日別アーカイブ: 2014/9/1 月曜日

時間と肉体の有限性が生み出す世界の面白さ

キレイごとを言う人より、発言はどうであれ行動する人を信じる。

飲み会でも、引っ越した遠くの友達でも「行くよ」と言って来ない人よりも、何も言わなくても来た人。

地震の時に東北のことを思うと本当に心が痛むと言う人よりも、ひどいことを言っても実際に現地へ行ってボランティアをしてきた人。

もちろん、いろんな事情があって足を運ぶことが全てではないにしろ、どちらかと言えば行動した人を信じる。

でも、行動の部分が地味なことだったり、その人が行動したことを言わなければ、キレイごとを言った人が評価され、口が悪いが行動した人は批判される。

世の中はそういうものだと言えば終わりだけれど、俺は行動者を信じる。

でも、なんでだろう。

タイムマシーンが存在しないことに答えのきっかけがあると思う。今この場で人が存在している。だから、タイムマシーンで過去に行った時、この場に別の何かが存在してしまったら、存在が重複してしまう。時空のゆがみとかなければ、それはあり得ない。って、言っても表現が下手で伝わらないので、具体例を書いてみる。

僕ら人間は物体だ。肉体という物理的に存在するものであり、それから切り離して考えることはできない。いくら優秀な人であろうと、いくら金持ちであろうと、その逆の人であろうと、自分という物理的なものが存在する。時間と同様に、全ての人にあまねく肉体という物理的な存在が1つだけ与えられている。死は、その物体が消滅することを意味しており、死を迎えない限り物体としての自分が存在する。

そう、この時間と物理的な存在での自分は切り離せないのだ。有限な時間と有限な存在である肉体。行動とは、その有限な時間と有限な肉体を捧げるという行為なのだ。言い方を変えれば貯金を切り崩すような行為。有限の人生の中で、そこに自分の命の一部を捧げる行為なのだ。

そんな行為が行動である。行動とは、自分の命の一部を捧げること、だからその行動をしてもらった側には、気持ちが伝わるのだと思う。言葉は行動を伴わず、ほとんど自分の時間も肉体も捧げていない。だから、何の代償も伴わないから、信じていいのか悪いのかが分からないのだろう。

この絶対的にかかってしまう時間と肉体というのは、究極的に人間という生物が行き着くところだと思う。いくら天才でも、いくら金持ちでも関係ない。だから、そこから飛び出したくて、人工知能とかクローンとか、再生医療とか、脳科学とか、タイムマシーンとかそういったものに人間が挑んでいるんだと思う。でも、これはなかなかブレイクスルーがないと思う。だから、面白いし、俺も興味あるし。

なんだけど、行き着くところは時間と肉体の有限な存在だ。これは時給系スポーツも同じだ。いくらお金を積んでも、100キロ走れるようにならない。効率的なトレーニングや食事方法はあるけれど、やっぱり絶対的な時間を確保して、日々の運動を積み重ねなければならない。そうしなければ、成長しない。絶対的に時間も自分の肉体も使わなければならない。それらと切り離せないからこそ、みんなが同じ土俵での勝負になる。いろいろ考えて行くと、こういった時給系スポーツにはまる理由はここにあるのではないだろうか。

そして、迷ったら物に立ち返れ。これは、数年前に茂木さんが芸大の友達に言った言葉。そう、物は存在する物体だ。揺るぎない存在だ。存在しないものは、解釈によっても違うし、言葉というものも解釈による。でも、存在するものは揺るぎない。もちろん、物も解釈によって変わるが、その存在自体は揺るぎなく、そこにあるもの。

まあ、長々と良く分からないことを書いたが、有限な時間と有限な肉体(物体)というものが、人にとって究極的によりどころというか、面白い存在だということです。

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