月別アーカイブ: 2015年4月

できない理由ではなくて、やらない理由なんだ。そして、未練があるということは、それまでが満たされていた証拠。

「できない理由」ではなく、人の中には「やらない理由」しかない。

けれど、自分は「できない理由」だと思い込んでいる。それが俺であり、人間である。

「やらない理由」だけなのに、「できない理由」と思い込むには、それなりの理由があるはずなのだ。

それは、自分の今を肯定する理由だったり、金銭的なものだったり、家族だったり、体力だったり、法律とかのルールだったり、なんだかの理由を作って「できない」ことを後付けで証明しているだけ。

でも、できないことはない。やろうと思えば、本気でそういったモードになってスイッチが入れば、もしくは追い詰められて背水の陣になれば、今まで自分が「できない理由」だとと思っていたことが、自分が勝手に思い込んでいただけで、自分の後付けのやらない理由だったことに気づく。

スイッチは、いろいろな偶然の出会いとかきっかけにより、ONになることもある。すると、「できない理由」じゃなくて「やらない理由」だったんだと気づく。もちろん、これは少し前の自己を否定することでもあるから、意識的に自己客観視の癖をつけていないと気づかないことでもあるが。人間とは一貫性とか自己肯定をしたがる生き物だから。

常に、「できない理由」じゃなくて「やらない理由」だと意識しておいたり、スイッチがonになる出会いとかに巡り合った際に、その出来事がスイッチだと気づけるようにしておく。アンテナを張り巡らせ、アンテナの感度を上げておく。自己客観視と自己主観視を両方限界ギリギリまでしておく。

だって、チャンスなんていくらでもありそうで、チャンスなんて滅多にない。それが現実だから、チャンスは常にもぎ取る必要があるのだ。だからこそ、決めたら、えいやっと、飛び出すこと。

とは言っても、今まで持っていたものとかに未練とかあるのが当たり前。それは、今までの自分の選択が正しかった証拠。未練がないなんて、それまでが満たされていなかった証拠。環境に恵まれていた証拠。そこに感謝しつつ、でも、居座るんじゃなくて次の世代に場を提供するのも重要。でも、恵まれた環境だって永遠には続かない。だから、人間はえいやっと定期的に飛び出さないといけない。えいやっとできない人は、うじうじしてる人で、魅力的じゃない。常に自戒をこめて。

送信者 ドロップ ボックス

クリエイティブキャンプ2015

何回めだろう。
6年前だか7年前に通ったクリエイティブライティングの講座を発端に始まったForget me notという年末の発表の場とともに、クリエイティブキャンプというイベントが恵那である。3回目か4回目だと思う。

東京や関西から20人から30人ぐらいが毎年集まるのだ。台風でキャンセルになった年もあるけれど、続いている。今年も新宿を朝早く出て、恵那に。恵那に着くと、ああ、また戻ってきたなと思う。

買い出しに行ったり、BBQの準備をしたりしていると、すぐに時間は過ぎていく。新井さんも到着され、乾杯。焚き火を囲みながら久しぶりに会った仲間と語り合う。繋がっているけれど、繋がっていない。でも、みんなで集まるこういった場がある。その場の心地よさに、また仲間は集う。火を囲み、音を囲み、言葉を囲み、酒を囲む。いつも連絡するわけじゃないけれど、またこの場で集う仲間。不思議だけど、普段会う友達よりも、真剣な深く入り込んだ話をしたり。それは、火のせいなのだろうか。

以前はcoyoteの復刊でお祝いをした。雑誌が休刊ということは、すなわち廃刊。でも、新井さんはcoyoteを復刊させた。そして、今回は新井さんが伊丹十三賞を受賞されたのだ。新井さんは学生時代から、好きな人のインタビューをしたいと思い、インタビュー雑誌を作った。星野道夫さんや池澤夏樹さん、藤原新也さん、植村直己さん、沢木耕太郎さんというそうそうたる方々のインタビューをして雑誌を作ってきた。そして、独立系の出版社、雑誌社として今なお続けている。スイッチは30年、coyoteは10年というからすごい。

伊丹十三賞をお祝い。「長くやっててよかったなと思う瞬間です」そんな新井さんの言葉には、すごく重みを感じた。続けることの価値。苦労。だからこそ、生まれてくるもの。それからみんなが持ってきた音楽を聴く。ちょっと冷えるが、焚き火に当たっていると、それも忘れる。いつの間にか、眠たくなり、眠っていた。

朝起きて、成瀬さんの手作りの家(山小屋)を見にいく。さらに進化して、素敵になっていた。ずっと住むかというと、すまない家かもしれないが、あんな場を自分で作るって素敵だな。成瀬さんの人間性が滲み出た家になっている。やはり、作り手に似るのだろう。だからこそ、家のような自分がずっと過ごす場は自分で作りたいなと思うし、どんどん改造できるってのは幸せだろうなと思う。

そして、岐阜の実家へと帰った。僕の誕生日の前週ということで、姉もそろって誕生日祝いの夕食。家族全員そろっての誕生日祝いも何度できるかわからないけれど、嬉しい時間だった。そして、そのありがたさは、後から新幹線で一番しみじみと感じた。

送信者 クリエイティブライティング

【色鮮やかな国へ3】寝る、寝る、寝る、寝るバスで寝る

http://teratown.com/blog/2015/04/21/【色鮮やかな国へ2】ハバナの町を歩き、野球を楽/

昨夜は蚊に刺された。やられた。あの、ぶーんという音。何度もなんども刺されて、痒く不快だ。世界で一番嫌いなものは蚊かもしれない。夜中に長袖長ズボンに着替え、シーツで体を覆った。翌朝、同宿の人がムヒを持っていたので使わせてもらったら、かゆみが引いていき、気持ちがほっとする。

ガヴァジュースにフルーツの盛り合わせ、そしてパンというキューバ定番の朝ご飯を食べる。朝ご飯込みで10クックというから安い。そして、水シャワーを浴びてスッキリ。野球を見に行った仲間を宿から送り出して一人、ガラーンとしたフロアにぽつんとあるソファで寝る。さて、バラコアでも行くか。日本でビアスールのバスを予約してあったので、バスターミナルまで行くだけでOK。でも、バス停までどうやって行くか。誰か相乗りか歩きも考えたが、昼の出発だったので、街をぶらぶら。郵便局を見つけ、絵葉書を出す。旅に出ると絶対にすることのひとつ。

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さて、どうしようかな。この国はネット環境が非常に悪くて、wifiも飛んでないし、ネットカフェもない。そもそも、10年ぐらい前に旅をしていた頃は、ネットカフェが世界中にあったけど、どんな国でも家でネットできるから、なくなったのかな?まあ、場所もわからないので、タクシーに乗る。5クックぐらいだった。

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バスターミナルで予約した紙を見せる。てきとーな国だから、本当に予約されてたか心配だったが、問題なかった。中国製の観光バスという噂は聞いていたが、どれもかしこも中国製のバス。ユートンと書かれたバスだった。日本では聞かないが、キューバではこのブランドのみ。外人専用のバスということだったが、半分ぐらいは現地の人だった。隣の席のにいちゃんも、工場で働くエンジニアだったし。

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やることはない。20時間ぐらいバスに揺られる。寝る。寝る。寝る。外を眺める。音楽を聴く。隣の兄ちゃんと話す。そんな繰り返し。夕方に幹線道路沿いのカフェに。トラックや長距離バスなんかが休憩を取る場所。ここで夕食を。黒豆とご飯を炊いたものと肉。この豆ご飯はこの後もなんども食べた。そこそこ美味しくて、はまっていった。

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外を見ると、サトウキビ畑が広がる。おそらくキューバ人が大好きなラム酒をつくるため。でも、それ以外の野菜の畑とかは全く見当たらない。どこで作っているのだろうか。そんなことを考えながらまた寝ている。いろいろな街に止まりながら、人が降りていく、乗ってくる。終点のバラコアで降りるので、あまり意識することなく寝続けた。

自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生きている。

人生、同じようなチャンスが何度も訪れそうだけど、滅多にチャンスなんてない。だから、その目の前にあるチャンスを掴むこと。気になったら、後回しにせず行動すること。

こう思いながら、これって昔から自分の中で変わらないなと思う。

一通りの自分の価値観というか信念というか、生きる上での意思決定の軸というかが一通り出来上がったのが25,26ぐらいだと思う。それまでは、具体的な経験からエッセンスを抽象化してより本質的なことを理解しようとしていた。それをさらに別の具体的な経験に当てはめて実証みたいなサイクルを。

世の中のエッセンス、生きていく上でのエッセンス、いかに生きるか、いかに生きるかってのは社会の流れにも影響される。自分の性格を踏まえて、感情と出来事と合理性(経済的なものも含む)をどうやって、折り合いをつけるか、うまくやっていくか、渡り歩くかという秘訣みたいな方法みたいなもん。

なんだか、そういうといかにも考えて生きているようだけど、そうでもなかったりする。どこか、そういった合理的で未来を見ている部分もあるけれど、それは、最低限の部分にすぎず、それより重きを置いていることは自分の納得というもの。自分の言葉で一言で表すと、美学。全ては美学による。

でも、この数年はそういった新たな価値観に気づくとか、新たな意思決定の軸、新たな概念に気づくことが少なくなっていたけれど、様々な経験をすることは変わっていない。そうすると、25,26までに気づいたことって、本当に大切だなと改めて思い、自分の中で重みが増していく。若さという最大の価値。そして、その時に何を経験し、何を感じ、何を考え、何が自分の美学となるか。

運と勢いとノリが大切
えいやっと飛び出すには、きっかけといいわけが必要
人生は納得と覚悟
やるかやらないか迷ったらやる
ピンチになれば、なんとかする。なんとかなるではなく、なんとかする
背水の陣、火事場の馬鹿力
チャンスを作って、チャンスを生かす
人生万事塞翁が馬
どんなピンチでも、その状況を楽しむ
継続することの重要性
環境や人のせいにするのではなく、すべて自分が改善できることから取り組む
ロジカルとクリエイティブをいったりきたり
世界には流れというものがあり、それを踏まえることも大切
楽しまなきゃ人生じゃない
グレートバンテージポイントの大切さ(朱に交われば赤くなる)

人生を経験すればするほど、納得感が高まること。これらを、そう思い続けれるようにするためには、常にチャレンジし続けなければならないことだけは事実。慎重に、でも、やらないのではなく挑戦は絶対にする。このスタンス。

でも、こんな調子に乗った偉そうなことを言っていられるということは、それだけでありがたく幸せなこと。

振り返ってみると、本当に色々な経験をしてきた。自らの意思で飛び込んで、ドキドキして、でもワクワクして。それから副産物みたいな、ギフトに出会い、そっちの方がどっぷりはまり。そんな過程で、いろいろな生き方をしている人と出会った。出会っただけじゃなくて、そういった仲間と色々な貴重な時間を共にした。チャレンジであったり、真剣に議論したりと。地味に情熱大陸みたいなテレビとかcoyoteのような雑誌、そして本からも。

新たな世界に自分から飛び込むわりに、自分から飲みに誘うことはほぼないけれど、毎日のように誰かと飲んでいて、そうして誘っていただけて感謝ばかり。こんなことの積み重ねが自分を作り上げている。

全てはこの経験の積み重ねとその時の思考。あとは、自分では努力と思っていないけれど、はまって継続してやっていることが、結果的にいつの間にか果実になっていたりと。

こういった生き方をするとは思っていなかったし、こうなるなんて思ってもいなかった。でも、自分が思い描く世界とか生き方というものがあって、いつもどこかでそれを思い、考え、こうして書き残し、時には行動に出てみて経験する。答えがなく、悩み考えることもある。もちろん、まわりの仲間にも語り、いろいろツッコミをもらって、そうしたら世界はどんどん違って見えてくるし、ふと後ろを振り返ると全然違うところにいる。とどきそうで、ギリギリとどかない場所。いつもそんなところによじ登ろうと、ジャンプしようとしていた。そんな生き方をしていたら、こうなっていた。

最近は年をとったなと思うし、年をとるのが嫌だなと少し思う。年を重ねないと絶対に見えない世界があるのだけれど、疲れるということを未熟でまだすんなりと受け入れられていないのだろう。そんなことも思いつつ、まあとりあえずは、今しかない。過去も未来もない。過去にすがっても、憧れめいた未来に夢を見ても、それは現実ではない。やっぱり、今なんだと思う。今しかないという結論に至る。だから、つべこべ言わずに、また今日、明日を最大限楽しんで、納得して、未練のない時間にしようと思う。

そんな31年間であり、32年目です。

大学の親友が、「自問自答を繰り返し、新しい何かに執着して生きている。」こんなことをずっと前に言ってくれた。僕という生き物は、永遠にこの言葉につきるのだろう。

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http://teratown.com/blog/2009/11/01/iaauoeeoceaaaeaeaee/

【色鮮やかな国へ2】ハバナの町を歩き、野球を楽しむ

【色鮮やかな国へ1】あの時代のキューバを見たくて滑り込み

朝起きると。目の前がマレコン通りですぐに海が見える。朝食の前にちょいと散歩。ここがマレコンかあ。クラシックカーも走っている。ミドリにピンクに黄色にオレンジに赤にと、色とりどりのカラフルなクラシックカーが当たり前のように走っている。絵になるな。もちろん、建物の壁もパステルカラーだったり。何から何まで鮮やかだ。

送信者 キューバ201503
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クラシックカーだけでなく、新しいヒュンダイや日本メーカーの車もちょくちょく走っていて、60年前と現代が混在する不思議な場所だなーと思った。宿に戻って朝食は、ガヴァジュースにパパイヤにバナナ、パンにコーヒー。この後も朝食はだいたいこのパターンが多かった。毎日フルーツをよく食べた。ガヴァはそのまま食べるよりジュースがうまかったなー。

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荷物を全て持って、とりあえず町歩き。荷物が小さいので持って歩いても苦にならないのがいい。というか、大きい荷物だと不便だからいつも小さな荷物で旅しているのだ。マレコンを歩き、革命広場とかヘミングウェイが通った店で彼が飲んだお酒でも飲もうかと思って、ぷらぷらと歩いていく。

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なんの目的もない町歩きだけど、歩くスピードだと周りがしっかり見れて、話しかけられて、この国がどんな国かが知らぬ間に理解できていく。どんな国でも、最初はつかみどころないけれど、いつの間にかこうして歩いていると、この国がどんな国かというイメージの骨格が出来上がっていく。

送信者 キューバ201503
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マレコン通りを歩いているとクラシックカーが横を通り過ぎる。ついついカメラを向けてしまって、前に進まない笑。旅の始まりは、何が本当に珍しいのか分からない。60年、70年前のアメ車なんて見ることはないから、ついついカメラを向けてしまうのだ。まあ、結果的にキューバにおいてクラシックカーはいつでも観れるのでそんなにもがむしゃらに写真を撮る必要なんてなかったんだけどw

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ハバナ大学を超えて、革命広場へ。あの有名な内務省だか外務省だかの建物の壁にゲバラの顔がオブジェ的にある場所だ。ゲバラは絵になる顔をしている。おお、観光客も多い。さて、どこへ行こう。旧市街へ行ってみたかったけど、歩くのも遠いなと思っていたら、2回建てのオープンデッキバスが来たので飛び乗った。5CUC(クック)で乗り降り自由。

送信者 キューバ201503
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ぐるぐると街中を走っていく。視線が高くなるので、また街の見え方が変わる。墓地の横を通り、海の近くへ行くと少しばかりリゾートっぽいホテルが。そして、また革命広場に戻り、次はマレコン通りへ。海の風を浴びながらマレコンを走り抜ける。そして、国会議事堂の前の旧市街へ到着しておりた。ヘミングウェイが通ったというフォロリディータとメディオの2軒をはしご。パパヘミングウェイというお酒とモヒートを飲む。やっはり、観光客であふれていた。が、カウンターでヘミングウェイが座っていた席の横で飲む酒もいいもんだ。

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すると、空港であった日本人の青年にばったり。ふらっとハバナクラブの資料館に行き、メディオでモヒートを飲み、カテドラルなんかを眺める。そういえば、昼飯を食べていなかった。道端でピザを買う。これは、現地人通過で買えるので50円ぐらいと安い割に、ボリューミーでお腹いっぱい。宿を決めてなかったので、国会議事堂の近くの10クックという安いドミトリーへ。カサプラクティカルという民泊なんだが、ドミトリーというスタイル。

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夕方から野球があるというので路線バスに乗って、てくてく歩いて野球場へ。ハバナの地元のチームとどっかのチームの試合。なんだか、日本シリーズ的な試合かリーグ戦の優勝が決まるか決まらないかの試合だったようで、すっごい混んでいた。キューバといえば野球が有名で、この国の人々がどれぐらい熱狂的なのか見れて面白かった。

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暗くなるとほぼ満席。みんな、一喜一憂していた。ここでも陽気に踊りながら応援していたり。それにしても打撃は強いという印象。でも、守備とかはイマイチだったかな。球場で食べた米と肉の弁当がうまかった。帰りはバスもないので、宿までとぼとぼと歩いて帰ったら、眠たくてすぐに寝た。辛かったのは、蚊だ。夜中じゅう蚊が飛び回り、刺されまくり。。。うおーーーって、発狂しそう。本当に蚊はいやだと久しぶりに感じた夜だった。

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