日別アーカイブ: 2014/6/11 水曜日

線の誰々っぽさと、言語化されない感覚の確からしさの証明

線の誰々っぽさと、言語化されない感覚の確からしさの可能性の証明っていう方が正確な表現かもしれないが、よけい分かりづらくなっているだろう。

芸大の友達とはかれこれ10年以上になる。絵だったり、建物だったり、オブジェだったり、アニメーションだったり、いろいろな作品を見てきた。それなりの期間ずっと見てきていると、この線、このライン、このタッチは、彼っぽいなとか、感覚的に分かるようになる。

人間は、その線の何を捉えて、誰々っぽいと判断しているのか。ふと、そんなことが不思議になる。

これは言語化されてないけれど、何かを捉えて判断している。そして、その精度は高いのだ。俺に限らず、一般的に高い精度だと思う。絵画とかの鑑定士も同じような能力を使っているんだと思う。

この線は、筆圧がどうでとか、色味がとか、曲線の曲がり方とか、とかとか、それぞれ、ここに特徴があって、彼の特徴と合致する。なんて言える人はほとんどいない。でも、絵などの作品を見て、その作品全体から瞬時に何か要素を汲み取って、これは彼の作品っぽいと判断している。

これって、すごい面白い人間の能力だと思う。

絵などに限らず、後ろ姿を遠くから見て、あれは彼っぽいとか、彼女っぽいとか分かるのが人間である。何らかの特徴、それは服装のテイストだったり、なで肩だなとか、慎重とか、足の開き方とか、とかとか。そんなとこから判断しているのだろう。でも、彼女の特徴は?彼の特徴は?と聞かれると、すらすらと言える人の方が少ない。頭の中では、彼の特徴は何でと言った感じで、明示的に整理はされていないことがおおい。

もちろん、それらを整理していて、頭で考えて、判断している人もいるのだろう。

絵がうまい人というのは、そういう能力の持ち主なのかもしれない。対象物を見て、その特徴的な部分を瞬時に読み取り、描く時に特徴を強調したりして、分かりやすく表現する。これは、ものごとを捉える力に他ならない。

ただ、一方で大半の人は特徴を意識的に捉えて、言語化したりはしていない。でも、これは誰々っぽいと判断はできる。そして、かなりの確率で正しいことがおおい。

ということは、言語化されていない根拠でも、確からしさの根拠としては意味をなすのだろう。しかし、相手に明示的に説明できないから、理解されなかったり、信用されなかったりする事も多い。特にビジネスの世界とか言葉が意味をもつ法律や書籍などの世界では。これは、非常に残念なんだけれど、本当は、言語化されない人間の認知把握能力はすごい可能性を秘めているし、証拠資料としても高い価値があるんだと思う。

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