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父として初の誕生日

昨年父になった。

それから、初めての自分の誕生日

いつの間にかいい年になったなーとか、父として頑張ろうと改めて思ったり、自らの両親がどんな気持ちで育ててくれて俺の誕生日を祝ってくれたのか、俺が生まれたときは母も命がけだったんだなとか、まあ、色々と思ったのだ。

子供がいないと、こういう思考にはならないから、やはり人間はその場におかれないと考えないこと、感じないことがたくさんある。そして、子供が産まれてくれたことに感謝する。

去年の今日という日には、まだ子供は母のお腹の中だったわけだし、胎動すら感じていなかったという状態。それから1年未満で、子供は大きくなり、笑ったり、おしっこしたり、叫んだりと、日々できることが多くなっている。1年という期間は、あっという間のように感じるけれど、赤ん坊にとっては1年という期間は非常に長く、1年もあれば大きく変化するのに十分な時間なんだなと思う。

赤ん坊が1年であれだけ大きく成長できるということは、大人にだってその可能性があるわけで、自分は同じ1年という期間をどのように使ってきたのだろうか。遊びに、仕事に、勉強に、教養に、人芸西に、家族にともっとできたことはあるわけで、常に後悔のないように行きたい。俯瞰して見ることを忘れず、自己客観視をしながら自分の行動を最適化しつつ、なんだかんだ自分という人生は主観的な行動でしか納得いかないので、上手くミックスして生きていきたい。

・新しいことにチャレンジする
・定期的な運動をする
・勉強や改善を積み重ねる
・家族と今しかない時間を最大限楽しむ
・いろいろな人と色々な話をする

今年は、こんな5つを意識していきたい。そして、将来に対して慎重になりすぎず、チャレンジする心を忘れない年にしたい。

たった一度きりの何気ない日常

この地球に降り立ってから5ヶ月半ほど。
2週間前ぐらいまでは寝返りまだかなーと話していたのに、この数日で寝返りが当たり前になってきた。すこし目を離すと、、仰向けだった体が、いつの間にかうつ伏せになっている。

一度コツを掴むと、もうお手の物と言った感じで、ぐるんぐるん。人間の能力って面白いな。何がポイントだったんだろう、寝返りできる前と後では、見えてる世界が全然違うのだろうか?

人生で寝返りできるようになるってのは、たった一度きり。離乳食も2,3日前から食べ始めた。ミルクとおっぱい、すなわち液体以外の物を口にしたのも、人生初。これも人生で一度きり。

たった一度きりの出来事が、毎日ある日常。

そうそう、シャワーを顔にかけても目を閉じて、口も閉じるようになったから泣かないし、お風呂でガーゼで鼻をほじるのにも抵抗しなくなった。少し前は、どちらも手足バタバタして、泣きまくっていたのに。

そんな日々を毎日送っている。

そんな33歳最後の週末。

興味関心を持つこと、行動すること

ネットが発達して、どんな情報でも得ようと思えば簡単に得られる時代になった。
調べればだいたいのことは検索できるし、詳しそうな友達にもすぐに連絡できて話を聞くことだってできる。

個人の興味に合わせた情報がSNSでも、ニュースでも配信される。
個人の興味にカスタマイズされる、一時的には良いかもしれない。

でも、そうすると雑音が少なくなる。
自分が今興味は持っていないけれど、潜在的に好きになるかもしれないことを知るきっかけが減ってしまう。
特に、俺の性格はあまり興味なくてもとりあえずやってみるタイプなので、雑音がほしいのだ。

何かに興味関心を持つと、調べる、聞く、やってみる。
すると、もっと深くということでどんどんやっていくと深さとともに、幅も広がることが多い。

トレランにハマったら、海外にも行くし、調べるために英語も勉強するし、友達増えるし、天気について学ぶし、ギアとか、科学的なことも調べ学ぶ。

結局、意思とか興味関心とか、好奇心がないと、始まらない。
そして、行動してみる。
人に話してみる。

新しいことに出会い、興味を持って、行動する。
最近、そんなことがないなーと思った。
インプットが足りないのか、雑音を取りに行く行動が足りないのか。
といいつつ、赤ん坊の脳の発達とか、不動産に興味を持ちだいぶ調べている日々。

そして、子供や赤ん坊も一緒。
何かに興味を持って、行動する。
好きとか、興味が有ることを突き詰めれば、どんどん新たな課題や、新たな領域にも触れられる。
やらされるんじゃなくて、自分の好きなことに出会える人生を送ってほしいな。

学習する生き物

赤ん坊の鼻水や鼻くそが溜まっている。自分で鼻はかめないので、麺棒にワセリンをつけてとっていた。最初は麺棒を突っ込んでいたんだが、

それを嫌がるので、お風呂でガーゼを細くして鼻に突っ込み始めると、嫌がらずにとれた。かつ、湿度が高いので鼻にも傷がつかないし最高じゃんと思っていたのだが、しばらくするとお風呂でガーゼも嫌がり始めた。嫌がるだけでなく、ガーゼを引っ張ったりして抵抗する。

これって、はじめはガーゼで何をされるかわからなかったので抵抗しなかっただけで、何度かやられるうちに理解し始め、どうしたら抵抗し辞めさせれるかを学んだのだ。すごいなー。日々学習しているのだ。こうして、人は物事を学ぶ。また、ひとつ実体験から勉強させてもらった。

ミルクも同じ、昔は哺乳瓶を口につけると口が勝手に動いて吸っていただけなのに、今日は両手で哺乳瓶を持った。そして、自分の口へと持っていく。しばらく飲んで、呼吸したい時は哺乳瓶を離して、また口へと持っていく。もちろん、哺乳瓶の乳首の部分がうまく口に入らなかったりもするのだが、全体としての行動は、彼女が実現したいことを達成するのにマッチした行動なのだ。これは、親の行動を見て、その結果としてミルクが飲めていた。これを自身の頭で解釈して、抽象化して、ああこのボトル(縦長の物体)に美味しいものが入っている。それを口へと近づけると、飲めるんだなって解釈したってことなんだよね。

今は、おそらく言語は話せないし、脳の中にもそうした言語に基づく解釈の回路は無いと思うんだけど、目から入ってくる情報と自分の肌やお腹、口で感じた情報を組み合わせて理解して、それを行動に移し替えている。大人になると言語を使って考えることだけが全てになりがちだけれど、人間の根本の能力というか、学習する方法というのは、こうした視覚情報と自分の身体を通した知覚などを組み合わせて、トライアルアンドエラーを繰り返すことによって学んでいくもんなんだよなと。

言語を使い論理で詰めたほうが速い学びもあれば、やはりこうした身体を通した経験から学ぶこともある。この両方がバランス良くできると良いんだよね。と、赤子の学習過程を見ながら、自分の学びという行為のブラッシュアップに活かさせてもらう。

子供の持つ力から人の持つ力を知る

子供といるとバカになれる。赤ん坊は言葉がはなせれないから、言葉ではない擬音語などで、赤ん坊に合わせる。すると、いつも見ないキャラが出る。
馬鹿という表現が良くないかもしれないけれど、紳士なキャラな人が赤ん坊の前だと、見たこともないキャラになったり。赤ん坊がいないところでは考えられないようなことがある。

赤ん坊や子供がいるだけで、空間が変わる。明るくなる。それは、赤ん坊をきっかけに、周りの人も変わるから。変わるというか、周りの人の素が出るから。

もちろん、その存在も人を帰るが、声が大きい気がする。声が聞こえること。
人の存在や声が場の空気を色とりどりなものにする。そういったものが、そういた空間が人間は好きだ。

そう考えるとテレビもこれだけ流行ったのが分かる。人の存在がテレビにはあるから。だからこそ、音に特化したラジオがそもそもあれだけ普及し、つづいてテレビが全世界で広がったのだろう。電話、テレビ電話もそう。独り暮らしだと会話がなくさみしい。二人だと会話が生まれる。それの代替がテレビ。

たった一人の人間で、コミュニケーションが変わる。家族の会話が増え、楽しみが増え、みんなが幸せになる。
一人旅と二人旅の違い、単独登山と仲間との登山も。
もちろん、会社も同じなんだろうなー!

1人の影響。人間は人間で変わる。