運動を初めて数年。
自分の身体能力がだんだんと分かって来た。
自分の脳で思っている自分の身体能力と、
実際の身体能力が非常に近くなって来た。
過信することもなく、過小評価することもない。
まあ、宝くじが当たるようなサプライズの結果を残すことはなくなってしまったかもしれないが、
自分自身の能力を冷静に見れるようになったのは、歓迎すべきことであると思う。
概念は同じだが、年をとったら自分の身体能力を過信するのと逆だ。
若い頃の自分の身体能力を覚えているけれど、
年をとって体を動かしていないから、
身体能力が衰えても若い頃と同じと思っているパターン。
だからレースの目標を決める時に、
だいたいその目標をクリアできるかできないかギリギリに設定できるようになったと思う。
先日の勝田マラソンでも、
3時間30分と言う目標を設定して3時間29分。
余裕で達成できる目標だったんじゃないのか?
と思われるかもしれないが、
自分の中ではかなりシビアな目標だったと思う。
忍野トレイルでも、5時間として、4時間48分。
野尻湖トライアスロンでも3時間45分として、3時間40分弱。
持久系のスポーツをしているので、偶然いい結果がでることはまずない。
地味なトレーニングや日々の結果がそのまま反映される。
この誤差がなくなるのは個人的に大きな意味があると思う。
野外で活動している時に、引き際が見極めれる様になるから。
自然の中での活動は何が起こるか分からない。
天候の変化、自分の体調の変化、怪我、道迷い、崖崩れなどの環境変化など。
ピンチになったり、判断を迫られた状況で、自分の体力や運動能力を踏まえて的確な意思決定ができる。
無茶をしないし、検討外れな判断も下さない。
一方で、自分の能力を分かりすぎてしまうと、無茶な目標はたてなくなる。
人間は目標を設定したところまではいけても、それ以上にはなかなか行けない。
そんな弊害も抱えつつ、いかなるピンチになっても冷静に対応できるような肉体と精神を求める旅は続く。
送信者 南米 |