日別アーカイブ: 2010/8/31 火曜日

イルカよ、クジラよ、ウミガメよ。

全体までの旅日記はこちら「船旅は魔法にかかったように。」

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朝6時過ぎに目を覚まし、おもむろに起きる。陽光が差し込む広い畳の部屋で目を覚ました。何人かは既に出かけており、何人かはまだ寝ていた。そう、相部屋の民宿の朝はいつもこんな風に始まる。でも、二日酔いになっているような人はいなく、この島に来る旅人は目的意識が明確で酒をあまり飲まないようだった。

朝食をとり、出かける準備をする。今日はPAPAYAというマリンショップのマッコウクジラツアー(父島1周)。8時30分集合に合わせて、以下の荷物を防水バッグに入れる。

3点セット(シュノーケル、マスク、足ヒレ)
水中カメラ
一眼レフ
望遠レンズ
飲み物
昼食
タオル
サングラス

送信者 小笠原

そして水着に着替え、コンタクトをつける。今回は本気でイルカと一緒になるために遊びにいく様の水着ではなく、競泳用の水着にした。少しでも抵抗を減らしたかったのだ。念のために酔い止めを飲んだ。(しかし、結果的に酔う様な揺れはなく、さらにイルカやクジラに興奮していたので、酔うことなんてありえなかった。)車で港まで移動して、船に乗船。カップル、夫婦、そして年齢様々な男1人の旅人。20年近く毎年夏に小笠原を訪れているリピーターもいた。真っ黒に日焼けした船長の説明を受けて出港。ワクワクしてくる。

送信者 小笠原

港を出てすぐ、イルカの群れを発見したようだった。そっと海へ入るだとか、イルカのいる方向は時計の針の向きで説明するだとか、簡単な話しを聞いた。そして、そっと、海の中に入る。イルカの方向に向かって泳ぐ。興奮する。初めて野生のイルカを見た。目の前に数頭のイルカが泳いでいる。水の抵抗なんか微塵も感じないかのように、泳いでいる。鳥が空を飛ぶ時に空気を意識しないように。

送信者 小笠原

それにしても、こんなにも親しみを持つのは同じほ乳類からなのだろうか。そんなもの人間が決めた分類でしかないことを分かりつつ、想像していた以上にイルカという存在に惹かれていく。天の邪鬼な僕は、ドルフィンスイムといって多くの人が騒ぐと、イルカと泳ぐぐらいで何を言ってるんだとちょっと冷めた目で見ているところもあった。もちろん興味の方が勝っていたんだけれど、そんな天の邪鬼な視点も少しばかりあったのだ。けれど、イルカと目が合った時から、そんな気持はどこかに消え去り、自分もイルカになった気持で一緒に泳いだ。

送信者 小笠原

足ヒレを大きく使って、ドルフィンキック。そして、イルカが深く潜れば僕も潜水していった。初めての時は、まだ感覚が掴めていなかったけれど、3回目4回目となるとだんだんとコツが掴めてきた。そして、イルカと一緒に泳ぐ時間も長くなった。僕たちがイルカにとって危険な奴らじゃないと分かってくれ、こちらも慣れて堅さがなくなったからだろう。僕もリラックスすると、イルカの鳴き声が、キューキューと聞こえてきた。彼らは声を持っていた。それも、その音が非常に心地よい。僕に何かを話しかけているようだった。もう少し時を共にすれば何を言っているか分かるんじゃないかと思ってしまった。

送信者 小笠原

思い出したように、水中カメラを取り出して、写真と動画を撮りはじめた。僕も泳いで動いているし、イルカも泳ぎつづけているからなかなかブレない写真は難しく、さらに構図的にも綺麗な写真を撮るのは難しかった。5回ぐらいイルカと泳ぎ、移動することになった。でも、とても名残惜しかった。もっとイルカと一緒に泳ぎたいという気持が強かった。ドルフィンスイムのツアーを2日にしておいて本当に良かったと思った。

送信者 小笠原

そして、南島へ。ここは砂浜も緑もゴツゴツした岩もあって、景色のいい場所だった。ちょっと高いところから小笠原周辺を見渡すことが出来たのも気持よかった。ここはカツオドリの繁殖地となっているようだった。あっという間に昼になり、波が低いところに移動して昼食&シュノーケリング。パンと水をたくさんとって、海の中に。イルカはいないけれど、自由に海の中を泳ぐのは心地よかった。イルカと共に泳いだ後だと、まるで自分もイルカのように海の中を舞っている気持になった。

送信者 小笠原
送信者 小笠原
送信者 ドロップ ボックス

それから海中公園に移動する間に、イルカの群れに遭遇。多くのイルカが、群れをなして移動していた。小笠原諸島周辺には主に2種類のイルカがいて、今回のイルカは一緒に泳げない方。繊細で人が入るとすぐに逃げていくそうだ。イルカが一緒に並走してきた。こうしたイルカの行動を見ていると、本当に感情を持つ生き物なんだと実感する。まるで、彼らが人間のように感じるのだ。僕は犬とか猫とかが大の苦手なのだが、それらとは全く違うものを感じる。それはひと言で言えば感情であり、知性と遊び心だ。そうした姿を見ると喜怒哀楽のすべてを彼らが感じているんじゃないかと思えてきた。そして、明確な根拠はないけれど、一緒に泳いでみてそう言い切れる。

送信者 小笠原
送信者 小笠原

海中公園で魚達と一緒に泳ぐ。実は、シュノーケリングを楽しんでいる間ももう一隻の船はクジラを探していた。集音マイクを海の中に入れ、クジラの声を聞いていたのだ。どこにクジラがいるのか。何十キロも離れたクジラの声が聞こえるらしい。大きな大きな海の中でクジラ同士がやり取りするためにはそれぐらいの声が必要なのだろう。こんなところからもスケールの大きさを感じる。そう、クジラの声をキャッチした方向へ向けて船は舵を切った。どんどん沖へ沖へと大海原を進んでいく。船の先端で風と水しぶきを感じながら、どこまでも続くあおい海を眺め、どこかにいるクジラのことを思うと心が躍った。まるで自分が海の男になったかのような気分にさえなった。

送信者 小笠原

「あっ、ブローだ。」誰かが叫んだ。声のさす方へとすぐに眼をやる。僕の近くのどこかにクジラがいる。しかし、見つからない。今までクジラのブローなんて見たことがなかったから、どんなものかイメージがつきづらく見つけるのに時間がかかる。見渡していると、また声が。どうも何頭もいるようだ。声がする度に見るがなかなか見つからない。瞬きもせず、ひたすら水面をなめるように見続けている。

送信者 小笠原

「あっ、クジラだ。」突然目に入ってきた。ブローのしぶきが目に入るよりも、クジラの黒く大きな体が目に飛び込んできた。濃く青い海の中に黒い胴体が横たわっていた。そして、ブロー。水しぶきが出る瞬間に音が聞こえてくる程の距離だった。ゆったりとした早さで、海を移動し、潮を噴いている(ブロー)。彼らを見ていると本当に別の時間の中で生きているように感じた。目の前にいるのはマッコウクジラで、彼らの鼻孔は斜め45度になっているらしく、ブローした時に出てくる潮も斜めに出てきていた。その潮に太陽が当たって虹色になっていた。

送信者 小笠原

一度ブローを見ると、どんな物かが分かったので、色々なところにいるクジラのブローが分かった。この辺りには何頭ものマッコウクジラがいたのだ。なんとも不思議だった。見渡す限り船は僕たちしかいない。人間の時間がココにあった。何人か乗っていたけれど時間の流れはひとつだった。一方でマッコウクジラはそれぞれの時間の流れを持っていて、何にも左右されることなくそれぞれの時間で営みを続けているようだった。ぼーっと考えながら、クジラに見とれていた。

送信者 小笠原

すると、キャプテンが「くるよ、くるよ」と言った。フルークだ。すると本当に、背中を丸め、尾びれを空中に高く上げ、水しぶきを飛ばして、潜っていった。圧倒的な出来事だった。悠久の時を感じる。僕らの時間とは違う、もうひとつの時間があることが強く感じる瞬間だった。そして、また何度かブローを見て、フルークを見た。今回はマッコウクジラだけに出会った。ザトウクジラには冬にしか会えないから、かれらが空を舞うブリーチは見れなかったけれど、十分満足できる時間だった。そして、クジラとともに泳ぎたいという気持が強く芽生えた。

送信者 小笠原
送信者 小笠原
送信者 小笠原

時間も遅くなったので、父島に向けて船は走りはじめた。すると、「マンタだ!」誰かが叫んだ。イルカ、クジラに続いてマンタに出会ったのだ。彼も大きく優雅に泳いでいた。マンタ返しをして、まっ白な姿も見せてくれたけれど、準備が遅く一緒に泳ぐことはお預けだった。17時30分頃港に戻り、宿へと辿り着いた。足ヒレなどを洗いシャワーを浴びる。

送信者 ドロップ ボックス

夕食にはウミガメの刺身が出た。鶏肉の刺身のようだった。特別おいしいとも思わなかったし、まずくもなかった。夕食後、岡山から来ている小笠原3回目の女性、自衛官として働いている男性、そんな同じ宿の旅人2人と話しをしていた。すると、浜でウミガメが産卵していると言うので、行ってみることにした。ウミガメはひとつひとつ卵を産み落としていた。真っ暗なので、かすかな音しか聞こえない。途中から海洋センターの職員の方が小さなライトでお尻の部分だけを照らしたので、卵が産み落とされるところを目にした。彼女は卵を産み終わると、両足で砂を卵にかけた。最後の力を振り絞るように、右、左、右、左と足を動かして砂をかけていった。浜に上陸して、穴を掘り、卵を産み、砂でかぶせて海に戻るまで数時間かかるという。母親にとってもとてもとても大きな営みなんだと実感した。動物が卵を産む場所に居合わせたのは初めてだった。母性の強さ、生命を残すという行為に命をかける姿を目の当たりにして、生きるとは生まれることなんだと強く思った。真っ暗な小笠原の海で、生きることに対する強い想い、すなわち命をつなぐことに対する意味をぼーっと考えた。生き物は生まれ、別の生き物を食べ育ち、子孫を産み、死んでいく。そうして繋がりつづけている。

送信者 小笠原

小笠原の1日は様々なことが詰まっていた。