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1/10だけど1/3

3連休ということで出かけようとしていたら、水曜の夜から熱を出して40度。
すぐに下がるかなと思ったら。結局月曜の朝まで続き、どこも行けず。

8月に入院してから、10日に1回ぐらい熱を出す。
1回の熱が2,3日なので、1ヶ月の1/3は風邪を引いている感じである。

0歳から保育園に行くと、本当に風邪を引いたり、いろいろなウイルスをもらうと聞いてきたが、ココまでとは驚いた。
一方で、3歳ぐらいになるといっきに減るとか。

産まれてから半年は全く風邪とか引かなかったから、スーパー免疫だったのだろう。
その免疫ってのもすごいよな。
これだけウイルスにやられているのに、それを全て食い止めていたんだから。

これだけ体調を壊すということは、それだけまだまだ弱いんだし、ウイルスとか細菌にかかったことがない無の状態なんだなーとおもった。

日々、体温の変化を見ていると、体温計なしでも体に触ると熱がどれくらいか分かるようになってきたし、熱があるとめっきり動かない、遊ばない。
そして、ご飯も食べないし、長い時間寝れなくなるので、分かりやすい。
あと、起きている時に駄々をこねる。

赤ん坊の体調不良観察記でした。

思いを伝える声

言葉は話せないけれど、すでに感情は宿っている。
様々な概念も身につけつつある。
物理的な法則も理解しつつある。

お腹すいたというった生命の維持に関わることだけでなく、身体的な感覚、物を掴んだり、叩いたり、新しい人に会うと静かに間合いを探ったり、ただまだ言葉が話せない。
それを言葉にならない声で日々伝えてきてくれる。

週末に岐阜の実家に帰ると、大人5人。
普段は大人二人と子供一人。

それに、夜家に帰って、ご飯、お風呂、寝かしつけとスケジュールぎっちりにやらなければならないことがあり、会話は多くないのかもしれない。
さらに、大人2人だと会話に広がりが産まれづらい。
これはMTGでもそうだけれど、2人でブレストしても盛り上がらないけれど、3人だといっきにアイディアが出てくるのと同じ。

岐阜に帰ると大人がいろいろな会話をしてそれを聞いたからか、とても多くの声を出し始めた。
聞くことによって、自らも声を発することを学んだのだろうか。
発する声のトーンも違えば、叫ぶときも、フレーズの長さも、もちろんフレーズの音も違う。
手足の動きや顔の表情も異なるので、伝えたいことが違うんだろう。

そう思うと、いろいろな人に会って、いろいろな会話を聞いていくことが重要なんだなと改めて思った。
再びSkype英会話でもして、家庭内に新たな会話の風邪を吹き込ませようかと思う。

そして、ハイハイ。
今までもしていたが、家だと狭い。
1.5m四方の空間を作って、そこで遊んでいる。
しかし、ハイハイするにはせまい。そんな囲いのない広い空間だと、自由にハイハイをして、かなりスピードも出てきた。
こちらも、大人の目がたくさんあると、広いところで遊ばせておいても危険が少ない。

核家族化は、家事を行う面で子育てが大変だという話をよく聞いていたが、会話や広い空間でハイハイできることなど含めて多くの大人がいる家庭で育つと良いんだな−と。

食洗機や乾燥機付きの洗濯機を導入して、自動化できる作業はすべてそちらに任せて、少しでも会話を増やしたり一緒にハイハイしようと思ったのだった。

不在で存在感を改めて感じる

10日ぐらい前から子供の体調が悪かった。40度を超える熱が出て、咳が出て、ぐったり。ちょうど1週間前に呼吸も荒くなり、夜間病院に行き、大きな病院で診てもらうということで、夜の10時ぐらいに成育医療センターへ行き、夜中の2時ぐらいまで血液検査、尿検査、レントゲンなどを撮り、そのまま入院、そして現在も入院中。

命にかかわる病気ではないのだが、RSウイルスがかなり悪化してしまい、入院ということになった。SPO2が安定しなかったり、咳が治まらなかったりと長引いて1週間ほど入院している。

夜は付き添いで寝ないというのが病院の方針なので、両親とも家で夜は寝ている。まあ、赤ん坊の精神的な安心はあるが、親は病院にいても医療的に何かできるわけではないし、親まで疲れて倒れてしまったらさらにピンチということからも正しいとは思う。

で、そうすると家に赤ん坊がいない。今までずっと一緒だったから、なんだか不思議な感じなのだ。今までも寝ていたりして泣いていないときもあった。そうであれば、いないのとほぼ同じなのに、その状況と今は違うなーと思った。いるだけで存在感があった。この存在感と言うものは不思議なもので、家が空っぽになったかのような寂しさがある。

親の脳の中はいつも赤ん坊のことを気にかけているから存在感がうまれているし、そこに存在することで熱量とか寝息とか動いたときの小さな音など、いろいろな物が存在感というものを作り出しているんだろうな。産まれてきて1年にも満たないけれど、すでにそれほどの存在感を発揮してくれていて、我が家の中心的な存在なんだなと、不在になって改めて感じた。

目覚ましい進化 推測

推測をして、行動できるようになった。

哺乳瓶を見ると、喜んで、掴みにいって自分でもって飲む。剥かしは、哺乳瓶を口に入れると反射的に口を動かして飲むだけだった。

抱っこひもを見ると喜ぶようにもなった。外が好きで、変化があることが好きなようで、抱っこひもを見ると外に行けると推測して、喜んでいるみたい。昔は、特に感情なく抱っこひもに乗せられるだけだった。

物を見て、次に何が起こるか推測できるようになったんだなと。未来を予測でき現在の行動を未来のために変えられるのが動物と人間の大きな違いと言われるが、それに少し近づいた気がする。

そんな生後9ヶ月の終わり。

そうそう、寝返りはもちろん、お座りもできるようになり、寝転んだ状態から自分でお座りもできる。さらに、ハイハイもできるようになったと思ったら、膝立ちも。

顔の表情や泣き声もバリエーションが増えていて、この世界を理解し始めている様子。

ものすごいインプットアウトプットを繰り返してるんだよね。すごいな。

トライアル・アンド・エラー、そして前に進めなくても、前に行ける

赤ん坊を見ていると、学ぶことが非常に多い。
大人は、論理とか、社内の常識とか、自分が経験してきたことに影響を受けすぎている。
そういった、3つがない赤ん坊を見ていると、より原始的な、人間の学習過程が見れて面白い。

まず思うのは、本能というもののすごさ。
本能の定義は難しいが、考えなくても自然とできる行為。
もちろん泣くという行為もだし、おっぱいを飲むという行為も、離乳食を食べるために噛むという行為も、なにもかも。
誰かに習ったわけではないのに、もともと備わったプログラムによって自動的にやってしまう行為が、活きる上で必須のスキルである。

そう思うと、考えなくても、本能的なアウトプットって、価値のあるもんだと思うのだ。
もちろん、現代社会は、人々が考えて作った社会だったり、ルールだったりが多く、そういった物事には本能があまり効果を発揮できないけど、。

そして、トライアル・アンド・エラー。
なんども失敗して、泣いて、またトライして。
すすrと、いつの間にかできるようになって、一度できると、ずっと前からできてたみたいな顔をして、簡単にできるようになる。
寝返りとか、物をつかむ行為だったりとか。

ただ、ただトライアル・アンド・エラーを繰り返す、そこから何かを学び、次に活かす。
うまくいったら、そのポイントを理解して、次からできるようになる。
たぶん、これも意識的にやって無くて、本能的にやっていること。

失敗してもチャレンジすること。
そして、諦めずに、できるまで何度でもチャレンジすること。
その大切さを、赤ん坊の姿から学ばしてもらっている。

トライアル・アンド・エラーもすごいんだけれど、前に進めなくても、前に行けるのだ。
興味を持ったおもちゃが目の前にある。しかし、届かない。
前にハイハイで行きたくても、まだそんなことできない。
でも、寝返りでコロコロできる。
お腹を支点にして、体をぐるっと360度回転することもできる。
さらに、前にハイハイしようとすると、なぜか後ろに下がっていく。
この3つを駆使して、時間はかかっても、結果的に前に来れるのだ。
スゴイなって思う。
ついつい、最短距離でものごとをしようとおもう。これ自体は悪いことじゃない。
でも、最短距離でできないと、ダメかもって思って諦めてしまう事がある。
前に進めなくても、自分のできることをいくつも合わせて試せばできることって多いんだろうな。
そう、そうなんだろう。

・本能
・トライアル・アンド・エラー
・前に進めなくても、前に行ける