月別アーカイブ: 2015年5月

東京藝大物語 茂木健一郎とデコボコな仲間たちの青春

一気に読みきった。

後半になるつれ、湧き上がる感情。
芸大という青春が終わりを告げる。

僕にとって、あの2年間は、
ありのままの姿が集まった場所だった。
それは、ひとりひとりの。

もともとこの世界がなんたるかを、本当に知りたくて、人間の意識ってなんだよと19,20歳ぐらいの時にずっと考えていて、行き着いた芸大の大学院のモグリ授業。茂木さんの意識系の本を読み、科学的アプローチとアート的というか感情的な両側からのアプローチや、その問題に対する捉え方、そして同しようもないものを、やさしく包み込む言葉に魅せられたのだ。

それまでは芸術なんて興味もなく、ピカソの絵なんて俺でも描けるぐらいのことを言っていた。芸大には潜ったけれど、意識について学ぶためという気持ちで出向いた。そうしたら、そこは芸大で、油絵科などを中心とした学生さんばかりいた。そんな仲間と時間を過ごしていくうちに、芸術というものにいつもまにか興味を持ち、以前とは全く違う捉え方をするようになっている。

俺は、結局この世界が何たるかを解き明かしたくて、そのためにいろんな経験してきた。でも、振り替えるとそんな方法だっただけで、当時はただ好奇心の赴くままに、いろんなところに飛び込み、いろんなことをしていただけだった。

そうして、21,22歳の2年間を芸大で過ごすことになった。木曜の夕方16時15分だったけかな、16時35分だったかな、いや15時だったかもしれない。その時間になると、決まって上野の東京芸大のキャンパスへと歩いて行った。

一番最初の日だけは明確に覚えている。上野のキャンパスに行き、ウェブで調べた時間に調べた教室へ行く。扉を開けると、えっ。この教室、小学校の半分サイズじゃん。2,3人が座っていた。これは、モグリがバレる。そうおもって、階段を降りて、キャンパスをあとにした。色々考えながら歩いていると、潜っているのがバレても、殺されるわけでもないし、ダメだったら帰るだけ。そう思って、再びキャンパスに戻り、階段を戻って着席したことを覚えている。そんな授業で、一番最初に指名されて発言を求められるなんて、思ってもいなかったけどモグリなんですがと話し始めたら、なんの問題もないよという感じで快く受け入れてくれた。これが、芸大の自由さであり、芸大の懐の広さであり、芸術が生まれる土壌であり、これが芸大なんだとその時痛感した。

アートなんて全く関係なかったのに、潜っていた2年。茂木さんの講義を元にディスカッションしたり、海外の論文を紹介してもらったり、アーティストなどが外部講師として来てくださったり、どんどん茂木さんが有名になり、教室に入りきらなくなって教室が変更したりと。もちろん、授業の後の飲み会は忘れられない。上野公園の砂場を囲んで夜な夜な飲んだこと。冬は車屋まで行って飲んだこと。

この世界の多様性を教えてもらったし、芸術というものが何かを考える切っ掛けや、本物の芸術に触れる場をもらった。それは、かけがえのない時間だった。本当にあの空間が好きで、あの仲間が好きで、今でも続いている。あれから12年の時を経て。

そんな12年前の出来事が、ありありと描かれた東京藝大物語。まるでその時にタイムスリップしたかのように、没入して一気に読み終えた。

この本は、まるで茂木さんの恋文のように感じた。
青春、芸術、そしてあの上野公園を囲んだ仲間に対するラブレター。

青春のはかなさを感じるけれど、それは誰にもあって、そんな青春を味わえたことを噛み締めて、次の世界へと羽ばたく心のエネルギーになる物語。

なんだか、心の奥底からえたいのしれないエネルギーが溢れだして、夜の闇に走りに駆け出したくなった。

過去に芸大について書いたブログ

月の奥に鏡を見る

安全基地

10年前はモブログでこんな洗い写真をアップしていたのか、ということにも驚き。
http://www.teratown.com/moblog/archives/001979.html

心に残った言葉

P91
「人間にはさ、あまりにも昔に諦めてしまって、諦めてしまったことさえも忘れている、そんな夢があるんだよなあ。」

P127
科学とは、実は、他人の心を思いやることに似ている。科学の正反対は、「無関心」である。たとえば、空の月は、なぜ、そこにあるのか。月なんて何か知らないけど勝手にそこにあるのだろう、と思っていると、科学する心は生まれない。 中略 すべての動物の中で、人間だけが、「心の理論」を持っていると考えられている。もしかしたら、人間が、ここまで科学を発達させてきた背景には、「心の理論」の普遍的な働きがあるのかもしれない。人間には宇宙という大いなる絶対的他社の「心」を、推定しようとしているのだ。あるいは、科学者スピノザの、万物に神が宿っているという「凡神論」に従うのならば、人間は、「神の意志」を推し量ろうとしているのだ。

P160
そんなところに、もう、企て、体験した者だけが持つ「特権」の構造が生まれている。

P161
幸福と、才能は、似ているところがありませんか。

P163
「まとめれば、幸福には、二種類ある、ということです。自分の才能を、最大限に発揮している、フロー、ないしはゾーンの幸福。一方で、自分の足りないところを直視せず、これで大丈夫だと勘違いしてしまう、偽りの幸福。みなさんには、ぜひ、前者の幸福を目指して欲しいと思います。才能のフルスイングによってしか、到達できない至福の幸福と、才能を小出しにして、送りバントを繰り返すことで、達成される幸福と。君たちは、どっちを選ぶのだろう。」

P166
ふと、ジャガーに言いたくなった。
「あのさ、こういう時間が、ずっとあると思っているだろう。もう、ないぜ。この時間は、二度と戻ってこないんだ。」
「へいっ。」
「居場所というのはさ、ある時は当たり前だけれども、失われるのは、あっという間だからなあ。」
「へいっ。」
「水たまりは、やがて干上がる。ひだまりは、つかの間の輝き」
「へいっ。」
「だから、この光景を、よく覚えておこうな。」
「へいっ。」

P174
アーティストの卵たちは、芸術の「自由」を「空気」のように吸って過ごしている。しかし、その自在の空間から、いかに「作品」という地面に着地するか、その間合いが難しい。 中略 卒業制作とは、ふわふわと空を飛んでいた学生たちが、卒業という大地に着地する、そのランディングの姿勢を競う場なのだ。

P187
アーティストは、良い絵を描くためには、不道徳なことさえやりかねない。凡庸な作品を作るいい人であることと、悪い人でも傑作を描くことのどちらかを選べと言われれば、芸術家の答えは決まっている。
問題は、選ぼうとしても、心とカラダの自由が、案外利かないことだ。
どんないい人の中にも、悪い人が潜んでいるものだとするならば、着ぐるみを脱がせなくてはならない。ところが、着ぐるみは、しばしば、自我と一体化してしまっている。
うまく皮を剥ぐことは、むずかしい。美は、往々にして、皮一枚にすぎないからだ。そして、着ぐるみは、油断をしていると一生つきまとう。

P203
振り返れば、その夕暮れが、間違いなく青春の一つの「頂点」だったと感じる。
青春とは、浪費される時間の中にこそ自分の夢をむさぼる行為ではなかったか。
偉大なる時間は、この上なく輝かしい生命の光にも通じる。
芸術のゆりかごは、その薄暗がりの中に、こっそり、ゆったりと揺れている。

送信者 art
送信者 art
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【色鮮やかな国へ10】結局ハードスケジュールでビニャーレス

http://teratown.com/blog/2015/05/21/【色鮮やかな国へ9】文明の誘惑に勝てず行き先変/

とりあえず起きて、いつものフルーツの朝食。さて、どうしよう。まずは、バスを見つけて行き先を決めよう。ハバナの中華門近くにバスとかタクシーが溜まっていて乗り合いでいけるかもと聞いていたが、ビニャーレスヘ行く人が見つかるはずもなく、少し見て回ってビアスールのバスターミナルへ行くことにした。タクシーを捕まえて、バスターミナルへ。

バラデロはリゾート観光地なので、まあ後でもいいかと思い、ビニャーレスへ行くことに。バスもビニャーレス行きが先にくるスケジュールだったので、こちらに。バスターミナルの近くでビニャーレス行きの仲間を集めるのも失敗したので、おとなしくバスで行くことに。でも、この国のバスはあせらせる。ま、ある意味外国人向けのバスでしっかりしている制度なのだが。それは、事前に予約販売している人がチェックインし終わって、出発の5分ぐらい前になると予約していない人にも席が販売される。だから、NO resavationな人たちは並ぶのだ。でも、こういった売り方をされるともしっかりアナウンスされているわけでもないので、2度3度とここに通ううちに習慣を把握したのだ。

送信者 キューバ201503

まあ、並んで帰るかドキドキしたが、なんとか席をゲットして、いざビニャーレス。夕方ぐらいの到着になってしまいそうで、そうするとビニャーレス渓谷は間に合わないかな。だとすると、明日に渓谷に行き2泊。ああ、バラデロはいけないかもと薄っすら思いながら、なんとか夕方から行って、ダッシュでバラデロに移動してやろうという、せっかち魂に火がついたのも事実。結局、じっとしていられない性格でいろいろと動き続ける。

送信者 キューバ201503

キューバでおなじみのYUTONGバスに乗って、ビニャーレスへ。途中、いくつか町によりながら。ビニャーレスに着く手前はぐねぐねとした山道。ロードバイクに乗っている人がたくさんいた。キューバではチラホラ見かけたロードバイク乗り。そうとういいバイクだったので、西洋人が持ち込んでバカンスで楽しんでいるのだろうか。

ビニャーレスの街は、街というより村は本当に小さかった。アスファルトの道は一部だし、道も細い。ただ、賑やかだった。日本人は皆無だが、ヨーロッパ人がハバナからツアーで来ていた。個人的にくるよりも、バスツアーがほぼ全てという感じ。バスを降りると時間もない、寄ってきた客引きについていき、本日の宿を決める。時間節約。でも、このおばちゃんが、めんどくさい。あれやこれやを勧めてくる。しまった、急がば回れだった。と思いながらも、すべていらないと断り宿に荷物を置く。宿の方は落ち着いた良い方だったのが救い。

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続いて、街へ行きビニャーレスへ行きたいと伝える。この時間にバスも出てないだろうから、タクシーを交渉する。値引きの交渉もそこそこに向かう。タクシーで15分ぐらいでビニャーレス渓谷に到着。閉まる45分前だったので、なんとかセーフ。さて、どれほどの渓谷なんだろうと思ったら、入り口に謎の古代生活風の装いで歌ったりする人。このエリアに昔住んでいた民族の紹介なんだろうか。

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そして、渓谷に。キューバにしては、きれいにライトアップされている笑 とはいえ、まあ大した渓谷じゃない。どこにでも、ありそうな鍾乳洞。インディヘナの洞窟では、船で移動。それにしても、アジア人がいないなーという感想ぐらいw

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洞窟を出て、外に出ると大雨。。。cats and dogs、バケツをひっくり返したような雨とはまさに、これ。キューバではほとんど雨に降られていないが、これは驚いた。けれど、ビニャーレスの街中に戻ると雨は降っていなかった。地形的な問題なのだろうか。

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わざわざ移動してきたけれど、たいして見ものがないwそして、村も小さすぎて1時間もあればすべて歩きつくし、何度同じ客引きに会い、もうお互いにが笑。街は小さくて、中心に配給を配る場所があった。建物の中には、小麦粉かなんかの袋が積み上げられていた。聞いた話だと、小麦粉、油とか、そういったものは配給されて、嗜好品は買うのだとか。夕暮れ時に、サッカー場で子供達が遊ぶ姿を眺めてから、パスタの夕食。サンチアゴデクーバで食べたパスタが思いの外おいしかったので、ここでもついついオーダー。

送信者 キューバ201503
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明日の朝イチにビニャーレスを出る乗り合いタクシーを予約。バラデロまで行くのがなかったので、ハバナまで。バスより早く着くので、同日にバラデロまでいけるかなという可能性にかけて眠った。

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その場でしか沸き上がらない感情

いつものカバンで、羽田から出かける。

なんだか、いろいろな国に出かけ、国内もいろいろなところに出かけ、どこに行くのも近くのコンビニへ行くのと同じ感覚になってきた。ドキドキワクワクが昔のようになくなってきた。これは、いろいろな国にそれなりに行って、それぞれの異なる文化や自然、人々を見てきて、新しい発見が減ったのもあるんだろう。船に乗らないと旅情感を味わえなくなってきた

英語とか片言のスペイン語を話し、コミュニケーションをとる。もちろん、身振り手振り、表情なんかでも分かりあう。お互いのことをそれなりに共有していく。現地の食べ物を食べる、バスに乗り電車に乗りその国独特の地形や風景を見る、知らないことはまだ無限にあるけど、減っていく。

旅も飽きたとか思った。それは、旅を重ねたからだけではないだろう。

バーチャルが発達した。ネットで本当にいろいろなもの、場所が観れる。google street viewなんて、ネパールのトレッキングコースとか山、極北の街だって。世界中の人たちの考えもネット上ですぐに調べれるし、facebookやtwitterなどプラットフォームが世界で統一化してきているので、調べなくても現地の人の声に自然と触れる。もちろん、iTunesとかSpotifyというプラットフォームもすごく、世界中の音楽も聴ける。食事も作り方はネットでもいろいろ載っているし、レストランでも世界中のものが食べられる。物流はどんどん密に張り巡らされ、amazonという、こちらも最強プラットフォームで調べ、個別に輸入も容易だ。

そして、世界は同質化に向かっていると思う。もちろんインターネットという手段が大きいと思う。他の国のことを知ってしまうこと。物理的に海外の人が来て知ることもあるし、大前提として資本主義というものが、その方向へと向かわせる根底の力であるとも思う。

まあ、政治がどうのこうのしても、国民が他国のことをネットで知り得ることが可能になった世界、これ自体はいいなと思う。でも、俺は現地で味わいたい派だと言っていた。そんなことは、個人的な思いとして持っていた。まあ、経験主義なのだ。

ふと、キューバで買った音楽CDを聞いた。

なぜだか、盛り上がらない。あんなにもキューバで盛り上がったのに。なぜだ。なぜって、当たり前なんだけど。その土地の気候、地形、食べ物、そして人々の生活から生まれてくる音楽。だから、その土地じゃないと意味がない。

いろいろな国の音楽CDを買って帰って聞いているけれど、こんなにも違いを感じたのは初めてだ。ちょっと自分でも驚いた。国の色が色濃く出ている証拠なんだろう。

そして、キューバがまた、好きになった。

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【色鮮やかな国へ9】文明の誘惑に勝てず行き先変更

【色鮮やかな国へ8】キューバがギュッとつまった街

爽やかな朝。トリニダーは、こじんまりしたいい街だ。でも、やることないし、せっかちなので次へ移動。でも、速くハバナについてもやることがないし、どうしようと思いシエンフエゴに一人で行くことにした。一緒だった2人組はハバナへ行くという。バスターミナルで時間とお金をチェックしたけど、いい時間がなくどうしようかなと。バスターミナルの前の客引きおやじと話すと、バスと同じ値段で行くよというので、お願いした。俺はシエンフエゴでおろしてもらい、二人はハバナへと。

送信者 キューバ201503
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予定も決まったので、朝ごはん。昨日と同じように露天みたいなところで、ハンバーガーと甘いジュース。ガヴァジュースに大量に砂糖が入っていて、くどさMAX。まあ、これもキューバっぽくていいじゃないか。

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おみやげ屋を見るけど、特に買うこともなく、華やかな絵がいいなと思っていると、パプアニューギニアで見た絵とタッチや色使いが似ている。暖かく陽気な国は、こういった絵になるのだろうか。昔の日本人とかだったら、絶対にこんな絵にならない。その後、街をぶらぶら。暑い、暑い、焦げそうな日差し。幼稚園では、子どもたちが昼寝してる。うーん、俺も昼寝と思い、一番高級なホテルへ。そのロビーで昼寝w

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ウマそうな弁当を食べている人がいたので、同じのを食べようと思ったけど、売っていなくて再びハンバーガー。焼きたての豚肉ハンバーグが入ったやつがうまいんだ。同じのを2つも食べてしまった。肉汁がたまらんのだ。キューバでは、似たハンバーガーを何度も食べたけど、ここのが一番うまかった。そして、70円ぐらいと、そこそこ安い。

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荷物を片付けに宿に行って、待ち合わせの場所に行こうと思ったら、タクシーが宿の前に来てくれていた。おお、ありがたい。それよりも、車が、車が!キューバでは珍しい、新車っぽい。おっちゃんも人がいい。それよりも、なによりも、まあ、なんといっても車が最高!ヒュンダイのほぼ新車。すわり心地いいし、バスと同じ値段出し、速く到着するし、これ以上は求められないレベル。

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乗っていると、この快適さに驚く。アメ車のクラシックカーも風情があっていいし、面白いのだが、文明の利器はすごいなーと。よりよいものを求めるという人間の欲望によって、それを満たすために企業がいいものを作る。それを享受する我々。まあ、常にいいものばかりでなくてもいいんだけど、快適さはいいもんだ。

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まさかだが、ハバナまで行ってしまおうと思いつく。なんでかって、いい環境で遠くまで行ったほうがお得だと思ったのだ。次に乗るタクシーやバスは悪い(ボロい)可能性のほうが圧倒的に高い。じゃあ、いい環境で長い時間乗ったほうが、快適だし疲れないし。と。学生時代なら、そんなことは全く思わなかったけれど、こういう判断をするようになったのは、年齢のせいか。ハードな旅をして、そういったのは満足しきったからか。

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うーん、と悩んでいたけれど結局シエンフエゴはやめて、ハバナまで行くことにした笑 突然の意思決定だ。まあ、もともと行き先なんてあってないようなものだし。判断はいつも早いほうなので。

早かった。昼に出たのに明るいうちにハバナ着。それも宿の前まで。バスだとバスターミナルから歩くかタクシーだから、同じ値段でも実質こっちのほうがいい。ふたたび10CUCのドミトリーへと。ボロイが安いのでついつい。

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二人はキューバ最後というので、夕食はキューバ料理を食べに。有名な鳥かなんかの料理を頼んだが、ハズレだったwなんだか、みんな黒焦げに日焼けしている。4月から3人共新しい環境で働くが、なんと自由な日本人。それから、カサデトローバへと行こうと歩いていると、おばちゃんの悲鳴が。かばんをひったくられたようだった。

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確かに、雰囲気が悪いなと話していたのだ。いろいろな国、街を旅していると、嗅覚が鋭くなる。ああ、ここ治安悪いなって。何が違うかと言われても、具体的にはないんだが、感覚でわかる。人だったり、ゴミだったり、建物だったり、いろいろと。カサデトローバあたりは、そこまで雰囲気悪くなかったが、派手な兄ちゃん、姉ちゃんばかりで、昔のキューバ音楽を楽しむ感じでもなかったので、宿へと戻る。

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翌日以降、どこに行くか決めていない。。ビニャーレスとバラデロが候補なのだ。スケジュール的に2つ行けるか怪しい。バスの本数とか時間が不明だし。でも、片方にずっといてもやることなさそう。うーん、と思いながら明日バスターミナルで決めればいいやと思い、眠りについた。

楽しんでいたら、いつの間にか練習を積み重ねていた。

それ自体が楽しくなる。

練習とか努力だと思うと、続けるのが辛くなる。でも、楽しくてやっていたらそれが結果的に練習になって、スキルが上がっていくことがある。

意識を飛ばして、ただひたすら繰り返すというのも習慣化の1つの手段だ。面白くないとか、辛いとか思いながらやるのが一番非効率だ。どうせやるなら、それよりも楽しんだ方が良い。どんなことでも、気の持ちようなので、せっかくなら楽しみを見出したり、楽にできる方法を考えるのがベストだと思う。

だから、俺はあんまり練習とかしない。てか、ほとんどしない。

例えばトレラン。

まさか100マイル走ることになるとは思っていなかったけど、山を走ることが楽しかった。ロードは好きじゃないんだけど、山は景色がいいし、風が気持ち良いし、楽しくて山に通っていた。そうしたら、結果的に練習になっていて、長距離でも走れるようになっていた。最初は想像もつかなかったところに、辿り着いている。練習と思っていたら、そこまでたどり着けないだろうなと思おう、自分の性格では。

例えば、ビジネスも。環境が変わって気づくけど、そうとうレアで良い経験を積み重ねていたのだなと。朱に交われば赤くなるというが、自分がどれだけの経験をしていたかと気づかない。その渦中にいると。でも、経営者視点と言われているようなものだったり、全体を俯瞰したり、表面的な勝負じゃなくて、もっと違った視点で企画したり、したたかな方法だったり、PLとかBS含めてのお金のマネジメントだったりと。これも、ゲームみたいで本当に面白いのだ。いつの間にか、目の前にやってくるボスキャラと戦っていたら、けっこう大きなボスと戦えるようになっていた。渦中では気づかなかったが、振り返ってみれば。だからこそ、Great vantage pointに常にいないといけないんだなと再度思う。

ブログもそう。忘れないように記録に残そうと思って始めた。自分の衝動を発する場として書き始めた。で、10年以上続けている。そうすると、いつの間にか書くのが好きになったり、書くのが早くなったり、少しは上手くなったり。これって、ビジネスにも活かされていると思う。瞬時に物事を捉えて、まとめて文章にするという能力。

ついでに、英会話を2ヶ月ぐらい前から始めたが、毎日続いている。キューバに行っている間はさすがに無理だったが、それ以外は毎日30分。これからは、日本も海外も境がなくなるし、日本はシュリンクしていくから、英語が話せないと市場価値が下がるとか、英語が話せないと面白い仕事ができないとか、そんな理由がゼロではない。でも、そんなことは、個人的には枝葉末節なこと。なによりも楽しいのだ。

たぶん、もともといろんな国を旅するのが好きだし、いろいろな人と飲んで話すのが好きだ。旅も、芸大も、NPOも、ビジネスも。それは、自分とは違う世界を見たいとか知りたいという欲求があるから。オンライン英会話は、毎日いろいろな国の人を予約できて、話をする。自己紹介とかあるテーマについて会話していると、それぞれの国の話が出てくる。すると、へーーーって思うことが多々あって面白い。毎日、違う国の違う文化の人と話せるなんて、楽しくて仕方ない。そうなんだ、日本はこうだけどと話すと、全然伝わらなかったり、文化とかって背景があるもんだからハイコンテクストで英語で伝えるのが難しい。けど、なんとか表現していると、理解し合えたりとか、面白いなーと。

で、フィリピンなり、セルビアなり、ボスニアなり、ボツワナなり、ドミニカなり、マケドニアなりの人と話していると、その国に行きたくなってくる。これも、また新たな未来の楽しみができていく。

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