月別アーカイブ: 2015年10月

100マイルの最後の数十マイルを練習することはできない

100マイルの最後の数十マイルを練習することはできない byジェフ・ブラウニング

これって、トレランの100マイルにかぎらず、人生のいろいろなことに言えるのだけど。

100メートル走も、大きな大会の場はその時しかないし、そのプレッシャーとかは他では体験できないかもしれない。ただ、100マイルは、練習で100マイル走ることは実質的にできない。時間的にも精神的にも肉体的にも。だから、はじめての100マイルレースは、過去に経験のない大きなチャレンジを本番でするということ。

もちろんエベレストに登ることも、練習で登ることができないから、ぶっつけ本番だし、そのぶっつけ本番が今までで一番難易度が高いことをすることになるのだ。

こういった、練習できないことにチャレンジすることは面白い。

分からないからこそ、練習できないからこそ、想像する、練習できないからこそ、うまくいかないこともある。
だからこそ、その場でなんとかしてクリアすることを頭と体と精神を使って考える。

とっさの判断力、肉体と精神との対話とコントロール、自然環境の変化の読み取りと予測などなど、フルに頭と体を使うしかない。今まで経験もないから、ベストな解も分からないまま、出来る限りイメージし、今までの類似経験や知識を集約してベストと考える選択肢をchoiceしていく。

まあ、気合入れれば、100キロまでは個人で練習できるんだよな。
でも100マイル、それも山となるとなかなか練習できない。個人的に1人でも100キロまでは山を走ったことがあるが、100マイルという距離をそして山となると一度もない。不可能ではないが、実質的にはできない。だからこそ、頭でイメージを必死でするし、準備をする。でも、実際とは異なる。だから、レース本番では、その場で瞬時の対応を重ねないといけない。まあ、そこが楽しいのだ。

そして、だからこそ価値がある。普段できないからこそ。100マイルの最後の数十マイルは、70マイルを走ったからこそ感じるものが、残り30マイルにはある。最後の30マイルにしか訪れない体の変化精神の状態というものがある。30マイルを走ったからといって、100マイルの後半30マイルとは全く意味が異なる。そこなのだ。

当たり前だけど、あらためてこのように書かれて気づくことが人間には多い。100マイルは旅のようだし、人生をぎゅっと凝縮したようなもんだと思っている。練習できないから、ひたすら想像する。イメージを徹底的にして、シミュレーションを繰り返し、対策を考える。できないからこそ、考えるのだ。でも、実際は全くイメージしなかったことが起こる。

--100マイルレースの魅力って何?

「例えば、100m走だったら、練習で100mを何回も走ることができるよね。ところが、100マイルはそうはいかない。たとえば、100マイルレースの最後の数十マイルをシュミレートすることはできないんだ。それが、50kmとか100kmと別物である理由だね。最後の40マイルは全てが揃わないと走りきれない。はまる理由はそこなんだ。最後はどうなるか判らないからね。
それと、100マイルは多くのランナーにとってはレースではなく、旅に近いものだと思う。誰かと競いあうというよりは、自分との戦いさ。『100マイルは人間が持っている感情をすべて味わえるすべてのレースだ』なんだよ。人生で味わうすべての感情を凝縮しているんだ。すごいよね!」

ジェフ・ブラウニング

UTMF2015 3位 ジェフ・ブラウニング(USA)インタビュー

送信者 UTMF2014

冬の訪れを感じる凛とした空気の仙丈ヶ岳

体育の日3連休

晴れの特異日のはずが、中日が全国的に雨。初日か最終日が雨ならまだ休みを有効に使えるのだが、中日が雨だとプランニングしづらい。直前まで天気予報を見て、晴れ、すくなくとも曇りで雨が降らないエリアを探したがない。

土曜の新宿発ムーンライト信州の指定席券だけ購入。白馬行きだから北アルプスにもいけるし、甲府で降りれば南アルプスも行けるので。そして、指定席券520円なので、もし行かなくても損はたいしてしない。結局、仙丈ヶ岳あたりに行くことにした。アクセスがちょっと不便で行ったことがなかったのと、運良く日曜も晴れてれば朝から仙丈ヶ岳に登り、両俣小屋まで行き、月曜に北岳方面に降りようと思った。天気予報通り日曜は昼すぎまで雨なら、甲斐駒ケ岳にサクッと登り、月曜に仙丈ヶ岳に登ろうと。その場合は、北沢峠にテント。

と、夜中の2時30分ぐらいに甲府駅に到着。外は雨。すでに。。。甲府駅発のバスが4時30分ぐらい発なので、甲府駅で野宿。ちょっと寒いので、ダウンの上下を着て、ベンチで横になる。駅前のファミマで食料を買って、真っ暗な甲府駅をバスは出発。広河原に6時30分頃に到着。もちろん、ここでも雨。待合所でレインウェアを着る。そして、北沢峠行きのバスに乗って30分ほどで到着。やっぱり雨。それも、小雨の予報だったが、しっかりと降っている。もちろん登山はやめて、北沢峠にテントをはる。雨の中テント張るのも濡れるしやだなーと思いながら、テキパキと。

テントの中をタオルで拭いて、すこしばかり快適にしてから、寝た。やることないのでw

12時前に目を覚ますと、雨は止んでいた。どんよりした曇だったが。午後は曇りという予報だったし、雨はふらないかなと思い、トレランザックに荷物を入れて甲斐駒ケ岳へ。甲斐駒ケ岳はすでに行ったことがあるし、暇つぶし程度に。まあ、曇で景色が見えないし、稜線に出ると風が強いのなんのって。せっかくだし頂上まで行こうと思ったが、まあいっかとおもって下山した。

送信者 仙丈ヶ岳2015

テントでやることないし、寝れないし。ということで、山野井泰史さんの本を読む。山で山の本を読む。熱中して読んでいたら、一気に読み終わりちょうど5時過ぎ。そろそろ食事を作って食べないと暗くなってしまう。毎度のことだが、野菜にキムチにラーメン。体が温まるし、コンビニで全て揃うし、準備がいらないし、これがいいのだ。

送信者 仙丈ヶ岳2015

そして、真っ暗になり、シュラフに潜り込む。モンベルの0度までOKなシュラフとSOL(Survive Outdoor longer)の何度も使える筒状のエマージェンシーシートをカバー代わりに。ダウンにフリースにと着込んで寝たがそれでも寒かった。この日、富士山で初冠雪だったらしいし、やはり相当冷え込んだのだろう。途中でホッカイロも投入した。この時期は、モンベルのexpeditionのシュラフがいいなと痛感。かさばるが、快適な方を選びたい性格なのだ。

朝の4時30分に目がさめてしまいテントを開ける。真っ暗だが、天気が気になるのだ。空を見上げると満天の星空。ホッとした。これで明日は晴れる。うっすらと明るくなったので、温かいミルクティーを飲む。そしてパンを食べる。荷物をある程度片付けて、テントはそのままで出発。

送信者 仙丈ヶ岳2015

最高の青空。昨日は何も見えなかったが、テント場からは紅葉の山と甲斐駒ケ岳が見える最高のスポットだった。てくてくと登山開始。樹林帯を抜けると、青空!そして、山、山。気持ちいい。富士山もすぐ近くに見える。これが好きなんだなーと空気を吸い込んで歩く。人も少ないし、静かだ。風も強くなく、空気は凛としている。紅葉の木々もありながら、2700メートルを超えると3センチぐらいの新雪が積もっていた。夏には感じられない、このひんやりとした張り詰めた空気。自分の身も引き締まるし、好きな季節だ。

送信者 仙丈ヶ岳2015

グリップのよいシューズを履いてきてよかった。まあ、新雪だし滑ることはないが、もう夏山は終わって冬が来るのだなと実感した。小仙丈ヶ岳を超えて、仙丈ヶ岳の頂上に。ぐるっと360度のナイスビュー。のんびり、おにぎりを食べて、下山。行きとは異なるルートが良くて、仙丈小屋、馬の背ヒュッテ方面へ。こちらのルートはほとんど雪がなかった。そして、カールが美しく見上げれる景色。登りのルートは北岳や甲斐駒ケ岳などを見ながらの華やかなルートだったが、こっちは地味なルート。でも、この地味な景色がまたいいのだ。しみじみといい山だなと感じられる景色。

送信者 仙丈ヶ岳2015
送信者 仙丈ヶ岳2015
送信者 仙丈ヶ岳2015

薮沢から大平山荘方面へと行き、仙丈ヶ岳を折り返してぐるっと1週のルート。薮沢からは甲斐駒ケ岳がズドーンと目の前に。この景色は圧巻。そして、北沢峠に戻ると、テントを乾かしてから片付けることにした。家に帰ってからテントやシュラフを干すのがめんどくさいから。昨日の雨でいろいろ湿っているので、徹底的に乾かすことに。1時間ぐらい干して、片付けてを行って、宿題を早々に片付けた感じで気分もすっきり。

送信者 仙丈ヶ岳2015

広河原へのバスに乗るため、バスのりばで待っていると、歩いてくる人が。あれ、池さん。偶然にも友達が一人で歩いてきた。こんなところで会うとは。車できて甲斐駒ケ岳に登ってたらしい。お互い一人だったので、帰りは広河原から芦安駐車場までバスで行き、温泉に入り来るまで送ってもらった。

送信者 仙丈ヶ岳2015

視点を変える価値

先日、キリアンがウルトラピレネーのレースで動画を撮りながら走った映像が公開されていた。
世界一のトレイルランナーだけしか見れなかった視点を世界の人が見れる。重力がないかのように走る視線、キリアンだけが得られる多くの人からの声援・賞賛。

マムートの360というプロジェクトで、アイガー北壁を登るクライマーの背中に360度撮影のカメラを搭載して撮影した映像も公開されていた。この臨場感も、ただものではなかった。

リコーのシータは全天を写す。
Googleストリートビューも。
GoProも。
ドローンだってそう。

カメラは今までもあったが、その見せ方、撮り方が変わっただけ。しかし、それが価値。

視点が変わると全く違う世界が見れる。新たな価値に気づく。そうすると、新たな活用方法が見いだされ、新たなビジネスが生み出される。実は、今までもあったものでも、見せ方を変える、見方を変える、使い方を変えるだけで世界は一変するのだなと、つくづく思う。

ふと、マムートの映像やキリアンが撮影した映像を見ると臨場感を感じ、バーチャルリアリティの世界も近づいたのかなと思う。技術的に進歩したり、より通常の人間と同じ視点に近づくバーチャルリアリティ。そして、こうした映像を何度も見てその経験を重ねていくとバーチャルリアリティが人間の中で一般化して、バーチャルリアリティが生々しさを持つようになる。そうして、スタンダードになりそうな予感がしてきた。

何が言いたいかって、バーチャルリアリティの技術の発展だけではなく、人間がバーチャルリアリティを何度も体験していくと、人間の脳や感覚がバーチャルリアリティに合わせていく、そうして、バーチャルリアリティをより生々しく人間が感じるようになるんだなってこと。

いつかはバーチャルリアリティが、一般人の生活に入り込んでくると思っていたけど、ふとそれも近いなと感じたのだ。オキュラスとかも、10年後とか当たり前のように普及してるんだろうなーと思う。

いきなりバーチャルリアリティに話が飛んだが、完全に作られたバーチャルリアリティとこうした人が撮った異なる視点の映像は、大きく異なる点がある。

以前ブログで、友達の撮った写真は身近に感じると書いたことがある。同じ場所を撮影した写真でも、自分がとったもの、友達が撮ったもの、知らない誰かが撮ったものだと、全然感情の入り方も違うし、頭に描くイメージも違う。あくまで、写真を見ていても、実際に見ているのはその写真を元に作り出された自分の中のイメージであるためだ。

こうした人間の慣れや人間の感情をうまく活用しながら、技術は人々に馴染んでいくのだろう。

http://project360.mammut.ch

身近なこと、人の目線(street view)

http://www.teratown.com/blog/archives/001538.html

10年前の自分、10年後の自分、そして今

10年後って、どうなっているのだろう。

42歳

植村直己さんも星野道夫さんも、42,43ぐらいで亡くなっている。だからって話だが、男の厄年もこのくらいだった気がする。お二人は事故だが、気をつけないといけない年齢だなと思う。一方で、それぐらいの年齢の友達もたくさんいるけど、俺と同じぐらい元気だし、まあ年齢だけ無駄に気を使う必要はないとも思う。

この世界はどうなっているか。

と、2005年ちょうど10年ぐらい前に、2015年の自分と社会について書いたメモがあった。それにしても10年以上もブログを書き続けているのも面白いなと思うが、記録しているからこそこんなことができるのだ。当時は大学3年で芸大に通い始めたり、友達と会社を始めたりとしていた頃。スマホがこんなに普及するとは想像もしていなかったし、リクルートという会社に入り、やめているとも思っていもいなかった。東日本大震災が起こるってことも想像だにしなかったわけだし、世界は未来は未知だ。

まずは、10年前に書いた予測の振り返り

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
 →予想通り。
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
 →あんまりアーリーアダプターではなくなったが(ガジェットを買うという点では)、新しいことには常に興味あり
・結婚している
 →結婚はしていない

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
 →うーん、道半ば。ただ、世界の捉え方、自分の信念というものはしっかり基礎が固まってきた感じ
・英語はぺらぺら
 →ペラペラではないが、毎日30分オンライン英会話で勉強中。
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。
 →気にはなっているが、特に活動はしていない

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
 →現金の利用は減った。電子マネーとクレカがほとんど
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
 →確かに進んでいて、今後もこれは続く
・マスコミがインド、インドと叫んでいる
 →中国の勢いに陰りが見えて、インド投資が盛んに。

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?
→これは10年前も今も変わらず。

続いて、2015年の今、10年後の2025年を予測してみる。10年前と同じ切り口で。

<<プライベート>>
・今までの経験と思考をもとに、世界をどう捉えるかを体系的にまとめ始めている(本でも、HPでも)
・定期的に旅と運動は続けている
・子育てに奮闘中

<<社会人として>>
・1,2年ぐらい海外で働いている(10年の間に1回ぐらい)
・心地よい場所に安住するのではなく、常に挑戦者としてチャレンジしている
・互いに尊敬し合える仲間と仕事をし、社会に新しい風を届けている

<<未来社会予想>>
・ビットコインが普及(ビットコインでなくても、政府が発行する貨幣以外が一般化)
・自動運転カーが走り始めている
・遠隔医療、オンライン診療などが一般化
・さらに所有しない社会になって、スマホから電子ペーパーに変わり、ほとんどそれだけで完結している
・個人移動用ドローン(タケコプターみたいなやつ)が技術的に可能になっている(利用の是非が議論)

<<一言>>

日本は圧倒的に元気を失っているかもしれないが、未来は自分たちで作るものであり、その瞬間を徹底的に味わいつくしていたらいいな。味わいつくすのは、単純に楽しいだけでもつらいだけでもなく、そうした全てを受け入れながら人生を自分のものとして生きているってこと。まあ、笑っていられたら最高だ。

BGM:Katy Perry – Roar (Alex G Cover)
BGM:OneRepublic – Counting Stars

January 16, 2005

タイムカプセル ブログ版~10年後の自分~

先日、ある側面から見れば10年はあっという間に過ぎた、一方で別の側面から見るとまだ10年しかたっていないと書きました。

また、成人式のニュースもあり、ブログ版タイムカプセルをやると面白いのではないかと考えたのです。成人した人も、社会人になる人も、大学生になる人も、生活に特に変化のない人もタイムカプセルブログ版。

トラックバックしてくれたり、コメントでそれは叶うなよ、とか多分叶わないなど書いてもらってもいいです。トラックバックとかでつながって、10年後にみんなで達成できたかどうかの報告会なんてやったら面白そう。

あまり数が多くてもめんどくさいので、書くのは箇条書きで10こだけ。

・プライベートで3つ
 10年後は結婚しているとか、はげているとか、都内にマンション購入、週末は趣味で山登りとか、なんでもあり。

・社会人・ビジネスマンとして3つ
 こんな能力や資格をつけて活躍しているとか、会社を起こすとか、年商100億達成など、

・10年後の未来社会予想で3つ
 現金がなくなっているとか、紙から電子ペーパーに変わっている、人口の半分がクローンとか

・最後に、10年後の自分へ一言
 そのままです。

まあ、僕の場合

<<プライベート>>
・定期的に運動や一人旅をしている
・あいかわらず、新しいもの好きで、アリーアダプターな日々
・結婚している

<<社会人として>>
・パーソナルミッションを見つけ、走り始めている
・英語はぺらぺら
・教育と地域のことがやっぱ気になり、時間をみては活動。

<<未来社会予想>>
・電子マネーの普及により現金の利用がかなり減る
・二極化がさらに進む。(金持ち、能力、都市と地方)
・マスコミがインド、インドと叫んでいる

<<一言>>
自分を、可能性を最後まで信じて、楽しんでれば最高だなぁ。さあ、今(31歳)の僕はどうですか?

BGM 空の下で MY LITTLE LOVER

http://www.teratown.com/blog/archives/001321.html

考えれば理解できることだけど、想像もしない仮定で世界はあふれている

推論というものがある。

状況を理解し、そこで起こることを筋道立てて考え、経験のないことをイメージする。推測する。
これは、人間が持つ重要な能力の一つだと思っている。

でも、考えれば分かるけれど、考えるきっかけとなる状況の前提(仮定)が世の中には無数にあって、その状況の前提(仮定)を認識することがないものが大半だ。そのため、結局のところ考えれば理解できるけれど、想像もできないことばかりで世界は溢れている。

ただ、考えれば理解できちゃったりもするので、結論を聞いてそんなん当たり前じゃんと、自分がその仮定を思いつかなかったことを棚に上げて、そういった発言が多々飛び出すのだと思う。

本来、自分が想像もしなかった新たな前提(仮定)に出会うと、人間の脳は活性化する気がする。仮定を言われて、そんなん当たり前ジャンというのではなく、その仮定を前提に、どんな事が起こるのかと考えを巡らすことの楽しさ、脳の刺激は、そこにある。

どれだけ多くの前提(仮定)に出会えるか。これが、楽しみでもあったりする。

出会うだけじゃなくて、より多くの前提(仮定)をほんとうの意味で理解できるようになるために、多様な経験、ひとつの物事の深い経験を積むかが鍵となる。

仕事でもそう。やったことある仕事は、いつも限られている。常に新しい状況の連続。だからこそ、今の状況を短期間で把握して、その状況を自分の頭のなかで整理する。それらを踏まえて、成し遂げたいことにいかに近づけるかを考え、施策を決めて実行、実行、愚直に実行しつづける。みたいな。

先日、5人姉妹という人にあって、お風呂が3時間待ちだと話していた。まるでテレビに出る大家族のようだ。5人もそれも女子ばかりいたら、確かに大変そうなのは想像できるが、自分の普段の生活とはかけ離れているので、そんな家族構成という前提(仮定)を想像もしたことがなかった。

同様に、トレランで100マイル40時間以上も走るって、日常の生活をしている一般の人は、この前提(仮定)を想像すらしないだろう。ノーベル賞を受賞した後の、自分を取り巻く環境の変化を想像すらしないし、まあ、そんな仮定で世界はあふれていて、自分にとっては仮定の世界でも、この世界に生きる誰かにとっては仮定でも何でもなく、それが目の前の現実なのである。だからこそ、より考えもしない仮定をイメージしながら、いろいろな人と接していきたいと思う。

http://teratown.com/blog/2012/11/27/naiaeeoaeyaectheiinai/