2008/7/16 水曜日

肉体が全てを吸収してくれる

Filed under: diary, , 思うこと, art, 人生 — teratown @ 0:42:26

両親に本当に感謝することがある。
それは、元気な体に生んでくれて、そしてしっかりと育ててくれたこと。
そして、健康の「健」と名付けてくれたこと。
その名の通り、健康な体だ。

突然フルマラソンをしても4時間19分で完走でき、東京から岐阜(厳密には名古屋)まで歩くことだってできる体。
風邪だってひかないし、何でもおいしく食べられる。
過信している訳ではないが、頑丈だ。
外見からすると、マッチョでもなければ、背が高い訳でもない。
でも、しっかりとした作りの体になっている。

この体に感謝しても、しきれない。
小さいときの些細かもしれないが日々のバランスの取れた食事、
そういったことの積み重ねによって成り立っているからだ。
この年になって実感する。

そんな僕の体(肉体)が全てを吸収してくれる。

精神と肉体は同一のモノを意味するかと思うぐらい連動している。
体力が落ちていくと、物事の捉え方も元気がなくなる。
精神的にダメージを受けると、体にも支障がでてくる。

生きていれば、ものすごい楽しいこと、心躍る絶頂の時もあれば、何事もない平穏なとき、もう立ち直れないのではないかというような絶望。
悲しみ、怒りも存在する。もちろん、たった一言の美しさにこころが澄み渡ることもある。

いわゆるプラスの感情もマイナスの感情であろうと、その極みに達したときはどうしようもない。
恍惚とでも言うのか。茫漠たる自然の中にぽつりと一人で存在してしまうような、その時その場でどうしていいのか分からない感情になる。
そんな時、溢れ出した感情を肉体が吸収してくれる。
肉体が吸収してくれないと、感情が一人でどこかに行ってしまう。そして、取り返しがつかなくなる。
そうなってしまう気がする。

このときに、ちょっとやそっとでビクともしない肉体が溢れ出たものを吸収し、バランスを保ってくれる。
こんなときも、吸収してくれる肉体に感謝する。
このときというよりは、後から感謝するのだが。

僕は精神的に常に平穏な人間ではない。
確かに世の中一般でおこる些細なことでは動揺しないけれども、喜びもあれば悲しみもある。
そんな心の振幅があるにしろ、頑丈な肉体が吸収してくれる。
だから、精神的に強く見られるのかもしれない。

まあ、そんな周囲の目はたいしたことではなくて、
僕はこの肉体に感謝したいだけなのだ。


(群がる子供@インド アグラ)

今日は少し涼しかったので、走りやすかった。
6、7キロから体が軽くなって、走るリズムもついてくる。
そこからが楽しい。
走りながら、こんなことを考えていました。

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2008/7/6 日曜日

二日目の月

Filed under: diary, art — teratown @ 0:44:31

銀座の町を歩きながら、何かを誘われるように夜空を見上げると、
ビルと空中を走る高架橋の中に月が目に入ってきた。

ほっそりとした月に、何とか息をしているような、最後の灯火のような感覚を抱いた。
生きる上で必要ないものを全てそぎ落とした最小単位とでもいおうか、そんな月に美しさを感じた。

家に帰り調べてみるとそれは新月から2日目の月だった。

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2008/7/5 土曜日

自分が入れ替わる

Filed under: diary, , 思うこと, art, 人生 — teratown @ 10:14:51

先日、バスと電車を乗り継いで長野を訪れた。
先日といっても5月の末ぐらい。

友達のアトリエと彼の家が運営する西丸記念館(@稲尾)へ。
田んぼがあり、山があり、湿原があり、家の前には湖があるという素晴らしい環境。

友達のご近所さんの田植機が壊れたというので、田植えを手伝うことになった。
産まれて初めての田植え。それも手植えだった。
田んぼに素足を入れたとき、ひんやりとした柔らかさを感じた。
土の肌理が細かいなと。
柔らかい水の含んだ土に足を包まれるのは、こんなにも幸せなことなのかと満たされた。
とても心地よい時間だった。

まっすぐに植えるのはかなり難しかった。
田植えをしながら、いろいろな話を伺った。
機械で植えるよりも、人の手で植えた方が育ちやすいとか、田植えをしている田んぼでとれる米の量など。

この田んぼでとれる米の量を聞いて驚いた。
なんとその田植えした水田では200キロの米が取れるという。
さて、どれぐらいの米かを考えた。
1日1合食べたとして、1合は180グラムでと計算すると、人間は年間に60キロぐらいの米を食べる。
何と、自分の体重と同じぐらいの米を食べるのだ。
冷静に考えれば当たり前だが、こうやって実際の重量で目の当たりにするとすごい。
食べるものの重量と自分の体重を比較する。
そして、それが自分の体重と同じぐらいなのだ。
米だけで考えても、僕の体(全ての肉体)は米と入れ替わっている。
僕の体は食べ物によって常に入れ替わっていることを実感した。
自分の体は食べ物でできているんだと、改めて強く感じた。

そして、その体を作っている米に感謝した。
そして土ってありがたいな。と改めて思った。
僕が生きることを支える米を作るのが土なのだから。

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2008/7/4 金曜日

植村直己物語 彼がどうしても大切にしたい気持ち

Filed under: , 思うこと, art, 人生 — teratown @ 1:08:27

植村直己物語をやっと見た。
やっとという表現が、本当にしっくりくる。
何年も前に映画化されたものを。
彼の生きることに対する姿勢に、本当に心から敬愛している。

そんな映画の中でのワンシーン。
彼がどんなことがあろうと譲れない、その気持ち。
彼がこの信念を破ったら、生きていないことと同じなんだろうと思う。

「みせもんなんかじゃない、
人間が自然と戦って、
どこまで耐えられるか、その限界に挑むことなんだよ。
知恵と体力を振り絞って、
生きることへの限界を試すことなんだよ。

金使って近代的装備の助けを借りることがいけないって言うんだったら、
登山だって同じじゃないか。
近代的装備と集団の力さえあれば、今は登れない山なんてないよ。

でもそういう登山は、人間を歯車にしちまうんだよ。
俺が感じたいのは、たった一つのこの体。
たった一つのこの頭なんだよ。
生きる最小単位としての俺自身なんだよ。」

2008年3月5日

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2008/7/2 水曜日

バナナを手に取った、そして宇宙のはじまりを知った

Filed under: diary, 思うこと, art, 人生, テクノロジー — teratown @ 0:45:21

バナナを手に取るという日常の何気ない行動も、宇宙のはじまりも実は同じこと。
どちらにもその瞬間に次元は生まれ、世界のはじまりがある。
「バナナを手に取った、そして宇宙のはじまりを知った」

宇宙のはじまりは無だったのか?時間も空間もないとは何なのか?
人間の意識とは何か。人間というものの進化の過程はどうなっていたのか?

そんなことを語っていたときに、気がついたこと。
宇宙のはじまりって後から理由付けをしようとするからたいそうなことに思えるが、本当は何気ないことだったのではないか。
日常の一コマにある、バナナを手に取るということ。そんな行動と宇宙のはじまりは何ら変わらない。
おそらくそうなんだろうと思う。
バナナを取るという行動によっても、新たな次元が生まれ、世界が生まれている。
友達3人ですき焼きをした後、夜中まで語った水曜の夜。

まあ、これだけ読んでも意味が分からないと思いますが、この時は本当にバナナと宇宙のはじまりがつながったのです。
2008年3月5日

潟若菴遵潟del.icio.us菴遵
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