日別アーカイブ: 2009/4/23 木曜日

永遠は一瞬だ。一瞬は永遠だ。一瞬は永遠になり、永遠は一瞬になる。

過去も未来もない、あるのは今だけだと思う。
そう思ったのは、2005年の冬。

過去にすがっても、何も解決してくれない。
未来に夢や希望を持っても、今という現実は何も変わらない。
別に悲観的なわけでもなくて、先を考えずに無茶をするってことでもない。
もちろん、過去を振り返り幸せに浸ることもあれば、未来に希望を持ち今のやる気がわいてくることもある。
それがネガティブな事だとも思わないし、それで幸せを感じることも多い。

ただ、今からは逃げられない。今判断するしかない。
まさにその瞬間は今だけで、過去も未来も関係ない。
今どうするか、そんな連続で全ては成り立っている。

良く言われる話で、レンガを積む話がある。
一人はただレンガを積み上げているだけ。
もう一人は家を立てる目的のもとに、家ができることをイメージして、レンガを積み上げている。
どっちが良いかと言ったら、出来上がるものを知ってレンガを積み上げている方という話。

確かに、先を、将来を、出来上がるものをイメージすることは大切だ。
ただ、実際に途方もないことの繰り返しの場合は、そんなに先のことを思っていると、やってられない。
ゴールが途方もなく先にある場合は、ゴールなんか知らない方が良いと思う。
ゴールを知ってしまうと現実的なものとして、考えられない。
一つのレンガを積んでも、ゴールにはほとんど近づかず、絶望する。

まずは、目の前の一つのレンガを積むことなのだ。
ただただ、レンガを積むことの繰り返しなのだ。
ゴールのことなんか考えず、無心でレンガを積み続ける。
徒労に思える事でも、手に取ったひとつのレンガを積むしか道はない。
限りある永遠の中においては、ゴールなんて知らずに、目の前のことを淡々とこなす方がいい。
そっちの方が、絶望しなくてすむ。
そんなふうに思う。

この重要性が、レンガを積む話からは抜けていると思っている。

野茂の200勝にしても、目の前の1勝なのだ。
72キロ、24時間のハセツネカップにしろ、今の一歩、真夜中の今、前に進むかリタイアするか。リタイアするか否かは、それまでに走った距離でもなく、これからの道のりでもない。今、まさに今、辞めると判断するか、前に一歩進むかの判断。それが、全体の意味合いというか、価値を決定づける。
数年前に東京から岐阜を目指して歩いた。これにしても、一歩なのだ。次の一歩。目の前の一歩。
それだけなのだ。今までの距離も、これからも関係ない。今の判断が全てだ。それで、全てが決まる。歩ききるにしろ、諦めるにしろ、まさにその時の判断で全体が決まる。結局は、今しかない。次の1勝でしかなく、次の一歩でしかなく、次のレンガ一つでしかない。

また、こんな視点からも今しかないと思う。
政治家や犯罪者が記憶にございませんという。
覚えているのに、嘘をついていることもあると思う。
けど、自分のことを振り返ってみても、忘れていることも多いし、かなり人生でインパクトがあることで記憶はあったとしても、本当に自分がやったかどうかが怪しくなることがある。もちろん、そんなインパクトのあることだから、自分でやった。そう思う。けど、ぼんやりとした怪しさが残る。

例えば僕はガラパゴスに行った。まぎれもなく行った。でも、あれ?行ったんだよな。夢じゃないよな。うん、確かに行った。というような曖昧さが残る。
東京から名古屋まで歩いたことも、確かに歩いた。辛かった。でも、今振り返ると、うーん、たぶん歩いた。あれは俺だったはず。と思うことがある。

そう考えると、過去はない。今しかない。今の積み重ねしかない。
言い換えれば、今はなくて、過去と未来しかないとも言えるのかもしれない。

永遠は一瞬だ。
一瞬は永遠だ。
一瞬は永遠になり、永遠は一瞬になる。

で、結局何が言いたいのかと突っ込みをもらいそうだけど、基本はただそう思っただけです。ただ、あるとすれば、今を楽しく、できるだけ今を乗り越えてゆこう、そういうスタイルで生きていこうという覚え書き。

数年前に書いた文章を、ちょっとだけ追加して、今さらアップしてみました。