あれから何年目かの911

911という、365分の1。

2003年のこの日、911を意識したことを鮮明に覚えている。あの日から2年後のこと。僕は一人で旅をしていて、船でモロッコに入国した日だった。それは、あからさまに不自然な入国審査を目の当たりにしたからだった。

それ以降は、9月11日だなと思い、こんな風にどこで何をしていたかを毎年メモをして十数年の時を経た。そして今日、10年ぶりに911を再び考える日になった。

タクジさんに誘ってもらって、「百年愚行」の展示記念のトークイベント。
池澤夏樹さん。

かれこれ、池澤夏樹さんは10年ぐらい本を読ませてもらっている。星野道夫さんに興味を持ち、池澤夏樹さんに流れ着いた。そして、新井敏記さんに。巡り巡っている。

池澤夏樹さんの思想の拠り所というか、何をもっとも考えの根底の軸としているか、思想の偏りがどうかという話は、好き嫌いが人によってあるのだろう。ただ、どんな考え方をしているにせよ、歴史や文学などを知り、それを元にした深い洞察があるということには変わらないと思う。どんな思想であろうとも、その軸、スタンスをぶらさない姿、そして自己否定を含めて自問自答し続ける姿勢。

直接、話を聞くのは2回めだったが、やはりその思考の広さと深さ、そしてそれがあるからこその視点が僕には、とても新鮮で、考える切っ掛けをあたえてもらったし、なんだかすぐには消化しきれないモヤモヤが残っている。

知識を得、行動をし、考え尽くす。それを繰り返し、繰り返し、自己の中で反芻した結果、生み出された言葉。決して、難しい言葉ではないが、そこには繰り返された結晶としての言葉だったような気がする。

国公立大学の人文系を廃止するという話しから。

人文、理工について。
人文は全体観を捉える人&ちょっと突飛な発想をする人。理工は論理で考える人。どちらか一方では物足りない。アンバランス。両者がいるからこそ、世界はうまく成り立つということ。どんどん日本の人々は組織やエスタブリッシュメントに飼い慣らされていく。そして、大学もその流れに侵される。でも本来大学とは、いかに突飛な発想を提供できるかが価値だと。その発想をする人文はやっぱり必要だと。

メディアが抑圧される。それは、政治という面もあるかもしれないが、内部の人たちの妄想による自己抑制も。

SNSなどのソーシャルメディアは感情を発するメディアで、新聞などはすぐに発言できないからこそ理性や思考を伴うメディアになりやすい。

イラクに行った。現地の人が本当に優しかった、いい人だったから、一人反戦運動をした。

人間は愚かだし、知性がある。両方を兼ね備えているが、愚かな部分も永遠につづく。それが人間で、愚かさを含めて世界を考えなければならない。愚かであるのが当たり前だし、歴史を見ても人間は永遠に愚かなのだ。単純に徳を積むことがいいことなのか。それは、本当の姿なのか。

人間の知性は総和では変わらないかもしれない。サイエンスは、積み上げられる。が、人の感情や行動は積み上がらないということ。
ただ、絶対犯してはならない、重大なミスはやらない程度の知性は必要。そこまで愚かになってはいけない。

世界がより良く慣ればと考える。なってほしいが、現実は何もできない。それでもなお、考え続ける、悩み続けることが唯一の道だと思う・

いろいろな地域に住んで、そこから見た日本。

2001/09/11 岐阜 (岐阜在住)
2002/09/11 千葉の岩井海岸 (横浜在住)
2003/09/11 モロッコ タンジェ(横浜在住)
2004/09/11 インド ブッダガヤ (西日暮里在住)
2005/09/11 ボリビア コパカバーナ (西日暮里在住)
2006/09/11 新潟 越後つまりトリエンナーレ→東京 (巣鴨在住)
2007/09/11 東京 巣鴨 (巣鴨在住)
2008/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住)
2009/09/11 東京→沖縄 (阿佐ヶ谷在住)
2010/09/11 千葉県 御宿 オープンウォタースイム大会(阿佐ヶ谷在住)
2011/09/11 岐阜県・恵那でクリエイティブライティングの仲間とキャンプ(阿佐ヶ谷在住)
2012/09/11 東京 (阿佐ヶ谷在住) 数日前までは3週間ほどフランスとスイス
2013/09/11 東京:お台場(阿佐ヶ谷在住) ホテル日航東京で宿泊で研修
2014/09/11 東京(北千住在住) 特になにもない日常
2015/09/11 東京(北千住在住) 去年とは仕事が変わった。そして、タクジさんに誘われ池澤夏樹さんの話を聞いた夜

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