなかできず終わった。

翌日、特に何も言ってないのに、出っ張り部分を指差して、ここでしょ。ここと、ここをといいながら、いとも簡単にパズルをはめた。

驚いた。昨日言ったことが、今日突然思い出したかのように。

そういえば、突然、数週間前に親が歌った歌をうたいだしたことも。

一回言ってその場で聞かなかったり、やらなくても、自分の時間で租借して理解して、行動にうつるものなんだろう。焦らずに、伝え続けることが、親として大切なんだろうと学んだ。

大人だって一回で学習できないんだし。

2018振り返り

今年はどんな年だったか思い返してみる。

去年は実質的に父としてはじめての年で、小さかった。赤ん坊というのが正しくて話さなかったし歩かなかった。

今年は正月に歩くようになり、話始めコミュニケーションが普通に成り立つようになったのが非常に大きかった。

コミュニケーションをとれるようになると、こちらの行為にフィードバックがあるので、親としてもいろいろと考えるようになる。社会の捉え方も社会の未来も子供の未来も。というのが今年の一番だなと思う。

遊びでは昨年末に八重山に久しぶりに行き、新年は岐阜と横浜で過ごした。子供一人の存在が、まわりの多くの大人を幸せにする。これは想像以上にすごいパワーだなと実感する。

冬は鈴木康博さんの展示&温泉に箱根に行った。4月からは新しい保育園。お花見をして、はじめてのひな祭りも。

ゴールデンウィークはファミリーキャンプにはじめて出掛けた。6月は鬼怒川へ。8月は岐阜へ。9月は友達ファミリーと川場キャンプ。仲良いファミリーとのキャンプははじめてで楽しかった。子供同士も楽しく遊んでていい経験だなと。最後のキャンプということで丹沢キャンプでは焚き火デビュー。

夏はプールデビュー、お庭のプールも、多摩川も、大きな大蔵公園プールもデビューした。水族館や上野動物園、夏祭りにもでかけた。仲の良い友達が転勤するので、新潟にもでかけたなー。

11月には松本に誕生日旅行へ。これは昨年から始まった行事。両家集まってのワイワイ楽しい旅行。クリスマスリースづくりにでかけたり、ファミリーコンサートでも大盛り上がり。

なんだか、こういうお出かけばかりが記録に残りやすいが、日々の何気ないことがとてもいい時間になっていたりする。今までよりも子供とのコミュニケーションが増えるとそうした時間の幸せさ、大切さというものを実感するようになっている。

個人的には、入笠山、尾瀬や白馬、車山のスキーや乗鞍岳バックカントリー、鳳凰山へトレランしたり、久しぶりに北アルプス穂高岳へテント登山、伊豆の海に行ったり、富士山行ったり、本当にきれいだった谷川岳馬蹄形、伊豆のトレイルへと。そして年末年始はアフリカへと。家族のイベントも個人的なことも楽しくできていて、本当に家族や周囲のみんなには感謝しかない。

1年の変化

0→1

1→2

0から1も大きな変化だ。2人の生活が3人の生活になるのだから。
でも0歳の頃はまだ歩けないし、言葉も話せない。離乳食とミルクだ。
人間だけれど、かわいい小さな存在という感じがあった。
すくすく大きくなって生まれたときから1年後ではサイズがものすごく違っていたが、歩けない話せないというのは変わらなかった。

しかし、1歳から2歳は変化がすごかった。
歩けるようになるし、話せるようになる。
ほかにも身体能力と脳が圧倒的に進化して、アウトプットができるようになった。
階段も登れるし、すべり台も滑れるし、プールで遊べるし、ジャンプできるし、ボールは投げれるし、論理的な会話ができるし、単語は数百は軽く覚えているし、歌も数十曲は歌える。
1歳までのそういった進化はあまりなかったので、もっと先だと思っていたが一気に1歳後半で、それらの能力が開花した。
この開花したのを見ていると、いままでできなかったけれど、できる準備を着々としていたんだろうなと思う。
言葉を話し始める前によく話していたことや、やっていたことを突然最近話したりやったりする。
ああ、アウトプットできなかっただけで、全部わかってたんだなと。

大人の想像を圧倒的に超えるスピードで進化していく子供というものを毎日見ているのは楽しい。
そして、来年の今頃はどうなっているか、想像しても想像を超えてくるのだろう。
それを考えると非常に楽しみで、ワクワクする。
大人の生活でも、ビジネスでも、趣味でもなんでも未来が無限に広がっている、可能性にみちあふれているということは、やはり人生を楽しくさせてくれるんだよな、未来があることって大切だ。
ビジネスでも、ビジョンって考えて作るでもいいから、ないよりあるといいもんだなと学ぶ。未来を示すこと。

そうそう、自分でハッピーバースデイトゥーユーだねと、自分に言っている。
来年は誕生日プレゼントはこれがほしいとか指定されそうな予感がしている。

明るい未来のために

平日の晴れた朝、少し子供が早起きをした。
ママが早く仕事に出掛け、二人で朝食を食べる。

野菜がたっぷり入ったホットケーキと、牛乳。親子一緒の食事。食べながら、いっしょ、いっしょ、と話しかけてくる。

あまりにも天気がよく、日差しがリビングまで差し込んでいる。俺の方が先に食べ終わり、子供の食べる姿をみていたら、ふと思ったのだ。この子のために、未来が明るい世界であってほしいなと。

未来のためにって言うと、なんか大げさだけど、この子が生きる世の中が、心地よく暮らせる世界であってほしいな、そしてこの子の子供もそんな世界で暮らせるといいなと思った。

自然が好きだし、大切だし、いろいろな地域を旅していろいろな人に出会い、世界中がより良くなればいいなと思ってはいたが、それとは少し違う感覚。

もう少し自分事としての未来がその感覚にはあったのだ。明るい未来であってほしいかそうでないかという問いがあれば、誰でも明るい未来を選ぶが、もう少し積極的な意思をもった明るい未来にしたいという気持ち。

今目の前で無邪気にご飯を食べ、おーいしと笑顔でいるこの子が生きる世界がよりよくあってほしい。そうしたい。そうなるように自分も行動したい。そういう気持ち。
 
子供ができて初めて感じることができた感情だな。

ひとりひとりがエゴのために動くのではなく、発言するとき、行動するとき、意思決定するとき、そんな瞬間に明るい未来に向かって一歩でも近づけるように動けれたらいいな。

未来を考えるか、考えないで行動するか

未来を考え、今の行動をするのが人間の能力だと思っていた。

けど、子供を見ていると、その考えのベースが社会の枠組みで考えすぎてる証拠だなと思った。

何も考えず(大人がそう思ってるだけで違うかも)、とりあえず今やりたいことをやっている。汚くなろうが、風邪ひこうが、壊れようが関係ない。やりたいからやってみる。そして、その時に無邪気な笑顔をすることがある。

そんな姿を見ていると、子供の無邪気さとは、未来を考えないから生まれるんじゃないかと思う。

人間は、未来を考え、予測できるようになっているから、ついつい先をいろいろなパターンで考えて今の行動を変えてしまう。それ自体は、間違ってないと思うし、だからこそ得られる楽しみもあると思う。

とはいえ、それに縛られすぎると、チャンスを活かしきれないし、社会の枠組みの範囲の中での人生しかおくれなくなる。

まあ、社会の枠組みを完全に外れて生きていく予定もないので、未来をある程度考えて今の行動をするのは、今後もかわりないんだけど、そうなりすぎると面白くないよなと。

そのうまい塩梅がどこか、永遠に分からないけれど、両方ミックスしながら生きていきたいと思う。