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見てはいけない写真

星野道夫さんの「イニュニック 生命―アラスカの原野を旅する」」に書かれているし、池澤夏樹さんが星野さんについて書いた「旅をした人―星野道夫の生と死」(P310)にも書かれている。星野道夫さんがアラスカの大地で、カリブーの群れを10年近く追い求め、やっと撮れた写真がそれだ。アークティック・オデッセイ―遥かなる極北の記憶という、すばらしい写真集にその写真はある。

この写真のストーリーを知り、本を読みながら頭に浮かんだこと。それが「この写真は見てはいけなかったのではないか」ということ。見てはいけないという訳ではないのだが、どれだけの偶然の積み重ねで起こったことなのか、どれだけ待ち続けないと出会えない風景なのかを勘違いしてしまう。言葉で聞いたり、10年ずっと追い求めて撮影できたと想像しても、想像したレベルのことではないはずだ。それなのに、写真集をめくればその風景に出会える。これは凄くありがたいことだし、幸せなこと。その写真から感じ取れることもたくさんあるし、作者の想いもあるから写真集になっているのだろうから。

ただ写真で簡単に見れてしまうと、その写真一枚に出会うための年月を忘れて見てしまう。こうすることによって、その風景を安直に捉えてしまう可能性がある。それが良くないんじゃないかと思う。本来それが持っている意味とか価値とか時間の流れを過少に捉えてしまうことがある。もちろん、そうすることによって、慈しむ心を失ってしまうのではないか。そして、実際に大切に出来なくなってしまうのではないかということが最も大きな危惧っである。

「見てはいけない写真」これは写真に限ったことではなく、映像であろうと何であろうと。「見てはいけない写真」を見ることは、現代のような文明や科学技術が発達していなければ見ることが出来ないものを見るということ。そういったものを見る世界と「島の時間」、小さな島の世界は相反するものだと思う。そこにあるものしか見ない世界が「島の時間」に近いのだと思う。特に島のおじいやおばあに関しては。その世界はどんなコトをも慈しむことが出来る心を持っている。だからこそ、島では知らぬ間に、落ち着いている。「見てはいけない写真」を見ない生活がそこにはある。

でも僕は「見てはいけない写真」をこれからも見続けるだろう。それは未知なるものに対する好奇心を押し殺すことなんて出来そうにもないからだ。でも、こうも思う。写真家を肯定するかのように、自分を許すかのように。「見てはいけない写真」その域に達する写真であれば、撮影者がその1枚に時間の流れや偶然性など、背景にあるものもすべて表現しているのではないか。だから、見る者は写真をただ素直に見れば良いのだと。頭の片隅で写真の背景を思い描きながら。


島にしかない時間
http://teratown.com/blog/2008/10/28/aceetho/

送信者 八重山2008

[静寂の海](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 200 露出: 1/320 秒 絞り: f/6.3 焦点距離: 16mm)

リクルートのDNA 江副浩正 角川Oneテーマ21

リクルートのDNA 江副浩正 角川Oneテーマ21

最近行ってないがブックオフの100円コーナーは非常に好きな本棚だ。正価であれば購入しない本でも、手に取ることが出来る。今まで自分が知らなかった人、あまり好きじゃないジャンルの本など、テキトウに目についたものを購入することが出来る。だって100円だから。今までの人生では接することのなかった本に出会えることがある。そんな買って読んだ本の中から、いくつかの初めての出会いがあれば幸せなことだ。

本書も100円コーナーで購入。江副さんの自分の過去(思い出)を振り返った本とでも言うのが的確な表現であると思う。内容的には、大学時代から、大学新聞の営業を始め、会社を作り、様々な事業を手がけ会社を大きくしていった。もちろん成功した事業もあれば、失敗した事業も。そんな経験を通して色々な経営者に出会い、自分の経営者としてのあり方について考えたこと、そこから一般化した経営者としてのあるべき姿などについて書いてある本。

はっきりと言ってしまえば、文章からあまり覇気が伝わってこない本であった。引退した人が、それもかなりの時が経ってから書いた本だからなのだろうか。とは言え、この会社が昔どんな雰囲気だったのか社内での日々が目に浮かぶように想像できる一冊となっている。

亡き亀倉先生は、いまも私にとっての師である。先生と呼べる人を持てることは、人生にとってとても幸せなことだと、この歳になっても感じている。P52

この部分はまさにそうだろうなと思った。師匠という存在については以前から考えてきた。師匠と言う存在は、自分が何かに対して全身全霊を捧げて取り組んでいたら出会うものなんだろう。師と呼べる人に出会いたいと思うが、それが先になるとおかしなことになる。何か自分がやりたいことに真剣に取り組んでいたら自然に出会うものなんだろうから。

過去に書いた師匠について

師匠とは

弁当を作りながら師匠について思う

海洋冒険家の白石さんの師匠について

送信者 いろいろ

[まだ見ぬ師を見つめて](PENTAX K10D FA35-80mm ISO: 100 露出: 1/2500 秒 絞り: f/5.6 焦点距離: 60mm)

ピーラーの裏にあった

まだ自炊と弁当は続いている。でも、冬は水が冷たい。やっぱり料理をする季節は春と秋に限ると痛感する今日この頃。夏はなぜ除外されたかと言えば、火を使うとさらに熱くなるから。

まあ、この話は横に置いておくとして、僕はピーラーを使う。皮むき器と呼ばれるものだ。以前は使っていなかったのだが、友だちが「ピーラーはとんでもなく便利だ、考えた人は天才だ」、と言っていたので買って使っていた。確かに、人参やジャガイモの皮を剥くのは便利だ。早いし薄く剥ける。最近は友だちからもらったリンゴまでピーラーで剥いた。するとこれがすばらしく綺麗に剥けた。手先の器用さや包丁さばきは上達しないが、非常に便利な代物だ。

こういった調理の小道具を使っているのだが、小道具で欲しいけど持ってないものがあった。それはおろし金(すりおろし器)だ。おろし金も安いし買えばいいのだが、物はできるだけ持ちたくない性格だし、そんなに何かをおろすこともないから買わないでいた。でも、最近豚肉の生姜焼きを作ることになった。友だちが「弁当のおかずにいいよ」と教えてくれたのがきっかけだ。以前にも生姜焼きを作ったが、その時はショウガをみじん切りにして代用した。みじん切りで我慢したという方が適切である。その生姜焼きの味に納得がいかなかった。みじん切りではなく、おろしたショウガを使いたい。風味が全然違う。

そこで、家に帰る途中にある100円ショップに立ち寄っておろし金を探した。しかし、ない。おろし金がない。あると思い込んでいたので、ショックだった。どこかに隠れてないかなと、陳列棚を隅々まで見ていた。すると、目に飛び込んできた。「おろし器付き」という文字が。「おろし器」ではなく「おろし器付き」。なんとピーラーにおろし器が着いたものが売っていたのだ。狭い店内だから、1つの商品で2つの役割をはたす物を売っていたのかもしれない。

ここで悩む。おろし器は欲しい。しかし、ピーラーは持っている。でも100円と安い。もともとピーラーがついてないおろし金でも100円のつもりで来たのだから、買っても損した気にはならない。とは言っても、100円でおろし器だけの商品があれば、もっとしっかりとして良いおろし器が手に入るのではないか。ピーラーを前にそんなことが頭の中をグルグルと駆け巡った。

その時、気がついた。俺が持っているピーラーにもおろし器がついている可能性があるじゃないか。ということで、買わずに家に帰ってピーラーをチェック。すると、ピーラーの取っ手(柄の部分)の裏側に、ザラザラボツボツがあった。まさに、おろし器だ。買わなくて正解だった。そして、このピーラーの裏にあるおろし器でショウガをおろして生姜焼きを作った。ショウガの風味がしっかりして、満足いく生姜焼きが出来上がった。うまい。

と、まあこんなことがあった。それで思う。普段から使っていたピーラーの裏側におろし器があった。でも、おろし器は持っていないからと、いつもおろすことは断念してみじん切りなどで代用する日々だった。目の前にあるにも関わらず、それを認識していないのはないのと同じなんだなと。さらに、おろし金を買うと決めて、店で探すことをしていなかったら、自分の持っているピーラーにおろし器がついていることなんて、ずっと気がつかなかっただろう。

答えは目の前に存在してても、自分の中にすでにあったとしても、気がつかないことがある。自分だけでは気がつかないことがある。その答えに気づかせて、意味のあるものにしてくれるのは、自らの行動による何らかの発見や、周りの人からの視点だったりするんだろう。答えは想いもかけないところに存在する。答えを求めて行動すると、予想もしていなかったところや人にヒントや答えへの道筋があるんだなと実感した。答えが欲しい時は、まあ良いかと放置するのではなくて、それを求めて行動することが大切なんだなと、当たり前のことにピーラーとおろし金を通して思った。

送信者 いろいろ

[想いもよらぬものに出会える、阿佐ヶ谷ゆうやけ市](PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/80 秒 絞り: f/8.0 焦点距離: 35mm)

見えないところに潜むもの

先日、東京ドームでビリージョエルのコンサートに行った。それはコチラにも書いた通り。1塁側の外野席で聞いていた。見ていた。今日は小田和正のコンサートで再度東京ドームを訪れた。6月に続いて2度目。7、8万人はいるだろうと思われる会場からは不思議な感覚を憶える。数万人の人が何かに包まれているような、他者と自分が薄らとしたつながりを持つような同一感。それは閉じられた空間に数万人がいるという異常な状態、さらにステージ上の一人に皆が集中することから生まれでる空気感なのであろう。

基本的にはステージのみライトがあたるので、他は暗くて見えない。主役はステージのビリージョエルや小田和正だし、彼の歌をみんな聴きにきているのだから当たり前だ。とは言っても、演出効果でスタンドの席にもライトが向けられることがある。真っ暗で何も見えなかった場所に、ライトが当たると無数の人が浮きあがってくる。ギョッとする。自分から近い人は大きく見え、次第に小さく見える人々。ずっと人の存在は繋がっている、一人一人の存在がここから、その先、ずっとずっと向こうまで。

そこにいることはもちろん知っている。でも、見えないところに潜んでいる。そんな人を見ると、すげーなーと思う。均一に並んだ数万人の人々。圧巻の光景だ。

見えないところに潜むものは怖くもあり、恐怖にならないこともある。存在を知らないから想像し恐れる場合と、存在を知らないから考えもしないで怖くない時。どちらの場合もある。どちらにしろ、そんな、見えないところに潜むものが、怖かったりワクワクしたりして好きだ。驚きを与えてくれる。未知なるものは居心地の悪さや恐怖もあるが、それにもまさる未知なる希望が人を駆り立てる。

東京から岐阜を目指して歩いた時、静岡を通った。富士山があることすら気づかないくらい疲れていた。もちろん暗くなってから富士市内に入ったから、富士山が目に入らなかった。翌朝、日の出とともに起きて、道を歩こうとした瞬間に目の前に太陽に照らされた富士山があった。驚いた。あまりにも大きくて。あまりにもありがたくて。うれしかった。驚いた。

目に見えないところに潜むものは、そんな感情の変化を与えてくれる。見えないところに潜む、未知なる希望や喜び。

送信者 八重山2008

(PENTAX K10D DA16-45mm ISO: 1600 露出: 1/320 秒 絞り: f/7.1 焦点距離: 45mm)

最近読んだ本の一時的なメモ

誰かの意見や考え、作品に対して感想を述べたり、自分の意見を書くということは体力のいる作業だ。普段書き散らしている、自分の思いつきとは違う。そこに自分ではない他者とその作品が存在するからだ。だから、一冊ずつ書こうとすると、それなりに振り返る時間やまとめる時間が必要になる。それで、つい読み終えても放置となってしまう。せっかく読んでも読みっぱなしではもったいない。

今後一冊ずつ詳しく書くかもしれないし、もう書かないかもしれない。書かない可能性もあるので、簡単なメモだけ残しておく。
ここ一ヶ月ぐらいで読み終えた本で、感想を書いていないものを。

この「社則」、効果あり。柳澤大輔
あらためて組織って人なんだな。いくつもの組織を並列に見てみると、それぞれの組織にも個性ってあるんだなとしみじみと実感。人の集まりって、組織って面白い。そしてカヤックは面白い。

母なる自然のおっぱい 池澤夏樹 
植村直己さんについて書かれている章がどうしても読みたくて、絶版のこの本を探して買った。再び出発する者という章。植村さんに対する捉え方、すごいしっくりきた。植村さんがいてくれてよかったと同時に、池澤さんがいてくれて良かったと思った。

旅へ 野田知佑
旅日記。野田さんの若かりし頃、ありのままが書かれている印象があった。後半部分の日本に戻ってから、サラリーマン時代や教師時代の想いの部分に共感した。

凍 沢木耕太郎
沢木さんの卓越した文章表現に吸い込まれていった。そして、もちろん書かれている対象、山野井泰史さんと山野井妙子さんの存在は、文章表現の巧みさをねじ伏せるほどの圧倒的な強さを誇っていた。
それにしても、この本は面白かった。ぐいぐい引き込まれていった。まるで自分がギャチュンカンの壁に取り付いているような気分になった。最高にすばらしい本。

それでも脳はたくらむ 茂木健一郎
久しぶりに茂木さんの本を読んだ。雑誌の連載をまとめた本だから内容の深さはそれなり。ただ、茂木さんの文章を書くスピードをふまえると、あんな短時間でこれだけの表現が出来るのかと脱帽する。

旅をした人 星野道夫の生と死 池澤夏樹
池澤さんは星野さんのことを心の底から敬愛していたんだと伝わってきた。そして、星野さんに実際に会って一度お話をしたかったと強く強く思わせられた一冊。アラスカ大学フェアバンクス校やクイーンシャーロット島など星野さんゆかりの地をぜひ巡りたい。そんな場を通して、つながりを感じたいと思わせてくれた大切な一冊。

最後の冒険家 石川直樹
神田道夫さんについて書かれたノンフィクション。この本を読んでいると神田さんは生きていると思えてきた。なぜだろうか。たぶん石川さんがそう信じて書いたからだろうと思う。気球と言うものに対して非常に興味がわいたし、神田道夫という現代の冒険家の精神が伝わってきた。

デザインのデザイン 原研哉
一気に読み終えた。デザインがどうのこうのと言うよりも、物や行為に対してそれが生まれた理由、それがそうある理由がデザインなんだなと思った。「デザイン」をする前提としての原さんの世界の捉え方、社会の捉え方、そしてスタンスが僕の中で腑に落ちた。

送信者 いろいろ

[鬼怒川土手からの夕陽](ENTAX K10D DA16-45mm ISO: 100 露出: 1/320 秒 絞り: f/6.3 焦点距離: 70mm)