日別アーカイブ: 2009/11/19 木曜日

鏡をみない.そうしたら老けていた

電車の座席にだらっと座り考え事をしていた。電車がトンネルに入った瞬間、向かいの窓ガラスにおっさんが映る。誰だ、と思った瞬間に自分だと気付く。老けたなと思った。

普段の生活では鏡を全く見ない。だからこそ窓ガラスに映る自分を見て、老けたことに気付いたのだろう。毎日鏡を見ていれば、少しずつ変化していく自分の顔を見ている。日々の変化は小さいので、老けたことに気付かない。しかし、久しぶりに自分の顔を見ると、その間に少しの変化が積み重なり大きな変化になっている。だから、老けたことに気づくのだ。数年ぶりに会った友達に、老けたねと言われるのと同じ現象だ。

そんなことを自分で意識したからか、2,3年ぶりに会った友達にほぼ100%の確率で「老けた」or「瘦せた」と言われる。今までは「老けた」と言われても特に記憶に残っていなかったのだけれど、自分で「老けた」と意識してから友達に言われると「ああ、そうだよな」と実感する。瘦せたと言われるのは、この3年ぐらい走るようになったからだろう。

そんな友達からは「いろいろ大変なの?疲れてるの?」とついでに言われるが、そういった感じはしない。ハセツネを走ってもそこまで疲れていなく、翌日はいつもよりすっきりした目覚めで体が軽やかで驚いたぐらいだ。

自分が写っている写真は少ないのだが、時系列で確認してみると確かに老けた。この3年ぐらいで確かに老けた感じがする。単純にヒゲがはえているか否かの違いが、老けた印象を作り出しているのかもしれないと思った。が、旅先で数年前に撮った、ヒゲのはえた写真と比べても多少老けたことを感じる。

昔は旅先で自分の写真はほとんど撮らなかったが最近は少しばかり撮るようになった。老けていっているのと関係あるのだろうか。ただ写真が趣味になったからその延長線上なだけだろうか。

別に老けようと何しようと気にしないのだけれど、老けるって具体的に顔がどのように変化することなのだろう。多くの人が老けたと言うということは、一般的に人の顔が老けると同じような変化が起こっているはずなのだ。しわが多くなる、肌のつやがなくなる。。。どんな変化を人々は読み取っているのだろうか、分からない。

話しはずれたが、昨日のブログに書いたように、写真管理ソフトをPicasaというgoogleのソフトに変更した。このソフトには写真の中から顔だけを抽出し一覧表示する機能がある。そこで自分の顔が自動的に並べられ、それを見たら老けていた。それで、数ヶ月前に書きかけで放置してあった文章を追記して書き終えた。

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