月別アーカイブ: 2014年8月

やり残した夏の宿題

UTMBウィーク最終日

UTMBやPTLの選手が続々とゴールする。ソーシャルメディアの俺のタイムラインはUTMB一色だ。去年も一昨年もあそこにいたのだから、愛着はある。今週末は友達と山に行く予定だったが、集合したけど雨っぽいと解散して結局、家にいる時間が多かったので、UTMBのライブをネットで見ていた。仲間のゴールや優勝者のゴールなど。

やはりお祭りだなと思う。アメリカの100マイルレースとは違うし、日本のそれとも違う。独特の高揚感。みんないい笑顔をして帰ってくる。途中のエイドステーションでは、真剣なまなざし。そのギャップがいい。いい時間を過ごしているんだろうなと思う。

何か成し遂げたいことや実現したい世界があって、そのために日々積み重ねて行き、こういったその成果を出し切る場があるというのはいいもんだなと思う。

今年は日本人初のPTL完走者が出た。すなおにスゴいと思う。ブラボー。今、東京にいる自分が、1年の時を経て、PTLとは何だったのかを書き記したいと思う。

ひと言で言えば、本気で勝負して、本気で負けた経験だった。

勝負する前から、今までの人生の中で圧倒的にハードルの高い勝負だと分かっていた。そのために準備をした。装備の準備、肉体のトレーニング、コースやGPSの使い方の準備。

ただ、それらを遥かに越えていた。レースのイメージを正しく持って練習することの大切さをしった。正しいゴールイメージを持って練習や準備しないと、全く無意味なのである。

とはいえ、レースのイメージが沸きすぎていたらチャレンジしていなかった。あまりにも過酷だからだ。知らないから挑める強さと知っているから着実に準備できる強さ。この狭間がポイントなんだろうと思う。

チャレンジしたからこそ、TEAM JAPONの3人の結束は揺るぎない絆になったと思う。互いの息づかいを感じながら過ごした時間、そしてあの決断をした瞬間、悔しさに涙をした日々。

3人で挑戦できたことが本当に良かった。価値観を共有できて、体力が同じぐらいで、休みも合致して、そんな仲間なんてそんなにいない。人生の中でそんな経験をすることって、滅多にない。アコンカグアもそうだったけど、2013年はそんな機会に恵まれた。

それだからこそ、三人でシャモニーに帰りたかった。でも、あの時のの実力じゃ無理だった。冷静に考えればそうなんだけど、、少しはああすれば良かったとも思った。

そんな甘い考えを吹き飛ばすぐらい、PTLのゴールを見て格の違いを感じた。全然及ばない。同じスタートラインを超えたものが、シャモニーに戻る瞬間。祝福と悔しさ、情けなさ。幾重にもなった感情が胸の中を渦巻いていた。

ラストフィニッシャーのゴールを見て涙が自然と流れた。こみ上げてきて、溢れ出した。ギリギリでもゴールする姿勢。音楽と共に祝福される。自分たちと重ね合わせ、三人でシャモニーのゴールゲートをくぐるイメージと重なり、それができなかった現実。感情が高ぶり、それぞれ涙していた。そんなシャモニーの昼さがりだった。

また、いつの日にか出るとしたら、TEAM JAPONの同じ3人でシャモニーに戻ってきたい。

あの景色は忘れない。

送信者 TEAMJAPON

雲ノ平と 高天原温泉へ

原始感覚美術祭のあとに登山。せっかく北アルプスのお膝元である信濃大町に行ったのだからというのが理由。去年と同じ流れだが、昨年は扇沢から針ノ木岳→白馬岳までの縦走。今年は、ちょっと移動して新穂高温泉から雲ノ平を目指すことに。

雲ノ平は秘境と呼ばれているけれど、どんな景色か見てみたい。そこにはアラスカ庭園という名前の場所もあるので、アラスカ好きな自分としては興味を持っていた。ただ、アプローチが悪く、かつ日数もかかるので夏休みぐらいしか行く機会がなく、のびのびになっていたのがついに実現。さらに、高天原温泉という日本で一番アクセスが不便な山の中に露天風呂がある。最近は、山を歩いた後に、山深いところで露天風呂に入るのが楽しみのひとつ。阿曽原温泉、白馬鑓温泉、本沢温泉などにつづいて、山の温泉が楽しめるということで、雲ノ平エリアに決定。

送信者 雲ノ平と高天原温泉

みんなは松本経由で東京に戻るので、一足先に稲尾駅から松本へ、そこからバスで新穂高温泉に向かった。松本駅前のコンビニで4日分の食料を買い、バスターミナルからバスで山道を進む。朝出たけれど、着いたのは昼過ぎ。この時間からどこまで行けるかなというのと天気が持つかなというのが気になりつつ、早足で登る。

送信者 雲ノ平と高天原温泉

どんより曇り空。地図を見ながら、コースタイムと自分の速度を比較しながら、どのテント場までいけるかにらめっこ。わさび平小屋にはテント場があるけれど、全然歩いていない。4日間の行程を考えるともっと先まで歩きたい。でも次の鏡平山荘にはテント場がない。小屋は混んでいて嫌いなので、なんとかテント場まで行きたい。とすると、その先の双六小屋まで行かねばならず、何時に着くか気になるレベル。フラットなところはコースタイムより短縮できない。登りはけっこう短縮できる。高低差を見ながらの、攻防。雨が少しパラついたり、霧はでたが16時45分ぐらいに双六小屋に到着。めでたしめでたし。テントを張ると雨が。夕食のラーメンを食べ、寝た。星も見えるはずなく、朝までぐっすり。

送信者 雲ノ平と高天原温泉

朝はテントを叩く雨音で目が覚めた。この雨じゃある気にならない。半分以上の登山者はテントを片付けて歩いて行ったが、俺はテントの中で音楽を聴いて、本を読む。飽きると地図を開いて、今後の天気を何パターンか想定して、どんな行程にするかをシミュレーション。やまない雨。何度か小雨になり、止むのだがまた降ってくる。13時過ぎてまた雨がやんだ。今日、この場所を出て次の場所である雲ノ平へ行くにはタイムリミットが近かったし、これ以上雨が降らない気がしたので、小屋に天気を聞きに行き、出発。

送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉

最初はかなり雲が厚く、霧で包まれることもあったが、次第に雲は流れて行った。この時間だけあって、あまり登山客にはすれ違わない。黒部川の源流を過ぎて、渡渉して靴はびしょぬれ。靴が濡れると靴連れとか嫌だし、気持ち悪いがしかたなし。雪渓を見ながら上り詰めると、青空も。おお、いいじゃん。なんだか、明日は晴れそうじゃん。木道が多く、周りには北アルプスの山々が。のんびり歩くのにはいい場所かもしれない。雲ノ平へテントを張り、夕食。

送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉

茜色に染まる夕焼け空は美しかったし、月も星も瞬いていた。明日は晴れるという確信が生まれ、朝から長い距離を歩こうと決めた。朝焼けも美しく、いい一日が始まった。雲ノ平のテント場は沢沿いだったからか、けっこう寒かった。6時頃にスタートして、高天原温泉へと向かう。ザックを全て持って。というのも、一度雲ノ平に戻ってくる予定だったからザックはおいておくのもありだったのだが、途中で時間がかかりコース変更するかもと思い、持って行くことに。

送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉

幸い、コースタイムをかなり縮めるかたちで進んで行った。やっぱり青空の山は気持ちがいい。これがあるから、また山に来てしまう。周囲の山も、足下の花も美しい。沢を渡り、冷たい水を感じながら。8時には高天原温泉に到着。想像よりもかなり速い。露天風呂につかる。ほっ。山の中で汗をかいて、それを流す露天風呂。最高なんだ。ゆるく登山して、山の中の温泉につかるというのが至福の時だ。そんな風に思うようになったのも年のせいだろうか。

送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉

汗を流してさっぱり、さーまた歩くぞ。先ほどの道を戻って行く。向きが違えば見える景色も違う。まずは雲ノ平まで戻り、そこからアラスカ庭園を越えていく。ちなみにアラスカ庭園はたいしたことなかった。雲ノ平のいい場所は山荘の前後ぐらいで、そこを見れば十分かな。それより、アラスカ庭園からの下りが石だらけ、倒木、苔むして滑る。なんだか嫌なトレイルだった。こんなところは嫌いだな。と思っていたら、トレイルランナーの山本健一さんが登ってきた。あの速さはおかしいとおもったし、荷物がトレラン。ここはトレランあんまりしないはず。やっぱり、普通の人じゃなかった。トップランナーだからできること。

送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉

おれは下る下る。無心で下る。薬師沢小屋について、川で足を洗う。靴は泥だらけなので、靴の泥を流して豆防止。そこからは比較的いい道で太郎兵平に。さらに、15分ぐらい離れたテント場に到着。14時30分ぐらいだったが、テントで埋まっていた。お盆がスタートしたからだろう。早めに突いてよかった。そして、よく歩いた日だった。また、本を読みながら過ごす。いい時間。音楽を聴く。いい時間。ただ景色を眺める。いい時間。曇ってきて夕日は見えなかったが、疲れたのだろういつの間にか寝ていた。

送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉
送信者 雲ノ平と高天原温泉

翌朝、目を覚まして朝食を。今日は折立に下山するだけ。バスにあわせて、急ぐことはない一日の始まり。曇っていたが、遠くまで見渡せる山の木道を眺めながらの下山。静かでのんびり。折立に到着し、バスで有峰口駅へ。ここがすんごい古い駅舎でびっくり。富山に出て、越後湯沢に行き東京へ。

送信者 雲ノ平と高天原温泉

荷物を入れ替えて、三宅島で銛突きに行くために、竹芝桟橋へと向かった。

8/11(月)

稲尾から松本 8:30ぐらい出発 9時30分松本着
松本から新穂高温泉
松本10時 新穂高温泉12時
予約は必要なし

8/14(木)
折立に下山
折立から有峰口駅へ 9:20発のバス
有峰口駅から富山駅へ特急で越後湯沢駅、新幹線で上野駅

1日目 新穂高温泉 - 鏡平小屋 - 双六キャンプ場            .

2日目 双六小屋 - 三俣蓮華岳 - 三俣山荘 -  - 雲ノ平

3日目 雲ノ平(雲ノ平散策)- 高天原山荘 高天原温泉 雲ノ平 薬師峠テント場 

4日目 薬師峠テント場  太郎平 折立                .

夏は甲子園球児のように

8月

夏が遠くに去っていく

朝夕が涼しいなと思ったら、寒いと感じるほどになっていた

夏が遠くへと去っていった

時の流れは常に一方通行で、戻れないからこそ楽しい時もあれば、なにか雲をつかむような物悲しさを感じる時もある

まだまだ、夏山へ行ってないし、汗を流して空の下でビールも飲み足りないし、外で音楽を聴いていたい

夏の延長戦がほしい

8月、夏の終わりになると、

去年も一昨年も、この時期はシャモニーにいたことを思い出す

数年前に憧れたUTMB、そして大いなるチャレンジだったPTL

自分にとって、届くか届かないかギリギリの背伸びがシャモニーにはあった

でも、今年は、今こうして東京にいる

去年PTLに出た日本人のもうひとつのチームメンバーは、まさに今モンブラン山群のどこかを走っていたり、UTMBを迎える仲間もシャモニーに到着したようだ

そうした写真や言葉を見ると、やっぱりいいなと思う

未練たらたらだけど、いいなとおもう

いや、シャモニーがというわけでも、PTLがというわけではない

ただ、そうした届くか届かないか分からないことに我武者らに、仲間と一緒に向き合っている夏がいいなと思う

それが、いい夏なんだろうな

まるで甲子園球児のように

送信者 TEAMJAPON

ハラペコ漁師隊 銛突きin三宅島

ハラペコ登山隊のタクジさんから、銛突きに行くという誘い。
最近は海の本を読んでいて、海っていいなと思っていたので、またしても乗っからせてもらった。

登山だけじゃなくて、島へも行くということで、ハラペコ探検隊に勝手に改名。ハラペコ漁師隊がいいかな。

ということで、夏休み最後は、三宅島へ銛突きに。もう1人、トップクラスのトレイルランナーの石井君もジョイン。

送信者 三宅島手銛漁

三宅島は銛突きがOKな島なのだ。NGなところもあるので、距離と合法という観点からここに。

夜行フェリー、橘丸という就航したばかりのきれいな船。2等なのに、しきりができていた。

朝5時の三宅島に着いて、バスで大久保浜のキャンプ場へ。ここがいい。温水シャワー、トイレもウォシュレット、きれいな芝生に炊事場。日よけができるくつろげるスペースも。もちろん、目の前に海。遮る物のないオーシャンビュー。これでいて無料。リゾート並みだ。ということで、テントを張る。俺らより前に3、4組ぐらいいたが、ちょうどなにぎやかさ。

送信者 三宅島手銛漁

キャンプ場はauは電波がないが、10分ぐらい歩くと商店があり、そこでは電波もつながった。ちょうどここち良い距離感。こういった野性的な生活するには、文明とのいい距離感を保てる場所。

送信者 三宅島手銛漁

朝飯を食べ、島を散歩して、どこに何があるか把握。ちょっと昼寝してから、さっそく漁へ。まずは、キャンプしていた人に魚がいる場所を聞く。当たりを付けて海へ。しかし、なかなか魚がいない。いても小さくて、食べれるサイズじゃない。うーん、うろちょろして、魚を探すといた。まず、一投目は我武者らにゴムを引いて。はずれ。石を打ってしまった。そんなことを何回か繰り返す。魚の動きや追い込み方、気づかれない接近の仕方を学んで行く。

送信者 三宅島手銛漁

そっとそっと、さかなに近づき、息をひそめてゴムを引く。刺さった。魚は暴れる。銛をしっかりとつかむ。ついに獲ったぞ!銛が命中してついにしとめた。よっしゃー。海の中で叫んだ。喜んで、タクジさんのところへ。俺は魚を入れる網を持っていなかったので、入れてもらうため。

ゲームだ。狙った者をしとめる快感と喜び。僕には釣りよりも、銛の方が向いていると思った。自分の目で見て、駆け引きをして、勝負をする。結果はすぐに出るし、常に魚を探したり、状況を把握しながら行動できる。せっかちな人間には向いている。釣りは見えないし、待ちが多いからむかない。

その後も、2匹取れ午前の漁は終了。さっそく、焼いたり、刺身にしたりして食べた。うまいね。獲れたては。刺身は氷で絞めたらもっとうまかったんだろうと思う。もっと銛突きでは魚が捕れないかと思ったが、想像よりも取れた。タクジさん曰く、銛がいいと。以前使っていた自作のよりも圧倒的にいいと。さすがに土佐の銛先だけある。

送信者 三宅島手銛漁
送信者 三宅島手銛漁
送信者 三宅島手銛漁

午後は、昼寝したりいろいろ話して、銛突きに。おれは山でラーメンとかの生活をして、そのまま来たので肉が食いたかったが、店で食べる案は却下され、夕方も漁へ。昼に続いてブダイやカワハギ、タカノハダイ、エソなど。同じ魚が多い。ご飯を炊いて、みそ汁に魚を入れて、焼き魚にして、ビールで乾杯。3人で獲って料理して、飲んで、話して、豊かな時間。食べるためにする行為以外、何もしない豊かさ。

送信者 三宅島手銛漁

眠たくなって、テントの前にマットを引いて飲もうとしたが、飲む前に僕もタクジさんも寝ていて、夜中に起きたら外だった。こんなことができるのも、島ならでは。

送信者 三宅島手銛漁

朝の日差し。強い。背中だけ焼けたようで痛い。海に入って、底を見ている姿勢だと背中だけ日焼けするのだ。そんなこと気づかなかった。2日目からはラッシュ代わりの長袖を着ることにした。朝飯は、パンとかですごす。

送信者 三宅島手銛漁

昼飯に向けて漁へ。港のテトラポットエリアへ。同じ魚ばかりでは飽きたので、違う魚を求めて。それがなかなか難しい。他の魚は動きが速かったりして、突けないのだ。狙っても逃げられる。難しい。シッタカという貝と大きなタカノハダイで終了。食べる分は、簡単な魚をとればいいと分かると、食べるために魚を突くのではなく、ゲーム性が強くなり、より珍しい魚、より難しい魚を狙うようになる。これも、人間の欲求が高度化するというか、変化するおもしろい実例。狙ったしか獲らなくなる贅沢だ。

送信者 三宅島手銛漁

昼はシッタカを醤油で煮てつまみに。そして、タカノハダイは鯛飯にした。これがなかなかうまい。肉が食いたい欲求はだんだんおさまり、夜飯も魚に。そのために夕方からまた漁にでかける。やはり珍しい魚を狙う。岩陰にいたり、岩と岩の間にいたりと、魚のいるポイントも感覚的につかめてきた。そこを狙う。

送信者 三宅島手銛漁
送信者 三宅島手銛漁
送信者 三宅島手銛漁

しかし、今までと違う魚はなかなか獲れない。獲れないと獲りたくなるのが人間の性。ひたすら狙いを定めて海をさまよう。なかなか獲れないけれど、他の楽しみも。イカがいたり、ウミガメがいたり、小さな魚の群れが一斉に向きを変えて泳ぐ。太陽の光を反射してキラキラと輝かせながらの群れの姿は美しく、同一性を担保する魚のコミュニケーションの神秘に魅了されながら。

珍しい魚を発見、突いたのだが逃げられた。魚のどこの部分を突くかによって逃げられることもあるし、苦しめてしまうことも。逃げた時に傷がついて弱まっていた。すぐに刺せばよかった。しかし、ゴムを引っ張る時間はない。自分の手で銛を直接持って、ぐりぐりと魚を突けばいい。でも、心がちょっと痛んだ。自分の手で魚を殺す。生きる魚の反発を手で感じながら殺す行為。ゴムで銛を飛ばして突くのとは違う。銛のせいにできない辛さ。

どっちにしろ、魚を殺すことに変わりはない。けれども、小さな自分の勝手な気持ち。触感をともなって殺すことの辛さ。北野武監督が、痛みを伴う殺人しか映画にしない。大量破壊兵器でいっきに殺す場面は自分の映画にはないけれど、刀で切るシーンはある理由を語っていたが、その感覚に近いかもしれない。

送信者 三宅島手銛漁
送信者 三宅島手銛漁
送信者 三宅島手銛漁

そんなこともあったが、魚が捕れないと夜ご飯もない。そこで、カワハギを取り、1匹だけ初めての小さめの魚を捕った。そして、夕食。商店まで買い出しに行って、それからいつものように調理。1人で来ていたキャンパーも混ぜて4人で飯。いろいろな話をして、取れたての魚をいただき、贅沢な時間を過ごした。そして、眠気とともにテントへ。

朝起きると、雄山の近くまで朝ラン。立ち入り禁止区域がまだあるので、その近くまで。一時期は全員避難したけれど、8割以上島民が戻っているという。朝ランをして、クールダウンで海にドボン。そして、テントを片付けて、島を後にした。

送信者 三宅島手銛漁

フェリーから見た夕日と夕焼け空は美しかったし、この3日間は豊かな時間だった。

送信者 三宅島手銛漁
送信者 三宅島手銛漁

◆装備

登山テントで必要なモノ以外


ウェットスーツ
ミニマスシューズ(ウォーターシューズ)
長いスパッツ
長袖のコンプレッション(日焼け防止)
捨てる靴下(フィンで足がすれる)
手のひらがゴムの手袋
スイムキャップ
水着
シュノーケル
水中メガネ
フィン
ナイフ
アームカバー
スキンズのカーフ
耳栓
クッカー一式
GoPro
水中OKなコンデジ
コンタクト
サングラス
日焼け止め
虫除け
キンカン
帽子
サンダル
テントは広くてメッシュがいい(涼しい)
出刃包丁
ウロコ取り
魚を入れて腰につけるメッシュの袋(洗濯ネット、細引き、留め具)
カセットボンベがつけれるコンロ
網焼きできるセット
コッヘル
割り箸
醤油
みそ
わさび

◆ブダイ
ブダイはウロコがついたまま、ウロコがこげるまで焼いて食べる
みそ汁にいれると油が出てだしが出る

◆シットコ(貝)
沸騰した湯に入れてゆでてから、醤油で煮るとうまい

◆タカノハダイ
ぶつ切りにして、鯛飯にするとうまい
そのまま塩焼きでもよくあるタイと同じ味

◆カワハギ
刺身
焼いて食べる
皮はどこから切り口を入れても簡単に向ける

いつもの夏 原始感覚美術祭2014

もう5年ぐらい来てるかな。
昨年に続いてお盆直前の土日で茂木ラボ合宿。

もう10年前のあの夏の終わりの木曜日、茂木さんの東京芸大の授業に飛び込んだ日。
全く関係なく、15人ぐらいしか入らない小さい教室を見て、いったん帰ったあの日。
でも、逮捕されるわけでもないんだからと、思い切って教室に入った時。
その時は、まったく想像もしなかった今。

10年経った。
茂木さんがこんなに有名になるとは思ってもいなかった。
そして、あの時の仲間と今も一緒にこうして語り合えることのしあわせ。

当時は、まだ21歳だった。
芸大の仲間も若かった。
尖っていた。いろいろ言い合った。
いろいろやった。
そして、よなよな上野公園の砂場を囲んで飲んだ。

今は、こうして毎年、木崎湖湖畔の古民家の囲炉裏を囲んで飲んでいる。
アートとは無縁の人生だった20年。
アートが身近になったこの10年。

お盆の登山とあわせて行くため、登山のザックを背負って稲尾駅へ。
1人で電車で到着したら、みんなはまだだったようで、雨宿りのために稲尾駅の無人の駅で待っていた。
本を読んでいると、雨の中誰かが来た。
こんな雨の日に、電車も来ないのに誰だろう。

「おお、寺町」
「こんなとこにいるのか、みんな来てるぞ」

茂木さんだった。
びっくり。

送信者 art

今年のいつもの夏はこうして始まった。
買い出しに行って、夕食のカレーを植田さんと蓮沼さんと作る。
夜な夜な、飲み、食べ、語り。
アートディレクターだから忙しい杉原さんも登場。
みんないつの間にか寝ていた。
囲炉裏を囲んで雑魚寝。
みんな何歳になっても、こうしたそのままの性格でいられる素敵さ。

送信者 art

翌朝も雨。
車で展示を回る。
杉さんのストーンサークルは畑になり、竪穴式住居は進化し、年々の変化が面白い。
続けることによって、この和は広がっていると実感する。

送信者 art
送信者 art

午後は、茂木さんと塩谷さんの話し。
塩谷賢さんの言葉は、平易な言葉ながら、考え尽くされたものが詰まっている。
さすがに、哲学者の方はいつも徹底的に考え尽くしているなと思う。
口をつく言葉が、あれだけ洗練されているということは、その100倍以上考え尽くしている証拠。

今回もいろいろと考えるきっかけのシャワーを浴びた。
心地よい刺激と脳の疲労。

送信者 art

夜は、電車にゆられて恒例のサムギョプサル。
宿で飲み直して、今夜も語り続ける。

そして、朝

晴れた

虹が出た

一足先に登山のために、みんなと別れ稲尾駅へ

また、来年もここに来れるのかな。
みんなで、また集まれるのかな。
そんなことを考えながら、でも、今集まれていることのありがたさを感じた青空の夏の日

送信者 art

===

印象に残った茂木さん、塩谷さん、田森さんの言葉

===

言葉があるから、ない(存在しない)ものを表現できる。ないからこそ、表現する。

脳と筋肉と免疫は少しストレスをかけた方がいい。

感覚が原点で、言葉はそれを支えるために生まれた。だから言葉ではありのままの感覚を表現しきれない。

都会にも原始感覚はある。

感覚の中の原始的なもの。

感覚が違うところにでる。自分の外にあることもある。脳で血栓があるのに、腕に感覚が出る。昔の人は、目の前に神という感覚があることも。

欲望と感覚の違い。感覚を支配することはなにか。

===ここから下は植田さんから引用

2度と戻ってこない人生で選びとっていること、その感性。知性や感性とは何か出来るということじゃない、それ以前のこと。何も役にも立たないことをやることの凄さ

感覚は生活に刷り込まれているわけで、細かいところから作り込まれることに対して自分の態度をどう表出するのか

人の言葉で自分の感覚が鋳型に嵌め込まれることに気をつけたほうがい

言葉はないものを表す手段として強い。
ないものをどう表すか?感覚をどう豊かにするか。表せない感覚を表すための言葉。どう紡いでいるかということの中で。

感覚のありかとは何処か。原因は頭の中にあるのに現象は身体にでることがある。見えてない感覚が描けるか?背中が見えないかのように見えないことを描けるの?描けるとしたらそれは原始感覚?

ありきたりな自然回帰に捉えらると、どうなのか?ある種の原始感覚的な態度は都会の中にでもある。プラトン先生)感覚の集まりのしかたの一つが美術。美術、と先に対象を決めて感覚を貼り付けるのは違うんじゃないかな?

マンハッタンのど真ん中にだって原始の態度というものがあるんじゃないか?サイトスペシフィックなものなのかな?

自然ってそもそもない。ネイチャーとは本性のこと。原始とは全体を見ていない、まとまらない世界。

自然に優しくというのは文明的で都会的なんじゃないかな?とタモリ先生

===