日別アーカイブ: 2011/2/16 水曜日

あちら側の世界にあるものも、結局なくなる気がする

ネット上の世界をあらわす「あちら側」の世界。自分のパソコンではなく、あちら側の世界にデータを置く時代になっているが、あちら側にあるものも、結局なくなる気がする。何か信用ならない。

もちろん、ローカルに保存するとPCを買い替えたら、自分で移行作業をしなければならない。こういった過程でデータが消えてしまったり、うまく移行できなかったりする事もある。もちろん、あちら側の世界にデータがあれば、こういった時の移行の手間もかからない。それに家でも外出先でも何処からでも確認できるというメリットがある。これは非常に便利で、俺もあちら側の世界にデータを置いている。グーグルさんを頼っているメール、スケジュール。自分のドメインはレンタルサーバを頼っているこのブログ&メモの自分専用wiki。そして写真はpicasaアルバムやzorg、Flickrなどと。

PCやケータイは新しいのに変わっても、ネットワークでつながったあちら側(サービス提供されているサーバ)に保存していれば、個人が持っているモバイルやPCが変わってもデータを移行する手間もなく、個人管理で管理する手間もなくすこともなく利用し続けられる。確かにそうなんだが、このデータ、なくなる気がする。明確な根拠はないが、こういったデータはふとしたきっかけでなくなる気がする。無料のサービスであれば、運営会社の経営難でサービスがなくなったり、そうでなくてもバックアプ含めデータが消滅する可能性がある。

いつまでも残っているから大丈夫だと思って、放置して結局そのデータがあることを忘れてしまう。さらにいくらでも保存できるので、どんなデータでも整理せずに保存して分からなくなってしまう。物理的になくならなくても、実質的に見つからずなくなったと同義になることも。まあ、そのために、googleとかは検索を便利にしているし、検索じゃなくても見つかるようなソーシャル系サービスももろもろあるんだけれど。

うーん、これだけじゃないんだよな。うまく整理して説明できていないんだけど、あちら側の世界にあるものも、結局なくなる気がする。まあ、物事は全て永遠でないから、カタチをなくし、存在をなくすものだと言えばそれでおしまいなんだけど。そんなにも執着するなってコトなのだろうか。

とは言っても、このモヤモヤした感じが気になる。

閉じられたデータかオープンなデータかでも違う。個人だけのデータなのか、ネット上などに公開されたデータなのかによっても違う。個人のデータであればなくなってしまう可能性があるが、ネット上などにあるオープンなデータであればなんらかの形で残り続けるのではないか。形を変えたとしてもそのデータは残り続ける。さらに価値が高いものであれば増殖しながら変形しながら残り続けるのではないかという発想もある。twitterなんかはかなりの勢いで流れるフロー情報だがRTなどで情報は変形しつつ広がり残って行く。こんな時は元のデータが消えたら、それはなくなったことになるのだろうか?紙の世界観だったら原本とか初版とかがなくなったら、なくなったと判断するだろうけど、データは元のデータは消えてもコピー情報が残っていれば一般的には残っているというのだろう。

うーん。なんだかなー。俺が、紙とネットの中間という世代だから、こういった事を思うのだろうか?それとも、モノというものはいつもカタチを変えていくという、最も基本的な原理を受け入れられていなくて、ある一瞬のカタチというものに固執しすぎているからなのだろうか。

ということでって、どういうことかは分かりませんが、明日は国会図書館でイベントします。
関係者しか入れないので、気になる方はUstで見てください!
去年のL1グランプリ関連です。

「「知」が拡散する時代アーカイブ・キュレーション」
* 日時
2月16日(水) 18時~20時
* URL
http://www.ustream.tv/channel/sekken-bros ※twitterハッシュタグは #skbros
* パネリスト
古賀稔章(編集者/東京大学大学院総合文化研究科)、上崎千(慶應義塾大学アートセンター)、前田邦宏(関心空間)
* モデレータ
氏原茂将(Community Design Council)

送信者 ドロップ ボックス

それだけで成立していることの安心感

迷ったときはモノに帰れ

2005年以降に偏るネットと言うバイアス

デジタル書籍とずっと昔の本
メールと手紙
デジタルの写真とプリントされた写真
それだけで成立していることの安心感がある。

デジタルはそれ単体では価値を持たない。
デバイスがいる、電力がいる。

手紙はそれ自身が単体で存在し、価値を持っている。
だからこそ、何かがあってもそこにある。
それだけで楽しめる。
安心感がある。

デジタルはコピーできるから、永遠にあるように思っているけど、そう思っているからこそ、大切にせずどこかへ行ってしまう不安。

ものや思い出に執着し過ぎなのかな。
時は流れていき、変化をし、全ては消えるものなんだから、別になくなってもいいじゃんというのは分かるが、残りつづけてほしい気持が心のどこかにある。
そんなに、潔い人間にはなれそうにない。