月別アーカイブ: 2015年8月

トレイルランナーヤマケンは笑う

最近、本を読んでいなかった。
特別な理由はないのだが。

「トレイルランナーヤマケンは笑う〜僕が170kmの過酷な山道を”笑顔”で走る理由〜」

読書リハビリ一発目というか、モチベーションアップ一発目。
雨の中走るために、本屋で買って2時間で読み、荒川沿いを25キロ走ってきた。

まあ、それはいいとして。

山本健一さん、通称ヤマケンさんの本。トレイルランナーの中でも、好きな選手の一人。理由は単純で、本当に山を楽しそうに走るのだ。笑顔だと体は良い反応を示す。感覚では分かっていたけど、以前ミウラ・ドルフィンズの低酸素室でそれを数値でも実感した。俺もトレランしてる時に笑うし、きれいな景色を見れば叫ぶし、前後するランナーと会話を楽しむ。

まあ、俺の話はいいとして。

この人、笑顔がいいのだ。

まあトレイルランナーの中で、1,2を争うイケメンだし、写真うつりも良いからってのはあるだろうけど。ヤマケンさんを見ていると、こっちまでワクワクしてくる、そんなエネルギーを周囲に振りまいている人物だ。まあ、こっちが勝手にワクワクしているだけなんだけど、笑顔の連鎖ってやつだ。

まあ、俺がワクワクする話はいいとして。

で、本を読みながら、こんなことを思う。

もっと、この人の人生を見たい。
もっと、もっと見たい。
心の機微も知りたい。
人の見た風景も、見てみたい。
どんな世界を見て、何を感じて、何を考えて、何をしたのか。
それをみたい。もっと知りたい、もっと知りたい。

インターネット以前と比べると、こういった芸能人みたいな人以外の特定の領域の有名人の映像や文章は読めるようになったけれど、もっと知りたい。いろいろな素敵な人生を送っている人をもっと深く知りたい。そう思う。

これは、昔からなのかもしれない。

他人に興味ないねって言われる。ことも多いが、
それは、真であり、偽である。

どうしても気になってしまう人がいる。
それは、1%か3%か、その程度なのだが。
99%か97%か知らないが、それぐらいの人には興味が無い。

その1%がヤマケンさんだ。

だから、世界の人の人生がもっとネットに乗ればと思う。
それは、文字データも写真も、映像も。いつか未来には脳波とかも。

情熱大陸がずっと好きだ。これも、同じ理由なんだろう。
自分の知らない世界を見たい。
惚れやすい人間なので、かっこいい生きかたをしている人を見ると、心の底から沸き上がる物がある。

小学生か中学生かなんて覚えていないが、その頃からずっと見ている。
テレビがない生活をしているが、気になる人の時はスマホのワンセグで見る。

笑顔と真剣な顔が好きで、探求者が好きだ。
己の軸があって、それに従って生きている人。

思い出せば、何年か前にヤマケンさんも情熱大陸に出ている。
再びこのブログを書きながら見てみた。

改めて思う。
何が一番好きかといえば、山が好きなんだと思う。
縦走が好きだ。
テントでのんびり歩き、汗を書き、美しい山を眺める。
夕日、星空、朝日、山の中での温泉、山の上での食事。
明日の天気にやきもきしながら、シュラフへと潜り込む夜。

でも、トレランも捨てがたい。
あの肉体を伴う高揚感。
脳だけでもない、肉体だけでもない。
両方が融合した頂点の状態、それを実現できるひとつがロングトレイルランニング。

僕のホームページのトップに引用している言葉

Exploration is the physical expression of the intellectual passion.
(A. Cherry-Gar-rad)

まあ、そういうことだ。
冒険とは、知的好奇心の肉体的表現であると。
フローとかゾーンと近いのかもしれないが、100マイル中の感覚はそれともちょっと違う気がする。

しばらく走ってなかったけど、また山を走りたいなと思った1週間だった。

送信者 記録

http://teratown.com/blog/2013/10/05/yssyyeyeyiyoyyoyaeyaeyye/

気に入った言葉の引用

P31
彼から学んだのは、自分に自信を持つことが、いかに大きなことなのか。
大会に勝つことが自身につながるわけではない。むしろ日々の蓄積が、何より大事。
たとえ足が早くなかったとしても、毎日部活に出ている。誰よりも部室の掃除をしている。集合時間には絶対に遅れない。何だっていい。
ほんの些細なことが自分を律していく。

P51
彼に向かって話したことは、自分の体を通じて感じたことだけだった。体験した以上のことは何も話せない。だからこそ、できるだけ多くの人と交わりながら、いろんな経験をしたいと思う。

P72
繰り返し訪れる急落と急登に、ワクワクした気持ちよりも疲労感のほうが強かったかもしれない。とにかくレースが終わったあとの欲求のことばかり考えていた。今、考えれば、それは苦しかったことの証だと思う。レースを楽しんでいるというよりも、苦行。修験道を走っているようなもの。

P86
すべてを受け入れるという、今までにはまったくなかった感覚。なぜか、いろんな欲求が落ちていった。今はほとんど動けないけれど、もう一度走ることができたらいいな。素直にそう思うようになった。

P98
一度勝つことができてからは、さらにレースに対する欲がいっそうなくなっていった。

P99
自分が限界だと思っていることをどんどん捨てていくこと。できるだけ勝とうとしないこと。体を硬くする要因を頭の中から排除することさえできれば、自分の中に眠っている力を引き出すことは誰にでもできる。

P105
僕は。「人生は極上の遊び場」だと思っているんです。越中隆雄さんの言葉

P113
がんばろうという気持ちなんてほとんどなくて、心のなかはありがとうで満たされている。中略 あらゆる人々、あらゆる事象に感謝して走っていた。

P116
街はもう人であふれていた。ゴールで仲間が迎えてくれた時の多幸感は、やっぱり言葉にするのは難しい。だから、みんなに走ってほしいと思うのかもしれない。

P162
いかに潜在能力を”自分の意志”で引き出すことができるか。 中略
自分の深い内面にも、あるいはもうひとつの違う次元にも、もっと世界が広がっていることをしりたいという好奇心なのだ。

P176
体は必ず状況に慣れて、新しいゴールまでたどりつく方法を提案してくれる。 中略
痛みが出てしまった時のコツは、痛みをそのまま受け止めないこと。 中略
眠気と痛みとでは、脳内の対処法は異なるけれど、意識を外に向けるという点では共通している。体の引き出しから、近しい経験を引っ張りだして、アレンジして使えるようになるまでに12時間かかったということなのかもしれない。

P181
もしも僕に人より優れたところがあるとすれば、ひとつは胆汁なところ。
もうひとつは人から力をもらう能力がるということ。

P204
超長距離は、より自由に、より自分が楽しむために走るもの。そうでなければ、ゴールにたどりつくことさえできないから。

暑くない夏、辛くないキムチ、苦しくない100mile

暑くない夏
辛くないキムチ
苦しくない100mile

まあ、なんだか物足りないものだ。

本来あるべきものが、そこにない。

8月というのに涼しいという表現を通り越して寒い。先週は半袖だと寒くて、長袖が必要なほど。1日や2日ぐらいは8月でも涼しい日はあるが、こんなにもずっと続くとは、もう秋のような気分だ。あれ、10月ぐらいまで半袖で生活するのが恒例だよなと思う。

今年は、三宅島と木崎湖は行ったが、これは毎年恒例の夏行事で、それ以外に登山の縦走も行ってなければ、モンブランも行ってないし、海外にふらっと出かけてもいないので、これまた夏って感じがしない。

こんなダブルパンチで夏を感じられていなくて、なんだか不思議な感覚。物足りなさ。

そんなこともあって、UTMBについてばかり書いているのだろうが、改めてみんなの写真を見ると日本とは景色が違う。やっぱりスケールが大きく、美しい。
絵になるのはヨーロッパアルプスだ。

でも、ヨーロッパアルプスはモンブランからマッターホルンからメンヒ、アイガーなどひと通り行ったが、実際に山を歩いていると日本のほうが好きかもと思う。写真写りは海外の山のほうがいい。それは広大だというのと、岩、湖、荒野、同じ木、みたいにパッキリ分かれているから。一方歩くなら日本の山々。こちらは、しっとりしていて、苔が生えてたり、多種多様な木々が生えてたり、複雑なのだ。だから、絵にはならない。

まあ、とにかく夏が夏らしくないことに困惑している。俺は、暑くて汗をダラダラ流す夏が好きなのだ。

送信者 雲ノ平と高天原温泉

ブランドを感じる出来事

大人の遠足

これって何か。

・仲の良い仲間と一緒
・遠くにでかける(海外)
・ちょっとリッチ(学生じゃ払えないお金がかかる)
・1週間以上の長旅
・ただのレジャー旅行ではなく、明確な共通のゴールがある

こんなイメージ。
すなわち、海外にまで行って、山のレースに出て、祝杯上げてって。贅沢だよな。って、UTMBでシャモニーに行っている仲間の投稿を見て改めて思う。

UTMBは完全に大人の遠足だし、アコンカグアも大人の遠足。たまには、大人の遠足に行きたくなる。

それにしても、俺のタイムラインはUTMB一色である。世の中の半分ぐらいはシャモニーにいるみたい。まあ、UTMB以外で行っている人や住んでる友達もいたりはするが。みんな地獄のように辛い顔した後、いい顔でゴールしていて、見ていて心地よい。

今年は、エントリーしていたものの行けなかった。PTLに出た仲間とTDSに出る予定だったが、2人の仲間は無事にTDSを完走した!さすがだ。

実は、今年からスポンサーがノースフェイスからコロンビアに変わっている。

最初、そのニュースを聞いた時、ああ、なんか有り難みが減ったなと感じた。ノースのほうが、格上ってほどでもないが、ノースのほうがいいな感じていた。それはブランドとしてノースのほうが上ってイメージもアレば、いままで第1回からずっと10年以上ノースだったことから、変わることへの嫌悪なのかもしれない。まあ、そんなものに、上も下もないのだが、じゃあ、パタゴニアやアークテリクス、マムートが開催する大会のほうが格上なのかってなる。

そもそも、運営主体は別なわけだし、あくまでスポンサーなのに、そんなことを聞いた瞬間に感じた。これがブランドってやつで、人間の行動に大きな影響を与える。

ただ、実際にコロンビアがメインスポンサーでUTMBが始まってみると、コロンビアだろうが、ノースフェイスだろうが気にならなくなっていた。というか、どうでも良くなっている。UTMBはUTMBだし、あの景色の圧倒的な美しさは変わらないし。

多くの人が参加しエンジョイしている、そして美しい景色。こういったものによって、さらに俺のイメージは変えられた。全くと言っていいほど、ブランドは気にしない性格だが、なんだかんだブランドが気になる人間だなと実感した出来事。

そして、ブランドイメージもそれを上回るもの、今回で言えば参加者の笑顔や美しい景色で、塗り替えることって可能だなと痛感。まあ、ユニクロも昔は、CMでおばちゃんが服交換してって裸になるのを放送してたぐらいで、今なんて超おしゃれ路線で、昔のおばちゃんのイメージなんてないんだし。

送信者 モンブラン登山とUTMB2012ver2

文化が生まれ、文化が根付く

こんなにも多くの人が、シャモニーの町へ行くのかと驚いた。
もちろん、目的はUTMB、そう、Ultra Trail du Mont Blanc

やはり、景色は美しいし、なんだかんだ有名選手は出場するし、華やかだし。USの古くからあるメジャー大会もあるが、これらはローカル色を売りにしている。それとは違ってUTMBは最高のエンターテイメントとしての100マイルレース。

そう、そんな、仲間の写真を見て、やっぱり美しいなーとか、みんなワクワクしてるんだろうなと思いながら、UTMBがあったから、日本はこんなにもトレランが浸透したのだろうと思った。

さて、俺がトレランを初めてやったのは2007年だか2008年のハセツネが最初。UTMBに行ったのは2012年。少なくともハセツネに初めて出た時は、トレランという言葉を知らなかったし、あまり使われてなかった気がする。WEB申し込みじゃなくてハガキで応募したし。そして、アウトドアショップの店員さんも詳しくなく、小さい靴を勧められたという苦い記憶もある。

ということで、なんでこんなに流行ったのかという背景と、流行る過程、文化として根付くまでにどんなことが起こったのかを時系列(個人の曖昧な記憶ベースw)で書き残す。たぶん、ここには他の文化が浸透するときのエッセンスもあるはずだからという、個人的なメモなだけなんだけど。

■流行の背景

・マラソンブーム
 →マラソン人口は圧倒的に多く、東京マラソンで火が突いた。マラソンに飽きた人が次の世界ということでトレランに流入

・アウトドア、登山ブーム
 →山ガールという言葉も生まれるほどの登山ブーム。一般人にも、特に若者にも山が身近なものに。

・装備が少なく始めやすい
 →お金がかからないし、準備が楽というエントリーのハードルの低さ

■文化として根付く過程で起こったこと

・富士登山競走、ハセツネといった老舗大会は継続的に行われていた
・石川弘樹さんは、ブームの前から世界の大会を開拓したパイオニアとして存在

・アウトドアブーム、マラソンブーム、トライアスロンブームから徐々にトレランをする人が増える
・古くからある、ハセツネなどの大会がすぐに定員オーバーになる
・主要大会で常に結果を出す鏑木さんなどが、有名になっていく

・信越五岳110キロやおんたけ100キロなど100キロオーバーのレースが誕生
・一般人が100キロに挑戦し始めること、トップ選手は海外の100マイルレースに参戦
・UTMBの鏑木さんの参戦がNHKで報道されるなど、トレランがテレビで取り上げられる
・UTMB3連覇だっけ?の伝説キリアン・ジョルネの誕生

・twitter、Facebookなどのソーシャルメディアでの拡散(大会の盛り上がりや山の美しい景色がどんどんシェアされた)
・ソーシャルメディアで仲間が増える
・ウェア、ザック、ジェルなどの機能的進化、おしゃれ化も拡散を加速
・サークル的なノリでトレランをする仲間のコミュニティがあちこちでうまれる

・有名な選手などが主催し練習会・講習会がいろいろなところで開催
・大会が全国的に増え続ける
・エントリー合戦が始まり、0次関門という言葉も

・トレラン専門の雑誌がいくつも発行される
・トレラン専門のウェブメディアが生まれる。
・様々な人がトレランに関して本を書く。
・洋書も翻訳される。(BORN TO RUNはじめ)

・大会エントリーのRUNNET、参加選手の写真販売オールスポーツなどの派生ビジネスがメジャーになる

・国内で実質的な初の100マイルレースUTMFの誕生
・UTMFのマスメディアでの報道、情熱大陸にヤマケンさんがでるなど

・おしゃれで先を行く人がやっている遊びの一つとしてのトレランの認知が生まれ始める
・トレラン友達などがトレランウェアのブランドを始める
・女性参加者が増える

・仲間内で主催する草レース大会が全国で増える
・一般人がトレイルランニングという遊びを認知し始める
・アウトドアショップにはトレラングッズがあふれる

・そしてちょっと最近ブームはひといきついた感じ?

こうして、トレランという文化が生まれて、根付いていったのかなと。2007年ぐらいからしか知らないけれd、当時はまだそんなメジャーじゃなかったから、ある程度はカバーできている気がする。その前の時代はかっこいいスポーツというよりは、一部の変わった人がやっていて、おしゃれでもないスポーツというぐらいの認識だった気もする。

そんな時代は山岳耐久レースとかそういった言葉だったが、トレランという文化の概念を表すカタカナ言葉が作られた。これは、流行らせるには大きなきっかけだったんだろう。

そして、憧れのキーワード。
それが、UTMBである。

わかりやすい憧れブランド。

例えば、UTMBはフェラーリみたいなもん。それぐらいのいつか手にとって見たい象徴。こういったものがあったほうが、ブームは作りやすい。でも、フェラーリは高すぎて庶民には変えないから、国産のレクサスで我慢しますみたいな、身近なあこがれを作る。ギリギリ手に届くあこがれを作った。その象徴がUTMF。でも、UTMFも100マイルというハクライ品の甘美な響き「マイル」は保っている。

まあ、マイナースポーツで終わるなら違うが、トレランがここまで普及し文化に根付くにいたったのは、いろいろな背景があるが、UTMBというわかりやすい、華やかな、あこがれが設定されたことは大きく寄与したんだろうなと思ったのだった。

ほとんど、トレランをしなくなった俺が、いまさらこんなこと書くのも変だが、写真を見返すと鳥肌が立つ。やはり、シャモニーでのあの瞬間の連続はとてもいい時間だったし、やっぱりUTMB好きだし、また行きたいなと思えてきた。そんなこんなで、毎日トレランのエントリーしてるのかもなーw。

送信者 モンブラン登山とUTMB2012ver2

キリアンは飛ぶし、世界は数字に踊るし、この世はいつもメリーゴーランド

人生って、多様だし、何があるかわからないし、世界はつながっているし、変わるし、変わらないし、本当にこの世界は面白い。生きていて飽きない。俺みたいな、飽き性な人間が常に満たされるほど、世界は驚きと、笑いと、悲劇と、つかの間の平凡さであふれている。

facebookにJust another dayというテキストとともにアップされたGopro動画。そこで、キリアンはナイフリッジを飛び回ってるけど、世界の99.99%の人は飛べないし。飛び跳ねたいとも思わないし。けれど、彼の身体性と、恐怖心を抱かない感覚があれば、岩と雪のナイフリッジだって、ピョンピョン飛び跳ねる。

UTMBウィークの始まりで、多くの仲間がシャモニーへと出発していく。飛行機は今日も明日も世界を飛ぶ。

一方で、同じタイミングでfacebookのタイムラインには、自転車で事故をして、体が全く動かなくなってしまった人がいる。

もちろん、生きている人は自分も含めて、死へ1秒ずつ近づいていることは変わりないし、でもそれぞれの個人が引き受けている今という時間の感覚は全く異なる。

株価は世界的に暴落し、円高に一気に振れる。叫ぶ人がいれば、日々の生活は大して変わらない人が大半だし。

全く知らない人たちが売り買いをした総体の数値、例えば株価とか世界経済の指数に影響されあって、世界の同調性によって連鎖的に株は下がるし。でも、大根の値段は今日も明日も変わらない。

なんにしろ、逆張りと時間差がものをいうが、それはなかなか頭でわかっても実行は難しい。今を切り取ると総合でプラスでなくても、逆張りをしておくと時間差で利益をそれぞれ確定できる。これは、株も人生も。ただ、未来は分からないから、逆張りはなかなかできないという不安心理。

結局、世界はロジカルでない意思決定であふれていて、ロジカルでない人の意思決定の集合体が世界だから、ロジカルに考えて正しいことがうまくいかない。

未来は楽観視しているが、悲観視もする。でも、起こったことは、いいように考える。反省から学ぶことはあるが、後悔をして引きずりはしない。

この世は成功すれば賞賛するし、失敗すれば避難される。同じ行為をしたとしても。結果で周囲の評価はくだされる。

それが、世の中だし、過程プロセスというのは、個人にとっては意味がスゴイある。言い訳でもなんでもなくて。でも、他者にとってはプロセスなんて、ほとんど価値がなく、結果だけ。それは、他人のことまでプロセスもしっかり見て評価するほどヒマじゃないから。

そんなこと全く知らず、絵を描き続ける人も、狩猟生活をする人もいる。それは、アトリエで死にそうになっている友達の顔をfacebookで見て痛感する。

と、どうでもいいけど、たった1日。2015年8月25日(日本時間)だけで、世界はこんなに、面白いと実感できた。

これもすべてインターネットの産物。

取り留めもない文章だけど、そんな世の中が好きだなと思う。全ては、インターネット。全ては、エンターテイメント。