時間も、金も、情熱も、命もかけた勝負に負けた

PTLというレースに挑戦することを決めてから1年間、真剣に準備をした。
体力をつける練習、3人の呼吸を合わせるための合同練習、GPSなどの装備の使い方の練習、服装やシューズ、食料などの調達まで、どれも今まで以上に真剣に準備をした。

時間も、金も、情熱も、命もかけた。
そんな勝負で負けた。

それは、PTLというレースが今までで最も未知の大会だったからだ。日本人の過去の出場者は1組。UTMBと一緒に行われるレースとは思えないほどのマイナーさ。情報はフランス語中心、過去の参加者の情報も少なかった。

そんな中、過去の日本人出場者に話しを聞いたり、英語を解読しながらレースのイメージを作り上げて、それに向けて準備を重ねた。

いろいろなアクシデントがありながら、レース当日にシャモニーに入り、盛大な応援の中スターした。天気も良く好条件だった。長いレースだし、最初は抑えめにスタートした。真夜中の山を登って行く。最初は先行するランナーのヘッドライトを頼りにすればルートを探す必要はないが、慣れておくために自分でGPSを見ながら進んだ。

最初は制限時間に対して貯金があった。しかし、さらに進むと貯金は減った。休んだ訳でもペースを緩めた訳でもなかった。そこでペースを上げてみた。この時一番驚いた。制限時間に対して貯金がなくなり借金が出来ていた。ペースを上げたはずなのに。。。このレースの恐ろしさを感じた瞬間だった。ただ、そのことを口にしても焦るだけなので、増田さんと「もしかして、あれですよね」という会話で終らせた。

天気はよかった。一晩目をくぐり抜け、朝を迎えた。モンブランの夜明けは美しかった。この世とは思えないほどの広く美しい世界で、音のない、別世界だった。ただ、日本からの移動の疲れと徹夜の疲れがたまっているのは事実だった。小屋で元気をつけようと、温かいパニーニを食べた。さらに進んで行く。何度も何度も分岐で迷いながら、道を確かめながら進んで行った。ルートが示されていないと言うのはこんなにも困難でペースが落ちるのかということを実感しながら。

30キロ過ぎから危険地帯があると事前に記されていた。想像を超えるような場所で、リッジを歩き、岸壁をつたって降りた。岩場で選手の渋滞が出来ていた。なんとかして、クリアした後も急な下りや岩場などが続いた。こんな場所が多いとは。いっこうにペースは上がらない。焦りが出てくる。

37キロのエイドに着いた時、スタートして14時間以上たっていた。こんなことになるとは、考えてもいなかった。通常のトレランの大会の2.5倍以上の時間がかかっていた。UTMBの2倍の距離プラス地図読みプラス危険地帯が数カ所という認識だったがPTLは大きく異なっていた。

このエイドでたくさん食べて、食料ももらってスタートするつもりがパンとチーズとサラミ、そしてジュースしかなかった。ザックに入れて持って行くビスケットやチョコがなく計画が狂った。しかたなく、パンとチーズをジップロックに入れて持ってスタートした。

この後も、道が不明瞭な場所や廃道を行くルートなどが続く。そして、雨も降り始めた。下りのトレイルは小走りで進んだ。そして、マグラントという町に着いた。雨と雷があった。この先は山岳地帯が続くので、この先の小屋と大会本部に電話をした。小屋には夜中でも泊まれるかの確認。大会本部にはエスケープルートに変更にならないか。小屋は泊まれ、コースは正規ルートのままとのことだった。

先へと進んだ。急な登りが続き、眠気が襲った。その後、また大きな岩壁が現れた。ここを鎖をつたって登って行く。鎖があるので安全なのだが、高度感はある。ここを抜け、牧草地帯へ。岡野さんが低体温症っぽくなり、急いで服を重ね着した。そんな広く続く牧草地帯で夜がやってきた。どこがルートなのか分からず、いくつものチームがそれぞれの思う方向へと走って行った。他のチームに着いて行くのが正解でもないので、3人でルートを確かめながら。

ドロドロでぐちょぐちょなトレイルで、靴がたっぷり水を含み、ソールはドロをまとった。重く自由に動かない足を引っ張り上げながら進む。暗くて気づかなかったが、横は切れ落ちていた。慎重に慎重に。危険そうなところはストックを強くさして、支えてから進んだ。僕が足の置き場に迷っていると、増田さんが「いくら時間がかかってもいいから、慎重に!」と声をかけてくれた。

さらにドロドロのトレイルを進んで行く。怪我をしたのか選手が一人座り込んで、チームメイトが支えていた。僕らは先に進んだ。またドロドロの超急登が現れた。ストックを強く地面に刺しながら、スピードを上げて勢いで登って行く。ゆっくりだとずり落ちる。すると、その先にヘッドライトの怪しい動きが。道を迷っているのか、慎重に移動しているのか不思議な動きだった。すると、石がザアッーと落ちる音とともに人の声がした。少し滑り落ちたようだ。どうやら、砂利のガレ場を横切らないと行けないらしい。

岡野さんもここで少し滑り落ちたが、這い上がって登山道に辿り着いた。そのとき「こんなの、おかしいよ」と、か細い声で本音がぽろっと出た。俺も慎重に慎重に進んで行った。この先に小屋があるはずだった。しかし、ルートが分かりづらく見つからない。何度探しても見つからない。僕はうとうと寝てしまった。すると、増田さんが叫んで起こしてくれた。ヘッドライトを交換する増田さんも、電池パックの位置を間違えるというありえないミスをするほどの意識レベルだった。

後からきたチームがこっちだというので、ついって行った。するとトレイルが現れた。山小屋はそこから遠い場所にあった。一度寝ないといけないということで、小屋で寝ることにした。しかし、この小屋で寝ることは、制限時間をオーバーする、すなわちリタイアを意味していた。それでも、ここで寝なければ危険だという判断を3人でして、寝ることにした。増田さんは「行くか、生きるかの判断」だったと後から話していた。

翌朝小屋にいた大会関係者に起こされると6時30分。20キロ先の関門までに5時間30分のみ。今までの距離と時間を考えると無理だった。ただ、遅くてもいいのでとりあえず第1関門まで行こうとしたが、そこに行っても到着する頃にはすでにデポバックもないし、そこからは自力でシャモニーに戻らないといけないとしった。しかたなく、小屋の人に聞いて近くの集落に降り、バス、バス、電車、電車という乗り継ぎを重ねてシャモニーに戻ることにした。バスの本数も分からないため、シャモニーに戻るのに2日ほどかかるかもとのことだった。

近くの集落への道も分からないので、人がいたら聞きながら進んで行った。途中に大きなアイベックスがいた。2時間ほどで集落に到着した。そこから、バスを乗り継ぎ電車を乗り継ぎシャモニーへと戻った。足が動かなくなった訳でも、実際の関門に引っかかった訳でもないのに、こうして、考えもしなかっ結末でPTLが終った。

シャモニーに戻り、ゴールを見るととんでもないくらい悔しい気持が込み上げてきた。今回のレースの経験は今までにないコースや地図読み、そして三人での参戦、結果として想像もしていない地点でのリタイアと、とても学ぶことの多い経験だった。とはいいつつも、実際はただただ悔しい。歯がゆい。どのようなレースかをもっと把握して挑まなかった自分がじれったい。ただ、PTLというレースに対する思いは以前とは比べ物にならないぐらいに強くなったのは事実だ。いつの日か。

送信者 TEAMJAPON

時間も、金も、情熱も、命もかけた勝負に負けた」への2件のフィードバック

  1. そろそろだな、と思って、ブログをのぞいたら…。
    なんちゅうレースや…。
    とりあえず無事でよかった。
    お疲れ様。
    悔しくて涙が、というところ、なんかいいね。
    それぐらいエネルギーを燃やせて。

  2. ゆうすけさん

    負けて帰ってきました。
    完敗です。

    いつもは1人で走りますが、チーム3人と言うのもいいもんだなと想いました。いい経験で、いい時間でした。

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