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1年の変化

想像以上に日々の進化が速い。

1年でこんなにできることが増えるんだと、驚いている。

特に半年ぐらいから一気にできることが増えていった。

産まれてから半年は、いろいろなものを見て、聞いて、触れて、吸収して蓄積している期間だったのかなと。

1歳にもなると、食べるものも普通のお米が食べれるし、つかまり立ちもできるし、段差から降りる時は自然に足から降りるし、バイバイもできるし、なんだか1年前からは想像もつかない。

赤ん坊というよりも、子供といったほうがいいかなと思えるほどに。もちろん、見た目もなんだかか弱さがなくなった。産まれた直後は本当にか弱くて、つよく抱き上げたら潰れるんじゃないかという程だったけれど。

こうして1年、1年成長していくんだなと。

毎年、毎年、陣痛が始まって病院で過ごした日を、そして最初のおぎゃーという泣き声を思い出すんだなと、思うのだった。

誕生日おめでとう。

元気に、楽しく、大きくなってね。

あ、誕生日からかなり日付が過ぎていたw

音の認識と行動の接続

2週間ぐらい前から、誰かと別れるときバイバイできるようになった。

その意味は理解していないかもしれないが、誰かがいなくなるというシーンではバイバイすると大人は喜び、そのフィードバックが子供にとって、喜びとなり何度もやるという練習になっている。

誉めて育てるのは重要だなと。

で、今朝誰もいなくならないのに、バイバイと言ってみたら、手を振った。

音の認識と行動が繋がってるのかと気づいた。これは、言語を習得する過程の大きな一歩だなと。

音の意味を理解したということなのだから。本当に、子供の成長はいろいろ勉強になるし、楽しい。

哺乳瓶とか抱っこひもを見ると喜ぶのは今までもあり、それらは具体的なモノとして存在し視角で認知している、経験としての喜びも味わって理解している。

音はモノとして存在しない、抽象的なものだ。すなわち概念を理解していくということだから、音を理解したということはすごい、人間の大人への一歩だなと。

1/10だけど1/3

3連休ということで出かけようとしていたら、水曜の夜から熱を出して40度。
すぐに下がるかなと思ったら。結局月曜の朝まで続き、どこも行けず。

8月に入院してから、10日に1回ぐらい熱を出す。
1回の熱が2,3日なので、1ヶ月の1/3は風邪を引いている感じである。

0歳から保育園に行くと、本当に風邪を引いたり、いろいろなウイルスをもらうと聞いてきたが、ココまでとは驚いた。
一方で、3歳ぐらいになるといっきに減るとか。

産まれてから半年は全く風邪とか引かなかったから、スーパー免疫だったのだろう。
その免疫ってのもすごいよな。
これだけウイルスにやられているのに、それを全て食い止めていたんだから。

これだけ体調を壊すということは、それだけまだまだ弱いんだし、ウイルスとか細菌にかかったことがない無の状態なんだなーとおもった。

日々、体温の変化を見ていると、体温計なしでも体に触ると熱がどれくらいか分かるようになってきたし、熱があるとめっきり動かない、遊ばない。
そして、ご飯も食べないし、長い時間寝れなくなるので、分かりやすい。
あと、起きている時に駄々をこねる。

赤ん坊の体調不良観察記でした。

思いを伝える声

言葉は話せないけれど、すでに感情は宿っている。
様々な概念も身につけつつある。
物理的な法則も理解しつつある。

お腹すいたというった生命の維持に関わることだけでなく、身体的な感覚、物を掴んだり、叩いたり、新しい人に会うと静かに間合いを探ったり、ただまだ言葉が話せない。
それを言葉にならない声で日々伝えてきてくれる。

週末に岐阜の実家に帰ると、大人5人。
普段は大人二人と子供一人。

それに、夜家に帰って、ご飯、お風呂、寝かしつけとスケジュールぎっちりにやらなければならないことがあり、会話は多くないのかもしれない。
さらに、大人2人だと会話に広がりが産まれづらい。
これはMTGでもそうだけれど、2人でブレストしても盛り上がらないけれど、3人だといっきにアイディアが出てくるのと同じ。

岐阜に帰ると大人がいろいろな会話をしてそれを聞いたからか、とても多くの声を出し始めた。
聞くことによって、自らも声を発することを学んだのだろうか。
発する声のトーンも違えば、叫ぶときも、フレーズの長さも、もちろんフレーズの音も違う。
手足の動きや顔の表情も異なるので、伝えたいことが違うんだろう。

そう思うと、いろいろな人に会って、いろいろな会話を聞いていくことが重要なんだなと改めて思った。
再びSkype英会話でもして、家庭内に新たな会話の風邪を吹き込ませようかと思う。

そして、ハイハイ。
今までもしていたが、家だと狭い。
1.5m四方の空間を作って、そこで遊んでいる。
しかし、ハイハイするにはせまい。そんな囲いのない広い空間だと、自由にハイハイをして、かなりスピードも出てきた。
こちらも、大人の目がたくさんあると、広いところで遊ばせておいても危険が少ない。

核家族化は、家事を行う面で子育てが大変だという話をよく聞いていたが、会話や広い空間でハイハイできることなど含めて多くの大人がいる家庭で育つと良いんだな−と。

食洗機や乾燥機付きの洗濯機を導入して、自動化できる作業はすべてそちらに任せて、少しでも会話を増やしたり一緒にハイハイしようと思ったのだった。

不在で存在感を改めて感じる

10日ぐらい前から子供の体調が悪かった。40度を超える熱が出て、咳が出て、ぐったり。ちょうど1週間前に呼吸も荒くなり、夜間病院に行き、大きな病院で診てもらうということで、夜の10時ぐらいに成育医療センターへ行き、夜中の2時ぐらいまで血液検査、尿検査、レントゲンなどを撮り、そのまま入院、そして現在も入院中。

命にかかわる病気ではないのだが、RSウイルスがかなり悪化してしまい、入院ということになった。SPO2が安定しなかったり、咳が治まらなかったりと長引いて1週間ほど入院している。

夜は付き添いで寝ないというのが病院の方針なので、両親とも家で夜は寝ている。まあ、赤ん坊の精神的な安心はあるが、親は病院にいても医療的に何かできるわけではないし、親まで疲れて倒れてしまったらさらにピンチということからも正しいとは思う。

で、そうすると家に赤ん坊がいない。今までずっと一緒だったから、なんだか不思議な感じなのだ。今までも寝ていたりして泣いていないときもあった。そうであれば、いないのとほぼ同じなのに、その状況と今は違うなーと思った。いるだけで存在感があった。この存在感と言うものは不思議なもので、家が空っぽになったかのような寂しさがある。

親の脳の中はいつも赤ん坊のことを気にかけているから存在感がうまれているし、そこに存在することで熱量とか寝息とか動いたときの小さな音など、いろいろな物が存在感というものを作り出しているんだろうな。産まれてきて1年にも満たないけれど、すでにそれほどの存在感を発揮してくれていて、我が家の中心的な存在なんだなと、不在になって改めて感じた。