作り手に意味あった作品が、買い手には全く意味の作品(異物)として買い手の空間にあることの意味

アート作品には作り手がいる。
一方で、その作品を見る人がいる。
アート作品を購入して家に飾るなどした場合は、この人は買い手となる。

作り手にとって作品は非常に深く、複雑な意味が込められたものであることが多い。
その思いや背景は言葉ではなく、より抽象化されたアート作品という形で世に出ていく。

作り手にとって意味があった作品、意味を込めた作品が、買い手(見る側)にとってその意味がなくなる。
意味がなくなるという表現は適切ではないかもしれないが、買い手(見る側)が作り手の背景を理解し、いくら深く広く考えたとしても、作りての意図を完全に理解しきれない。

そうした観点からすれば、意味のないものが、買い手(見る側)の家などのプライベート空間に突然存在することになる。

作り手にとってはどこまでも深い意味があったものが、買い手(見る側)にとっては全く意味のないものが家に存在することに意味がある。
そういうものが、空間にどう影響与えるのか、買い手(見る側)やその家族にどう影響をあたえるのか、そこに興味がある。

と、フランクフルトでビールを飲みながら蓮沼画伯が語った。

作家の溢れ出す思いや気持ちを作品に乗せて、世の中の人に伝えたいという気持ちもあるんだろう。でも、その領域を越えて、自分の作品が自分から離れてどんな価値を生み出せるか、そこを一番のポイントとしていることが、ああ、そういう視点かと勉強になった。

そんな話を聞いて帰国後、世田谷美術館ではらぺこあおむしの作者エリック・カールさんの展示を見ると、絵本という作品もそういった視点で見えてくる。

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