月別アーカイブ: 2009年5月

こうして会えることの喜び

いつだったか思い出せない。
この前、3人でそろった日のことを。

大学時代に共に過ごした親友。
一緒に旅をしたり、一緒に鍋をしたり、一緒に山に登ったり、一緒に授業を受けたり、一緒にバカなことを話したり。
一緒にトルコに行ったり、一緒にキムチ鍋をしたり、一緒に三頭山に登ったり、一緒に線形代数を受講したり、一緒にジョーンズプレイス運動したり。

大学時代の無二の親友は、しばらく間があいても、そんなことを感じず楽しめる。
それぞれ、色々なことを考えて、楽しみ、悩み、日々を過ごしている。

そして再び会い、思い出を語らい、今そして未来を語り合う。
お互い元気をもらう。

こうして会えることの喜びは何物にも代え難い。
こんな親友に出会えて幸せだ。

2009/05/31

アラスカ極北飛行

電車で星野道夫さんの最後の著作である「森と氷河と鯨」を読んでいた。この本はアラスカの各地を星野さんが旅し、老人からワタリガラスなどの神話を聞いて、まとめあげた本だ。以前にも読んだことがあるのだが、トカラ列島へ行き神や文化の伝播などについて興味がわき、また読み返したくなって読んでいた。ちょうど今日の帰りに読み終わり帰宅した。

日付が変わった頃、仕事から家に帰りつきポストを開けてみると、アラスカ極北飛行というDVDが届いていた。3月に見に行った湯口公さんの写真展で予約購入していた映像が完成し届いたのだ。楽しみにしていたので、早速20インチディスプレイのiMacにDVDを入れる。こういう時は、PCのディスプレイが大きくてよかったなと思う。

アラスカについて書かれていた星野さんの本を読んでいたので、DVDを見てさらに気持ちは高まった。湯口さんはアラスカで飛行機を自ら操縦し写真を撮影されている方だ。空から見るアラスカの風景は完璧としか思えないほどだった。世界にはこんな美しいところがあるのか。もちろん、そんな土地には厳しい自然環境、そして野生の動物もたくさんいて、人間の自分勝手なキレイとか感動するといった感情とは無関係に成り立っているのは言うまでもない。

そんなアラスカを撮影した写真と映像、そしてBGMにオープニングから圧倒される。「なんだよこの自然は!」「ああ、もう、アラスカよ。アラスカ!たまらん。」と、行ったこともないのに、そんな感情が沸き上がる。それほどまでに、アラスカは俺を魅了する。

そして、DVDを見ていると「もうひとつの時間」が流れていることを再認識し、この世界に対してほっとする。

「あわただしい、人間の日々の営みと並行して、
もうひとつの時間が流れていることを、
いつも心のどこかで感じていたい。 」(星野道夫)

この「もうひとつの時間」は「遠い自然」という考えとも重なり合うことだと思う。

人間にとって大切な自然が二つあるような気がします。

 一つは、皆にとっての身近な自然です。 例えば家の近くの森や川、鳥だとか、そういう日常に近い自然の大切さがありますよね。 それは日々の暮らしの中で変わっていく自然ですが、もう一つ、遠い自然も人間にとって大切なのではないかと思うんです。

 そこには一生行けないかもしれないけれども、どこか遠くにそういう自然が残っていればいつか行くことができるかもしれない。 あるいは、一生行けないかもしれないけれども、いつも気持の中にある、そういう遠い自然の大切さがある。

 それはアラスカだけに限らず、アフリカであれ南米であれ、また日本であれ、たとえ自分がそこに行かなくても、日常の暮らしに関わりがなくても、ただそこにあることで人の気持が豊かになる自然があるのだと思います。(星野道夫 魔法のことば)

この星野さんの本や言葉を思い出しながら、湯口さんの映像を楽しみ、自分の中で様々な思いにふける。そして、アラスカに対してさらに興味を持っていく。

アラスカに行くには休みが少ないとか、行かない理由を言ってないで、さっさとアラスカに一度行ってみよう
と決めた。

PS このDVD一般発売は6月からのようです。ぜひ、ご覧になってください。非常にオススメです。

湯口さんのブログより。
アラスカ極北飛行DVDの完成!!
http://husky-ricky.blogspot.com/2009/05/dvd_22.html

過去の関連エントリー

男が見た夢~自由の翼~ アラスカ極北飛行 : 湯口 公 
http://teratown.com/blog/2008/07/22/aeiaiiiaa-ycyeyyeeieoo-aoy-o/

3月に行われた湯口さんの写真展にも足を運んだ。
「アラスカ極北飛行」~翼が見たアラスカ~
http://teratown.com/blog/2009/03/07/ueeeia4aeth/

トカラの神々

第1弾はトカラ列島の温泉第2弾は朝日と夕日、そして第3弾は神社。この3つは何の関連性もないようだが、トカラ列島を旅して印象的だったものをテーマとして取り上げている。さらに、7つの有人島のうち4つを巡ったなかで、全ての島に存在しているものであったり、全ての島で自分自身が体験したものという条件でテーマを決めている。

トカラ列島にあった神社は沖縄の新城島や波照間島などで見た御嶽のような場であった。やはりこういった島では似てくるのだろう。大きな社(やしろ)というか本殿のような建物があるわけではなく、小さな祠(ほこら)がある。その神社は御嶽と同様に人の目につかないところにある神社も多かった。うっそうとした木々の中に小さな鳥居があり、本殿は高さ50cmほどの小さな小さな建物の中に貝、お米などがあるぐらい。

やはりこういった島では神なのである。島にある神は、いわゆる宗教とは違った感じがする。いわゆる宗教とはイスラム教やキリスト教のこと。これらは人々が生きる上での大きな幹となっている。一方でこういった島での神は祈りの対象であったり、感謝の対象といった感じがする。日本における仏教と似た役割を果たしていそう。まあ、宗教とか神とかについて何も知らないのにこんな事を言っていますが、そんな風に感じたということです。こういった島で自然発生的にできた神は祈りの対象であり感謝の対象である。いわゆる宗教のように教典があって戒律があってというわけではない。そこに大きな違いがあるんじゃないかと思っています。それにしても最近は土着の神とかお祭りなどの儀式に非常に興味がある。

そんな興味もあってトカラ列島に行ったのでおっちゃんとかに話しを聞いたり、家においてある十島村誌という辞書のような分厚い本を読ませて頂いたりした。ひとつ印象に残っている話しが、悪石島のおっちゃんに聞いた話し。トカラの島々には専業の神主がいない。神主だけを仕事にして食べている人がいない。だから神(の役割)は島民が持ち回りで順番にやることになる。普段から知っている近所の人や自分が神になるのだけれど、いつもの姿のままだと神との違いがない。そこでいつもの島民と神との違いを明確にするために、神を演ずるときは徹底的に変装するのだと。そんな意味も悪石島のボゼには込められていると。

また神社ではないがテラというものがある。テラは寺ではなく「テラ」のようだ。元々は寺だったとか。そんな「テラ」はお墓を意味するらしい。(島のおじいの家に置かれていた1000ページ以上にも及ぶ十島村誌に書いてあった。)そこにはお盆のお祭りで使われるボゼ仮面も捨てられていた。ボゼも一瞬だけ生きて、死んだということでテラにボゼ仮面が捨てられているのだろうか。

不思議なことはまだある。神社の隣に神社、またその隣に神社。こんな場所が小宝島にあった。なぜだろうか。

このように島には色々な神社などがあり、島によって神社の形態が異なるのだ。なぜ島によってこんなにも異なるのか。理由のひとつとして、自然環境があるのだろう。トカラ構造線という生物地理的な境界線がある。悪石島より北にはハブがいないが、小宝島より南にはハブがいる。さらに植物の植生も異なる。こういった自然環境の違いが文化や習慣の違いをうんだのだろう。さらに、これらの島々はポツン・ポツンと海に浮いている。太古の昔から色々なものが流れ着いただろう。モノだったり人だったり。そうして流れてきたモノから影響を受け、各島々に独特の文化が生まれたのかもしれない。事実、神田道夫さんと石川直樹さんが太平洋に着水した気球のゴンドラが数年後に悪石島に漂着している。非常に興味深い島々とその文化だ。

今回は4つの島しか行っていないので、その4つの違いを写真とコメントでご紹介。特に興味深かったのは悪石島の神社だった。

悪石島

女神山の近くにある乙姫神社。女神山と関係があるから、乙姫神社という名前なのだろうか。

坂森神社の周りは木々が生い茂っていた

坂森神社 鳥居

坂森神社 鳥居の鳥居にはギザギザの線が彫られていた。このギザギザは悪石島の鳥居のみにあった。

集落内にあった坂森神社 参道におまつりしてあった

坂森神社 本殿の前に置かれていた小さな鳥居

坂森神社 本殿

金山神社 鳥居

金山神社 本殿

テラに捨てられたボゼ仮面

お墓の花筒は竹を切り、上の節だけ赤く塗られていた。そこには家紋と同じように家系を示す記号が彫られていた。(十島村誌に家紋と同様の意味の記号と書かれていた。家紋と言う名前ではなく別名だったがメモするのを忘れた。)

小宝島

神社が3つ並んでいた。鳥居と神社の石碑

小宝神社の鳥居

小宝神社の横にあった孝坂神社跡の石碑

口之島

前之浜付近にある八幡神社?鳥居 写真が横向きです

前之浜付近にある八幡神社?本殿

西之浜漁港の近くにある神社

口之島の集落にあった神社 本殿

宝島

宝島最大の鍾乳洞

トカラ観音堂 鍾乳洞の横にある

あれからまだ1年なんだ。

去年のゴールデンウィークに八重山諸島へ行った。この旅が楽しくて楽しくてしかたなかった。単純に楽しいだけではなく、いい旅だった。実に良かった。出会った人、そして風景。

それからまだ1年しか経っていないのだ。それに驚いた。
沖縄には昨年の秋に再訪しているし、九州を旅して47都道府県も制覇した。イランにも行った。
ハセツネは徹夜で走った。
フルマラソンも2回走った。雲取山も2回登った。写真展も2回やった。

もちろんこうした出来事だけではなく、本を読んだり、さまざまな展示を見たり、色々な人に出会い、語り、考えた。

色々な事があったなと思う。

波照間で仲良くなった友達とは、何度か飲んだし、写真展にも来てくれた。
住民が3人ぐらいの島で会った方に東京の八重洲ブックセンターで偶然声再会もした。
一緒に八重山を旅した友達のライブにも何度か行った。

いやー、一年って色々な事があるね。
一年ってかなり長い期間なんだなと改めて実感。
1年あればいろいろなことができる。
それは自分次第なんだな。
次の1年も。

そんなことを思ったのも、昨年のGWにパナリ島で会った兄ちゃんに今年のGWは悪石島で偶然にも再会したから。
名前も知らない兄ちゃんだけど、こんなところで再会するとは。
そして、1年という長さをこの兄ちゃんをきっかけに回想した。

名前も知らなけりゃ、何をしているかも知らない。
ただ知っていることは、昨年のGWはパナリ島にいて、今年のGWは悪石島にいるということ。
その間、どこでどんなことをしていたかはお互い何も知らない。
兄ちゃんとのつながりは点と点だが、俺本人はずっと続いている。

だからこそ、この1年の間に俺は何をしていたんだろうと振り返った。

さて、来年のGWも偶然会うのだろうか。そんなことってありえるのだろうか。
もしあったとしたら、また1年を回想するのだろう。

送信者 八重山2008