日別アーカイブ: 2009/1/25 日曜日

知らず、知らずのうちにシラーズ到着

全開の旅日記はこちら「旅先三日目に、旅は始まる」

寝て起きたら、シラーズに到着していた。イランのバスではパンとお菓子が配られるが、それに一口も手をつけず、眠り続けていたのだ。シラーズは寒いと聞いていたが、それほどでもなかった。しかし、エスファハンとは違い、あたりを見回すとすぐ近くに赤茶けた山々が近くに見えた。標高も少し高くなり、かなり乾燥しているようだった。久しぶりの海外での夜行移動だったが、比較的新しいバスでそれほど疲れはたまっていなかったが、バスターミナルで一休みすることにした。チャイとシュークリームを食べる。シュークリームはうまいのだが、外国で良く味わう安っぽい甘さの生クリームで、ひとつで十分だった。

バスターミナルを出ると、道を車に乗っていた兄ちゃんに聞いた。すると、乗せていってくれると言うので、車に乗り込んだ。バックパックを抱えていたが、トランクに入れていいよと言うので、トランクにいれ出発。目的地と逆方向に進みはじめたので、確認すると町中は混んでいるので迂回するというようなニュアンスの説明をされた。そうか、と思い外の景色を眺めているとお菓子をくれた。イランにしては甘さ控えめのクッキーのようなものだった。

幹線道路になり、両脇は荒野になった。ドライブ気分で楽しかった。2、30分ほどすると、幹線道路沿いで車を止め、向こうに見える町がシラーズだと言う。少しばかりおかしいなと思ったが、そのまま降りた。トランクを開けようとした瞬間に車が急発進した。何だか分からなかった。友だち同士でやるいたずらをされたのかと思ったが、あっ、やられた。と気がついた。猛ダッシュで追いかけて2、3分走ったが車に追いつくはずはない。。。車が走りはじめ、前のめりになり右手を伸ばしているシーンは鮮明に目に焼き付いた。

ああ、どうしよう。やってしまった。海外で初めてモノを盗られた。それもバックパック丸ごと。持っているものは、お金とパスポートとカメラ2台だけ。落ち込んでもしかたない。パスポートなどが本当にあるかを確認し、その場で記念撮影もした。太陽が照りつける幹線道路沿いの荒野をとぼとぼと歩き続けた。盗まれた荷物が道に捨てられていないだろうかと、探しながら。しかし、あるはずがない。残り10日以上の旅で盗まれた事によって何か問題が起こるかもしれないと思い、盗まれたものを思い出していた。カメラのレンズ、カメラのフィルター、カメラの充電器、写真データの入ったSDカード、洋服一式、ダウンジャケット、洗面用具、日記、ヘッドライトなどなど。致命的なものはなかった。カメラを常に方からかけていて救われた。彼らにとって価値のあるものは特になり。しいて言えば、闇市で売れると言う視点では、バックパックやヘッドライト、ダウンジャケットあたりだろう。そう言ったものも愛着があり、非常に惜しいが、それよりも写真や日記を盗まれた事が悔しかった。金で買えないものにこそ価値を感じているのだなぁとしみじみ感じた。取り返しのつかない、代替のきかないもの。今回のこの旅でしか撮れなかった写真や日記だ。モノというものは、あるべき人のところにあってこそ価値があるのだなと痛切に感じた。

2、3時間荒野を歩いた。照りつける強い日射しを浴びながら。そろそろ町中に行こうと思い、道路を渡りしばらく歩いて町中に。でも、ここがどこか分からない。とりあえず、のども乾いたし、原も経たので見つけた売店に。場所を聞いてもイマイチ分からなかったので、前の道路を走るバスをつかまえた。市街地の有名なスクエアの名前を言うと、このバスはそこまで行くということなので、バスに乗る事にした。普段なら席があいても立っているのだが、どっと疲れが出て、席に座って呆然と外を眺めた。

町中につき宿に入った。宿に置く荷物もないが、ベッドに倒れ込みたかった。ホッとした。休憩してから飯を食いにいった。昼は元気を付けようと、ラムケバブを食べた。チキンケバブよりもラムケバブの方が安いし、うまい。警察を探し、町を歩いた。交通整理をしている警官に、身振りで盗まれた事を伝え警察署の人に来てもらい、警察署まで行った。警察署には逮捕された人もいて、あまり居心地のいいものではなかった。逮捕された人は警察に言い寄られたりしていた。早くここから出たい。しかし、調書をもらわないと旅行保険がおりない。みんな英語が話せないので、英語が話せる人に電話して、その人に俺が説明した。しかし、担当者も決まっていないようで、色々な人に同じ質問を繰り返しされるだけだった。なんだよこれ。さらに、外人が珍しいらしく、関係のない故おばかり聞いてきたりと。2、3時間いたが結局調書はもらえなかった、夕方来いと言われただけ。

保険会社に電話しようと思い、町行く人に聞いた。親切に教えてくれて電話屋さんまで連れて行ってくれた。親切なのだが、盗難の事件にあったばかりだと神経質になる。周りが俺を狙っているんじゃないかとか、怖い気持ちもあった。さらに盗難した奴らに町中で会うんじゃないかと、保険会社に電話すると、調書はいらないとのことだったので、夕方もらいにいく事は辞めた。

最低限必要なもの、パンツ1枚、靴下2足、歯ブラシ、タオルだけを買った。この後、これだけで旅をした。鞄はなくビニル袋2重で。何も持たずに旅をする事はこんな状況にでもならなければしないだろう。だからこそ経験できたこと、そして気づいた。何もまとわないって、身軽だと。心が解き放たれたような旅になった。荷物を持たない事で心が解放され、心の扉がさらに開いた気がした。

ホテルで寝て、夜はサンドイッチを2、3個食べて、寝た。こんなことがあったから、寝付きが悪いかと思ったが、すぐに寝れた。相当疲れていたのだろう。

ちなみに、イランの警察署ではチャーハンが出てきた。カツ丼ではなくイランの警察はチャーハンのようだった。

旅先三日目に、旅は始まる

前回までの旅日記はこちら「優しくされたエスファハン、優しくなれたエスファハン」

旅先三日目に旅は始まる。旅に出て三日目ぐらいに、日本でのリズムから「旅のリズム」になる。おそらく三日ぐらいの間に、旅する国のクセを感覚的に把握するのだろう。すると、心が軽やかになり、現地の人とのやりとりもスムーズになり、やっと旅が始まった感じがする。今回の旅先三日目はエスファハンだった。

送信者 イラン

[布団屋さんの紳士]

同じ宿で、同じように目を覚まし、同じようにホッとシャワーを浴びる。宿の人に聞くと、今夜のバスチケットが取れると言うので電話で予約してもらう。今夜は夜行バスでシラーズへ向かう。バスのチケットも取ったので、宿に荷物を置かせてもらい、町を歩く事にした。昨日の夕食をごちそうになったマスウッドさんに、「昼も食べに来なよ」と誘われていたので、行く事にした。マスウッドさんのお店に行く途中で、恰幅の良い優しそうな紳士に話しかけられる。道ですれ違って、話しかけられたわけではなく、彼は自分の店のガラス戸を開けて声をかけてきたのだ。英語はまったく話せないようで、笑顔でこっちへ来いと誘われる。とりあえず、店の中に入る事にした。その店は寝具を扱っている店で、ベッドのマットや毛布などが積まれていた。おじさんが一人でやっている店のようで、外を見ながら店番をしていたのだ。言葉は通じないが、身振りでチャイを飲むかと聞かれ、チャイをごちそうになった。本当に人が良さそうで、こちらも身振り手振り、そしていくつかのペルシャ語で会話をした。おじさんからも、お昼をごちそうするよと誘われたが、もう約束していたので断った。イランに来て、ランチの約束をダブルブッキングしそうになるとは想像もしていなかった。


[ドア工場のじいさん]

そして、マスウッドさんの洋服屋へ。着くと店は閉まっていた。まあ、仕方ないと思い、メモを書いて扉に挟もうとしたら、「Hi,TAKESHI!」と声が聞こえた。マスウッドさんが路地から現れた。またあう事ができた。少しばかり話していると、色々な人が来る。向かいのドアを作る工場のおじいさん、左斜め前の洋服屋の兄ちゃん、近くの食器屋の兄ちゃんなどなど。食器屋の兄ちゃんとは夜会う約束をして、ドア工場のおじいさんには作業を見せてもらった。小さな工場は2人でドアを作っていた。おじいさんは昔、手を切ったようで指が一本なかった。そんなおじいさんに近くのモスクへ連れて行ったもらった。町中のみんなが集う小さなモスク。有名でもなければ、特別大きいわけでもなく、きらびやかでもない。そんな普通のモスクからは人の匂いがした。

おじいさんと別れマスウッドさんの店に行くと、次は向かいの建物の地下へ連れて行ってくれた。なにがあるのかと思ったら、洋服を作る工場だった。洋服を作るといっても、袋に詰める最終段階だけを行っていた。ここでも、角砂糖たっぷりの甘いチャイをいただきながら話しをした。地下の狭い場所で3人の男がYシャツを綺麗にたたみ、袋詰めしていた。ひときわ小さい男性は、アフガンからの出稼ぎだと話していた。

また、マスウッドさんの店に戻り話していると、コーランが聞こえてきた。すると彼らはお祈りに行くからと、行く準備を始めた。僕にも、礼拝に行くかと誘ってくれた。お祈りの場はムスリム以外は入っていけないと聞いていたので、「仏教徒だからお祈りしないけど行ってもいいですか?」と尋ねると。「もちろん」といって、2軒となりのモスクへ連れて行ってくれた。外からはモスクだと気づかないほどの作りだった。でも、中に入るとお祈りの前に足や手を洗う場所があり、礼拝の場なんだと思った。中は絨毯が敷き詰められていた。マスウッドさんたちが足を洗うのを待ち、一緒に中に入った。すでに聖職者の人が一番前に立ち、コーランを読んでいた。ぞろぞろと男の人がモスクに集まり、並びはじめた。イスラム教でもシーア派でしか使わないという石を床に置き、それぞれのスタイルでコーランを唱えはじめた。男たちの声が重なり、胸に響いてくる。しゃがんだり、頭を石につけたり、立ったりと繰り返しながらコーランを唱えていた。お祈りの途中みながいっせいに「アッラー」と力強く唱えた。これが耳に入った瞬間、ゾクッとして少し怖い感じを覚えた。僕も神聖な雰囲気を感じ少しばかり緊張した。マスウッドさんに写真を撮ってもいいよと言われていたので、シャッター音を気にしながら数枚撮影させてもらった。


[祈り]

その後、マスウッドさんのバイクに乗り、昨日に続き家にお邪魔する、お昼ご飯はスパゲッティとピクルスとナンだった。昼ご飯は豪華と聞いていたが、特別豪華といった感じはしなかったが、おいしくいただいた。チャイを飲み、マスウッドさんが息子を小学校に迎えにいくと言う。そこで、一緒に車に乗り小学校へ。3時過ぎぐらいに到着すると、子供たちが校庭で遊んでいた。イランでは高校までは男子校しかないらしい。小学校にも、男の子しかいなかった。数人が近くに寄ってきて、話しをした。先生が小さな白い紙を子供たちに渡していた。何かなと聞くと、成績表のようだ。毎日テストが行われ、その結果が返される。なかなか厳しい学校だなぁ。その学校は地域で一番優秀な学校だと言う。それだからか子供たちは熱心に勉強しているようだった。ついでに、校舎の中を見せてもらう。日本の学校と似たような作りだった。職員室では校長先生にもご挨拶した。

さらに大学の進学率が女性の方が高いということを聞いた。これ自体は問題ではないのだが、イランでは男尊女卑の傾向がある。女性の社会進出は遅れている。教育を受けた女性が社会進出しづらく、教育を受けていない男性が社会で働く。このギャップが構造上おこっている事は、今後問題になるのではないかと思った。


[イランの小学校]

その後、エスファハンの町をバイクで紹介してもらう。モスクのタイル工場、布の染め物職人の職場など色々なところを見せてもらった。昔の家の扉も見せてくれた。右の扉と左の扉でデザインが違う。これは昔、男の人と女の人の扉が違ったためだと言う。これは過去の話しのようだ。こう思うと男尊女卑の厳しさは緩んでいるのかなとも思った。これが良い事なのか、悪い事なのかは別として、イランと言う国でもこういった変化は起こっているのだと実感した。

マスウッドさんと別れ、バザールを彷徨いながら、またイマーム広場へ行き、ふらふらと歩き、イマームモスクの中へ入った。この場所の居心地がとても良くてなんども通った。何度見ても美しいモスクだ。ライトアップされた、この広場も華やかな感じがしていいものだ。昼に約束した、食器屋の兄ちゃんに会う時間になったので、聞いていた場所の近くへ行く。しかし、分からない。住所も店の名前も兄ちゃんの名前も聞いていないから当たり前か。でも、携帯の番号だけ聞いていた。しかし、公衆電話からはカードでしか電話ができなかったが、カードが売ってない。しかたない、ということで2階建てのビルの電気屋さんに行き、この電話に電話をしてほしいと頼む。そしたら、食器やの兄ちゃんの店は、このビルの2階だった。こんなこともあるもんだ。話しながら町を歩き、友だちのアクセサリー工場へ見学に行く。それから、お茶をして別れた。優しい彼らは、宿の近くまで送ってくれた。


[ライトアップされたイマーム広場]

おなかが空いたなと思い、町を歩いていると、女子高生ぐらいの3人ぐらいに見られる。こっちを見てうわさ話をしている。イランの女子高生はシャイらしく、僕を見ると遠目で見ている子が多かった。あまり家族以外の男性と話す機会が少ないからなのだろうか。単純に年齢のせいなのだろうか。腹が減ったので店を探しながらゆっくり歩いていたら、追いかけてきて話しかけた。どうやら英語は話せないようだった。しかし、うれしそうにどこの国ですか?と聞いてくる姿がかわいらしかった。少し話して、別れ、俺はあいかわらずサンドイッチとサラダを食べた。

宿に戻り、しばらく待った。マスウッドさんがバス停まで連れて行ってくれると言う。10時に宿で待ち合わせをしていた。わざわざ、宿まで来て、バスターミナルまで送ってくれる。なんとやさしいのだろう。マスウッドさんは奥さんと子供をつれて車でやってきた。車に乗せてもらい、バスターミナルへ。もうこれで最後かと思うと、寂しくなった。こんなに優しくしてもらって、もうしわけなく感じるほどだった。マスウッドさんに、次イランに来る予定はあるのかと尋ねられ、口ごもってしまった。こんなに優しくされたのに、来ないとも言えないし、嘘もつけない。「まだ決めてないんだ」と伝えるのが精一杯だった。バスターミナルに着くと、建物まで連れて行ってくれて、バスの出発場所まで確認してくれた。ついに別れのとき。ありがとう、さようなら。覚えたペルシャ語で何度も言った。こんなにも「ありがとう」と伝えた事も久しぶりだな、と。

バスターミナルでチャイを飲んでいると、声をかけてくるイラン人がいる。誰だ?と思うと、昨日あった映画俳優ご一行さん。また、こんなところで。と盛り上がった。プロデューサーがテヘランへ行くから、その見送りのようだった。テヘラン便が先に出発し、その後、僕の乗るシラーズ行きが出発した。

イラン旅日記の続きはこちら「青い空とペルセポリスの大地」

*「旅先三日目」という表現は角田光代さんのエッセイのタイトルからお借りしました。

「Iranian Blue」~寺町 健 写真展~
期間:2009年2月15日(日)~28日(土)
   月曜は定休日です
   12:00~15:30 18:00~21:30
   (15:30~18:00の間は店が閉まっていますので、ご注意ください)
   店内は禁煙となっております。
場所:カルカッタカフェ
   〒166-0004
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   最寄り駅は阿佐ヶ谷駅になります。
   お食事の方は事前に予約をして頂けると幸いです。(tel:03-3392-7042)