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中学校で講演会

大学時代の友達から声をかけてもらって、荒川区の中学校で話をしてきた。中学2年の生徒さんたちに25分+質疑応答10分のセットを3回ほど。最後に任意参加で生徒さんたちと円を作ってざっくばらんに話した。

中学生と話すことなんてまずなくて、おそらく自分が中学の時以来。キャリアについてとか、働くことについて、仕事の内容などというテーマ。なかなか中学生をイメージすることが難しく、どんなことを考えてるんだろう、どのぐらい知識とかあるんだろう、どんなことに興味があるんだろうというのを想像しながら、話すことを考えた。

自分が中学の時を思い出し、今振り返ってあの時、どんな話を聞きたかっただろうか、聞いてたら人生が変わっただろうか、そんなことを考えながら資料を作り、講義の内容を組み立てた。中学生の時間は貴重だ。若いときの時間は大人よりも貴重だと思っている。その時間をもらうなら、より多くの人に、ひとつでも新たな気付きだったりとか、考える切っ掛けや、興味をもって帰ってもらえたら嬉しいなと。生徒さんの時間を無駄にはできないなーと。

雨の土曜日6時半に起きて、向かう。8時15分学校集合だったので7時の電車に乗る必要が会ったのだ。こう思うと先生ももっと早起きだろうし、中学生も親も大変だな−と。細菌は毎朝6時30分おきだけど、もっと早起きしないといけなくなるのだろうかなーとも思いながら。

学校でみんなに挨拶して、講義スタート。最初はどんなリアクションがあるか分からず、探り探りだった。質問を投げかけたり、身振り手振りで伝えたりと。最初の印象はみんなおとなしいなーということ。もっとやんちゃかと思っていた。そして、熱心に聞こうとする子もいれば、寝てる子も、ぼーっとしている子も。中学の時から人ってこんな違うんだなと。大人も人それぞれだけど、子供のほうが差が大きく感じた。本来人間って違うけど、社会常識を学んでいくと同じようになってしまうんだなと。それって、やっぱりつまらないなって。中学生の質問もストレートで面白かった。1つ目が年収いくらですか?って聞かれて、良い質問だなーって思った。大人同士だと初対面でこの質問はしない。けれど、彼女は気になったからストレートに聞いているのだ。だから、正直に答えた。さらに、話した内容とぜんぜん違う、好きな食べ物何かと聞かれ、講義内容と全く関係ないのに聞いてくる感じが、また良いなと。そういったのにとらわれる必要なんて無いのだから。

2回めの講義では、話す内容を少し変えた。難しい内容だったところを簡単に変えたり、より身近な例を使ったり。少しずつエンジンが掛かって来た感じ。3回目は、講義前に場を温めようと、授業の前にクラスに行き中学生と雑談した。すると、授業での質問も少し多くなった気がした。最後に任意で話したい学生さんだけのこって、車座で10年後のなりたい姿を話してくれた。みんなけっこう具体的で驚いた。水泳が好きとか、バレエが好きとか、象が好き、だからそれができる中学を見学しに行ったとか、こんな仕事やってみたいとか。自分が中学の頃なんて、そこまで考えていたかなと。すごいなーと。一方で大人数だとそれを共有してくれなかったのは、ちょっとシャイなのかなと。

すべてが終わり、先生と今日の講師が集まって話を。校長先生やアクティブラーニングの主任の先生の話を聞いて、こういう先生が増えるといいなって本当に思った。本当に真剣に考えていて、そのために試行錯誤されていた。今回の社会人をよんだ講演会もやる必要が有るわけではないのだが、中学生に少しでも社会を知るきっかけをと本当に努力されていた。良い場をもらっている学生もうらやましいなーと。そして、彼ら彼女らが10年後は24歳。社会に出て働いているだろう。どんな風に人生を歩んでるのか、その時にまた会ってみたいなと思った。

■乾燥
興味ありなしの差がある
興味あると思って、心掴んだと思ったら、5秒後には飽きている
みんな行儀がいい
生徒さん一人ひとり全然違う(体格、興味関心、元気さ、表情)→すでに中学の時にこんな差があるんだと
部活とか好きなことがけっこうある
おとなしい→度を越えたやんちゃがいない
授業とか大人数だと静かだけど、少人数とかだとなんでも喋ってくれる
先生によってクラスの雰囲気が大きく違う
目に見えるもの、大きな動きがあるもの、ビフォーアフターの差がはっきりと分かるものに興味
美容師さんのスタイリングはすごい反応良さそうだった
抽象的な概念を伝えるよりも、具体的な事例を見て聞いてもらうほうがよい
授業開始前に、クラスで生徒さんたちと他愛もない話をして打ち解けておくと授業の反応もよい
話に抑揚を付ける、ちょっとオーバーなリアクションとかで話す
具体的な事例を使う(中学生の興味あったり、テレビで知っていることを例に例える)
前で話すだけでなく、机の横まで歩いて話してみる
講演型式の席配置ではなく、車座にするとリアクションが変わる
最初の話始めで興味をもってもらったり、空気をゆるくするのが重要
背伸びしましょうとか、自己紹介でボケてこの人ってオモシロイと思ってもらうなど
大人の研修でやるようなチェックインとかチェックアウト、共同でやるゲームなんかを織り交ぜると良さそう

==講演会概要===

場所:荒川区立の中学校
時間:10月14日(土) 8:15
公演時間:10月14日(土)8:45~11:50
25分講演、10分質疑応答
対象:中学2年=14歳

==伝えたかったこと==

人生の可能性は無限大

想像もしない世界がやってくる、多様な生き方でOK

だからこそ、自分の意思が大切

そのためにも、まずは、自分の心に素直になること
Follow your heart

好きなこと、意思を持つこと
Where there is a will, there is a way

そして、未来を自分の手で作ること
The best way to predict the future is to invent it

不在で存在感を改めて感じる

10日ぐらい前から子供の体調が悪かった。40度を超える熱が出て、咳が出て、ぐったり。ちょうど1週間前に呼吸も荒くなり、夜間病院に行き、大きな病院で診てもらうということで、夜の10時ぐらいに成育医療センターへ行き、夜中の2時ぐらいまで血液検査、尿検査、レントゲンなどを撮り、そのまま入院、そして現在も入院中。

命にかかわる病気ではないのだが、RSウイルスがかなり悪化してしまい、入院ということになった。SPO2が安定しなかったり、咳が治まらなかったりと長引いて1週間ほど入院している。

夜は付き添いで寝ないというのが病院の方針なので、両親とも家で夜は寝ている。まあ、赤ん坊の精神的な安心はあるが、親は病院にいても医療的に何かできるわけではないし、親まで疲れて倒れてしまったらさらにピンチということからも正しいとは思う。

で、そうすると家に赤ん坊がいない。今までずっと一緒だったから、なんだか不思議な感じなのだ。今までも寝ていたりして泣いていないときもあった。そうであれば、いないのとほぼ同じなのに、その状況と今は違うなーと思った。いるだけで存在感があった。この存在感と言うものは不思議なもので、家が空っぽになったかのような寂しさがある。

親の脳の中はいつも赤ん坊のことを気にかけているから存在感がうまれているし、そこに存在することで熱量とか寝息とか動いたときの小さな音など、いろいろな物が存在感というものを作り出しているんだろうな。産まれてきて1年にも満たないけれど、すでにそれほどの存在感を発揮してくれていて、我が家の中心的な存在なんだなと、不在になって改めて感じた。

目覚ましい進化 推測

推測をして、行動できるようになった。

哺乳瓶を見ると、喜んで、掴みにいって自分でもって飲む。剥かしは、哺乳瓶を口に入れると反射的に口を動かして飲むだけだった。

抱っこひもを見ると喜ぶようにもなった。外が好きで、変化があることが好きなようで、抱っこひもを見ると外に行けると推測して、喜んでいるみたい。昔は、特に感情なく抱っこひもに乗せられるだけだった。

物を見て、次に何が起こるか推測できるようになったんだなと。未来を予測でき現在の行動を未来のために変えられるのが動物と人間の大きな違いと言われるが、それに少し近づいた気がする。

そんな生後9ヶ月の終わり。

そうそう、寝返りはもちろん、お座りもできるようになり、寝転んだ状態から自分でお座りもできる。さらに、ハイハイもできるようになったと思ったら、膝立ちも。

顔の表情や泣き声もバリエーションが増えていて、この世界を理解し始めている様子。

ものすごいインプットアウトプットを繰り返してるんだよね。すごいな。

トライアル・アンド・エラー、そして前に進めなくても、前に行ける

赤ん坊を見ていると、学ぶことが非常に多い。
大人は、論理とか、社内の常識とか、自分が経験してきたことに影響を受けすぎている。
そういった、3つがない赤ん坊を見ていると、より原始的な、人間の学習過程が見れて面白い。

まず思うのは、本能というもののすごさ。
本能の定義は難しいが、考えなくても自然とできる行為。
もちろん泣くという行為もだし、おっぱいを飲むという行為も、離乳食を食べるために噛むという行為も、なにもかも。
誰かに習ったわけではないのに、もともと備わったプログラムによって自動的にやってしまう行為が、活きる上で必須のスキルである。

そう思うと、考えなくても、本能的なアウトプットって、価値のあるもんだと思うのだ。
もちろん、現代社会は、人々が考えて作った社会だったり、ルールだったりが多く、そういった物事には本能があまり効果を発揮できないけど、。

そして、トライアル・アンド・エラー。
なんども失敗して、泣いて、またトライして。
すすrと、いつの間にかできるようになって、一度できると、ずっと前からできてたみたいな顔をして、簡単にできるようになる。
寝返りとか、物をつかむ行為だったりとか。

ただ、ただトライアル・アンド・エラーを繰り返す、そこから何かを学び、次に活かす。
うまくいったら、そのポイントを理解して、次からできるようになる。
たぶん、これも意識的にやって無くて、本能的にやっていること。

失敗してもチャレンジすること。
そして、諦めずに、できるまで何度でもチャレンジすること。
その大切さを、赤ん坊の姿から学ばしてもらっている。

トライアル・アンド・エラーもすごいんだけれど、前に進めなくても、前に行けるのだ。
興味を持ったおもちゃが目の前にある。しかし、届かない。
前にハイハイで行きたくても、まだそんなことできない。
でも、寝返りでコロコロできる。
お腹を支点にして、体をぐるっと360度回転することもできる。
さらに、前にハイハイしようとすると、なぜか後ろに下がっていく。
この3つを駆使して、時間はかかっても、結果的に前に来れるのだ。
スゴイなって思う。
ついつい、最短距離でものごとをしようとおもう。これ自体は悪いことじゃない。
でも、最短距離でできないと、ダメかもって思って諦めてしまう事がある。
前に進めなくても、自分のできることをいくつも合わせて試せばできることって多いんだろうな。
そう、そうなんだろう。

・本能
・トライアル・アンド・エラー
・前に進めなくても、前に行ける

宝物が変わる

子供って、宝物が変わっていく。
大人になると宝物が変わらなくなる。
そして、宝物がなくなる。

このおもちゃが宝物って手放さなかったのに、いつの間にかそのおもちゃは手元から離れていき、次はぬいぐるみ、次はおままごとセット、いつの間にか洋服とかネックレスとかになるのだろうか。

男の子なら、◯◯レンジャーの服、ゲーム、野球のバットとか。

宝物が変わるって、素敵なことだな。そのときそのときの価値観があり、変化している証拠。

大人はお金とか、家とか、車とか、貴金属とか、誰々の美術品とか、ブランドの何かとか、より普遍的な社会一般の価値観にそったものを大切にするようになりがち。
子供の頃、日々変わる宝物って、いいもんだね。

と、こういうのがおっさん臭いな。
子供をみて、いろいろ学ぶ、感じるシリーズでした。