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勝田全国マラソンで勝った。3時間29分33秒

久しぶりのロードのフルマラソン。
おそらく1年半か2年ぶりぐらい。
茨城の勝田で行われた、勝田全国マラソンに参加してきた。

東京からも当日の朝出発で参加できる便利な大会だ。
さらに運営もスムーズ。
町の人の応援も多いなど、とても素晴らしい大会だった。

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ただ、エイドでは水とスポーツドリンクしかなかった。
たくさんレース中に食べるオレにとっては大誤算。
しかし、ハーフをすぎた辺りから、私設エイドがたくさん出ていてチョコやバナナを中心に頂いた。
30キロ付近で梅干しとレモンが効いた気がする。

とまあ、素晴らしい大会でした。
で、今回の目標は3時間30分。

今の練習量からするとかなりギリギリの目標。
まあ、言い訳できないので、とりあえず走る。
今回は以下を気にして走った。

・疲れた後半もフォームを意識した。
・腰が落ちない様にした。
・腕をしっかりと振った。特に後ろに強く引いて、その反動で腕が前に出る様に。
・10メートル先を見る。
・一定にペースで走る。
・レース前にアップで少し走る
・走る前にストレッチを超入念にやる
・手袋をつけて走るべきだった。ミスとしては想定よりも寒かった。

3時間15分目標のゾーンでスタートしたのだが、最初は渋滞した。
スタート直後はしばらくの渋滞を含めて10キロ49分ぐらい。
走り始めると、そこそこ調子は良く、行けそうな感じがした。
ただ、いつも最初はこうなので、飛ばしすぎない様に注意。
町中を抜けて、田んぼの中の道などを走る。

一度小便をした。
手が温まらず、寒くて失敗したなと思った。
雲が途中から出てくると、かなり冷えた。
上下ともコンプレッションウェアの長袖長ズボンだったのはすくわれた。

20キロを1時間40分弱で走り抜ける。順調なペース。
ハーフは1時間41分47秒。

最初の20キロまではエイドの間隔が非常に長かった。
さらに水かスポーツドリンクだけ。
レース中にたくさん食べるオレとしては、大誤算。
でも仕方ない。
後半は私設エイドがたくさん出て、地元の人がチョコやバナナをくれた。
元気は出たが、チョコばかりで飽きて来た。

また小便に行きコースに戻ると左足のアキレス腱が痛んだ。
ああ、これはまずいかな。3時間30分は諦めてしまおうかなと思った。
体に無理はさせていけないという言い訳をして。
しかし、少し走ると痛みは緩和されていった。
これは走るしかない。
言い訳がなくなったのだから。
でも、後半はいつもの通り、つらい。
体が重くなってスピードに乗れない。
歩きたい。歩きたい。
何か理由をつけて足を止めたい。

とは思いつつ、せっかくここまでいいペースできたのだから、行けるところまで走ろうとムチを打つ。
心肺も足も限界でもないのだから、あとは精神力次第。
走れ、もう少し走れ。ただ、その連続。

30キロは2時間30分ぐらい。
残り12キロ。
3時間30分の世界が見えてきた。
しかし、30キロをすぎてからどれぐらいペースが落ちるかが勝負の分かれ目。
なんとか踏みとどまらなければならない。

ここで、レモンを食べた。
いいタイミングで私設エイドにレモンがあった。
すっぱいなーと思いながら、食べる。
気合いを入れ直して、小さく「よっしゃ」と声を出し走る。
おそらく周りを走っている人も3時間30分を狙っているはずだ。
なんとかか頑張るぞ。

35キロをすぎる。
あと7キロちょい。
5分/キロのペースでギリギリだ。
スタートしてから一貫して5分/キロのペース。
最後までこれを貫くのはかなり辛い。
けれど、ここまで来たのだから、なんとかして3時間30分を切りたい。
サブ3.5の世界に仲間入りしたい。

意識的に腕を振って足を動かす。
あと少し、もうすぐ。歩きたくて仕方がないが自分にそう言いきかす。

あと5キロ、4キロ、3キロ。
キロ表示が流れて行く。
本当にギリギリだ。
目標を達成できるか常にギリギリ。
ぶっ倒れてもいいつもりで、走っているのに、目標タイムの残り時間に余裕は生まれない。
この限界ギリギリをあと3キロ続けなければならない。
あと2キロ。もう勘弁してくれ。
あと1キロ。もう、走るしかない。
ダッシュだ。時計をチラチラ見る。
秒単位の攻防になっている。

フィニッシュゲートが見えたら、持てるすべてを出して走った。
ゴールは3時間29分33秒(ネット)。
グロスでは3時間31分02秒。グロスはスタートのピストルが鳴ってからゴールまでのタイム。
しかし、スタートでは渋滞していて、僕がスタートラインを飛び出してからは3時間29分33秒。

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なんとか、目標タイムをクリアできた。
うれしかった。
勝田全国マラソンで勝った。

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◆結果

出場種目 マラソン男子
距離 42.195 km
タイム(グロス) 3:31:02
タイム(ネット) 3:29:33
種目別順位 1493/7359
総合順位 1585/8393
タイムリスト
計測ポイント スプリット ラップ
Start 00:01:29
21.0975k 01:41:47 1:40:18
Finish 03:31:02 1:49:15

◆マラソン服装
パンツ:シルキードライボクサーブリーフ(ハリヌキ)Mサイズ(ユニクロ)
ニューバランス ラン用短パン
C3fit パフォーマンスタイツ
長袖コンプレッションウェア(ジェイハンナー)
4DM シャツ(ハセツネ完走記念品のシャツ)
シューズ(ARNUVA 50 26cm(ノースフェイス))
ランニングキャップ(mello’s)
靴下(コンフォートサポートアンクルソックス(2足組))
時計 BARIGO NO.46 Wrist-On Altimeter/Compass

◆持ち物
キャメルバック(モンベル)
フリース(ユニクロ)
Tシャツ
長袖シャツ
アウトドアパンツ(モンベル)
ジャンバー
タオル
アミノ酸;MUSASHI1袋を水に溶かす
エアーサロンパス

iPod
VAAMジェル
水着
カメラ
大会の参加ハガキ

◆家での朝食
食パン2枚
バナナ1本
団子1パック
ヨーグルト

レース直前
おにぎり1個(ノリ無し。海苔は消化が悪いため)
VAAMジェル 1パック
チロルチョコ2つ

◆マラソン中のエイド

アミノバリュー(スポーツドリンク)
バナナ
チョコ
レモン2かけら
梅干し1つ

第59回勝田全国マラソン大会
■期日
平成23年1月30日(日)(1月最終日曜日)雨天決行
■コース
茨城県勝田市 勝田駅すぐ
日本陸連公認マラソンコース(別図参照)
スタート 表町商店街
フィニッシュ 石川運動ひろば
■距離
42.195km
■スタート11時00分
■エントリー料金 4,000円

安全基地

茂木さんの言葉を借りれば「安全基地」。
僕の言葉で言えば、「学び舎

久しぶりに行きたくなったのだ。
行きたくなったと言うよりも、会いたくなったのだ。

先日芸大で茂木さんの特別講義が1日だけあったが、行けなかった。
そんなこともあったのと、このところ会っていなかったので、会いたくなったのだ。

そこで、金曜日の夜に新宿に行くことにした。
いつも同じ店のはずだから、とりあえず向かうことにした。
芸大時代の友達はつい先日茂木さんの書生となった植田さん一人しか来ないのは知っていたが、行くことにした。

新宿について歩いていると、もう7年近く前に茂木さんの芸大の授業に来てくださったホームレスのビッグイシュー販売員の方とすれ違う。
記憶していたので、「すいません、ビッグイシューください」と声をかけた。
しかし、歩いていただけで自分のテリトリーではないので、売れないとのことだった。
残念だったが、芸大の授業でお話を伺ったことがあると伝えると、顔の表情は一気にゆるみ、会話が弾んだ。

おじさんは色々な大学や経団連などでも最近はお話をされているようだった。
そして、仲間がアパートを借りて道路清掃の仕事を見つけて働きはじめたと、うれしそうに話しを聞かせてくれた。
ただ、芸大で話してくださったもうひと方は地元の福島に戻られたが、家族に看取られながら亡くなったと言う。
あれから、そんな月日が流れているんだと、冬の夜の新宿でしみじみと思った。

おじさんの販売エリアを聞いて、近いうちに買いに伺う約束をした。なんだか、偶然が繋がるなと思いながら茂木さんとの飲み会へ向かった。

ちょうど店の前で茂木さんと会い、「お前、この前の芸大の授業は来れなくて残念だったな」と声をかけられた。
なんだか、戻って来たような気がした。
別に茂木さんといろいろと話さなくても、ただこのひと言をかわすだけでいい。
人間の脳や意識を科学と哲学の視点で考えることに興味があり、本を読みこの人だと思って、調べ茂木さんの芸大の授業にドキドキしながら潜ったのが全てのきっかけだった。
茂木さんに大学生と言う非常に好奇心の強く、吸収がいい時期にいろいろと教えてもらえてよかったなと感じるのだ。
そして、なんだかいつでも見守っていてもらえる教え子のような安心感さえ感じる。

途中から芸大時代の友達も到着し、相変わらずバカな話しをしたり、当時の芸大を振り返ったり、楽しい時間を過ごした。
いつものように、いつもの店に2軒目、3軒目と流れ、電車はなくなり、茂木さんはタクシーで帰って行った。
僕は友達とファミレスでドリンクバーを飲みながら、いろいろと話した。
2時間か3時間ほど始発がくるまで。

芸大に通っていた頃も、授業が終わり、みんなで飲み、いったん解散した。
その後に残った数人でファミレスに行き、話していた日々を思い出した。
当時はみんな家が近かったから夜中に歩いて帰ったり、芸大のアトリエで制作しながら話したりしたこともあった。

久しぶりに長い時間友達と話したが、当時話していたことを、やっぱり今も大切にして生活していると言う点は変わらなかった。
驚いたのは、僕が友達に話したことをまだ覚えていてくれたこと。
そして、僕も友達が話してくれたことを覚えていて、お互いに驚いた。

社会と自分の信じる世界の瀬戸際をいかに生きるか
1本の線の精度
肉体と絵の関係
(走って鍛えていると、描く線にも大きな影響を与える。走って鍛えたひとの線になる。硬さがでる)
などなど

そして、あの芸大の黄金時代と呼んでいる「あの時間はもう、こない。時間はたったんだな」とみんなが本当に感じはじめた。
だからこそ、自分にとって芸大に通っていた時間を改めていとおしいと感じた。
同じ時はもうないのかもしれないけれど、あの時が自分の人生にあったことを何よりも幸せでありがたく思う。

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学び舎

あの丸い砂場

「おわり」のない最後

車屋

サヨナラだけが人生だ。名づけえぬものに向かって」

卒業した気持ち

あの時のように

中心をはずすな

徒歩で東京から名古屋へ。詳細版

梅雨なのに朗らかな夕べ

今日という幸せな日

日常と言うかけがえのない時間

あとどれぐらい阿佐ヶ谷という町で暮らすかしらないけれど、この町を離れてから思い返すと何て楽しい日常だったのかと思うんだろうな。
日常って旅などと違ってあまり写真にも残らないし日記に書き残すことも少ないけど、特別な日よりもかけがえのない一番大切な時間だと思う。

その過ごす時間の長さは、特別な時間よりも圧倒的に長いわけだし。

平日の夜、友達の家で夜ごはんをごちそうになる。
一緒に泳ぎに行く。一緒に走る。
誕生日を祝いに家に押し掛ける。
通い詰めた定食屋で夕食を食べる。
近所の銭湯に入り、新聞を読む。
友達の写真展に自転車に乗って友人と出かける。
街を歩いていると、コンビニや道路で2週間に1回は友達に会う。
夜な夜な語り合う。
色々な友達を呼んで鍋を囲み盛り上がる。
近所のカフェで写真を展示させてもらう。
公園でこの町に住む友達と花見をする。
いつも立ち寄る本屋で長居する。

今まで東京では4つの町で暮らして来た。
けれど、この阿佐ヶ谷と言う町が一番なじんで楽しい日々だなと思う。

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寛平さん7カ条

遅ればせながら、ビデオに録画した間寛平さんのアースマラソンのゴール特番を見た。
マラソンとヨットという人力と自然の力のみで世界を一周するアースマラソンという夢を成し遂げた姿はとても美しかった。

「俺は本当に幸せもんや 」
「ありがとね 」

という言葉に2年間の思いが凝縮されている様に感じた。

基本的にサポートは宿と食糧だけらしく、できるだけ自分の力で歩んだそうだ。
できるだけ人力と自然の力のみという考えを貫きたかったんだろう。
これだけ走ってこられた方であれば、そのように強く思うのは分かる。

そんな間寛平さんのアースマラソン7カ条が紹介されていた。
これが、また素晴らしい。長距離ランナーの憲法になってもおかしくない気がする。一流のランナーの様に無駄ひとつない7か条。

1、笑顔を絶やさず
2、足を高く上げずスリ足で
3、走り終ったあとは自分なりにケアをする
4、水分を良く取る
5、全ての人と仲良くする
6、音を気にする
7、自分なりに強い意志を持つ

付け加えて、後ろを振り返らないとも。

何だか、南米で出会ったチャリで世界を旅していた方の言葉を思い出した。
ひとつだけこの旅をするにあたって決めたことは「全てを受け入れる」 ということだ、と。

そして、番組には明石家さんまさんが出ていて、寛平さんの走っている映像を眺めている時の顔の表情が最高によかった。寛平さんへの思いがにじみ出ている感じ。

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最後に間寛平さんの今までの走歴があまりにも凄いので貼付け。
特にスパルタスロン、レイドゴロワーズinボルネオ、ウエスタン・ステイツ 100マイル、東京~富士山頂トライアスロン(135km)あたりは、かなりトレーニングしていても完走できないし、プロ並だと思う。

1986年
1月 兵庫県市川5kmの部   21分 08秒 完走
2月 青海マラソン(30km)    2時間26分   完走
12月 第14回ハワイ・ホノルルマラソン    3時間13分   完走
1987年
3月 種子島ロケットマラソン    3時間20分   完走
12月第15回ダイ15カイハワイ・ホノルルマラソン    3時間57分   完走
1988年
6月 飛騨高山マラソン(125km)   16時間44分   完走
9月 ギリシャ・スパルタスロン(247km) 141km/ 20時間   リタイア
12月 第16回ハワイ・ホノルルマラソン    3時間44分   完走
1989年
3月 丹波マラソン    3時間30分   完走
7月 オーストラリア・ゴールドコーストマラソン    3時間30分   完走
1990年
3月 丹波マラソン    3時間50分 完走
7月 東京~大阪(560km)走破   1week   完走
9月 ギリシャ・スパルタスロン(246km) 192km/ 26時間29分 リタイア
1991年
5月 富士五湖マラソン(100km) 82km/ 12時間   リタイア
6月 オーストラリア・ゴールドコーストマラソン    3時間31分 完走
7月 東京~富士山頂トライアスロン(135km)   45時間15分 完走
9月 ギリシャ・スパルタスロン(246.3km)   35時間00分 04秒 完走
1992年
2月 1992泉州・千亀利マラソン    3時間39分 25秒 完走
5月 第1515回カンタス・メルボルマラソン    3時間19分 29秒 完走
8月 NTV「24時間TV」新潟~東京間24時間200km 135km地点   リタイア
≪警察及びTV局から“交通の混雑が予想される”との要請により断念≫    
11月第19回河口湖マラソン    4時間29分 04秒 完走
1993年
2月 1993泉州・千亀利マラソン    3時間42分 22秒 完走
3月 コーストオブチャイナマラソン    3時間57分 44秒 完走
6月 第16回16カンタス・メルボルマラソン    3時間49分 40秒 完走
8月 NTV「24時間TV」奥多摩~日本武道館間24時間200kmマラソン 24時間05分 完走
10月 第10回世界ベテランズ陸上    3時間40秒 完走
12月 第21回ハワイ・ホノルルマラソン    3時間57分 47秒 完走
1994年
2月 関西新空港マラソン(千亀利フルマラソン)    3時間40分 02秒 完走
3月 日本まん真中高速道路マラソン    3時間42分 完走
6月 サロマ湖100kmマラソン   10時間26分 13秒 完走
7月 オーストラリア・ゴールドコーストマラソン    4時間31分 29秒 完走
11月 レイドゴロワーズinボルネオ 133時間50分(40チーム中15位)
12月 第22回ハワイ・ホノルルマラソン    4時間13分 09秒 完走
1995年
3月 第1回ディズニーランドマラソンinロサンゼルス    3時間22分 完走
8月 NTV「24時間TV神戸~日本武道館650kmマラソン     完走
11月 第9回大連マラソン    3時間42分 16秒 完走
12月 第23回ハワイ・ホノルルマラソン    4時間19分 完走
1996年
6月 アトランタオリンピックコース    3時間18分 完走
12月 第24回ハワイ・ホノルルマラソン    3時間30分 完走
1997年
2月 第31回ラスベガスマラソン    3時間21分 39秒 完走
2月 1997泉州・千亀利マラソン    3時間36分 45秒 完走
9月 ギリシャ・スパルタスロン(245.3km)   33時間46分 48秒 完走
12月 第25回ハワイ・ホノルルマラソン    3時間35分 42秒 完走
1998年
2月 第32回ラスベガスマラソン    3時間08分 42秒 完走
2月 1998泉州・千亀利マラソン    3時間26分 11秒 完走
9月 ギリシャ・スパルタスロン(245・3km) 194km/ 28時間   リタイア
12月 第26回ハワイ・ホノルルマラソン    3時間59分 51秒 完走
1999年
2月 第33回ラスベガスマラソン    3時間17分 01秒 完走
12月 1999年泉州・千亀利マラソン    3時間31分 45秒 完走
9月 ギリシャ・スパルタスロン(245.3km)   35時間01分 26秒 完走
12月 第27回ハワイ・ホノルルマラソン       完走
2000年
12月 第28回ハワイ・ホノルルマラソン   4時間08分   完走
2001年
6月 平塚24時間マラソン    7時間   完走
8月 箱根駅伝コース往路一人完走マラソン 107km/ 19時間   完走
9月 ギリシャ・スパルタスロン(245.3km) 142km/ 19時間   リタイア
2002年
3月 ABC丹波・篠山マラソン   4時間18分   完走
11月 タロコ中華チュウカ汽車キシャ杯ハイ国際コクサイマラソン   4時間15分 06秒 完走
12月 第30回ハワイ・ホノルルマラソン   4時間08分 47秒 完走
2003年
4月  第7回秩父武甲山登山競争大会 8km/ 1時間26分   完走
5月 山口100萩往還マラニック大会 70km/ 8時間33分 35秒 完走
6月 ウエスタン・ステイツ 100マイル エンデュランス・ラン 160.2km/ 28時間15分 45秒 完走
12月 第31回ハワイ・ホノルルマラソン   4時間12分 35秒 完走
2004年
4月 第16回五木マラソン 20km/ 1時間39分 58秒 完走
5月 星の郷八ヶ岳野辺山高山100キロマラソン 100km/ 13時間35分 21秒 完走
10月 ギリシャ・スパルタスロン(245.3km)  75km関門タイムオーバー リタイア
12月 第32回ハワイ・ホノルルマラソン 4時間19分 39秒 完走
2005年
10月 ギリシャ・スパルタスロン(245.3km) 143Km関門タイムオーバー リタイア
12月 第33回ハワイ・ホノルルマラソン 4時間32分 27秒 完走
2006年
12月 第34回ハワイ・ホノルルマラソン 4時間41分 05秒 完走
2007年
12月 第35回ハワイ・ホノルルマラソン 4時間46分 13秒 完走
2008年
2月 サイパンマラソン(ハーフ) 1時間57分 17秒 完走
3/30(土)~4/5(土)サハラマラソン 51時間46分 05秒 完走

http://www.aheahe.tv/who/index.html


間寛平さん人力で世界を巡る

感覚と言葉が一致しない

東西南北が感覚的に分かる。
ごくたまに間違うことはあるけど、ほぼ分かる。

太陽が出ているからじゃないの?と言われるが、太陽が出ていなくても分かる。
外国に行っても分かる。

なぜだか理由は分からないけれど、頭の中に磁石でも入っているのだろうか。
鳩と同じ原理なのだろうか。

もっと厳密に言うと、東西南北のうち南北が分かる。
その結果として東西も分かる。

しかし、脳の中のコンパスが判断する「方向イメージ」と「南北」という言語が一致しないことがある。
感覚と言語がうまく一致しないので、「北」と言うべき所を「南」と言ってしまうことがある。
でも、脳の中で持っているイメージは「北」なのだ。

そもそも似た言葉が得意ではない。
エスカレーターとエレベーターは今でも分からないし、膝と肘も今でもこんがらかる。
もちろん右と左も。今でも頻繁に間違える。
とっさに出てこないのだ。これらを司る脳の部位が弱いのだろうか。
それとも、自分で感覚が分かっていれば、言語で間違ってもたいした問題も起こらないしどうでもいいと思っているからなのか。

そんなことがあって、僕はいつも「感覚」を何らかの事例を用いて、「言語」に変換する時間を要する。
小さな子どもがお箸を持つのは右、茶碗を持つのは左と言って習う様に、僕は今でも同じような変換作業をみんなにバレない様に脳内で行っている。

こうなってしまったのは、右利きから左利きに途中で替えたからなのか?
その影響も少しはあるのだろうか?

東西南北の話しに戻すと、僕は東西南北を南をベースに覚えている。
厳密には一番ベースとなる方角の名称は「南」とは覚えていない。
「ベランダの方向」と覚えている。
直感でこれは「ベランダの方向」と分かると、それを「ベランダの方向」だから、すなわち言語では「南」と変換する。

直感で方角が分かるのだが、その時は、ああこっちはベランダの方向と分かり、それをベランダだから南と言葉に置き換えているのだ。
小さい頃岐阜で住んでいた自分の部屋の南側にベランダがあったために、このような覚え方になっている。
直感で「ベランダの方向」と分かった時は、岐阜の家のベランダが映像として脳の中に浮かんでいる。

まあ、だから何だ?という話しだけれど、僕はこんな脳なのだ。
これは自分だけなのか、みんなもそうなのか不思議に思ったので書いてみた。

送信者 ドロップ ボックス