月別アーカイブ: 2019年4月

Rwenzori11 山を降りる

下山まであと1日、そして何よりも登頂というビッグイベントを終え、久しぶりに夜更かしをした。もちろん、大晦日というのもあって。翌朝もいつもどおりに起きる。食事の前に、ガイドやポーターへのチップをどうするかを話して準備した。通常なら下山して渡すようだが、下山日が新年元旦ということで、みんな家族の元へ少しでも早く帰りたいとのことで、少し早めに渡すことになったのだ。

いつもの朝食、これも最後かと思うと、すでに飽きていたのに、寂しさを感じる。準備をして、ダッフルバッグをポーターに預けた。今日は長靴でスタートして、途中でトレランシューズに変えるという工程らしいのと、標高も低くなるので暑くなるとのことで、出しやすいように荷物をまとめた。

出発前に、ポーターとガイドがずらりと並ぶ。今まで全員集合したことがなかったので、こんなに大勢のパーティーだったのかと驚く。一人ひとり感謝の気持ちとチップを手渡していった。トレイルはたまに沼があったが、今までと比べるとかなりましで、乾いたトレイルも時折見られた。行きとは異なるコースなので、景色に飽きることがない。モーゼスが滝だよと教えてくれる。耳を澄ますと、滝のゴォーという音が確かに聞こえる。音の方へと行ってみるとたしかに立派な滝があった。

暫く進むとポーターが座って待っていた。ここから先のトレイルはマッドじゃないよと教えてくれ、ダッフルバッグからトレランシューズを取り出し、雨具などを片付けた。もう暑いので、Tシャツで十分だった。

ゆるやかな下り道、さらに長靴を脱ぎ、乾いたトレイがこんなにも歩きやすいとは、ごく普通の登山道がこんなに心地よく歩けるなんて、と幸せに感じた。見慣れた光景だなと思ったら、行きに通った道に合流した。周りの木々は低山だなと感じるような、木々や草が豊かになってきた、そしてそんな雑草の中からまたカメレオンをモーゼスが見つけたのだ。葉っぱと同じ色のカメレオンをよく見つけるなーとあらためて感心した。

管理等で下山のサインをする。戻ってきた。キレンべの村に。木々の隙間から集落が見える。山の上にある民家がぽつぽつと出始め、子どもたちが遊んでいる。帰ってきた、あー帰ってこれた。ポーターの小さな子供がお父さんに会いに走ってきた。父と手をつないで一緒に歩いている。1週間ぶりにあえて、ふたりとも幸せそうだ。

山道をついに抜け、集落に入る。帰ってきた。子どもたちがたくさんよってきて、じゃれてくる。ガイド会社に到着して、また仲間とガイドの3人と握手をした。1週間本当に良い時間だった、ありがとう。

ビールを頼んでルウェンゾリと一緒に登ったすべての仲間に乾杯。ぬるかったけど、最高にうまいビールだった。ほっと一息ついて、登頂証明書をもらう。ランチを食べ、カセせの町まで移動することにした。ここで泊まっても良かったがすでに行きに2泊しているし、明日以降のサファリを考えると町まで行っておきたかった。バイクを読んでもらい、ダッフルを背をって村を出た。

ダッフルがおもすぎて、背中が引っ張られて腰が痛くつらいニケツだった笑宿に到着してシャワー。気持ちよかった1週間分の汗と泥が落ちていく爽快感。夜はゆっくりしたかったのでホテルの中庭でインドカレーを食べた。これまた、スパイシーで、山の味とは違って地上の飯はうまいって感じたのだった。疲れがどっと出て、すぐに眠りについた。

Rwenzori10 和やかな下り道

ぐっすり寝た。改めて、みんなで一緒に登れてよかったなとしみじみ感じて、スマホの写真をなんども見返す。みんないい顔をしている、振り返って写真をみても喜びが湧き上がる。青空が見え、今日もいい一日になりそうだ、もちろんマッディーなトレイルらしいが笑

朝食を食べ、いつものように準備をして下山を始める。ルートはまた違うので、飽きないのが助かる。それにしても、マッディーというよりも、沼だ。どこまでも足がとられてしまう。ランチタイムは今日もサンドイッチ、こちらも飽きてくるw

トレイルが滝のように水が流れる場所や、巨大な岩に囲まれた谷など、本当に景色の変化はすごく、いったいどんな果ての地に来たのだろうと思う。旅をしていて、いつも思うのが、こうした人里離れた大自然のど真ん中にポツンといるとき。ああ、遠くまで来たんだなと。

それから最後のキャンプ地へ。泥沼も最後の日はだいぶましになるということで、川でオーバーパンツを洗った。しかし、1週間以上泥で汚れたパンツは洗っても、泥がしみついていた。

今日は大晦日。2018年の終わりをルウェンゾリの山の中で迎える。夕食は、豪華にポテトとチキン。さらに、ガイドが白ワインをくれた。

ガイドやポーターへのチップをいくらにするか議論をしたり、山での思い出話、アコンカグアの話などの話に花をさかせながら、new yearをまった。最後の日ということで、残っていたカップラーメンやおしるこなんかをすべて食べ尽くす、豪華なパーティー状態。ああ、この山にいるのもあと1日かという寂しい気持ちと、疲れて山を降りてちょっとゆっくりしたいなと言う気持ちを抱きながら、年越しを迎えてシュラフへと潜り込んだ。

田貫湖キャンプ

1年ぶりの田貫湖キャンプ

初キャンプがちょうど1年前のGWに田貫湖エリアだった。UTMFをやっているときに田貫湖エリアの井の頭キャンプ場でキャンプしたのだった。

今回は田貫湖畔の田貫湖キャンプ場、以前は予約無しで当日先着だったので避けたが、予約制に変わったのとタクジさんに誘われ25人という大キャンプ。

8:30にレンタカーしたフィットに荷物を積み込んで10時前に出発。高速は混んでいなかったが、久しぶりだったからか、車に乗って5分で子供が吐いてしまった。その後も、何度か。うーん、車が苦手なのだろうか。

吐く前提でチャイルドシートとかゲロ袋とかの準備ができているので、まあ、なんとかなるのだが、途中のSAで洋服を着替えて、リフレッシュ。高速降りてからも少し渋滞で13時ぐらいに到着。

カッセさん、タクジさん、ひでさんなどみんな到着していて、うちのでかいテントをみんなに手伝ってもらって設営。ちょっと時間があったので歩いて5分の自然塾という場所に行くと、自然のおもちゃがたくさん。室内だから万が一雨が降っても大丈夫。ここはいい場所だ。

それから、焚き火をしながらみんなで豚汁うどんを作って、25人で食べる。寒いけど、温まる。うまい。ちょうど桜の季節で、富士山と桜と田貫湖。なかなかすばらしい場所だ。

暖かくして寝たので、全く寒くなく、快適な夜を過ごす。翌日は小雨との予報だったが、雨もふらずラッキー。広いテラスにテントやシートを干して、片付けも完了。

今度は2泊ぐらいでゆっくりきたいキャンプ場だった。

Rwenzori9 頂へ

アタックキャンプということもあり標高も上がり冷えているだけでなく、空気も薄い。ただ、それよりもアタックを控えた夜という、不安と興奮ですぐには眠りにつけなかった。

寝る前に、アタックの装備をザックに入れては、何度も出して確認し、またザックに入れた。無駄なものは持ちたくないが、必要なものがないと困るから。シュラフに潜り込んでからも、アレヤコレヤと登山のシミュレーションをしていただ、いつの間にか眠りについていた。

トイレに起きて小屋を出る、空を見上げると満天の星空。このまま明日の朝まで天気がもってほしい。ただ、それだけを願った。ただ、ここは雨が非常に多いエリアだということは、数日間登ってきた自分たちが一番体験として理解している。期待しすぎない、そう自分の感情を期待値コントロールした。

2時に起きて洋服を着替えて、準備をする。さっと朝食をとる。急いでいるのと登山のことに週痛しているので、何を食べたかも覚えてないほどだったが、特に冷える夜中に温かい紅茶で気持ちがほっとしたことだけは強く記憶に残っている。予定通り3時に登山開始。もちろん、真っ暗だ。しかし、空に星は見えず、雲が多い始めていた。ヘッドライトをつけて出発。

雪のついた岩を慎重に登る。ここまで来て、焦って高山病になんかなっていられない。まずは、冷静に、焦らず。ゆっくりと。7人いるので、ヘッドライトが明るく、登山するにも不便はなかった。もうひとつのガイド会社のアタックキャンプであるエレナハットには30分ほどで着いた。急な岩場が訪れるとメインガイドのモーゼスが仕切って、ザイルを出してくれた。ユマールで登る。

すると、たまちゃんのシューズのソールが加水分解で剥がれてしまった。僕が長い細引きを持っていたので、それを上げてモーゼスがしっかりと縛ってあげていた。多少の不安は残るが登れなくはない、そしてもう少し行けば雪が出てアイゼンをつけるのでそれまでのしんぼうだ。まさかの、弘樹さんのソールまで少しめくれてしまった。こんなにも加水分解が。。。自分も不安になった。

2時間ほど歩きアイゼンを付ける。そして、温かいお茶と行動食を補給。氷河に入るので7人でザイルを結んだ。ついにここから核心部へと入っていく。一歩一歩を確実に、ゆっくりと。あるき始めて4時間がすぎ7時になると明るくなり、ヘッドライトがいらなくなってきた。やっと山の全貌が見えると思ったが、ホワイトアウトで周囲はあまり見えない。これじゃどこを登ればいいかわからない。ガイドさんがいなかったら、到底無理な山だった。

5000m近いので、深く息を吸いながら、呼吸を整えてゆっくりと登る。呼吸のペースを乱さないように、自分の速度で。ものすごい氷柱の壁で風をよけながら一休み。ここまで思ったよりも急な斜面でゆっくりと一息付ける場所がなかったので、フラットな場所をみつけほっと。

斜面をトラバースして、岩の壁を再びユマールで登る。合計3箇所ぐらい確保してもらった。マルゲリータ氷河は急であり、とても広い氷河でいったいどこまで続くのかと思っていた。ただ、先のことを余り考えるよりも、今の一歩に集中した。登っていくと、ここピッケルを置けという。えっ、ここで?と思いながら、雪にピッケルを刺して岩を登り始めると、頂上っぽさが伝わってきた?えっ、ここ?もう、あそこが頂上?思ったより早い、けど、頂上についに来た?登頂?

サブガイドのアサバが先に登って、頂上の看板の雪をきれいにしてくれていた。たまちゃん、たくじさんに続いて僕が登頂、弘樹さんもすぐに登頂。ついにきた、ルウェンゾリの頂に。

「やった~、きたー、きたぞー」と叫んだ。みんなも、それぞれの感情を爆発させていた。日本から9日ぐらいかけてたどり着いたアフリカの奥地の頂に。トレーニングもした、下調べの準備もした、ここまで飛行機、車に揺られ、沼地をあるき、雹に降られて、たどりついた。なによりも5年前このメンバーでいったアコンカグアは登頂できなかったが、今回は仲間全員で登ってこれた。ともに助け合い、笑いながら、ここまでこれた、成し遂げられた、それが何よりも嬉しかった。今回は来れなかったしんやさんがくれたルウェンゾリ手ぬぐいを出してみんなで記念撮影。そして、少し奥が国境で、そこはコンゴだよと言われ、コンゴに足を踏み入れた。

そして、9時前に下り始めた。下りの方が斜面が急に感じた。滑り落ちないように、キックステップで。下れば呼吸は楽になるはずだが、下りの方が息があがったきがした。岩と雪が混ざるミックスな山肌。ミックスクライミングという状況だった。とはいえ、下りはやはり上りより早い。あっという間に高度を下げていく。先程見たばかりのルートを上から見ながら降りていく。ただ、雪が強く、遠くまでは見渡せないまま。

氷河を終えアイゼンを取る。上りのときとはルートが違ったのか、雪の状態が違ったのか、垂直の岩をトップロープで懸垂下降したポイントもあった。その後も大きな岩が凍ってしまっていてツルツル。滑るので、転ばないように重心を低くして慎重に。上りよりも怖かったかもしれない。マルゲリータキャンプが見えると、気持ちがほっとした。下山ではないので気を緩めるにはまだ早い。今日の行程では、マルゲリータキャンプで荷物をまとめて、長靴に変えて、ひとつ下のキャンプまで歩かねばならないから。でも、やはりほっとした。安全な場所まで帰ってきたという安堵。

小屋につくと、自然と涙がこぼれ落ちた。まさか1回の登山で二度涙をするとは。みんないろいろな思いを胸に涙を拭い、ともに抱き合い、称え合った。仲間と成し遂げた嬉しさと、危険なエリアを乗り越えたほっとした気持ちが自身の体を包み込んでいた。まさに、This is 最高。そして、下山して、「半端ない、まじで疲れた」そんなことがくちをついた。でも、こういった成し遂げるときの爆発する感情というものは、人生において忘れられない記憶として刻まれる。

ポーターたちが温かいごはんを作ってくれて、それを食べた。うまい。疲れ切ってはいただここからまた降らなければならない。冬靴やヘッドライト、ピッケルなどはここで片付け、また長靴で下るために、荷物をパッキング。そして、再び下山開始。本当に疲れ切ってからの下山。もう、ふらふら。でも、進まないといけないので、気を確かにしようと言い聞かせた。

夕方が近くなると雲が流れ、青空が顔を出し始めた。しかし、もう元気がない。一歩進むのですら、体が重い。幽体離脱してしまって、コントロール出来ないような、歩いているのも惰性で歩いているような感じさえした。それほど疲れていた。その一方、ガイドさんたちは元気で、対して疲れてない様子。流石だ。18時過ぎにHunwick’s campに到着。疲れすぎて、この日は日本から持っていったフリーズドライの炊き込みご飯(尾西)を食べることにした。紅茶を飲みながら、仲間とこの長い一日を語り合いながら、ストーブを囲んだ。長い長い、そして、本当に最高な1日だった。シュラフに入ったら、すぐに眠りについた。

丹沢主脈トレイルラン

丹沢主脈縦走路へ

7時ぐらいのバスで渋沢駅からバスで大倉へ。
そこから塔ノ岳、蛭ヶ岳を越えて、いやしの湯まで。

じつは、1年半ほど前の秋に1度走っているので、今回で2回め。
7時に渋沢駅について出発。

天気は生憎だったが、雪もなく、トレイルもそんなにぐちょぐちょではなく、走りやすかった。

いやししの湯からは藤野駅まではタクシーで4000円、4人で割れば安くすむ。

その先のなごみの湯まで行こうとしたがタイムアップ。

ゆっくりなのでたいして疲れなかったが、翌日は筋肉痛。