日別アーカイブ: 2013/4/11 木曜日

自分の発言に責任を持つこと。

自分の発言に責任を持つこと。
なかなか出来ない。
自分では一貫性を持っていると思っていても、ふと振り返ると違っていたり。
そんなコトは多々ある。

いい加減な僕は過去の発言を忘れたりもする。
そんな時は何かしら自分の哲学というか軸がはっきりしていると、毎回てきとうな発言をしなくて良くていい。
判断軸がはっきりしていれば、毎回考えて結論を出して発言しても、同じ結論になるはずだから。

とは言っても、人間は常に同じであるはずがなく変化するものである。
過去の発言にとらわれすぎてしまうのも良くない。
このラインが難しい。

まあ、他者がいるからってのも一貫性を持たせたい理由なのかもしれない。発言というものは常に他者に向けられるものであるから。他者は僕の言動を信じて、それを踏まえた上で行動をとるわけだし。そういった他者に理解されたいとかっていう欲求が人間にはあるのかもしれない。

ちなみに、ブログで過去のエントリーを引用するのは、昔の自分の発言に責任を持つこと。考えの一貫性を表すことでもあり、考えの変化を受け入れそれを説明する責任である。

そもそも沢山ある記事から引用するためには昔に自分が書いたことを覚えていないといけない。
結果として引用しようとする気持ち自体が発言に責任を持つことになる。全く同じ考え出なくても、過去と現在の違いを見比べて、なぜ変わったのかを知ることは出来る。それも含めて自分の発言に対する説明責任だと思う。

25,6歳ぐらいから、ある程度価値観が定まってきたなと思う。たぶん、それはさまざまな経験をしてきて、多角的に物事を見た結果として、この考え方が一番自分が信じられるというものに出会ったということなんだろう。

自分と言う物体は、昨日から今日、そして明日へと続いている。だからこそ、肉体がつながりを持つように、精神考えもつながりを持たせたいということか。

送信者 甲斐駒ケ岳20110709-10