日別アーカイブ: 2009/6/21 日曜日

砂浜で夜空を見上げ、流れ星を待つような音

「エクアドルの空港で寝れますか?」
5年ほど前の、この一言が全てのきっかけだ。

夜エクアドルに到着する飛行機だったため、深いことは考えずにネット上のエクアドルコミュニティで聞いた内容だ。この質問に答えてくださった方にはエクアドルについてからも大変お世話になった。エクアドル以来お会いしていなかったのだが、1、2年前から日本で住みはじめ、那須の自宅でライブをするということを日記で知った。予定はなかったが日曜の夜で、調べたら終電がなかった。最初は諦めたのだが、僕の感性にあっていて、今回は逃しちゃだめ!南米より近いから!と言われ、よし行こうと決めた。

新宿駅からバス(那須リゾートエクスプレス)に乗り3時間程度で友愛の森という場所に到着した。5年ぶりの再開。エクアドルでお会いして、次は那須というのが不思議な感じもしたが、久しぶりの再会とはうれしいものだ。バス停付近から数分の家まで連れて行って頂いた。もともとギャラリーの予定で造られた家は、とても大きくてきれいな所だった。

到着すると、本日の演奏家である長屋和哉さんがいらっしゃった。長屋さんはガイアシンフォニーという映画に音楽を提供し、ご自身も第6番で取り上げられている。僕の好きな星野道夫さんも同じ映画の第3番で取り上げられている。長屋さんは僕よりも20歳ぐらい年上なのだけれど、気さくにお話してくださった。長屋さんと二人でライブの荷物搬入や設置のお手伝いをさせて頂いているときに、色々な話しをした。すると感性や興味が共通していたり、同じ岐阜県出身ということで一気に近づいた。


準備完了

その後、「耳をひらく、心をひらく」というワークショップ。

夜空を見上げ流れ星を待つようなワークショップだった。このワークショップは参加者が仏壇にあるおリンを鳴らすだけなのだが、周りの人が鳴らした音の余韻に浸りながら、自らも音を発する。その絶妙な駆け引きがいとおしかった。いつ誰がどのタイミングで、どんな高さの音を鳴らすか分からない。鐘の音色が細くなっていく。かすかに聞こえる音に耳を澄ませる。どこでなるか分からない次なる音に神経を集中する。まるで、夜空を見上げ流れ星を待つかのようだった。リンの音も高く澄み切った音であり、流れ星をイメージさせた。

音に集中すると自然と目を閉じ暗い世界になる。すると、本当に闇の中を流れ星が流れるように、リンの音が鳴り渡った。何度かリンを鳴らしていると、どんどん精度の高い空間になり、調和のとれた音の重なりに鳴った。何度か繰り返すと自然と参加者の心が通じ合うのか、音がきれいに重なり合っていったのだ。

砂浜で夜空を見上げ、流れ星を待つような音を楽しむワークショップだった。僕の中では、西表島にある船浮という集落のイダ浜を思い出していた。蛍が舞い、誰もいない砂浜に寝転がり夜空を見上げる。波の音に包まれていると、ふと星が流れる。そんなことを、長屋さんに話したら、長屋さんもかなりの旅好きで色々な場所を訪れており、西表島の船浮も行ったことあるよだった。

ワークショップの間に長屋さんが、五感の感じる絶対量は一定で、例えば視覚を閉じれば聴覚が鋭くなるという話をされていた。これにはすごく納得する。中学ぐらいから真っ暗にして風呂に入る癖がある。一日中目を使って生活しているから目を休めるにはちょうど良いのと、目以外の感覚器が鋭くなるから。
4年ほど前にも同じことを書いている。「お腹の中で聞いた鼓動」ついでに風呂に真っ暗で入るエントリー

その他にも、きれいな音だと長く感じない。汚い音だと長く感じる。ということ。最初3分だったが、参加者の心がバラバラで音はきれいではなく、長く感じた。最後は8分なのに長く感じなかった。他者が鳴らす音を聞き、自らの音を奏でる。その調和がより洗練されていたからだ。実際に感じたことを言葉で再確認すると、納得できる。


闇に包まれ、雨が降る

その後、夕食のカレーとサラダをいただきしばらくして、長屋さんのライブが始まった。世の中で一般的な楽器はあまり使わず、ヤンナンという打弦楽器、インドネシアのドラ、仏具などを使って演奏する。30代半ばの時、対馬の海神(わだつみ)神社を訪れたときに聞いた幻聴が金属音で、それを再現しているのだと言う。

とても小さな音を奏で始める。かすかな高い単音に耳を澄ませる。すると神経が一点に集中して行く。音を聞く状態に自然と導かれていく。演奏の開始とともに、音楽に集中するモードになっていた。

ヤンナンという打弦楽器の音が美しかった。風にそっと揺れる白い羽衣に包まれるかのような音色。

そしてヤンナンの演奏もテンポが速くなり、ゾクゾク来た。ヤンナンの早弾きはリズミカルにとても早く演奏する。ワクワクしてくる。心が踊り始める。そして、インドネシアのドラと大きな黒いドラの2種類を使った演奏に心を揺さぶられた。自分の中に潜む自分自身が暴れる、飛び出そうとする。そんな音楽ははじめてだった。暴れようとする自分の中の自分を、自分が必死で押さえた。それでも体の内側から飛び出して来て、体が反応して動く。ドラの演奏は体の細胞を振るわせた。

細胞が振るえるような演奏を聞いたのは初めてだった。2、3年前に越後つまりトリエンナーレの閉会式で聞いた鬼太鼓座がそれに近かった。この時は野外だったので、またひと味違っていたけれど。


演奏

ライブ終了後は、「すべての美しい 闇のために」というヤンナンのCDを買う。ドラの演奏が入ったCDがあるか尋ねたら、ないようだった。それを聞いて、あの音はライブだからこそ伝わってくるような気がした。

お客さんも帰り、楽器の片付けを行う。準備した時の巻き戻し。演奏を聴いてから楽器を見ると、準備の時とはひと味違った印象を持つ。片付けの時も、色々な話しをした。興味の対象や感じ方に共感できることが非常に多かった。お会いする前に持っていたイメージと異なっていたが、僕に取ってはとても良い方に異なっていた。演奏者と客という立場だと、見えない壁があり様々なことを率直に話せないけれど、一緒に準備をしたり、同じ岐阜出身だったり、飲んだりしたことで、壁などなくお話しすることができた。

片付けも終わり、飲み始めた。岐阜の話、長良川で泳いだこと、1人旅の話、結婚後の旅の話、身体で捉えることの話、ギャグ、笑いについて、日本の文化、島(波照間、パナリ、船浮)、ヤマに住んでいた人(サンカ)、海に住んでいた人、陸に住んでいた人、日本の歴史、神、神社などなど。とても面白い話しばかりだった。サンカに関する柳田国男の処女作を教えて頂いたりもした。

今度は八ヶ岳へ伺うことを約束して、眠りについた。

翌朝とても気分の良い目覚め。那須の朝はすがすがしかった。東京とは空気が違い、透明な空気があった。朝、散歩をすると植えられたばかりの稲に水滴がついていた。

その後、那須塩原駅まで送ってもらい、新幹線で東京駅へ向かった。