マシュハドの日常。そしてマシュハドとの別れ。

まだ続いております。イランの旅日記。今さらよくも書いているなと自分でも思いますが、ここまできたら書き終えたいと思います。

そうそう、話しは全く違うけど、PHSのメールが復活しました。

前回の旅日記はコチラ「そして中へ」

朝起きると今日も冷え込みは厳しかった。目が覚めてしまい、再び寝る事もできなかったし、外は明るいので起きる事にした。朝食の8時30分には少し早かったが、上の階に行くとヴァリはいなく、奥さんが無言で朝食を出してくれた。奥さんは英語が話せないので、特に何も話さないようだ。さらに、奥さんはイスラムの規律に厳格なようで、それも僕に話しかけない理由なのだろう。

一人で朝食を頂く。しばらくするとヴァリが帰って来た。なんと、パンを買いに行っていたのだ。それで、こっちのパンを食えと勧めてくれたがすでにお腹はいっぱいであったので、遠慮させてもらった。ヴァリと話していると、今日は大学に行って勉強だと言う。英語とドイツ語だかフランス語だかを勉強していると言う。熱心なおっちゃんだ。だからこそ、外人を泊めて話したりするのだろう。

ヴァリが外へ出るというので、俺も出る事にした。持っているものはほとんどゼロに近かってので荷物を全て持ち外へ出た。もうヴァリの家には戻らず、このまま今日の夜行電車でテヘランへ行く予定だ。そう思うと、少し寂しくもある。


絨毯の卸売り

市バスは分かりづらいので、ヴァリに教えてもらって乗った。街の中心地へ向かう。ヴァリと歩いていると、彼が色々な人と話すので前に進まないのだが、それも楽しみのひとつだ。香辛料の店の店主と話したり、偶然すれ違った知り合いと話したり、絨毯の卸し売りをしている所に行きチャイを飲みながら話したり。絨毯の卸しをしている場所は、その4階建てほどののビルすべてが絨毯屋であった。ただ、それらの店はすべて個人に売るわけではなく、卸しているだけのようであった。一部の店というか部屋では、絨毯の修繕をしていた。古くから使われた良い絨毯は修繕して、使い続けているのかと感心した。チャイを出されるとついつい長居をしてしまう。


バザール

一通り色々な人と話したので、バザールへ行く事にした。ここでヴァリとは別れた。holy shrine(イマームレザ廟)からほど近いバザール。このバザールは真っすぐにのびる商店街でアーケードもあり、寒くないのが良い。そんなバザールでは宝石、布、香水、洋服、おもちゃ、時計、イスラム教に関わるものなどが売られていた。買う気もないので、ほっつき歩きながらいろいろと覗きこんでいると、陽気なイラン人はこっちに来いと言ってくる。だいたいは英語も喋れないのだが、呼びかけてくるほどの陽気さだ。彼らも一応証人なので、買ってちょうだい。と言うのだが、いらないよ。と言うとすぐに売り込まなくなる。これがイラン人の特徴で、インドだったらありえないなーとつくづく思い、国の文化と人間性の違いに楽しませてもらっている。

長い長いバザールを話しかけられて見ていると、いつの間にやら時間が経ちお腹もすいた。そこで、ケバブを食べる。チキンケバブよりもラムケバブの方が好きだ。味がしっかりするし、肉汁もうまい。これが臭みという人も多いが、俺にはこれがうまく感じる。イランの名産であるサフランがのったライスとナン、そして7upと書かれたコーラっぽいものを飲む。ケバブには生タマネギと焼いたトマトそしてレモンかオレンジがついてくる。この取り合わせは本当に良くあう。サフランライスとケバブにオレンジを絞り、食べる。適度な油で炒められたサフランライスと油ののったケバブが良くあうのだ。そして、口の中が少し油っぽくなったら、再度ケバブにオレンジを絞り、ナンを手に取りケバブと生タマネギを包んで口に放り込む。すると、タマネギの辛みが効いて、あっさりと食べられる。なんともうまい。


昼飯のラムケバブ

それからまた、町をブラブラとする。何をするわけでもなく、ハラム[holy shrine(イマームレザ廟)]の周りを歩いたり、町行くおっちゃんと話したり、そんな事をしていると、小腹が空いてきた。そこで、再度ケバブ屋に入る。しかし、今回のケバブは先ほどと違いおやつ感覚。ウイグル自治区に行った時に良く食べたケバブが、この細かく切った肉を串にさすケバブだ。ケバブと言ってもトルコとケバブはフランスパンのようなものに挟むことが多いし、国によって違う。一口サイズの肉を鉄の串にさしたケバブ。


ハラムの前をおっちゃんが過ぎていく

店先に並ぶ、肉を指で指して5、6本頼み焼いてもらう。自分で薄っぺらいチャパティの様なパンを取り、ついでにヨーグルトも飲む事にした。焼き上がってくると塩味の肉の良い香り。ティパティのようなものに包みながら食べる。うまい。うまい。食い過ぎかなと思いつつ、追加で4、5本頼んでしまった。ケバブはうまかったのだが、飲むヨーグルトはそれほどでもなかった。このヨーグルトは塩味が強くて、日本のヨーグルトとは味が違い、甘みがなかった。

ほぼ食べ終わる事、後ろのおっちゃんに声をかけられる。店員さんが食事をしていたのだ。昼飯の時間が終わり、店員さんの食事タイム。日本で言うところのまかない。ご飯とチキンの足を煮込んだものを食べていた。「食べるか?」と言われたので、「いただきます!」と言って、お裾分けしてもらう。煮込んであるチキンはうまかった。ついでに、「ご飯はおこげがあるよ。」と言われ、おこげの部分を頂く。イランでも日本と同様に、おこげはうまいという文化なんだなー。イランに来て、おこげを食べるとは思わなかった。


クシにさしたケバブ


おこげ

腹も満たされ、そろそろ駅へ向かう。時間はまだあるのだが、駅へ歩いて向かうと時間はかかるし、寄り道していると良い時間になるだろうから。駅へ向かうと案の定、真っすぐは進まない。イスラムの偉い人の命日で町中に黒い旗が立ちっている、これに関する行事なのだろう。道をらくだが練り歩き、偉いと思われる人が緑の布をかぶり、その周りを大勢の人が歩き、歌も歌っている。おお、と思い、ついつい見入ってしまう。


行事で練り歩く


らくだちゃん

やはり、この時期はマシュハドに多くの人が集結するんだなーと実感。それから、駅へ向かって歩くと、日本語を話すおっちゃんに話しかけられる。彼もテヘランに行くと言う。昔、日本で働いていたけど今はビザがなくて、イランで農業関係のビジネスをしているという。日本への招待状をくれと頼まれるけど、おれは政府の人間じゃないから無理だよと伝える。日本で働いていたイラン人は、また日本で働きたい人が多いんだなーと、この旅で実感した。

なんだかんだいって、時間が経ち、マシュハドの鉄道駅へ。売店で水などを買って、しばし待つ。それから、電車に乗り込む。どこの車両か少し迷ったが、自分の関にたどり着く。この電車は本当に豪華だ。4人のコンパートメントに2台液晶テレビがあるのだ。驚く。さらに暖房が効きすぎていて暑いぐらい。同室はビジネスマンと老人夫婦だった。やはりこんなセレブ列車にのるのは、こういった人なのかと思う。すると、老人夫婦が出ていき、若い青年2人と入れ替わった。おぼっちゃんの若い青年という感じ。この二人の青年はとても親切で良い奴だった。英語がほとんど話せないのだが、色々とコミュニケーションをとった。若いのに、調子に乗った感じが全くしなくて、すごいなーと思いながら、話していた。


液晶テレビの着いた電車内

すると、ディナー。お茶とお菓子は始めから置いてあり、すでに食べていたのだが、さらに夕食までつく。ケバブだ。チキンケバブとzamzamジュースとゼリー。豪華だ。豪華列車は格が違う(笑)食べ終わると、眠たくなり、2段ベッドの上で寝る事にした。兄ちゃんたちが、シーツとかも持って来てくれて、感謝。疲れていたのか、すぐ眠る事ができた。翌朝テヘランに着いたら、この旅もとうとう終わりだ。


電車での夕食

旅日記の続きはコチラ「越えられぬ愛は、心の中で続いてゆく。[そしてテヘラン再び。]」

2 thoughts on “マシュハドの日常。そしてマシュハドとの別れ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です