秋のひっそりとした山の時間

南アルプス南部

赤石岳から入り荒川岳、塩見岳などを越えて、北岳から広河原に降りた。3泊4日。

3000メートル級の山が連なるけれど、アクセスが不便でひっそりとした場所。

秋のおとずれにふさわしい静かな山、そして秋晴れ

初日は赤石岳避難小屋に。アコンカグアに一緒に行ったハラペコ登山隊の仲間が仲の良いドンドンさんがご主人ということで、めずらしく小屋に泊まることにした。旅は道連れ世は情けというか、僕という人間は偶然という出会いによって、育ててもらっていて、今回もこの日からスタートしたことで、残りの旅が意味付けられた気がする。

ドンドンさんと飲みながら、日が沈む頃には小屋を出て夕日を眺め、また飲みながら話し、寝る前に夜空を見上げに行く。そして、朝になれば、起こしてもらい日の出を見る。そんないい時間。

ドンドンさんとこたつで飲みながら、こんな話を聞いた。

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朝はなんで、新しい気持ちになって、拝みたくなるか知ってるか?

朝という漢字を分解すると十月十日

そう、体育の日

晴れの日

でも、他にも読み方があるだろ?

とつきとおか

そう、子供が生まれること

朝は生まれ変わること

新しい命だから、拝みたくなるんだよ。

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ツガの木をしってるか?

ツガの木は、大きく育って、倒れて土に還ってゆく。

そのツガの倒木の上に新たな木の命が芽吹く。

ツガは倒れてからも、新たな命の礎になるんだよ。

だからツガは木の母(栂)とかくんだよ。

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静かな山小屋でこたつに入って飲みながらこんな話を聞くと、東京で聞くそれとは違った気持ちに包まれる。

こんな時間を過ごした後、3日間ほど山を歩く。

時には肌寒さを感じ、山の木々も色づき始める。
このエリアは人も少なく、ひっそりとしている。

なにか考えたいテーマがあるわけではないが、ぼんやりといろいろと考えを巡らす。禅問答のようなことも、仕事のことも、将来のことも、仲間のことも、家族のことも、山のことも、アコンカグアに行ったことも、星空をなぜ美しく感じるかとか、星野道夫さんの言葉とか。。。ドンドンさんの話をきっかけに。答えはないし、答えも求めていない、そんなことを考え、感じながら過ごした4日間。

最後の日の夜、テントで眠りにつけずスマホを見ていた。アコンカグアを失敗し、1人パタゴニアへ行った時に撮った本の一部があった。星野道夫さんの「旅をする木」

「人間の風景の面白さとは、私たちの人生がある共通する一点で同じ土俵に立っているからだろう。一点とは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いであり、面白さとは、そこから分かれてゆく人間の生き方の無限の多様性である。」

「一人だったことは、危険と背中合わせのスリルとたくさんの人々との出会いを与え続けてくれた。その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。それは実に不思議なことでもあった。バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人の出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきりと見せてくれた」

「ひとつの体験が、その人間の中で熟し、何かを形づくるまでには、少し時間が必要な気がするからだ。」

「町から離れた場末の港には人影もまばらで、夕暮れが迫っていた。知り合いも、今夜泊まる場所もなく、何ひとつ予定をたてなかったぼくは、これから北へ行こうと南へ行こうと、サイコロを振るように今決めればよかった。今夜どこにも帰る必要がない、そして誰もぼくの居場所を知らない……それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。不安などかけらもなく、ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。」

何年後かに、ふと思い出しそうな、とってもいい時間を過ごさせてもらった。ありがとうございました。

送信者 赤石岳から北岳縦走

数年前に、阿佐ヶ谷で聞いた話しも思い出した。

http://teratown.com/blog/2011/11/12/eiaeeeaaeiocaciucaeu/

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