一度、何かを共有した友

一人の人間にはいくつかの側面があって、ビジネス、思想、価値観、笑い、スポーツ、学問、芸術感覚、好奇心、趣味、音楽、文化、おかれた社会的状況、おかれた身体的状況など、その一つでも心の底から分かち合える友に巡り合えることは幸せだ。

それは共感かもしれないし、重なりかもしれないし、対立かもしれないし、共に挑戦した経験かもしれない。

そして密度の濃い時を経て、また共有できる面白さ。
再び濃い時を過ごしたり、距離ができたりしつつ死ぬまで続くんだろう。

出会うタイミングが違ったら全く仲良くならなかった友もいるだろう。
そのとき、その人だったからこそ生まれた関係性。

そのときは近かったけれど、またぜんぜん違うことをすることもある。
それは、友といえど別人なのだから、似た趣向の時もあれば、違う時もある。
でも、1度接点が生まれて何かを共有すると、その後離れても根本の何かは共有できている。

様々な経験をして、様々な人に出会い、時を経る。
年を重ねると、そんな友との出会いや、時を経ての共感などがある。

時間や距離が離れても関係ない。
家族の様に、時を経ても時間を共有できる。

時間を越えて分ちあえる感覚と今この瞬間だからこそ共感できる感覚。
毎日いろいろなことがあって、感じたり、考えたりするけど、1度なにかを共有した友との時間はなんだかやさしく幸せな気持にさせてくれる。

一度、何かを共有した友に、ありがとう。

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