カテゴリー別アーカイブ: 思うこと

物価高いと海外で思い、日本の将来を思う

この5年ぐらい海外って物価高いなーと思うようになった。

行く国も昔と比べて変わったし、限りなく安い手段でバスや食事してたのとは、少し旅のランクも違うというバイアスはある。

とはいえ、高い。食事もホテルも移動も。逆に日本が安すぎるのだ。

日本の国力落ちてるな、そもそもデフレだし。海外は基本少しずつのインフレトレンドのはずだから差は開くばかり。

日本で完結するなら安く仕入れて安く売って、そのレベルの利益を出せばよい。しかし、今の時代そんなわけにいかないし、日本は人口減少社会。

海外とやってくには、物価高くてもそれが当たり前と受け入れ、自分達が作り出す付加価値をもっと高くしないと、他の物価高い国に使われて終わりになりそう。

資源もないから日本を使ってもくれなくて、物価高い国のよい製品も買えないし、物価高い国のよい設備を買うこともできず、結果付加価値の高いものを作って売れず安くしか売れなくて貧しさのスパイラルに陥るのだろうか。なんとかしたいジャパン。

ロンドンのホテルで朝食食べながらふと思ったのでメモ。

7ヶ月

この世界の空気に触れてから、7ヶ月が過ぎた。

いろんな感情も生まれてきたり、意思もでてきたり、甘えるということを覚えたり、空間認知能力も上がったり、もちろん目もしっかり見えるようになってきた。であろうと、彼女の様々な行動から推測。

進化のプロセスがすごく早く、かつ学んでそれらの能力が身に付くようになったいた脳や身体の基本設計もすごいよなーと。

まさに、AIと同じような機械学習というかディープラーニングというか、それらの概念と同じだなーと。

人間という生き物は、なんとまあよく作り込まれているのかとおもう。

そして、何しててもかわいいと思える、そんな親の感情まで赤ん坊がコントロールし、かつて赤ん坊だった親の脳では小さい頃から赤ん坊をかわいいと思う感情が育まれていたのだろう。

いい子だねは、親にとって都合のいい子

いい子だねと、言うときがある。

周りの大人に言われることもある。
もちろん、自分で我が子のことをいい子だなと思うこともある。

例えば、長時間の電車とかで騒がなかったりした時。
例えば、はじめて会った人に赤ん坊が笑った時、
例えば、ミルクを最後まで飲んだ時。

これって、間違ってはいないんだけれど、いい子ではなくて、大人にとって都合がいい子と捉えられなくもない。
これって親の都合でしかないこともある。

いい子という言葉に込められた本当の意味を考えて、見極めていきたい。
大人にとって都合がいいからといって褒めるのはおかしなことだし、それを評価するということは親の考えを押し付けていたり、親が偉そうに子供を評価していることになる。

もちろん、社会で生きていくために一定の規範や常識を教えないといけない、一方でおとんにとって都合がいいことだけを評価しない、これらをごっちゃにして考えないように気をつけていきたい。

近くに住む遠くに住む、どんな町に住む

阿佐ヶ谷は、周りに友達がいた。歩いてたらよく友達にあったし、夜な夜な飯を食べていた。
このブログでも阿佐ヶ谷について、何度も書いていて、あんなに楽しい街は今までの人生であの町だけと言ってもいいほど。

ただ、1人じゃなくなると住む場所の意思決定も1人じゃなくなる。済みたいと互いに思える場所となると、自分の理想とは異なる。さらに、子供が保育園に通いはじめると、待機児童の問題でも分かるように、転園が不可能に近いので住む場所が保育園に入れた地域に縛られる。とまあ、なかなか思い通りには行かなかったりするのも現実だ。

先日、葉山に引っ越した友達の家に遊びに行った。うちからは2時間の距離、なかなか遠い。駅からも3キロということで、バスかチャリ。でも、3分で海があり、裏山のトレイルまでも5分ほどという好立地なのだ。さらに、3軒隣に友達ファミリーが住んでいたり、周辺にはたくさん友達が住んでいるようだった。

なぜ今引っ越したのか。それは、子供と遊ぶ時間が限られていて、その時間を自然に近いところでという思いから引っ越したということで、その理由はすごくしっくりくる。俺も、庭付きのマンションか家に引っ越したいなーと思っていたところだった。やはり、土とか芝生の上で遊べるというのは、子供にとっても、大人にとっても良い時間だと思う。(自然が好きなので特に)

葉山という街は、世田谷とは違い、街についた瞬間になんだか空気感が違った。都心のビジネス街と世田谷は空気感が違うように、世田谷の住宅街と葉山の住宅街は全く違った。なんだか、のびのびしている。リラックスしている街の雰囲気が流れていて、心地よいのだ。一方で、仕事モードにはならないなーとも思った。

うん、まあ、型は行動を規定するというのは事実である。だから、どんな地域に住むか、どんな家に住むかは非常に重要だなと、葉山を訪れて思ったのだった。自分は、自分と家族は、どんなところで、どんな家で暮らしたいのか、暮らすのが一番心地よく、幸せなのか、難しい問題だ。

以前から思っているのは、仲の良い友達ファミリーと一緒に住む。もしくは、近くに住む。そうすると、気軽に会って遊べるし、共同で子育てができる。何かと助け合えるし、子供にとっても社会との接点が増えるのが良いと思う。がしかし、仲の良いファミリーと近くに住んでいるという話は、あまり聞かない。それは、やはりお互いの事情があり、引っ越しにはお金もかかるし、職場の距離も違うし、学校の問題もあるし、家賃の負担の大変さも違うしと、いろいろな障壁はあるからなんだろう。

仕事場からの距離、自然との距離、友達との距離、まあ、理想と現実との距離をどう縮めていくか、ちょいちょい考えてみよう。

シェアの時代

シェアの時代って言うけれど、つくづくそうだなと思う。

リアルな金の動きがあるのだけれど、家に余っているものを売ってメルカリ上でお金がたまり、欲しいものを買う。また、いらなくなったらメルカリで売るの無限ループ。現金とか銀行に振込はせず、メルカリのポイントだけで完結する。もちろんポイントもお金だし、このやり取りが増えれば増えるほどメルカリは儲かる仕組みなんだけど。まあ、ユーザーのポイントは売り買いすればするほど、価値は下がっていくから、メルカリ経済圏以外で外貨的にお金を増やす必要はあるのだが。

子供服を買って、すぐにきれなくなったらまた売ってというサイクルを見ていたら、お金という外の世界っぽいなといのを感じた。考えてみれば新車を買ってすぐに中古車で売って、また買ってというのやマンションの売買も似ている。ただ、これは一応現金が動くのと、お金と同等の価値だがあくまでお金でないポイントでやり取りが続くかの違い。でも、この違いが大きいんだよな。

物々交換の時代から、メディアとしてのお金ができて、また各社のポイントやマイル、ビットコインなどの仮想通貨、ウェブサービス上のメルカリのようなポイント。さらにお金というものの抽象度が増しているし、その価値が可変になってきている。円というものは、一律の価値を持っていたけれど、ポイントはあるとき2倍付与されたりとか、いろいろな運営主体の操作で変わるから、なんとまあ不思議なものだ。

楽天経済圏も大きくてポイントで買ったりするけれど、何かを売ってポイントをガッツリ貯めれないので、買うだけの一方通行。家電量販店のポイントも同じように、買った1%とかしかポイントがつかないので。AirBnB、ルームシェアにカーシェアに、ライドシェアにとシェアが一般化している。その中でも面白いのは、個人が売る側にも買う側にも容易に立てるもの。比較的AirBnBは両方の立場に慣れるが、メルカリほどではない。白タクがOKならウーバーとかはまさにどちらにも立てるサービスだよな。

趣味の道具も誰かからもらう、借りるというのが一般化するはず。レンタル倉庫に保管できて、そこに置いている間は倉庫屋がレンタルを代行してくれるとか楽だよなといつも思う。

あとは、日常だと日々の食事と家ぐらいか。とおもったけど、賃貸住宅ってそもそもシェアか。食事もキッチハイクとかいろんなサービスがあるけど、食べちゃうと再利用ができないので、シェアっていう感じは無いかも。

子育てのシェアって意味では、友達と近くに住んだら良いのになーとは思う。仲のいい友達家族と。シェアハウスってのはあるけれど、結婚して、子供がいても近くに住む。まあ、いろいろ助け合えるし、遊ぶのにもいいしと。

ネットサービスの発達で、今まではお金というどんなものにでも変えられるメディアが一番便利だったけれど、知らない場所の知らない人同士でも簡単に繋がって、やり取り(シェア)できるようになったからこその世界観だよね。だから、お金の流通量は減り、お金以外の流通量は増えていくということなんだろう。面白い世界だし、5年後10年後ってお金というものとの関わり方がだいぶ変わってるんだろうな。実際10年前は現金をおろしていたけれど、今はお金降ろさないし、ほとんどスマホで入出金したり、カードかスイカだしな。