大好きが染み付いた町、阿佐ヶ谷と「さよなら」

思い返してみると、阿佐ヶ谷に引っ越す時もえいやっだった。
こんな生活が訪れるなんて思ってもいなかったし、どうせ2年で引っ越すだろうと思っていた。

阿佐ヶ谷に引っ越す前、僕はどん底だった。
仕事もイマイチ感覚をつかめず、趣味もやりたいことも特になく、その他すべてがうまく行っていなかった。
どん底だった。

24歳というのは厄年らしいが、まさにそんな年。
茂木さんに当時、どん底でよかったな。これ以上落ちることはない、これから良くなるしかないんだからと、言われたことを鮮明に覚えている。
確か、2007年の12月ぐらいに、芸大授業が終わった車屋の飲み会で。

そして、阿佐ヶ谷に引っ越した。
この町は知っている人がたくさんいた。
気が合いそうな、もっと仲良くなりたいと思う人がたくさんいた。
人に惹かれた。それだけの理由で、引っ越した。
住んでみると町もよかった。

救われた。
そこから、趣味もできたし、仲間の輪も広がった。
山に行くようになった。
クリエイティブライティングとか、写真展とか、仕事もうまく行くようになった。

ひとつ歯車が崩れると、ガタガタ崩れていくが、引っ越すことによってそれが好転した。
だから、長い間このまちに住んだ。
6年半。

岐阜以外だと一番長い。

そもそも、中央線が嫌いだった。
夕方中央線に乗る。
西に沈む夕日。
高層ビルから遠ざかる電車。
何とも言えない寂しさ。

東京に住んでから6年ほどはずっと、この路線には住まないと思っていた。
でも、こうして、住んでみると今までで一番住みやすい町になった。
皮肉なもんだと思う。
人間の感覚って、あいまいなモノだと思う。

そして、この町は便利だった。
オフィスの東京駅にも。
プールの千駄ヶ谷にも。
アウトドアショップの水道橋にも。
新宿にも。
山に行く奥多摩や山梨、長野にも。
すべて電車1本で行けた。

そして、引っ越さないからお金もかからないし、趣味に時間が使えた。
いや、趣味が楽しすぎて、地理的にも便利で引っ越さなかった。

とはいいつつ、飽きてきたし別の家に引っ越したいなとか。
ゴミがたまり続けるので、引っ越したいなとか。
家というスペースを使って、何かしてみたいなとか。
とかとか、いろいろな想いはあったが、信越、佐渡島トライアスロン、UTMF、UTMBやPTL、そしてアコンカグアと、いろいろとチャレンジ続きで、そのために時間もお金も第一優先になっていた。とにかく、やりたかったし、楽しかったから。

でも、今年の夏はPTLのリベンジをしないことを仲間3人で話してきめた。
アコンカグアでも、自分の判断によってヘリで運ばれる事態に陥った。
そんなこともあって、山への頻度が減った。

とすると、ちょっとやりたいことがなくて、悶々とする日々があった。
けれど、すぐにやりたいことのストックから、どうしてもやりたいことが浮かびあがってくる。
それが、家というか場を作ることだった。

思ってしまったら、ビレッジ不動産、東京R不動産、グッドルーム、イエティとかNomadとか、ちょっと変わった家を掲載しているサイトを調べまくる。なかなかいい家は見つからない。せっかく引っ越すなら、普通の家に住んでも面白くないし、それだと引越するモチベーションが湧かない。

そんな時に、古民家風の家に出会う。場所は北千住だし、家賃も高い。どうしようか悩む。悩む。でも、見た瞬間に、いいなと思った。こんな風に自由に家を選んで住む機会もあと何回あるか分からないし、金額的にも住めないわけじゃない、そしたらいっちょ住んでみるか。どうなるか分からない未来に少しばかり夢を見て。こんな感じだった。

阿佐ヶ谷という町には友達がたくさん住んでいるし、愛着もある、これからも遊びに何度も来るだろう。飲みにくるだろう。でも、しばらくさようなら。また、阿佐ヶ谷が恋しくてすぐに戻ってくるかもしれないけど、いや、住めば都だから、北千住が最高とか行っているかもしれないが。ま、そういうことで、阿佐ヶ谷さん、ありがとうございました。本当に、いろいろな経験をさせてもらって、育ててもらいました。そして、北千住さん、よろしくお願いします。

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理想とする本のある空間「素足の本屋」

自分の家を整理したしオープンにしよう。蔵書をウェブに公開して、いつでもお茶のみに来れる様に。

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