その時しかなかった過去

久しぶりにしみったれたことを書くのだ。そもそも、若い頃はいろいろ多感な時期だった。そして、沢木耕太郎さんが深夜特急に書いていた、26歳旅人最強説的な、社会を知り、でも知らないから吸収が良いてきなタイミングだった。だからこそ、いろいろ考え、書き残していた。

ただ、歳を重ね、いろいろ経験をし考え、そして子供ができると、意図的ではないが結果的に人は変わるというのが実際に起こることなんだろうと思う。責任感という人もいれば、子育てで精一杯で他のこと考えてられないという人もいる、自分よりも子供の未来がというのも、実際の勘定なんだろう。

あまり流されないと思っていた自分も、なんだかんだそんな状況に流されている。昔であれば、そんなのが嫌だと思ったかもしれないが、それ自体を受け入れるというか、心地よくいつの間にか受け入れているというのが今の現実だと思う。

若い頃の自分からすれば、かっこ悪いなといったかもしれないが、今の自分自身からすれば、かっこ悪いかもしれないが、そのときには想像もしなかった今という価値があるのだとも思う。

まあ、2019年ももう半年が終わり、この半年もいろいろあったけど、とてもいい時間を過ごせた。それは、個人としても、家族としても、仕事としても。そして、今年の下期も、もっともっとたのしみなことがいくつか待ち構えている。

で、リーマンがなぜ発生したかとか、金融の話、組織の話、人の話、あとは人の輪廻転生の話と個人的に楽しい話をして帰ってきたので、まあ、こんな日も最近ないので、メモを取ろうと書き始めたら、前置きで終わりそうだ。

で、何が書きたかったというと、昔の自分の考えとしては、過去も未来もない、今しかないと言っていた。今でも、基本的にはその考え方で、過去にすがる生き方はしたくない。今を楽しめないやつは未来も楽しめない。本当にそう思っている。

ただ、一人で楽しんでる時代は、過去も未来もない、今しかないと、本当にやりたいことやり続けた。ただ、子供ができてしばらく立った頃に、思い出があるという良さを感じ始めた。

なんでかと振り返ってみると、純粋に可愛くて、過去を思い出したり写真を見返すとそれは幸せな気持ちになる。でも、それだけじゃないよなと思う。

自分にしろ、大人の他者にしろ大人の変化は緩やかだ。日々脳も身体も変わっている。でも、その変化が緩やかなので、自分でも周りの人も気づかない。久しぶりにあった友達に老けたねとか、痩せたねと言われるのは、期間が空いていて、細かな変化があった日々を見ていないからだ。

で、子供の成長は、あまりにも早い。身体の変化も、できることが日々変わる。顔つきも、動きも。そして、脳の発達も急速で話せることなんて日々変わる。本当にその速さに驚きしかない。そして、その変化は不可逆なのだ。一度学んだら忘れない。以前にも子供が一度学んだら、それはマスターして、すぐに次のステップにいくと書いた。そうなのだ、本当に。

だからなんだと思った。その可愛さ(愛おしさ)*不可逆な成長が、その時しかなかった過去を振り返りたくなる理由だと。大人は、今できたこと、今の自分がまた再現できるとどこかで思っている。それは脳も身体も変化が緩やかだから。でも、子供を見ていると違う。これができるのは一回こっきり、次からはもっと進化した子供しかいないのだから。

たぶん、これは誰にも通用する感覚だとは思っていなくて、自分がその一回性というものに取り憑かれている体と主う。だからこそ、チャンスなんか訪れないから、そのチャンスは活かしたいと思うし、だからこそフットワーク軽く何でもやるし、一期一会だと思っているんだろう。

今は今なんだが、だからこそ変化の激しい子供という対象にめぐりあい、戻れないその過去の今が愛おしくなるという感覚をもらったんだと思う。

まとめると以下

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一人で楽しんでる時代は、過去も未来もない、今しかないと、本当にやりたいことやり続けたけど、子供ができてしばらく立った頃に、思い出があるという良さを感じ始めた。子供の成長は、不可逆で。ある意味今は今なんだが、だからこそ変化の激しくて戻れないその過去の今が愛おしくなるから。
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一度習得したことは忘れない

一度習得したことは、忘れない

どうやら2005年から「今しかない」と言っている。

永遠は一瞬だ。一瞬は永遠だ。一瞬は永遠になり、永遠は一瞬になる。

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