自分の頭だけで考えちゃいけない、言葉だけで考えちゃいけない

毎朝すごい数の人がスカイツリーに行くためだけに、はとバスのツアーを使ってる。俺の考えだと無駄じゃねって思うけど、別のところに価値を感じてるんだろう。普通に電車でも見にいけるけど、バスで友達見つけたいとか、バスで移動するほうが好きとか、なんかあるんだろう。つくづく自分の頭だけで考えちゃいけないとおもう。

人に聞く、相談する。
自分には無い視点をもらう。

そうなんだ、究極的に自分の脳は自分で閉じている。思考パターンもそうだし、自分で完結する場合は文字でなくてもいいし、文字でないことも多い。論理的に説明する必要なってない。自分の脳の中では。一方で他者と話すときは、文字や言葉、図などで伝え合う。自分の脳にあるものをそのような手段で伝えるために、文字とか絵に変換するときに、自分でも気づきがある。

さらに、相手は自分の伝えたことを完全に同じように捉えないし、その人の経験とかさねあわせて考えるから、また違った発想が生まれる。具体的に説明するってことは、相手に伝える手段としていいのだが、本当に言いたいことは伝わらない。本当に考えていること思っていることは文字で存在していなくて自分の経験やもっと抽象的な文字ではない脳にあるモノであったりする。それは絵かもしれないし、感情かもしれないし、全く違うナニカかもしれない。ただ、相手にはそれでは伝わらないので具体例というもので類似したものを言葉で提示して分かり合おうとしているだけ。結局、分かり合えっこなんかない。が、それがいいのだ。考えが発展するきっかけなのだから。

80%の共通認識と、20%ほどのズレ。これが、思考を発展させる。50%ぐらいしか共通認識がないとちょっと、話が噛み合わないってことになる。一方で100%共通認識ができてしまうと、新たな思考の発展がない。

仕事相手に気が合わない人が多い理由ってのも、その一種だと思う。それは、いいことなのだ。
http://teratown.com/blog/2014/10/08/aoaeeeucieiaiyi/

絵で考える人
文字で考える人
書いて考える人
話して考える人
数式で考える人

論理で考える人
思いつきで考える人

いろいろな方法があるし、数式をいつも扱っている人は数式で考えがちかもしれないし、絵を毎日考えている人は絵で、写真で、音楽で、物理法則で、作家は書いて、漫才師は話して考えるってな感じで、自分が身近な方法で考えることが多いかもしれない。だから、普段自分が使わない方法で考えると、新たな発想を得られたり。

俺は、文字で考えないことがあって、何で考えているかと聞かれると非常に説明が難しいのだが。。。積み木みたいなブロックのようなもので考えていたり、グネグネした糸のようなもので考えていたり、脳の右と左から何かが斜め上に出ていてそれがぶつかる感じのことが起きて考えていたりする。これは、言葉に変換するのが非常に困難だ。あとは、言葉なんだけど日本語でも英語でもない、俺独自の言葉というか擬音語みたいなのがたくさんあって、それで考えているというか感じていることもある。

ということで、他者の脳を使ったり、考える手段・方法を変えてみたり、自分が言葉で考えなかったことを言葉にしたり絵にしてみる、こういったことをすることによって、思考は発展する。思考は変換されて、新たなことに気づき、広がっていく。と、まあ、形にならないアイディアを自分なりに形にするための手段を書き留めておく。

http://www.teratown.com/blog/archives/000975.html

http://teratown.com/blog/2015/09/15/文字が文字である必要がなくなる日/

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