日別アーカイブ: 2009/1/10 土曜日

目指すはイラン、テヘラン、エスファハン

いつもの朝と同じように家を出た。ひとつだけ違うことがあるとすれば目的地だ。目的地は成田、そしてその先のイランへ。


本当に久しぶりだなと思いながら、約3年ぶりに荷物を引っぱりだした。海外を旅するときしか使わないモノがいくつかある。それらは今まで一緒に海外を旅してくれたモノたちだ。そんなモノを手に取り、過去の旅のことを思い出しながら、いつものバックパックに荷物を詰め込んだ。久しぶりの海外一人旅ということもあって、忘れ物がないかなと気になったが、まぁ、お金とパスポートそしてカメラがあれば最低限ことは足りると思い、準備を終えた。

イランは初めて行く国である。それに、過去には拉致の事件もあったし、日本のマスコミではあまり良いことが報道されないので、少しばかり不安もあった。が、行ったことのある友だちに話しを聞いたり、よくよく調べてみると比較的安全な国であることが分かり、ほっとひと安心した。もちろん一人で海外を旅する前に沸き上がる特有の感情 ー 未知なる世界に対する不安や期待でドキドキ ー で頭の中は埋め尽くされていた。

そして、年末と呼ぶにはまだ早い12月18日、日本を発った。

日暮里に住んでいた頃、海外に良く行った。その頃から海外へ行くときは京成線というのが定番になっていた。今回もいつもの京成線で成田へ向かった。成田に着くと、電光掲示板に世界各国へと飛んで行く飛行機の案内がでていた。当たり前の光景だが、あぁ、日本を離れるんだなと改めて感じた。セキュリティチェックを受け、出国手続きを終えて出発を待つ。イスラム圏へ行くため、しばらく豚肉とはお別れ。そこで、マクドナルドでポークバーガーを食べ、大好きな豚肉とさよならをした。

今回はモスクワ経由テヘラン行き。モスクワ経由といえば、アエロフロート航空。初めて乗る航空会社である。初めてということで、普通なら機体や機内サービスに期待するのだが、あまり良い噂は聞かないので、過度な期待はやめておいた。実際に乗ってみた感想はいたって普通。ただ、お酒が有料なのが唯一のネックだった。

送信者 イラン

[モスクワへ行く際の機内食。今回の機内食の中ではこれがベストだったかな。]

モスクワまでは通路側だった。外を見るのが好きな僕は、いつも窓側をお願いするのだが今回は通路側の席しか残っていなかった。だから、寝て、機内食を食べ、新聞を読み、寝て、機内食を食べての繰り返しだった。もちろん、隣の人越しに見る青空では物足りなかった。モスクワに着くと、天井は作りかけのままで薄暗い空港が出迎えてくれた。現地時間で夕方。日本時間だと夜中だが、機内で寝ていたのでそんなにも眠たくはない。3、4時間の待ち時間は、イランでは飲めないアルコールを飲んだ。豚肉に続いて、ビールとさようなら。おそらく一人だとしたら、飲まなかっただろう。今回モスクワまでの飛行機が、仕事での知り合いカップルと偶然にも同じだった。彼らはトルコへ行くという。6、7年前に僕もトルコを旅していたので、その話しをしたり、今のトルコの物価などについて話しながら、乗り継ぎ便を待ちビールを飲んだ。

送信者 イラン

[シェレメチェボ第2空港 寒かった]

テヘラン行きの便の方がイスタンブール行きよりも1時間弱早かったので、一足先にモスクワを後にした。イランへ向かう飛行機は満席に近い状態だった。4時間ほどのフライトは機内食を食べた以外、ずっと寝続けた。せっかく窓際の席だったが、あまり意味がなかった。着陸する少し前、女性が皆チャドルと呼ばれる黒い布を頭からかぶりはじめた。イラン人もそれ以外の国の人も。いよいよイランなんだな。そして着陸直前になりテヘランの町の灯りが見えた。異国の地に踏み入れる前の飛行機から見る夜の町の灯りは、独特の暖かさと、冷たさを併せもって旅人を迎え入れてくれる。ああ、着いた。ついに来た。この国に。どんな旅が待っているのだろう。

送信者 イラン

[テヘランの町の灯り]

モスクワのシェレメチェボ第2空港とは異なり、テヘランのイマームホメイニー空港は近代的で明るい作りになっていた。そんな空港に着いたのは現地時間で夜中の1時過ぎ。眠たくてもおかしくないはずだが、気分が高揚しており頭はさえていた。入国手続きを行うために、列に並ぶ。ビザを持っていたので、すんなりと入国と思いきや、別室に連れて行かれた。何でだろうとはらはらしたが、両手の指紋を入念に取られただけで済んだ。指紋をとり終える、入国手続きは完了した。そして、アメリカ・ドルからイラン・リアルに両替をした。高額紙幣は使いづらいので、5万リアル紙幣にしてもらった。

そのまま空港を出て、市街地へ行っても良いのだが、初めての国で夜中に、それもタクシーに乗るのは気が進まなかったので、空港のイスで仮眠を取ることにした。過去にも夜中に空港に着くことは何度かあった。それは、エクアドルのキトであり、タイのバンコクであり、インドのデリーであった。キトではタクシーで町中まで行き宿に泊まった。バンコクとデリーでは空港でしばらく時間をつぶして、朝になる直前に空港を後にした。今回はバンコクとデリーと同じパターンだ。

送信者 イラン

[イマームホメイニー空港の電光掲示板]

明け方近くになり、バッゲージクレーム(手荷物受取所)を通り抜け、待ち合い所をふらふらと歩いていた。すると、空港の電光掲示板にバグダッドやカブールの文字が目に入った。イランやアフガニスタンと隣り合わせだということを再度つきつけられ、少しばかり身構え、気持ちが引き締まった。この空港から町中へはタクシーしか交通手段がない。そこで仕方なくタクシーで、南バスターミナルまで乗せてもらうことにした。なぜバスターミナルかと言えば、すぐにエスファハンへバスで向かおうと思っていたからだ。

タクシーの運ちゃんはいかにも空港をベースに働いていそうなタクシー運転手だった。世界中の多くの空港がそうであるように、外国人をカモにして儲けようとたくらんでいるタクシーだった。ただ、インドなどと比較すれば、やさしいものだった。エスファハンまでこのタクシーで行かないかと誘ってきたり、電話で日本語を話せる知り合いに電話をして、ああだこうだと話してきたり、降りる時には日本の金を見せてくれ、すなわわち金をくれと言ってきたり。ただ、ひとつひとつ断ったらちゃんとバスターミナルまで連れて行ってくれた。20万リアル(約2,000円)。空港から市内までは15万リアル程度と聞いていたから少し高かったが、25万リアルから20万リアルに値切ったし、夜中だったから仕方ないかなと納得した。

送信者 イラン

[空港から乗ったタクシーの窓から見た景色]

空港を出た時は、まだ暗かったが、バスターミナルに到着する頃には空が明るくなっていた。タクシーを降りると、道行く人に目的の南バスターミナルであるか確認した。騙されて違うところで降ろされたかもしれないから、念のために確認した。タクシーを降りて、やっとイランと触れ合った気がした。イランの地を自分の足で歩いたからであり、初めて町ゆく人と話したからだろう。バスターミナルは活気があった。多くの人が行き交い、大きな呼び込みの声が飛び交う。外国だなと噛み締めながら、もう少しこの空間を楽しもうと思い、すぐにバスチケットを探さず、何か食べることにした。売店へ行き、とりあえず水を買う。店にいた兄ちゃんが温かそうな飲み物を飲んでいる。「美味いよ」と言った感じで勧めるので飲んでみることにした。ホットミルクだった。この時期のイランは東京よりも寒いほどで、そんな冷えた体に染み渡っていった。ついでに、パンも食べながら、その客の兄ちゃんと店主と話しをした。

体も温まったところで、エスファハン行きのバスを探すことにした。バスターミナルにはいくつものバス会社のカウンターがあり、どこのバス会社がエスファハン行きのバスを運行しているのか分からないし、さらにその中でも安いバス会社を探すのは困難だ。ぐるっとターミナル内をひと周りしてから、テキトウにカウンターの兄ちゃんに声をかけた。すると、エスファハン行きのバスは55,000リアルらしい。時間を聞くと7:30出発。もうすぐだ。エスファハンには明るいうちに到着したかったので、そのバスに乗ることにした。バス乗り場を聞こうとすると、親切にバスのところまで連れて行ってくれた。こうして、エスファハンへと向かった。

*このエントリーの写真は諸般の事情により手ぶれなど微妙なものばかりです。エスファハン以降はまともな写真になる予定です。

空港から南バスターミナルへのタクシー 200,000リアル
ホットミルク、パン、水(500ml) 9,000リアル
テヘランからエスファハンへのバス 55,000リアル

1万リアル=約100円

イラン紀行の続きはコチラ「世界の半分と呼ばれる街に着く」