月別アーカイブ: 2009年10月

ついに100キロウルトラマラソンに出ます

100キロウルトラマラソン大会に出たいと思ってから数年。
ウルトラマラソンの制限時間は短い(14時間程度)ものが多い。もちろん短いというのは、俺の実力からすると短いということ。
制限時間が長いウルトラマラソン(16時間程度)大会は数が少ないので、日程を調整するのが難しくて、ずるずると出場しないまま今まできてしまった。
しかし、ハセツネ(72キロ山岳耐久レース)は2回ほど完走したし、長距離の自信は少しずつついてきたので、制限時間が短い大会でも、完走の可能性は出てきた。そろそろいい時期だ。

ということで、初の100キロウルトラマラソンは20th チャレンジ富士五湖にした。
決め手となったポイント

・大会開催日が2010年4月25日(日)と誕生日の翌日(誕生日に初の100キロウルトラマラソン完走できたらうれしい)
・山中湖・河口湖・西湖・精進湖を走るコースと眺めがいい(以前にも河口湖マラソンに出たり、本栖湖を走って景色がきれいだった)
・比較的アップダウン(起伏)が少ないコース
・長期休みの前にある大会。(長期休み(GWなど)の後だと、旅に出て練習しないので)

といった理由から。

経験則から考えると100キロという距離を走りきることは可能だと思っている。しかし、問題は制限時間。チャレンジ富士五湖100キロウルトラマラソンの制限時間は14時間。この制限時間14時間はかなりチャレンジングなタイムだ。自分の実力的には16時間オーバーぐらいでゴールするんじゃないかと考えているからだ。そこで今回の目標は制限時間14時間以内での完走だ!

100キロウルトラマラソンを完走できたら、目指すはスパルタスロン。スパルタスロンとはギリシャで開催される世界最高峰のウルトラマラソン。36時間以内に246キロを走るレース。この大会は途中にあるチェックポイントの制限時間が厳しい。そこでスパルタスロンの大会参加要項を見ていたら、参加条件が100キロウルトラマラソンを10時間30分で完走した人となっている。なかなか厳しいけど、いつか出てみたいなー。

チャレンジ富士五湖に誰か一緒に出ますか?まだ、エントリーできますよ。早めのエントリーだと自分のゼッケン番号のついたTシャツがもらえます。
って、そんな可能性のある友達は数人しかいないので、そんな人々いかがですか?

http://teratown.com/blog/2008/10/31/aoiuaaeyoyyaiethueiiuoeeeaieoeciaaauoiocaiyyeyeyeythyeyyo/

流れ着いた島は日本中で最もやさしさが残る場所

今年の9月19日から23日までは5連休で、ゴールデンウィークをもじってシルバーウィークと呼ばれた。そんな連休の初日に鹿児島県の硫黄島では八朔踊りが行われることを数ヶ月前に知り、飛行機のチケットを取っていた。連休の1ヶ月ほど前に、定期船のスケジュールを見たらなんと、この連休のタイミングで船の定期検査があり、定期船は出ないという。なんという運の悪さ。でも仕方ない。そこで、ブログに書いて尋ねてみたり、役場に連絡したり、船のチャーターを計画したり、鹿児島の友達に連絡したりと行くための手段をなんとかして確保しようとした。

すると、友達の協力もあって直前に船を確保できることになった。枕崎から硫黄島まで釣り人に便乗して漁船に乗せてもらうという計画。しかし、またしても運が悪いことに大型の台風が太平洋上に存在していた。出発の前日に船長さんに電話すると、「明日は波が高いから、むりやなー。4メートルから6メートルぐらいかね~」てな感じ。うぐぐ。残念すぎるけれど、鹿児島までのチケットはすでに買ってしまっているので、18日(金)の夜に羽田空港を飛び立ち鹿児島へ。ゴールデンウィークに続いての鹿児島だ。空港からのリムジンバスは驚くほど並んでいた。


甑島(こしきじま)の地図

バスに乗り鹿児島市内へ。天文館で降りて事前に予約してあったホテルへ。荷物を降ろして、鹿児島に住んでいる友達と飲みに行く。友達は明日から徳之島へ行くと言う。友達の地元の友達も一緒で、彼は甑島(こしきじま)に住みカヤックのガイドをしていると言う。硫黄島に行こうと思っていることを話すと、明日は無理だろうと言われた。やっぱり無理だよなと思いながら、どこかいい場所はないかと尋ねる。屋久島や種子島もいいが、屋久島に一回行ったことがあるのと、海上に流木が大量に流れ高速船が出ていない状況だった。さらに南にあるトカラ列島は今年の5月に行ったし、たった5日では時間が足りない。もっと南の奄美大島、喜界島、徳之島も同様に時間が足りない。すると、台風の波の影響もない、鹿児島の西に浮く甑島がターゲットとなった。この島に関する知識はトシドンという年末の行事しか知らない。それ以外は皆無で島の大きさやどこから船に乗るかなども分からなかったが、とりあえず串木野から船が出ていることを聞き、明日の行き先は甑島(こしきじま)とした。

夜中の1時ぐらいまで飲み、ホテルへと帰った。すると友達の家の真裏のホテルだったことが分かって、二人で驚く。こんなことってあるもんだ。鹿児島に到着して数時間の間に色々と驚くことがあり、夜は更けていった。


鹿児島市内のバス乗り場


串木野新港

朝起きると天気も良く、船が出るかもと淡い期待を抱きつつ船長に電話。「今日は船でますかね?」「今日は無理やねー。釣りの人たちはキャンセルしたもんでね~。」「そうですか、やっぱり無理ですか。」「台風の波があるもんでね。」「分かりました、ありがとうございます」ってな感じで、あっさりと硫黄島の旅は散って行った。さあ、甑島だ!まずはバスターミナルへ行く。串木野までは路線バスで向かった。バスでゆられること2時間近く。串木野の町中が終点で、降りると串木野駅まで歩いて向かった。ここから串木野新港までバスが出ているはずだったが、あと1時間以上バスがないので、歩いて港まで行くことにした。非常に天気が良く海岸沿いをぶらぶらと歩くと気持がいい。13時30分の高速船シーホークの出発までしばらく待合所で待つ。待合所の畳で喪服を着た15人程度のおじちゃんおばちゃんがいなり寿司なんかを食べていた。島へ法事か何かで渡るのだろうか。


高速船シーホーク

1時間ほど待ち、シーホークへ乗り込む。甑島(こしきじま)は大きく分けて上甑島(かみこしきじま)、中甑島(なかこしきじま)、下甑島(しもこしきじま)の3つに別れ港は5つある。さて、どこへ行くか決めずに高速船に乗り込む。なぜなら、どの港で降りても串木野から3610円という一律料金だからだ。船の中で行き先を考えようと思っていたら、船の中で寝てしまって、何も考えず最初の港である手打港に到着。高速船は大きなフェリーと違ってデッキのような外に出れないから、退屈なのだ。せっかく船に乗ったのに海の風を感じられないなんて嫌だ。だから、もういいやと思い、手打港で降りる。


手打港

降りた人たちは地元の人ばかりの様で、家族の迎えが着ていたり、歩いて集落の方へ行った。バスも止まっていて高速船と連絡しているようだったのだが、地理感覚もなくいったいどこへ行くかも分からないので、とりあえず港をうろちょろしていた。すると、誰も人はいなくなっていた。バックパックの中にはテントと寝袋をもっていたし、簡易的な食料もあったので、なんとかなるやという気持もあった。とりあえず集落がある方を目指して歩く。すると、すぐに軽トラックが横を通る。おっちゃんが声をかけてくれて「何処行くの?」「民宿を探してまして、どこかいい宿ありますか?」「そこに見える、白い家が民宿だね」「ありがとうございます。」「車に乗って行くかい?」「歩いていけるので、大丈夫です。ありがとうございます。」さっそく民宿の場所を発見。さらにてくてくと歩いていると、また車が止まる。次は親子で車に乗っている。お母さんが「どうしたの?」「民宿を探してます。」「あの辺りに民宿が何軒かあるよ。」「ありがとうございます」ってなかんじで、歩いているとほとんどの人が声をかけてくれた。


海岸

今まで日本を旅した中では一番やさしい人が多かった気がする。甑島の中でも特に下甑島、その中でも手打の集落は本当に優しい人ばかりで、この後も声をかけてもらったり、助けてもらった。それから民宿を横目に歩く。海岸が見えたので、民宿はそっちのけで海岸沿いを楽しく歩いていた。また集落があったので、その中へ。すると、おばあさんに声をかけられ、先ほどと同じような会話に。どこの民宿でも良く、決定打がないなーと思いながら歩いていると、今度は車に乗ったおじさんに声をかけられる。「何処行くの?」「民宿を探してまして、どこかありますか?」「ああ、そう。もし良かったらうちも民宿やってるから、どうですか?」「じゃあ、お願いします」と言って、車に乗り込む。偶然だ。旅とはこういった偶然に身を任せるのが一番いい。車に乗せてもらって、手打を案内してもらう。神籠石という見張りを昔していたという大きな石、地元の運動会、伊勢エビ漁をしている漁師さんの家など。


運動会から帰る少年たち


神籠石からの眺め

それから今日の宿である磯口旅館へ。荷物を置いて、自転車を借りて島の中を巡る。まずは、下甑島郷土館。お客さんは全くいないので館長さんがつきっきりで説明してくださった。家々が武家屋敷であること、江戸時代の話し、キリスト教が入ってきたときのこと、ヤンハ踊りやトシドンなどの民俗芸能のことなどなど。こういった島の歴史を知ると、島の存在がぐっと身近になる。それから宿の主人に夕日が綺麗だと聞いた釣掛埼灯台へ行こうとしたが、2本急な坂道がありどこから行っていいか分からなかったので近くにいた人に聞くと、坂道は自転車で無理だからと軽トラックの荷台に自転車を乗せて灯台まで連れて行ってくれると言う。ありがたい。本当に下甑島の人はやさしい。お言葉に甘えて車に乗ると、灯台よりも夕日が綺麗なところがあるという。灯台より少し上にあるキリシタン殉教地だという。キリシタン殉教の地から灯台までは下るだけなので、自転車があれば楽だということで、キリシタン殉教地まで車で乗せてもらった。本当にありがたい。こういった優しさには感謝とともに心が安らぐ。


下甑島郷土館


下甑島郷土館

キリシタン殉教地は遮るものがなくいい場所だったが、灯台と夕日を写真に収めたいと思い、灯台まで降りた。すると、本格的な虫取り網をもったおっちゃんがいた。この島には珍しい虫がいるらしくて、取りにくる人がいるようだ。そんな人とすれ違い、灯台へ。西日に染められた灯台は独特の暖かみと寂しさをもっていた。誰もいないところにポツリとそびえ立つ灯台を見ていると、どこか知らない異国へ連れ去られてしまいそうな怖さも感じた。


夕日に染められた灯台

夕日を見た後、自転車で山を降りる。びゅーーんと下っていたら道を間違えてしまう。道に迷い山の反対側に降りてしまったら、山を越えて帰るのが大変だなーと思っていたら、集落の裏につながっている道に出てほっとした。宿に戻り夕食を頂く。もう一人宿泊者がいて、その方は島の診療所に勤めるお医者さんだった。甑島はDr.コトーの主人公となったお医者さんがいる診療所がある島で、磯口旅館にはその方も泊まっていた。美味しいご飯を食べ、話しをしながらビールを飲んだ。さて、今日も1日が終わる。偶然流れ着いた甑島では初日から非常に楽しむことが出来た。そして何よりも、手打に住む人々の純粋な優しさに心を打たれた。今まで日本を旅した中で一番親切な方が多い島だとつくづく思った一日だった。


夕日

そういえば、この優しい宿のご主人は阿佐ヶ谷に住んでいたらしい。それも南阿佐ヶ谷であそこの吉野家には良く通いました。と超ローカルトーク。宿帳に僕が阿佐ヶ谷と住所を書いたら、そんな話しで盛り上がったのだ。奥さんがこの島の出身でご主人は島に東京から移住したそうだ。それにしても、そんな偶然もあるもんだ。


夕食

お風呂に入り、星でも見ようと外に出る。磯口旅館の目の前は海で砂浜が広がっている。真っ暗な海にヘッドライトをもって行く。寝転がりヘッドライトを消すと満点の星空が広がっていた。本当に星がたくさん空にちりばめられていた。あー、また遠くまで来たなー、旅っていいなー、と一人でつくづくと感じながら、波の音を聞き星空を眺めた。天の川が見えるほど星空は美しかった。1日を存分に楽しみ、眠りについた。


星空

[同行者募集!]9/19~硫黄島(鹿児島)の八朔踊りに行きませんか?
※この旅から戻りすぐ甑島のトシドンはユネスコの無形文化遺産に指定された。

旅日記の続きはコチラ「こうやって行き先は変わってゆく。」

どこかへ向かう者たち

スーツケースを引っ張るサラリーマン。
修学旅行でやってきた中学生。
外国からの観光旅行者。
大きなバックパックを背負った若者。
東京見学にやってきたおばちゃんたち。
駅に横付された車から降り、新幹線に乗る芸能人。
ディズニーランド帰りで大きな袋を抱え、ぐったりとした少女達。
孫に会いにきたのか、うろちょろしながら歩くおじいさんとおばあさん。

彼ら、彼女らは東京駅で見かける人々だ。

最近は東京駅の周りにいることが多い。
特に東京駅の八重洲側(丸の内と反対側)。
そこで日々見かける光景だ。

東京駅からは東北、長野、名古屋や大阪方面の新幹線が出ているだけでなく、北海道から九州まで日本各地への高速バスの発着の場でもある。様々な場所を目指す人々が、日々入れ替わりやってきては、目的地に旅立って行く。

本当に色々な風貌の人が様々な大きさの荷物を抱え、老若男女ありとあらゆる人がいる。酒を飲みながらバスを待つ人、漫画を読みながら待つ少年、地面に座り込む女の子、楽しそうに駅弁を物色するおばちゃん、走りながら飛び乗るサラリーマン、はじめての新幹線にドキドキする子供、何らかの覚悟を決めて旅立つ人。おそらく東京駅は旅人の多様性といった観点からは、日本一の場所だと思う。新幹線があり、在来線、特急、豪華な高速バス、格安高速バス、もちろん、タクシーも自家用車も。羽田や成田経由で飛行機に乗る人も多く行き交う。様々な交通手段だけでなく、様々な目的地、様々な時間帯、様々な価格帯の乗り物が集結している。結果として多種多様な旅立つ人が集まっては、去って行く。

目の前にいる人の旅を勝手に想像する。そんな想像はほとんどの場合ハズレているのだろうけど、自分が経験したことのない旅を擬似的に味わえる。どこかへ向かう人を見ているだけで、自分までワクワクする。このバスは富良野行きだ。一人で待っている。荷物は小さい。服はラフだ。実家が富良野にあって、帰省するのだろうか。。。若い青年が真新しいカバンを背負っている。今は夏休みの時期だ。どことなく不安げだ。初めての一人旅なんだろうか。。。などと。他人の旅を想像し、これからの旅でどんな出会いが待っているのかと思いを巡らす。すると他人の旅を旅した気分になる。自分では経験したことのないような旅をする人が、目の前にたくさん溢れている。偶然今この場で同時に居合わせた人が、数時間後には全く違うところにいる不思議。もちろん、目の前を行き交う誰かは俺の想像が全く及ばない人生を送って、全く想像もつかない旅をこれからするのだろう。でも、そんなどこかへ旅立つ人の一瞬をかいま見れただけで、楽しく想像の旅をすることができる。

台風が去った秋晴れの空の下で「どこかへ向かう者たち」を思う。

すぐそこにある安らげる場所 「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」藤原新也 最高に素敵な一冊

夜の闇を走る列車に腰掛け、本をひらくと、
胸の奥から沸き上がるように涙が込み上げてきた。

昨日の日曜日に猿ケ京から阿佐ヶ谷に戻り、携帯電話でPCに届くメールを見ていた。すると、今週の土曜日にあるクリエイティブライティングのお知らせが届いていた。今回のゲストは藤原新也さんがいらっしゃるということで、課題図書が出された。それが、藤原さんの新刊である「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」であった。

阿佐ヶ谷駅の近くにある本屋に立ち寄り、店員さんに尋ねると白くシンプルな表装がされた「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」を持ってきてくれた。「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」というタイトルにも、ただならぬものを感じたが、この本の表装を見て静かなる強さを感じた。家に帰り洗濯などをして、本を小脇に抱えて再び出かけた。電車の中で本を開くと14のエッセイが収録されていた。「尾瀬に死す」という20ページほどの最初のエッセイを読みながら、涙が込み上げてきた。

自分が経験したことでは全くないし、似たよう経験もしたことがないことが書かれているのだが、その出来事がまるで自分に起こってもおかしくないような、当事者の心の動きと自分が同じような心の動きを日常のどこかで感じているような気がして、吸い込まれて行き涙が込み上げてきたのだ。その後の作品も、強く引き込まれて行って没頭して読んでいた。

どのエッセイも人々の日常の生活の中で起こりそうな出来事が取り上げられていた、その出来事は当事者にとって大きな出来事であるかもしれないけれど、日本と言う世の中のどこで起こっていても不思議ではないことだった。起こった原因というのは些細なことだったり、よくある人と人の感情のすれ違いであったり。とは言っても、当事者にとってしか分からない、どうしても解決できない問題があったりする。そんな出来事には普通に考えたらありえるはずがないような、偶然が起こることがある。ほんのちょっとした変化に気づいたり、偶然巡りあったりする。ただ、その偶然が現実性を保った偶然性であり、人が生きる上で経験する出来事の掴みきれない感情を生み出している。

人間が生きて行く上で起こる風のようなもの。波のようなもの。
ある一定の規則で波が寄せているようだけれど、ひとつひとつは全く想像がつかない波の形をしている。
様々な影響が結果として、ひとつの波を作り上げている。
そんな波と人間は同じよう。
藤原さんはこの本で人間の感情の背景を細やかに描き出している。

読んでいて、感じたり色々と考えたキーワードはこんな感じ。

都市と田舎
社会
常識
日常
人と人
人の感情
違和感

偶然

最後に藤原さんは「偶然」によく巡り会わせる。藤原さんが偶然に良く巡り会うには理由があって、写真や文章で表現している有名な方なので偶然のような出来事が寄ってくるというのと、藤原さんは細かなところも気づく鋭い視点と感性の持ち主だからだろう。

エッセイの具体的な中身を書かないと、どうしても曖昧な表現になってしまうけれども、最高に素敵な一冊なので是非読んでみてください。

ジャズと紅葉の週末。流れ星は見れなくても秋っていいもんだ。

町を歩いているだけで楽しめるのが阿佐ヶ谷ジャズフェスティバルだ。公園、幼稚園、駅前、店先、飲食店など生活の場で生のジャズが演奏されている。ただ町を歩いているだけで、自分が住む町のお祭りに参加できるのは非常に楽しいし、町への愛着がわき町を大切にするようになる。道路にゴミを捨てないだとか、近所の人のことを少し考えて生活するようになるだとか、些細なことだけど愛着がわけば秩序も守るようになるのだろう。もちろんお祭りは活気があり町が元気になる。すごくしっかりとした運営のされるお祭りでなくて、逆にそうでないからこそ、気軽にふらっと楽しめるお祭りになっているのだろう。阿佐ヶ谷には他にもゆうやけ市というガラクタ市が年に4回ほど開催される。日常の中でこういったお祭りに出会うたびに阿佐ヶ谷が好きになる。


闇の中での晩餐

そんなジャズフェスティバルを楽しんでから、群馬県みなかみ市の猿ケ京へ向かった。オリオン座流星群のピークを1日ほど過ぎたが、まだ流星群が見れるかもしれないということで猿ケ京まで行くことにしたのだ。今年の夏もペルセウス座流星群を白馬山に見に行ったが天気が悪くて見れなかったので、リベンジだ。夕方に阿佐ヶ谷で買い出しをして出発。猿ケ京温泉街を越えて、三国街道を左へそれる。何軒か宿があり、前田屋さんという民宿を越えて左へ曲り下って行くとグラウンドと小さな駐車場がある。ここが今日の宿泊地。友達が小さい頃からここに来ていたらしく、開けている場所で空が眺めやすく、人家もなく暗いという条件で選んでくれた。まずはテントを張る。それから晩餐の開始。スナップえんどうと牛肉の炒め物、うどん、パンとドイツのレバーパテ、さつま揚げ、チーズ、漬け物。お酒はビールとワイン。もう、お腹いっぱい。すぐ横に川が流れているので、食器を洗う。寒いのでフリースとダウンを着ていたけど、それを脱いでもあったかいくらい。

ほろ酔い気分で空を眺めたが、雲が空を覆っておりほとんど星は見えなかった。が、グラウンドをぷらぷら歩きながら、色々な唄を大きな声で歌った。完全に野外ライブ会場のような気分で気持よく歌った。存分に楽しんだ後、シュラフの中に潜り込む。外気温は10度ぐらいだったが、ズボンを2枚はき、フリースにダウンジャケットを着ていたため、まったく寒くなく熟睡できた。


ジャンプ


川遊び

翌朝起きると朝の6時。そとは明るくなってきていた。朝はカレーうどん。本格的なカレーをもらっていたので、朝からうまいカレーうどんを味わった。それから川で歯を磨きつつ、川で遊んだ。それからグラウンドを走ったり、はしゃぎながら紅葉がキレイで写真を撮った。それから猿ヶ京・まんてん星の湯で日帰り温泉に入り、体がほっこりする。ちょうど12時ぐらいになり、お腹もすいてきた。五郎兵衛うどんが美味しいということで、五郎兵衛うどんへ。煮込みのうどんがうまい。あったまる。さらに天ぷらもおいしかったなー。

この時期の水上は、抜群に紅葉がきれいだった。特に猿ケ京温泉街近くの道路から眺めた紅葉が抜群だった。この時期のみなかみは紅葉がピークだということを忘れずにメモしておこう。

2009年10月24日、25日