月別アーカイブ: 2014年4月

ちゃんとすることの凶暴性

ちゃんとすることの凶暴性という話が、しばらく前に話題になっていた。
まさにそうだと思う。

僕も合理的に考えて、正しいと思った方を選択する思考だ。
自分でも分かっている。

でも、それが危険であることも感覚で理解していた。
それは、高校時代にディベートというものをやったおかげだと思う。
どんな物事でも、論理的に正しいように説明できる。
例えば、原発反対でも、賛成でもどちらでも論理的に正しく説明し、人を納得させれるのだ。

それは、高校時代の自分には衝撃だった。
世の中とは相対的だし、結局分からないものだという認識をもった。
だからこそ、逆に論理だけじゃなくて、感覚も大切にするようになった。

一見ちゃんとしていることが、多いな欠陥を持っていることもある。
部分最適で、全体最適になっていなかったり、短期しか見れていなかったり。

直感→論理→直感で意思決定という流れで考える習慣がついているのも、ちゃんとすることの凶暴性を恐れている証拠だと思う。

正しいことを言っているから、これでいいんだと押し切ることがナンセンスであることを忘れないようにしておこうと自戒。

送信者 ドロップ ボックス

フリークアウトの佐藤 裕介さんのブログより

==以下、上記URLより引用===
◆ 体調不良になるインターン

たとえば、当社の新卒採用向けインターン (3 日間) は参加学生およびメンターとなる当社メンバーに圧倒的に負荷をかけ、苦しい中、答えが出ない中でのチームメンバーに対する振る舞いや諦めずに考え抜く力、やり切る姿勢をみています。逆に学生のみなさんにも、説明会でカッコイイことを言っていた僕やメンターが、体力的につらい中でどういったサポートをしてくれるのか、リーダーシップを発揮できるのかをみてもらいたいと思っています。双方の「ナマ」を見て上で重要な意思決定しようということですね。

また、「これまでで一番苦しかった」というインターンの評判は、当社が採用したいと考えるセグメントに対してプラスのインパクトを残すことにつながると考えており、新卒採用マーケットでの競争力を築く上でも有効だと思います。
しかし、そのようなコンセプトに基づいて実施しているにも関わらず、例えば体調を崩す学生がひとりでもいようものなら、コンテンツ量や課題を見直さないと!という議論になります。(実際なりました)

ちゃんとした人
「参加した学生に何かあったら大変だから」
「責任がとれるのか」
これは「ちゃんとした」意見であり、一般的に非常に真っ当であるといえます。だからこそ厄介であり、誰もロジカルに反論することは難しいのです。

◆ ちゃんとすることが正しい?

「コンセプト」に責任を持つ管掌役員やマネジャークラスが、「ちゃんとしている」という判断軸ではなく「このコンセプトこそが当社の将来を支える新卒採用を実施する上で重要である」という強い思いで制しなければ、この「ちゃんとする」流れは続き、縮小均衡をたどることになるでしょう。結果として当社のインターンは凡庸で、どこででも体験ができてしまうようなつまらないものに変わり果ててしまうのです。「ちゃんとした」判断を繰り返すという一見正しいことをしたことによって、です。これで、当初の目的を達成することはできるでしょうか。

◆ 「ちゃんとすること」にはパワーと快楽がある

「ちゃんとすること」に反論することは非常に難しいことがあげられます。これに対抗するには、相当強いこだわり、信念がなければなりません。ずっとずっと考えに考えて、生まれたものだけしか、「ちゃんとしたい」という意見から身を守ることはできません。
また「ちゃんとする」側の人にとっては、「ちゃんとする」行為は「 仕事したぞ!」という気になりやすく、快感があるわけです。本来的な仕事の目的とはズレた行為であっても、インスタントに仕事をした感じになりやすい「ちゃんとする」ことは、彼らに間違った充足感を与えてしまいます。
このため、油断すると猛烈なスピードでチームや会社はちゃんとして、そしてつまらないものになります。

◆ 本当に成し遂げたかったことはなにか

本来の目的はなんだったのか。そのためにできることは他にないのか。常に責任をもって考え続け、頭痛に絆創膏をはるような短絡的な処置ではない対応をする必要があります。インターンの話の場合、事前によく休養をとってくることを徹底周知したり、食事に気を使ったり栄養ドリンクの差し入れや、メンターが生産性のコントロールをして適度に休憩を入れる、宿泊施設の充実などやれることは山ほどあるはずです。ちゃんとしたインターンをやりたいわけではなくて、特定のゴールを達成するためのインターンをやりたかったワケですから。

経営陣やマネジャーの仕事の中でも「ちゃんとしたこと」をどれだけ拒否し、リスクをとって本当に達成したいことにフォーカスし続けられる環境をつくるか、ということはスーパー重要だと改めて感じました。

http://storys.jp/story/7863?fb_action_ids=10151900850170703&fb_action_types=storysjp%3Apublish&fb_source=other_multiline&action_object_map=%5B1398691000397869%5D&action_type_map=%5B%22storysjp%3Apublish%22%5D&action_ref_map=%5B%5D

趣味の業務化問題

今回の宮古島トライアスロンとUTMFで感じた1番のことは、趣味の業務化問題。
そんなもの問題でも何でもなくて、結論、お前の趣味なんだから好きなようにしろということだと思いますがw

それは、さておき、感じたこと、考えたことを。

昨年はPTL、アコンカグアと失敗続きだった。
本気でやりたかったことに、本気で勝負して、本気で負けた。
負け癖がついていた。
これは良くないということで、今年前半の最大のイベント、ミヤフジ(宮古島トライアスロンとUTMFの連戦)を両方とも完走したかった。
個別に完走するんじゃなくて、2週続けて(厳密には中4日)で両方完走することをミヤフジといい、それを達成したかった。
それは、トライアスロンとトレランの国内最高峰レースかつ長距離レースを連続で達成するということ。
個人的な意味合いとしては、体力、筋力、精神力、仕事の調整力、体調管理、事前準備など、総合的な自己管理能力の証明みたいなもんだと思っている。

これを確実に達成するために、ベストな方法をとる。達成する確率を上げる行為。それは、どうも業務的、仕事的になってしまう。

計画的になり、無理をせずリスクを避け、安全な選択肢を選んで行く。
もちろん、チャレンジングなことだからリスクとかは常に潜んでいる。
だからこそ、リスク低減の方法を徹底的に遂行する。

無理をしないことが最終的にベストな結果を生むことは正しい。
目標がミヤフジの完走であれば、それの達成のみを優先し、タイムは気にしないという判断が正しい。
正確には確率論的には正しい。

今回は、
一定のペースを保った。
登りは小股で歩いた。
足は蹴り上げず、擦るように走った。
心拍を上げるような走りはせず、鼻歌が歌えるレベルを保った。
水もたくさん飲み、塩分、アミノ酸なども。
マッサージも中間地点で受けた。

その結果として、ミヤフジ完走が着いてきたことは、まぎれもない事実。
我武者らにやっていたら、ミヤフジ完走はなかったかもしれない。

ただ、それが感情の盛り上がり的にもベストかというと違う。
業務的であると感情のワクワクがすくなくなる。

中庸という概念かもしれない。
平凡なのかもしれない。

ある種の無謀さの中に、何が起こるか分からない未知が存在し、そこにドキドキを感じる。
その場の雰囲気や感情に任せて、行動をとると、さらに感情は高ぶり、興奮し、アドレナリンが出て、強烈な楽しさなどを感じる。

感情の高ぶりで、スタート直後からスピードアップしてしまう。周りの声援も大きく、テンションMAX。
でも、これは最初飛ばすと、後半に足の筋肉が死んでしまう典型パターン。
計画的であれば、周囲がスタートで盛り上がっていても、淡々としたペースを保つのがベスト。

もちろん、宮古島トライアスロンもUTMFも堪能した。
好きでやって、楽しんで、結果が着いてきた。
多くのサポートをしてもらって、本当にうれしかったし、ありがたかった。
この上ないことだ。

しかし、張り裂けるような感情はなかった。
計画的だったので、筋肉も間接などもたいして痛くないし、胃腸も普通、制限時間も余裕ありだからだろう。
だから、こみ上げる衝動もなかった。
そういった、強い刺激物を欲してしまう。

感情的な生き物であるはずの人間にとって、無理をしないことは感情の起伏が少なく満たされない。
それを超えての、悟りの世界とは分かりつつ、まだ僕は刺激を求めてしまう。
分かりやすいものに、答えを求めている。

強い感情に最終的に求めるものが行き着くところなのか、どうかは分からない。
悟りという概念イメージからすると、違う気がしていて、その感情にすら左右されない何かがある気もする。ただ、そこに行き着くにも、感情に振り切った経験と、こうした趣味の業務化問題を合わせて経験を積み重ねた結果として見えてくるものなんだろう。

趣味がエスカレートして行き、難易度が上がると業務的にならざるを得ない。そうしたときに、どうやって向き合って行くかが今後興味があるところ。趣味を自分の中でどういった位置づけで向き合って取り組んで行くかという。すぐに答えは出ないので、引き続きの継続検討案件入りだ。

同じようなことを3年前にも思っていた。
全力でやり抜きたいのに、抑えなければならない辛さ。

送信者 UTMF2014

UTMF2014-終わっての気持ち-

3回目のUTMF。
第1回に続いて、2回目の参加(去年は抽選に落ちた)。
いろいろ意見はあったりするだろうけど、日本で1番のトレランの祭典であることは間違いないと思う。

世界中からトップ選手はきているし、参加する選手じゃなくても、応援にくる仲間がたくさんいたり、山を走る人々が集う場所。

自分が所属する心折れ部やTEAM JAPONの仲間は選手もしくは応援としてほぼ全員来ているし、それ以外のトレラン仲間も。ハラペコ登山隊の石川弘樹さんはトップ選手として、そのサポートにタクジさんやシンヤさんも。そんな仲間が集結する楽しい場。

宮古島トライアスロンから中4日というハードなスケジュールだったけれど、そんな大会だからUTMFはやっぱり出たかったし、通称ミヤフジ(宮古島トライアスロンとUTMF2週連続完走)も達成したかったので、参加を決めた。

そして、両方ともなんとか完走できた。この1年ぐらいは激しく練習不足で、逆に飲む回数だけ増えた。まあ、それはそれで良いのだが、完走しない「いいわけ」にはできない。この半年ぐらいは、どんどん太っていたのも事実。去年のPTLとアコンカグアを失敗したのも事実。だから、負け癖をストップするためにもミヤフジを完走したかった。

勝負は勝つためにやるのであって、最初から負けるための勝負はしないし、負けてもいいというスタンスでする勝負は精神的な意味で勝とうとする気持ちがないので、勝負とは言わない。常日頃そう思っている。

そんな偉そうなことを言っているけれど、1回目のUTMFでは、足が動かなくなって辛い記憶がある。そして、今回は宮古島トライアスロンからすぐのUTMF、さらに前回頼りに頼ったストックも使えない。練習もしていないときたら、不安でしかない。怖さでしかなかった。

スタート前から不安だったし、足が動かなくなったらどうしようとか、天子山が怖いなとか。100キロ以降でも足が残っているかなとか、胃がやられて食べれなくなるんじゃないかとか、眠気でふらふらして滑落しないかとか、とかとか。ミヤフジと偉そうなこと言っているけど、また失敗したらどうしようとか。とかとかとかとか。正直なところ天子山を降りて、麓のエイドステーションに着くまでは完走できるかどうか、ずっと不安でしかなかった。しかし、天子を越え、完走が見えてきた。麓のエイドステーションで仲間に会い、夜がやってくる前の富士山を見ながらスマホでやり取りしたり、ホッとできた。残り45キロで自分の体や精神、制限時間を考えても完走が見えてきた。今回は、結果的に経験と戦略、そして何よりもサポートで勝つことができたと思う。

まあ、そんなことがありつつ、完走できた。前回のようにストックに頼らず、自分の2本の足で富士山をぐるっと1周できた。天気にも恵まれた。いつも富士山はきれいだったし、夕焼けも星空も日の出も、小鳥のさえずりも、朝の雲海も。そして、いたる所に仲間がいた。走っているトレイル上にも、サポートしてくれるエイドステーションにも、応援してくれる気持ちは会場とは離れた場所にも。

1回目とけっこう同じコースを走るので想いで巡りをしながら。つくづく仲間ってありがたいなとか。絶対にこんな場所に来ないぞって、100マイル富士山を1周無理矢理つないだから通る道も。だからこそ、そんな場所から見える自然の美しさだったり。

限りなくまとまりのない文章で、何が言いたいのか自分でもわけが分かんなくなった。でも、まあ、こんな風に書いてしまったのが今の自分なので、そのまま残しておく。

最終的に言いたいことは、たったひとつで「ありがとう」。それだけです。ロングレースというのは、純粋に様々なモノ、人に「ありがとう」と感じる場なんだな。自分が調子に乗って「ありがとう」という本当の意味を忘れそうになったら、1人ぼっちの100マイルでもやろうと思う。

送信者 UTMF2014

麓のエイドステーションで心折れ部とTEAM JAPONの仲間

送信者 UTMF2014

麓の草原からスマホをさわりながら見た富士山

何もしなくても時間だけは流れるけど、自らが行動しなければコトは起こらない。

なぜだか、誕生日の前後に大きなイベントが重なる今日この頃。今日というか、ここ数年。
宮古島トライアスロンとUTMF、4月と言えば人事的なものもあれば、GWも目前だったり、それ以外にもあれやこれやと。

バタバタしている方が、どちらかというと自分に向いている。向いているというか、ある程度やることが立て込んでいる方が、どれもいいアウトプットになると思う。

一方で、たまにはゆっくりしたいとか、ほっと一息つきたいとか、ゆっくり考える時間なんかも欲しいなとも思う。昔から決まって、大きなチャレンジとかのあとは、のんびり考え事でもしに旅にでる。今回もGW後半は行ってみたかった四国へ行き、のんびり&考え事でもしようかと思う。

それは、さておき誕生日があるごとに、なんだかんだ書き残している。

30年を振り返る。そして、これからの30年(30歳)

最後の年(29歳)

一年で一番ありがとうを思う日(28歳)

653の自分と346人の仲間と名も知らぬ1,4257人の存在(27歳)

自分は世界で一番幸せだと思う。(26歳)

特に、この1年で思ったことは「何もしなくても時間だけは流れるけど、自らが行動しなければコトは起こらない。」ってこと。この1年間、今までの29年間とは違った視点で人を見ていた。それは、仕事上の立場が変わったからで、マネジメントする側の視点として、いろいろな人を見ていた。それで、1番思ったのが、先ほどのこと。これは、他人に対して言えること、翻って自分にも当てはまること。

「何もしなくても時間だけは流れるけど、自らが行動しなければコトは起こらない。」

そんな状況を見て、ああ、時だけは進み、過去のことになっていくけど、自分が行動しないと何も起こらないんだなと実感。
まあ、当たり前だが、自ら行動する事によってのみ、きっかけがうまれるし、変化は起こる。
それ以外ないのだ。と。

これは、ずっと大切なものとして、生きていこうと思う。

送信者 Aconcagua&Patagonia

宮古島トライアスロン 結果

宮古島トライアスロンの後、中4日でUTMFがある。
どちらも抽選だし、どちらも出たい大会だ。
抽選結果発表と入金のタイミングで、どちらにも入金せざるを得なかった。
ということで、日程の調整が着けば両方出ることにした。

久しぶりのトライアスロン。それもロング。
宮古島は景色もよく、多くの人が絶賛する大会。
まあ、宮古島は訪れたことがなかったので、観光がてら行くことに。

ということで、まずは30歳最後のレースを宮古島トライアスロンで終えました。
最近はおんたけ100マイル、PTL、アコンカグアとリタイア続きだったので、ロングレースをしっかりと完走できて、負け癖をストップできたかも。

次は31歳最初のレースUTMF。
これは、第1回大会にでて、ゴールはした者の不甲斐ない終わり方だったので、今回は納得のいくゴールをしたい。
前半飛ばしすぎず、無理はせず、周りを意識することなく、自分のペースで最後までいきたい。

宮古島で疲労を溜めないようにと、頑張らず、無理のない継続できるーブンペースでたんたんと走った。
結果として、後半もスピードは落ちることなく、かつ疲労も比較的押さえられている。
走り方も蹴り上げるのではなく、するような走り方に変えたので、間接とかも全く痛くない。

そんなこともあって、宮古島トライアスロンでは、感情の起伏が少なかった。
それはがむしゃらではないからだと思う。そして、ロングレースではがむしゃらじゃない方が、最終的に良い結果につながるという事実がある。
それは、イーブンペースでたんたんと走るのもそれはそれで楽しいし、一方でがむしゃらの方が刺激は強いけど、刺激が強いから何だとも思う。(そういった刺激というか、感情の高ぶりを欲する時もあるけれど)

ということで、グダグダ書いたけれど、宮古島トライアスロンで感覚を得た、イーブンペースの極意をUTMFでも実践したいと思う。多くのトレラン仲間が集う1年で最大のお祭り&苦行を無理せず、楽しんできます。

送信者 宮古島トライアスロン2014

ゼッケン633
寺町 健
30歳

東京都
スタート07:00:00
スイムF07:56:34
バイクS08:13:42
池間島1 30km09:11:13
東平安名崎 70km 10:38:05
池間島2130km12:47:30
バイクF13:53:43
ラン折り返し20km ラン16:05:52
30km ラン17:09:04
35km 17:40:35
ランF 18:27:25