月別アーカイブ: 2014年6月

約10年ぶりの中国

大学4年の時に中国を1周した。
確か、北京から入って西安とかシーニンとか、ウイグルにまわり、チベットへ、そして成都から上海へ。そんな旅をした。

旅が好きで、いつも旅が終わりに近づくと、もっとこの旅の続きをしたいと思う。
でも、この時は働きたくて仕方なくて、旅を早く終えて仕事をしたい気持ちが強かった。
その時に、自分という人間は、本当に旅が好きというよりは、何か新しいものを常に求める欲求の方が強いんだと思った。もちろん、旅は大好きな上での話だけれど。

そのとき、中国人って、マスコミで聞いたり、いろいろな人から聞いて刷り込まれているイメージよりもいい人ばかりじゃん。

チベットへのヒッチハイク
満天の星空
広大な大地
ウイグルも行き、様々な人種や文化
上海なんかは発展していく感じ

そんな記憶がよみがえる。

今回は、初めての大連に。
日本語を話せる人も多いし、日本企業もたくさん進出していたり、委託している町。
600万人だか、それぐらいの人口で、かなり大きな都市だ。

高層ビルがガンガン建ち、建設中のビルやマンションも。
億を越える物件も多数。

一方で、町を歩けば、昔の中国を思い出すような雑多な町並みも。
そんな世界が混在している。

でも、確実に経済という面では成長していくんだろう。
なぜなら、余地、余白があるから。

一方で、現地の若い世代と話していると、ハングリー精神が少ない人たちもけっこう増えてきているそうだ。一人っ子政策で、子供が1人の過程は裕福で、甘やかされて育ってきたからと。

まあ、それだとしても日本のそれとは比較にならないエネルギーだ。

あとは、気温が暖かい、そしてやっぱり空気は汚い、でもオフィスはきれい、日本と同じレベル、そしてみんな日本語堪能。そんなことを感じた。

送信者 記録

新しい家のすばらしさと阿佐ヶ谷と続く糸

6年半ほど住んだ阿佐ヶ谷を今日引っ越した。
夜中まで荷造りをして、朝の8時に引っ越し業者がきて、1時間ちょいでトラックに詰め込み完了。

と、言いたいところだが、荷物の積み残しが発生。。。
段ボールに入っていない荷物は運べないと。
さらに、荷物が多くてトラックに入らないと。
確かに規約にそう書いてあったが・・・
ちょいまって、まだ入るので、重い荷物だけ入れてほしい。
と、交渉して、1往復すれば持てる荷物だけを残して、阿佐ヶ谷を後にした。

1時間ほどで、北千住に移動して、30分ぐらいで荷物を下ろした。
洗濯機を設置してもらい完了。
荷造りは大変だが、引越はあっという間だ。

締めて、テレビとPCディスプレイの処分、作業員2人で土曜日午前中の引越し。
税込みで3.4万円だから安いよなー。
もうちょっと値切れただろうけど。

で、ある程度、荷物を段ボールから出していった。
収納が少ないと思っていたが、家自体が広いので、けっこう片付けることができる。
広々と使えそうで、よかった。
自転車のハードケースとスーツケースも、うまく片付いて、かなり満足。

めんどくさいなと思ったけど、阿佐ヶ谷まで荷物をとりに行った。
仕方ない。そんな風に思って阿佐ヶ谷に到着して、駅を出た。
すると、ゆうすけさんに偶然、会った。

先月に飲んだ時に、引っ越すとは話していたが。
本当の最後のタイミングで偶然にも。
ああ、本当に引っ越しちゃうんだねと、ちょっと寂しげな顔で。
これで、つよしも引っ越したし、テラマチ君も。あとは、剛君だけか。と。

僕が阿佐ヶ谷に引っ越したのは、つよしさん、ゆうすけさん、剛さんが居たからだ。
みんな旅人で、2人はチャリで世界を旅し、ゆうすけさんは旅の作家だ。
そんな人が住む町に住んだら楽しいだろうと、住んだ。
すると、思っていた以上に楽しく、本当にいい日々が送れた。

そんなゆうすけさんに、最後の挨拶ができて、よかった。
荷物の積み残しがなければ、こんな風にはなせなかった。
そう思うと、人生万事塞翁が馬、まあ、人生ほどではないけど、本当に、つくづく思う。

重い荷物は辛かった。
修行のように重い荷物を背負い、手に荷物を持ち。

そして、再び北千住に。
さっそく、ガスも水道も電気も開通、ネットもWImaxなんで何もしなくてOK。

荷を解きながら、新しい北千住の家はいい。
本当にいい。そう感じる。

日本国憲法の定める健康で文化的な生活が送れるようになったのはもちろんw
家がギャラリーのようだ。
自分が旅した時の写真を飾ってみたり、新城島で拾った大きな貝を玄関においてみたり。
ベランダに椅子を出して、風に当たる。
キッチンも大きく、結婚式の引き出物のグラスを並べてみたり。
2階もあるし、ベランダもあるし、気分転換に最高だ。

そして、お風呂が真っ暗になる。
風呂に窓がついていないので、本当にまっくら。
これが安らげるのだ。
中学の頃からお風呂は暗くして入る習慣なのだ。

風も通るし、露がさって、晴れてくれたら。
ああ、今から楽しみだ。

その頃には、本も並べて、棚も買って荷物も整理されていて。
居心地のいい空間ができそうなイメージを、未来を思い描いているだけで、ワクワクが止まらない。

2014/06/28

送信者 場を作る@北千住

大好きが染み付いた町、阿佐ヶ谷と「さよなら」

思い返してみると、阿佐ヶ谷に引っ越す時もえいやっだった。
こんな生活が訪れるなんて思ってもいなかったし、どうせ2年で引っ越すだろうと思っていた。

阿佐ヶ谷に引っ越す前、僕はどん底だった。
仕事もイマイチ感覚をつかめず、趣味もやりたいことも特になく、その他すべてがうまく行っていなかった。
どん底だった。

24歳というのは厄年らしいが、まさにそんな年。
茂木さんに当時、どん底でよかったな。これ以上落ちることはない、これから良くなるしかないんだからと、言われたことを鮮明に覚えている。
確か、2007年の12月ぐらいに、芸大授業が終わった車屋の飲み会で。

そして、阿佐ヶ谷に引っ越した。
この町は知っている人がたくさんいた。
気が合いそうな、もっと仲良くなりたいと思う人がたくさんいた。
人に惹かれた。それだけの理由で、引っ越した。
住んでみると町もよかった。

救われた。
そこから、趣味もできたし、仲間の輪も広がった。
山に行くようになった。
クリエイティブライティングとか、写真展とか、仕事もうまく行くようになった。

ひとつ歯車が崩れると、ガタガタ崩れていくが、引っ越すことによってそれが好転した。
だから、長い間このまちに住んだ。
6年半。

岐阜以外だと一番長い。

そもそも、中央線が嫌いだった。
夕方中央線に乗る。
西に沈む夕日。
高層ビルから遠ざかる電車。
何とも言えない寂しさ。

東京に住んでから6年ほどはずっと、この路線には住まないと思っていた。
でも、こうして、住んでみると今までで一番住みやすい町になった。
皮肉なもんだと思う。
人間の感覚って、あいまいなモノだと思う。

そして、この町は便利だった。
オフィスの東京駅にも。
プールの千駄ヶ谷にも。
アウトドアショップの水道橋にも。
新宿にも。
山に行く奥多摩や山梨、長野にも。
すべて電車1本で行けた。

そして、引っ越さないからお金もかからないし、趣味に時間が使えた。
いや、趣味が楽しすぎて、地理的にも便利で引っ越さなかった。

とはいいつつ、飽きてきたし別の家に引っ越したいなとか。
ゴミがたまり続けるので、引っ越したいなとか。
家というスペースを使って、何かしてみたいなとか。
とかとか、いろいろな想いはあったが、信越、佐渡島トライアスロン、UTMF、UTMBやPTL、そしてアコンカグアと、いろいろとチャレンジ続きで、そのために時間もお金も第一優先になっていた。とにかく、やりたかったし、楽しかったから。

でも、今年の夏はPTLのリベンジをしないことを仲間3人で話してきめた。
アコンカグアでも、自分の判断によってヘリで運ばれる事態に陥った。
そんなこともあって、山への頻度が減った。

とすると、ちょっとやりたいことがなくて、悶々とする日々があった。
けれど、すぐにやりたいことのストックから、どうしてもやりたいことが浮かびあがってくる。
それが、家というか場を作ることだった。

思ってしまったら、ビレッジ不動産、東京R不動産、グッドルーム、イエティとかNomadとか、ちょっと変わった家を掲載しているサイトを調べまくる。なかなかいい家は見つからない。せっかく引っ越すなら、普通の家に住んでも面白くないし、それだと引越するモチベーションが湧かない。

そんな時に、古民家風の家に出会う。場所は北千住だし、家賃も高い。どうしようか悩む。悩む。でも、見た瞬間に、いいなと思った。こんな風に自由に家を選んで住む機会もあと何回あるか分からないし、金額的にも住めないわけじゃない、そしたらいっちょ住んでみるか。どうなるか分からない未来に少しばかり夢を見て。こんな感じだった。

阿佐ヶ谷という町には友達がたくさん住んでいるし、愛着もある、これからも遊びに何度も来るだろう。飲みにくるだろう。でも、しばらくさようなら。また、阿佐ヶ谷が恋しくてすぐに戻ってくるかもしれないけど、いや、住めば都だから、北千住が最高とか行っているかもしれないが。ま、そういうことで、阿佐ヶ谷さん、ありがとうございました。本当に、いろいろな経験をさせてもらって、育ててもらいました。そして、北千住さん、よろしくお願いします。

送信者 ドロップ ボックス

理想とする本のある空間「素足の本屋」

自分の家を整理したしオープンにしよう。蔵書をウェブに公開して、いつでもお茶のみに来れる様に。

自分の体をえぐりとられるような

引っ越しの荷物を片付けている。
ゴミをどんどん捨てる。
この家に引っ越す時に段ボールに入れたまま、一回も開けてない箱もいくつかあった。
6年半以上も閉ざしたままの段ボールを開けた。
学生の頃に旅した地の電車のチケットやレシート、パンフレットなどが入っていた。
しわくちゃなまま。
砂が付いていたり、インクがこすれていたり。

どう考えてもいらないし、実際にもう何年も見てすらいない。
自分にとってもゴミ同然だし、ましてや世の中における価値なんてない。
でも、これをゴミ袋に入れる時、自分の体をえぐりとられるような感覚になった。
それだけ、自分にとって旅というものが大きな存在で、今の自分を作ってくれたものだったんだろう。
その経験が自らの血となり肉となっている。
だからこそ、体をえぐりとられるような気持ちになったんだろう。

断捨離とかで、1年使っていない者は捨てるということがあるけれど、そう割り切れない。
僕は未練たらしい人間なんだろう。
過去にすがりついている人間なのかもしれない。
過去も未来もない、今しかないとか言いつつも。

片付けていると、手がストップする。
絵はがき、手紙、年賀状、自分の日記、写真・・・
それらを読み返す。

他人が全く価値に感じないものこそ、自分にとっては大切なものなのだ。
社会的に価値がないものほど、自分にとっては価値が高いのだ。

以前にもブログに書いているが、それは自分の中で核心だ。確信だ。
だから、お金に左右されずに生きていられるし、自分の中で大切なことが、経験などを通してはっきりしているので決断に悩まない。

そう考えると、結果的に引越を重ねても10年以上も捨てれずに持ち続けてきたものは、自分の大切にしているモノや感覚や経験そのものなんだろうな。

迷ったらモノにたち帰れとか未来は分からないけど自分が歩んできた道は紛れもなく自分そのものだと書いたことがあるが、そんなこととつながった。

本当に価値ある物と貨幣価値は反比例する

「行き詰ったら、物に返れ!」

未来は分からないけれど、自分が歩んできた時間、経験は事実であり、自らの意思決定の結晶だ。

人生というものは、楽しいことも、辛いことも色々あればあるほど、味わい深いものになるんだろうなと思う。
それらを越えてしまった究極が悟りとか中庸とか、お釈迦さんがいきついた境地なのかもしれないが。

送信者 南米

情熱すなわち、しぶとさなり

情熱すなわちしぶとさなり。

思いが強ければ何でも出来る。
結局それはしぶとさが出るから。
無意識のうちにしぶとくなる。

なんとしても成し遂げたければ、本気で考える。
ありとあらゆる手段を調べて、考えて、実行し、掴みたい物に少しでも近づく。

情熱に突き動かせられ、無我夢中で行動しているとしぶといとか考えることもなく、自然といろいろとやっている。

まあ、当たり前だけど、俺もしぶとい人間だなーと思う。
しぶとい奴って、うざかったりもすることもある笑

まあ、そのへんのさじ加減とコミュニケーション。

真剣に考えると意志が生まれる
http://teratown.com/blog/2010/04/02/oeieeooathie/

送信者 鹿島槍ヶ岳から白馬鎗温泉5日間縦走