日別アーカイブ: 2009/11/11 水曜日

こうやって行き先は変わってゆく。

前回までの旅日記はコチラ「流れ着いた島は日本中で最もやさしさが残る場所」

朝起きて朝食をとる。今日はどこに行こうか決めていない。非常に良い宿だったのでもう一泊して、周辺を回ろうかと思ったが、荷物を置いて旅するのが苦手な性格だ。だから行ったん荷物を持って出かけることにした。

荷物をどこかに預けて旅をするのが苦手な理由は2つある。荷物をどこかに置いて旅をしている最中に、面白い情報を知って予定と違う場所に行きたくなったとする。そうした場合、荷物をわざわざ取りに帰らないと行けない。それがめんどくさすぎるのだ。その場の状況に合わせてミガルにベストな行動をしたい。もう1つの理由は、荷物が自分の手元にないと荷物のことが心配になって、荷物に気分がいってしまい十分に楽しめない。そんな理由だ。ただ、荷物が重いと気軽に足を伸ばす気分が削がれるのも事実。そのために荷物は出来るだけ軽くするようになった。こんな話しはさておき。

下甑島を旅行する人は本当に少ない。上甑ならもう少し旅人がいるようだが、下甑島は皆無と言っていいほどだった。時間はあるので、下甑島を今日も回ろうと思っていた。候補として上がったのは瀬々野浦集落か片野浦集落だ。宿の主人に相談すると、どちらも人がほとんど歩いていないところだよと、言われあまりオススメではないようだったが、どちらかと言えば瀬々野浦がオススメとのコトだったので、瀬々野浦へ行くことにした。ただ、ここへ行くにも交通手段が非常に乏しい。バスが1日に4、5本しかないのだ。3時間に1本程度。さらに、直行のバスがないので、一度長浜港までバスで行き、そこから瀬々野浦を目指す。


右手にバス停

宿を出て、すぐ前にあるバス停でバスに乗る。お客さんが他に乗っているはずもなく、俺一人。まずは長浜港を目指す。すると、バスの運転手さんが話しかけてきた。「旅行ですか?」「そうです。」「甑島は初めて?何しにきたの?」「初めてなんですけど、特に理由はなくて。硫黄島で八朔踊りを見ようとしたんですけど、波が高くて船が出なかったので、甑島に来ました。この島のことは何も知らなくて。。。」それから、島の話しを色々と伺う。さらに、バスの運転手さんが「実は今年の2月に島に戻ってきて、バスの運転手はじめたんだよ」と。「それまでどこにいたんですか?」「岐阜に」「おお、マジですか!!」「岐阜出身なんですよー」なぜだか分からないが、住んでいた場所が一緒だと急激に心の距離が近づくのはどうしてだろう。長浜港で高速船が到着するのを待って、バスはまた走り始めた。でも客は一人だ。


漁をする

バスに乗った時は瀬々野浦でゆっくりして、泊まろうと考えていたがバスの運転手さんから聞いた話しで気持が変わった。瀬々野浦へ行ったあと午後は片野浦へ行こうと決めた。「片野浦はね、家の塀がとても高いんだよ。人の身長よりも高い塀で囲われた家ばかりなんだよ。不思議なところだよ。」その瞬間、あることを思い出した。昔本で読んだ記事だ。高い塀にかこまれた家ばかりの集落があると。その島はK島と書かれていた。K島=甑島(こしきじま)。この島だ!「そうなんですか、その話しを本で読んだことがあります」「ウソか本当か分からないんだけどね、昔、人の肉を食べたって噂がある集落で、周りから見られないように塀を高くしたとか。」「本にもそんなこと書いてありましたよ。本当のところはどうなんですかねー。」


ナポレオン岩

そんな話しをしていると瀬々野浦に到着した。確かに瀬々野浦は小さな集落で歩いて10分あれば回れるほどだった。この集落で有名なのはナポレオン岩だ。海に突き刺さるように巨大な岩がある。その岩の形がナポレオンが帽子をかぶっている姿に似ているとか。実際に見てみると、まあ人の顔に見えなくもない程度。やることもないので、海岸でボーッとしながら漁師さんが網を海から引き上げる作業を眺めていた。12時ぐらいになり腹も減った。この集落に1軒だけある飲食店「浦島」へ。刺身定食1000円を頂く。あと1時間弱時間があったので、橋から海に流れる川を覗きこむと一人のおっちゃんがいた。何をしているのかなと思って、声をかけて下に降りる。すると何やら木か草のツルの様なものを川の水に浸している。「何をしてるんですか?」「かずらを水につけとるんや。」「何に使うんですか?」「かずらで作った綱で十五夜の夜に海岸で綱引きをするんや」かずらが乾燥してブチッと切れないように水につけているらしい。昔はかずらで綱を作っていたが、このかずら(葛)の綱が切れて子供が怪我をしてからは、普通の綱引きの綱を使っていたらしいが、今年何十年ぶりにかずら(葛)で綱を作って綱引きをするらしい。十五夜の夜にかずらの綱で綱引きをするという風習があるなんて面白い、見たいと思ったが日程がすこしだけ合わなかった。残念。


かずらで綱引きの綱を作る

13時10分のバスが来てしまうので、おっちゃんに別れを告げバス停へ。するとさっきと同じ運転手の兄ちゃんがいた。また長浜まで戻り、そして手打まで戻る。同じ道を何度バスで通過したか。バスに人が乗ってきたのは、数名の老人だけ。それも坂の下から上までちょい乗りする程度。ほとんど乗客は俺だけだった。手打港に戻るまでまた、バスの運転手さんと話しをした。今日は片野浦で泊まる予定だが、宿がないので手打港ちかくの商店で夕食を購入。それからまたバスに乗り、片野浦を目指す。片野浦にはキャンプ場があり、そこにテント泊することにした。キャンプ場は港の真ん前にある芝生なのだが、かなり好立地で居心地は良かった。他に1組だけ地元の家族連れがロッジに宿泊していた。

テントを張り終わると、バスの運転手さんが仕事を終えマイカーで来てくれた。車でないと行けない景色の良い場所に連れて行ってくれると言う。車に乗り込みしばらく行くと、しんきろうの丘に到着した。非常に眺めのいい場所で瀬々野浦のナポレオン岩を上から見下ろすことが出来た。しんきろうの丘からの眺望を堪能し、キャンプ場まで送ってもらう。さてと。片野浦の集落を歩くと、確かに塀が高い家が多かったが、全てという訳ではなかった。塀の高い家が多い地域もあり、そこはちょっと異様な雰囲気もあった。歩いていたおばあちゃんに、「この辺りはなんで家の塀が高いのですか?」と尋ねると「海からの風が強いから、風よけのためだよ」と教えてくれた。ただ、海風がこないであろう場所の家も塀が高かったので、納得するまでには至らなかった。もう一人のおばあさんに聞いてみると、「上に住んでいる人から覗かれないようにするためだよ」と話していた。結局良く分からないままであった。それから神社などを見て回る。


しんきろうの丘から

ただ、昔この島にはキリスト教が入ってきていたが、弾圧されこの地域にキリスト教徒が集まったのかもしれない。隠れて信仰するために塀を高くしたのだろうか。この地域の土着の宗教をクロ宗というらしいことからも、こんな推測ができる。もちろん海風をよけるという理由もあっただろう。人の肉を食べると言う噂はキリスト教に批判的だった人たちがキリスト教を非難するために噂を流したのかもしれない。あくまで全て推測であり、どうかは分からない。さらに今となっては、このような習慣はないだろうから遠い昔の話しだ。

その後、キャンプ場のシャワーを浴び港の防波堤に。防波堤は西に面していて夕日が美しいのだ。そこに座り夕日を眺め晩餐とした。スーパーで買った冷えたお惣菜だが、空の下で夕日を眺めながら食べていると、美味しく感じた。昨日に続き今日も夕日を堪能し、テントに潜り込んだ。

旅日記の続きはコチラ「下甑島探検隊。出動!」